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悠久のフォルトゥーナ  作者: 卜部祐一郎@卜部紀一
第一章 『慟哭』
11/43

(10) - 彼方からの声

 夕闇の中で、目を開いた。

 宿屋で目を覚ますのは、ここに来て二回目だった。ごく当然の如く、昨日と何も変わっていない光景。

 二十四時間制限など、まるで最初からなかったかの如く……俺を目を覚ました。

 なぜか、妙に暖かい感触に包まれて。


「……えっ?」

 思わず素っ頓狂な声を上げたのは、起きたらもう夕方だったから、というような理由ではない。

 いや確かに、若干の由々しき事態ではあるかもしれない。何せ、昨日からおよそ半日以上は眠っていたというわけであるのだから。寝すぎて体が少し重い気がするが、そんなものなど既にどこかへ吹っ飛んでしまっていた。

 いや、それはともかく、今は置いておいて。

 そうではなくて……俺が驚いた理由は、要するに、俺のベッドの中になぜか銀髪の少女がいたからだ。


「う、んん……」

 少女が身を捻る。それに反応してビクゥ、と身を跳ねさせながら、状況を整理すべく記憶を巡らせた。

 銀髪ロングの、それも割と美少女。

 この場合問うべき命題はひとつだけだ。

 それがなぜ、自分と一緒のベッドで眠っているのか?


 ――そう。

 それは確か、あの夜……。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「……彼女は、もう眠ったのか?」

 嗚咽の止んだ、暗闇と静寂の中。

 不意に発した俺の問いに、「ああ」と背後でリンが答え、その横に腰を下ろした。


 ……Cランクモンスター、≪ジェネラルリザード≫三匹により、ある商隊が襲われた事件。

 それに偶然遭遇した俺とリンは、彼らを救うべく加勢したが……しかし救うことが出来たのは、たった一人の少女だけだった。

 そして、目の前で燃え盛る紅。それは死者たちを弔う、炎であった。

 炎は赤々と燃えあがり、空に灰を運んで行く。死者の血と肉を、そして無念をも焼き尽くして。


「……人は、死ぬんだな」

 ぽつりと漏れた俺の言葉は、俺の本音としては当然でも、リンとしては意外だったのだろう。

 驚いたように目を見開いて俺を見ると……しかし不意に、目線をそらした。

「人死にを見るのは、初めてなのか?」

 リンの問いに、俺は応えることは出来なかった。

 空を見上げる。そこには変わらず存在する、白く濁る円環≪オーリオウル≫。

 あの円環が証明するように、ここが本当に≪オーリオウル・オンライン≫の中ならば……人が死ぬ光景など山ほど見てきた。

 そして、何も思わなかった。それは本当の死ではなかったから。


 無数の青い光の粒と共に虚空に消え、そして十秒後には、自分の町へ戻る。

 それがこの世界、≪オーリオウル・オンライン≫での死であった。そのはずだった。

 だけれど――

(……この世界では、人が死ぬ)

 それはきっと、どうしようもない事実であった。


 俺は、掌の中のナイフで、自分の指を切ってみた。

 わずかなダメージ。視界の左端にヒットポイントのバーが浮かび、一ドットほどが削れるのが見えた。それはヒットポイントの総量からみれば、ほんのわずかなものでしかない。そして自動治癒オートリジェネレートによって、やがてヒットポイントは回復し、傷も消える。

 ……だが、それに何の意味がある?

 たとえば腕を落としてヒットポイントの七割を減らし、その後回復させたとして……恐らく傷はふさがっても、腕までは帰ってこない。

 そして回復不可能な傷を負ったとき、きっと、このヒットポイントはゼロになるのだ。


 現実と同じだ。ヒットポイントふさがるかいふくするかもしれない。しかし、失ったものまでは戻らない。

 それはもはやゲームではなかった。圧倒的なリアル。圧倒的な喪失。圧倒的な、死。

「人は……死ぬ……」

 それはごく当たり前のことで、そして、ごく自然なことなのだろう。

 しかしこれほどまでにおぞましいものなのだと、十七年の人生の中で、俺は初めて知った。

 それゆえに護衛のない外出は禁止されていて、それゆえにリンは俺を護衛すると言いだして、それゆえに、あの時、リンは俺に出るなと言ったのだ。


(これは、本当に……ゲームなのか?)

 ちくり、と、ナイフでつけた傷が痛んだ。

 VRMMOゲームに本物の痛みは存在しない。そんなものがあっては、もはや娯楽などではないのだから。

 しかし、ここには、確かにある。

 痛み。喪失。恐怖。生と死。それは即ち、ゲームという枠を越えたリアル。

 それを、果たしてなんと呼ぶのか。

(――現実、だ)

 そう。ここは現・・・・実なのだ・・・・


 馬鹿馬鹿しい話だと思う。

 ここは≪オーリオウル・オンライン≫の中なのだ。ならばゲームの中なのだ。そのはずなのだ。

 だがしかし……これが現実なら、全て納得がいく。

 町の様子を思い出す。今ならば分かる。≪オーリオウル・オンライン≫にいるプレイヤーは皆、戦士や鍛冶師、最低でも商人だ。一般市民として生活するプレイヤーなど一人もいない。

 しかし、違った。きっとあの街に住む人間の大半は、恐らく、普通に働いて普通に死んでいく、ごく普通の人生を送る人々なのだろう。

 逃避ログアウトはできない。都合のいいやつサポートも存在しない。

 人が泣き、笑い、暮らし……そして時に時に死ぬ。

 同じだ。まったく同じだ。ここは、現実とまったく同じ。


「完成された……世界」

 それはもはやゲームなどではない。

 ……もう一つの、現実なのだ。


 深く、深く息を吐いた。俺は空を、星空を、ただ見上げて……。

 そして気がつけば、眼前で燃え盛っていた炎はいつしか消えていた。


 リンがスコップで灰を拾い集め、いくつかの袋に分けていく。……恐らく遺骨だろう。

 そしてそのうちのひとつ、小さな袋に詰められたそれを俺に渡してきた。

「それを、あの少女に渡してやってくれ」

「……お姉さんの分か?」

「その中に入っているかは分からないがな……納得はしてくれるだろう」

 それなら、お前が渡した方がいいんじゃないか、という俺にリンは首を横に振った。

「彼女、見ただろう? あの枷……奴隷だよ」

「奴隷?」

「他の町から売られてきたんだ。……一応、私も騎士のはしくれだからな。奴隷を連れて町に入るわけにはいかない」

 その言い方に若干むっとする俺に、小さく彼女は苦笑して手を振った。

「勘違いするな。彼女がどうこうの話じゃない。彼女を連れて町に戻れば……逃亡奴隷を捕縛してきた、とでも思われそうだからな。それではあまりに不憫だ」


 そうか、と俺はそこでようやく頷いて……格納すべくインベントリーを開いたが、しかしやめた。これは、きっと俺のインベントリーに入れるべきじゃない。

「奴隷……ね」

 振り返り、少女が眠っているだろうテントを見やる。

 もちろん、その意味は分かっている。しかし本物の奴隷を見たのは、現実どころか、この≪オーリオウル・オンライン≫の中でも初めてだった。

「……彼女は、どうすればいい?」

「出来れば、私が引き取りたいが……」

 リンはしばし言葉を濁し、ふと俺の方をみた。

「……まあ、君が引き取るのが一番か」


「自由にさせるわけにはいかないのか?」

 俺の純粋な疑問に、しかしリンは「いや」と首を横に振った。

「彼女の首元に、魔法でつけられた奴隷の印がある。それがある限り、自由に歩いていれば逃亡奴隷扱いだ。殺されても犯されても、誰も文句は言えない。そしてその印は……誰にも消すことは出来ない」

「…………」

 実に胸糞の悪い話だった。

 奴隷は何かの理由で売られるか、あるいは自分から望んで奴隷になるらしい。

 そして奴隷になれば……その生涯において、別の人生はありえない。

 体に刻まれた印が、奴隷を一生縛り続けるのだ。


「だから、君が主人マスターになればいい」

「どういうことだ?」

「商隊は全滅した。恐らく奴隷商人だろうな。なら今、彼女はどこにも買われていない状況なわけだ」

 言われて、なるほどと俺は頷いた。彼女を俺が買ったことにしておけば、少なくともすぐ殺されることはない。

 そういうことかと承諾すると、同じようにリンも頷き、肩をすくめた。

「それに……まあ、奴隷ひとつでそんな顔をする君だ。彼女を悪いようには扱わないだろう」

 そう言って、リンは少し微笑んで……俺はなぜか恥ずかしくなって、顔を背けてしまった。


 ……こいつはリンじゃない。

 かつて自分が唱え続けていたその言葉は、今はどこかへと霧散していた。

 確かにこいつは、あの通りのリンじゃないんだろう。

 だけれど、こいつの中身はきっと、真っすぐで一途で、馬鹿正直で。俺が信頼して背中を預けた……あのリンと同じなのだ。

 だからこいつのことも、少しは信じてみようと俺は思っていた。

 こいつは、あの通りのリンではないけれど……それでも、リンはリンなのだから。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 そして、俺は銀髪の少女を背に担ぎ、宿に辿りつくと同時に熟睡してしまい――。

 かくして、この状況なわけだ。

 宿についた時には既に早朝だったわけで、むしろ宿屋の人が受け入れてくれたことの方が奇蹟的なのだろう。しかし――。

(どうすっか、こりゃ)

 穏やかな寝息を立てながら眠る少女に、はあ、と溜め息を吐きながら、思う。

 起こすべきかな、と迷いつつも手を伸ばし、ふと……寝返りを打つと同時に、小さく聞こえた言葉に、俺はその動きを止めた。


「――ねえさん……」


「…………」


 それは――

 もし俺があの時、迷わずにすぐに飛び出していたのなら、救えていたかもしれない命。

 彼女に、失わせずに済んだかもしれない、大切な命。

 俺は、小さく唇を噛んだ。しかし俺がどれほど後悔しても、時は巻き戻らない。俺は二度と彼女の姉を救うことはできず、失われた命は、二度と帰ることはありえない。

 これはゲームなどではなく、現実なのだから。

「……すまない」

 謝ってすむものではないと、分かっていても。

「俺が……俺が、もっと強かったら……」

 逃げず、逃避せず。

 俺がもっと、現実に向きあえていたなら。

 そうしたら、彼女の姉は、死なずに済んだんだろうか?


 この世界で人が死ねば、本当に死ぬ。

 きっと彼女の姉は蘇らない。

 あの日、俺に声をかけてくれた女性プレイヤーも、もう蘇らない。


 俺は、逃げ出したかった。

 この世界から逃げて、もう一度、あいつらに会いたかった。

 そしてその俺の弱さが……彼女の姉を、殺したのだろうか?


 分からない……分からない……。

(分からない――)


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 私が目を覚ましたとき、もう、太陽は地平線へと沈みかけていた。夕闇が、この宿屋の一室をも照らしているその中で……私は目を覚ました。

 いや……正確に言えば。

 起きようとして、起きられなかった、と言えばいいだろうか。


 私のすぐそばには、男の人がいたから。

 生まれてこの方、男の人になんて触ったことがない私は、思わずびっくりして、とりあえず寝たフリをしてしまった。

 多分、きっと、気づかれてないはず。

 そう思いながら、私は、ただひたすらに目を閉じる。


 ……悲しい、夢を見たと思う。

 いいや、夢じゃない。姉をかばおうとして、姉さんは死んだ。

 昨日からずっと繰り返し、その夢ばかりを見ていた。

 トカゲ男の振り下ろした、巨大な剣が……姉さんの体を叩き潰す、あの瞬間。

 あんな光景は、忘れたくっても忘れられるはずがない。痛くて、痛くて、痛くて苦しくて、私はずっと、ただ何もできず泣き叫んでばかりいた。

 ――けれど。

 私は、死ななかった。

 青色の髪の男の人が……私を助けてくれたから。


 嬉しかったのか、と聞かれれば、違う、とも思う。

 私は姉さんが大好きだったから。姉さんがいなくなったこの世界で、どう生きればいいのか分からない。

 今日の昼。

 たまたま目覚めた私のもとにやってきた黒髪の女の人は、私を助けてくれた、その男の人に買ってもらいなさい、と言った。

 男の人はぐっすり眠っていたから知らないだろうが……正直、それも嬉しいとは思わなかった。


 幸運なことだっていうのは分かっている。

 奴隷商人は死んで、一人になった私を、この人たちは助けようとしてくれているのだ。

 それは分かっていた。分かっていた、けれど――。

(……姉さんは、死んだ……)

 死んだ。死んだのだ。姉さんは、あの人は、もうこの世のどこにもいない。

 私たち二人はいつでもどこでも一緒だった。

 何もできない私を、いつも姉さんは助けてくれていた。親に、借金のカタに売られたときも、泣きわめく私を姉さんはいつも慰めてくれた。


――もう、駄目ねえ。シルファは、私がいないと、本当に駄目なんだから。


 ああそうだ。その通りだ。姉さんがいなかったら、私は何もできない。

 だからあの時、姉さんの代わりに、私が死ぬべきだった。

 それが駄目なら……せめて一緒に死ねばよかったんだ。


 だから、私は、素直に嬉しがることも、感謝することもできなくて。

 ふと、もぞり、とベッドの上で男の人が動いた気配がした。何かされるのかもしれないと、思わず身を固くする。そして……

「……すまない」

 絞り出すように、彼はそう言った。

(――え?)

 不意にわけがわからなくて……私はその時、きっと呼吸さえ止めていた。

「俺が……俺が、もっと強かったら……」

 ――もっと強かったら。君の姉さんも、助けてあげられたかもしれないのに。


(ああ……)

 そうか、と、不意に全身から力が抜けていく。


 冷静に考えれば。あれは仕方のないことだったのだ。

 他の誰かにそう言われた時、私はそれを認められないだろう。けれど、でも客観的に見れば、確かにあれは仕方のないことだったのだ。

 たとえ誰だって、姉さんは助けられなかった。

 なのに……なのに、それでもこの人は……。

(こんな強い人でも……苦しんでる)

 そんな意外な気持ちと、そして、この人はなんて優しくて、なんて悲しそうなんだろうと、そう思った。


 なら、私は何なのだろうか?

 弱くて、どうしようもなくて……そんなことに悩んで。姉さんが死んだぐらいで、私も死んだほうが良かった、なんて。

 私を必死に助けて、それでもまだ必死に苦しんで、悲しんでくれている人がいるというのに。

 私は……なんて贅沢なんだろうか?


 溢れそうな涙をこらえて、私は目を閉じ続けた。

 ここで目を開いてしまえば……きっと、彼に失礼だろうから。


 そして、不意に。ずっとずっと向こう、どこか遠い、遥か彼方で。


 ――生きて、と。


 そう告げる姉の声が、確かに聞こえた気が、した。


 それから三十分後。

 ようやく落ち着いた私は、息を吐きながら目を開いた。

次回、第一章完結です。

しかし推敲に時間がかかってしまい、ストックを作る余裕がなく……。

申し訳ないのですが、第二章掲載にはちょっと時間を頂きたいと思います。

というか本当は一章分だけで完結させるつもりだったんですが、欲が出てしまい、まだまだまだまだ続きそうです(笑)

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