三界大戦 蠕動編 その5
「レティ! レティっ!!」
メインストリートの一角、立ち止まったレティーシアにメリルの呼び声が響く。
「……む?」
「む、じゃありませんよ。ずっとぼぅっとしてるし、声を掛けても生返事ばかり。一体どうしたというの?」
「いや。少し気になることがあってな、少々物思いに耽っておった」
まさか帝國の建国者が果て無き地平線のプレイヤーであったなどとと、流石に予想外もいいところだ。
正直詳しく調べたいところだし、蘇ったマダオに関する記憶やその他についても考えたい。
しかし、今は片付けるべき案件が少々多すぎる。
王城での叙勲式しかり、異世界からの侵略者しかり。
とくに異世界の機械人形共、あれは放置するにはいささか以上に邪魔くさい。
「ほら、またそうやってすぐ考え込む」
「思考は妾の武器だからな。だがもう大丈夫だ、市に行くのであろう?」
俯き思考するレティーシアに、メリルが少し心配気に口を挿む。
「問題はないんですの? 必要なら、今日はもう宿に戻ってもいいのですから」
「別段不調なわけではないからな、問題はない。それに、帝都の商い場がどのようなものか、妾としても興味がある」
「それならいいのですけど……そうよね、レティが言うんだもの、信じるわ」
それじゃあ行きましょ、と、そう言ってメリルが再び手を繋いでくる。
レティーシアより幾分大きなそれに包まれると、どうも子供扱いされているような気がしてしまう。
身体的特徴にコンプレックスがある訳ではないが、やはり時には高い背や、豊満な胸に憧れるものだ。
寸胴とまではいかないが、ささやかなくびれ、慎ましい胸、低い身長、肉体年齢相応の顔立ち。
反対、メリルのスタイルはそれなりに女性的であり、二人が並ぶとその対比がより目立ってしまう。
吸血鬼の始祖という肉体は、いわゆる一つの強大な概念体である。
その為生半可な方法では改竄を許されず、復元能力により成功しても定着しない。
「それにしても、こうも注目されるといささか鬱陶しいな。乗り合いの馬車か何かを使えばよかったか?」
メイン通りを避けて歩いてはいるのだが、それでも二人は非常に人目を引いた。
メリルはその地位がゆえに。レティーシアはその容姿がために、だ。
「そこは致し方ありませんわ。有名税? とでも思うしかないですわよ」
「救いは殆どが邪な心を抱いておらぬことだな。上流階級の人間とやらも、思ったよりはマシなものらしい」
全員とはいかないまでも、感じる視線から受ける感情は物珍しさや驚き、羨望などが大半であり、性的視線などの邪悪なものはかなり少ない。
「今や貴族の多くが腐敗したこの国ですけど、それでも住む住民の大半はその階級に値する心根を持ってますわ」
「……そうか。建国のマダオもここまで長く国が続くとは思っておらなんだろうよ」
「レティ……?」
どこか郷愁とも、一抹の悲しさとも、それ以外とも感じ取れる不思議な感情がレティーシアの言葉から伝わる。
思わず心配気にメリルが名を呼ぶが、直ぐにその表情は常のどこか冷たげなものに戻っていた。
(そなたが生きておれば、是非この世界での一生を聞いてみたかったのだが、な)
「到着致しましたわ! ここが帝都最大の商い場を擁したメインストリートですのよ!!」
淑女らしからず、両手を広げ細道から飛び出したメリルが大声を張り上げる。
そこは確かに一目で分かるほど立派な商店街だった。
活気こそ他の大都市に及ばないとは言え、露店のようなものは少なく、どれもが自前の店が乱立している。
その仕立てもどこか気品が漂い、恐らくは扱う品も一級だと窺わせる。
「確かに、中々悪くない」
「ふふ、そうでしょう? お客の人数こそ、帝都の仕様上少ないけど、出回る品の品質、豊富さはどこの大都市にだって負けないと自負致しますわ」
そういって近くの数少ない露店に近寄ると、店主と二、三言葉を交わすと一つの耳飾を手に持ってくる。
ひし形かつ多角的にカットされた紅い宝石は、それだけで職人の腕の良さを教えてくれるが、金を用いた細工もかなりのものだ。
「やっぱりレティには赤が似合いますわね」
穴空けのタイプじゃない、留め金式なのをいいことに、レティーシアの耳に髪をかきあげ、その小さな耳たぶにイヤリングを付ける。
その感触に思わず身じろぎすれば、小さく澄んだ音がチリンッと鳴った。
どうやら揺れに反応して音がなる魔術が掛けられているらしい。
「驚いたぞ。このようなことの為に、わざわざ魔術品に仕立て上げるとは」
「他の都市ならこんな商品、そうそうお目に掛かれませんわ。露店でこのレベルなんですもの、帝都でも有名どころの品々はそれは凄くてよ?」
そういってイヤリングをレティーシアの耳からそっと外し、店主に借り受けた駄賃なのか、硬貨を握らせて戻ってくる。
「随分と楽しそうではないか、メリル」
見るからに浮かれた様子にレティーシアがため息を零す。
「あら、それはそうですわ。だって可愛い妹との買い物ですのよ? 楽しいに決まってるじゃない!」
「妾は一言も買い物をするとも、デートとも言っておらぬぞ……」
そんな言葉もなんのその、その後もメリルは次々とレティーシアを引っ張りまわす。
アクセサリー専門店から始まり、日用雑貨店、小物を扱った高級品店や王族御用達の服飾店。
特に服飾の店では店主だという夫人と一緒になり、アレやコレやと着せ替えられ、実にメリルは楽しそうであった。
レティーシアとて、着飾ること自体は嫌いじゃない。とはいえ今は“彼”としての精神性もあり、微かな抵抗感はあるのだが、そんなもの知る由もなく実にお構いなしだ。
平民なら目が飛び出るような値段の衣服をうれしそうに買い込み、特注でペアルックで頼むあたり魂胆は随分と丸分かりであったが。
「流石に疲れたぞ、この辺りには飲食店はないのか? こう鬱陶しい陽射しの中歩き続けておると、何か冷たい飲み物が欲しくなる」
「それなら、オススメの店がありますわ! 時間もいい感じですし、少し遅い昼食にしましょうか」
レティーシアの手を掴み鼻歌まで歌ってメリルは己が知る中でも、最高の味と品質を誇る店へと歩き出した。
「いらっしゃいませ――――これはこれは、メリル様ではございませんか。お久しぶりで御座います。今日はお二人でのご来店ですかな?」
商店街を進み、飲食店が並ぶ界隈の中でも一際目を引く豪奢な建物、その扉を潜ると一人の老人が挨拶を口にした。
「ええ、今日は妹との二人きりですわ。それにしても調理長が入り口に居るなんて、珍しいですわね?」
そう、白いコック帽に同色のエプロンを着けた好々爺としたおきなこそ、この王族や皇位貴族すら通う料理店“竜の瞬き”の料理長なのだ。
メリルが知る限り、既に三十年以上その地位を守り、店の新料理に貢献してきた傑物である。
その料理の腕は帝都一と呼ばれるばかりかデルリフィーナでも五指、大陸でも十指に入ると噂される程だ。
「ほほぉ、メリル様の妹御様ですとな。お目にかかれて光栄です、私め、こちらの店で調理長の座を預かっており間するシルベスターと申します」
「ふむ、丁寧な挨拶痛み入る。実を言えばそう期待はしておらなんだが、そなたが作るのであれば、楽しみに待つとしよう」
知ってのとおり、レティーシアは才能ある者、努力する者を好む傾向にある。
シルベスターと名乗った人物は、己が才に溺れず、弛まず努力、研鑽を行ってきた者特有の匂いとも、オーラとも呼ぶべきものを纏っていた。
飽食の限りを尽くした身ではあったが、これなら満足できそうだと内心期待に溢れる心持ちであった。
……が。
そんなレティーシアの期待にシルベスターの表情が陰る。
侯爵家令嬢、それもこのように美しい人物が期待を寄せるとあらば、その腕も全力で振るおうというもの。
だが、今日はそうもいかない理由があった。
「すいませんね、実は今日はさる高貴なお方が来店されることになってまして。退店されるまでの間、付きっきりになりそうなのです」
今にも頭を深く下げそうな程申し訳ない気持ちでシルベスターが言う。
常なら上客中の上客であるブロウシア家にこんな事は言わない、例え公爵家が来たとして、必ず手ずから料理を振舞ったことだろう。
なんせメリルの家には昔、この竜の瞬きがとある事情で傾きかけた時、無利子無担保で資金援助受けている。
今は既に返済済みだが、その恩は一生を掛けて返していくべきものだと、古くからのスタッフは誰もが思っている。
だからこそ、こんな事を口にするのは心の底から、まさに血反吐を吐く思いだった。
「私相手でも譲れない家格ってことは……公爵? それとも……」
「あれ? この声、もしかしてメリル!?」
「……えっ?」
チリンッと来店を告げる音が鳴るのと同時、入ってきた一人の少女が嬉しそうに口にする。
「シャン、レイ?」
「ええ! そうよメリル!! 暫く見なかったけど、なんだか随分雰囲気が変わったんじゃないかしら? こっちに来るのは手紙で知ってたけど、こんなに早いなんて思わなかったわ!!」
見た目だけで言えば溌剌とした印象を受けるものの、その美しい肩まで伸びた金髪や、整った容姿に小柄な背丈も相まってさしずめお姫様だろうか。
と、嬉しさのあまりメリルに抱きついてたシャンレイが、ようやくレティーシアが居ることに気づく。
「うわっ!? えっ、もしかしてこの人がメリルのくれた手紙書いてあった、レティーシアって娘?」
「ええ、そうですわ。私の自慢の妹ですのよ!」
まるで我がことのように鼻高々に告げるメリルを無視し、シャンレイが自身より僅かに小さなレティーシアの傍まで来ると、やたらと光り輝いた瞳で凝視してくる。
全身を舐めるように見つめられ、流石にぶるりと背筋が震えたが、悪印象はない。
「凄いわ! 凄いわ!! こんな綺麗な人私初めて見たかも! うわぁー……肌真っ白だし、髪なんてサラッサラ。それに、何だかいい匂い……」
「ええいっ、気安く妾に触るでない!!」
異様なテンションに我慢の限界を迎え、ふん! と、頭をひと振りすれば、胸元で緩く巻かれた髪の毛が勢いよくシャンレイの顔を打ち据えた。
「いたっ、痛い! め、目に入った!!」
「ず、ズルいですわ!! 私だって、中々髪の毛に触らせてくれないのに!!」
「とか言いながら、そなたまで触ろうとするでないっ!!」
「――あいたっ!?」
何やら焦った顔で伸びてきた腕をひらりと躱す。
そのままもう一度頭を振れば、これまた勢いよく飛び出した巻き毛がメリルの目に直撃する。
二人して淑女には到底見えないうめき声を上げ悶えているのを見て、心底深い溜息が溢れ出す。
「お主らは一体何がしたいのだ……」
後ろではシルベスターが一人顔を強ばらせている。
なんせ今床で悶えているのはこの国の第二王女なのだ、いくら侯爵家の養女とは言え、不敬に問われてもおかしく無い。
レティーシアも手紙を送るときに容姿と名を聞いていたため、この娘がそうなのだとは検討がついていたが、それとコレとは話がまた別であった。
「ほれ、何時まで蹲っておるのだ」
呆れ声に反応してか、ようやくシャンレイとメリルが立ち上がる。
ぽんぽんっと着ているドレスを払う仕草を見せ、こほんっと咳払いをするが、今更落ちた淑女レベルは戻りはしない。
「そ、それにしてもメリル、どうして竜の瞬きに?」
「そ、れはですわね、レティが喉が渇いたと言うから、丁度いいので昼食にしようと思ったのですわ」
レティーシアの冷たい視線に慌ててシャンレイが口にすれば、それに慌ててメリルが乗っかる。
「結果、メリルのお勧めであるこの店に来たわけだ。しかし、そこの料理長はさる高貴な方が来ると口にしてな。その絶賛される腕を味わいたかったのだが、実に残念よな」
まぁ、からかうのはこれくらいでいいかと、最後に軽口一つ交ぜて助け舟を出してやる。
「ふーん……あっ! それならメリル達も私と一緒に食べない? シルベスターもその方が嬉しいんじゃないかな。ねっ?」
「そうですな。シャンレイ様とメリル様がそれでよいのなら、このシルベスターにとってはこれ以上ない栄誉になりましょう」
実際どちらか一人ならまだしも、王女殿下に国の重鎮であるブロウシア家の跡取り、更にはその養女の三人を一挙にもてなしたとあれば、その名誉はこの上ないものだ。
それを抜きにしても、受けた恩を仇にしかねない状況を回避出来るのだから、文句などある筈もない。
更に加えるなら、三人ともすこぶる美少女ときた。
これで腕がならない筈もないだろう。
「勿論構いませんわ。レティもそれで良かったかしら?」
「構わぬぞ。そもそも、このような店自体入る予定ではなかったのであるからな」
「それじゃあ決まりね! シルベスター、個室に案内してもらえるかしら?」
「畏まりました」
「お待たせ致しました。こちらが我が竜の瞬き名物“ドラゴンステーキ・特性秘伝ダレと共に”で御座います」
完全個室の部屋へと通された後、レティーシアが何を言うより早く、メリルとシャンレイが一つの料理を注文する。
それが今調理長が持ってきた一品、ドラゴンステーキだ。
火気の魔法具を備え付けられた台車を使い、目の前で豪快に焼かれるボリュームたっぷりのドラゴンの肉は圧巻であった。
そこに温野菜と、名前にもある茶色のトロ味を帯びた特性秘伝ダレが加わり完成である。
「シャンレイ様はウェルダン、メリル様も同じく、レティーシア様がレアとなります。本日はシャンレイ様がいらっしゃるとのことでしたので、扱ったドラゴンの肉も常より選び抜いておりますよ。さぁ、冷めないうちにお召し上がりください」
余程自信があるのだろう。腕を組み、笑みを浮かべるシルベスターの姿は畏怖堂々としている。
「よかろう。その自信の程がどの程度であるか、妾が確かめてくれようではないか」
「ふふ、こればっかりはレティも驚きますわよ」
メリルのにこやかな笑みを横目にしつつ、ナイフでその分厚い肉を切り分ける。
筋の無い肉は驚くほど抵抗を見せず切断され、外の焼け目と中のピンク色が美しいコントラストを作り出す。
香る特性の秘伝ダレは食欲をそそり、これは期待できそうだとフォークを使い大胆に口に運ぶ。
「――――!!」
瞬間、驚きというべき感情が爆発し、気づけば一枚目、二枚目と皿の上から切り分けた肉が消えていく。
「……素晴らしい」
思わずもれ出る賛辞の言葉。
厳選された食材もそうだが、その絶妙な焼き加減。
なによりも使われている秘伝のタレは別格であった。
恐らくは野菜を中心に熟成させたものなのだろうが、レティーシアですら予想のつかない材料が使われている。
その濃厚な味わいは下手をすれば飽きを誘いそうなものだが、そんな言葉すら抱くことはなかった。
「であろう! 竜の瞬き名物、ドラゴンステーキは間違いなくデルリフィーナでも最高の一品間違いなしなんです!」
「うむ。その言葉に嘘偽りはなかろう。正直、少々侮っていた。ゆえに妾は謝ろう。嬉しい誤算であった、これ程の美味、そう味わえるものではない。シルベスターと言ったな……実によい腕をしておる」
「これはこれは……ありがとう御座います。いやはや、なんと言えばよいのでしょうか。どうも不思議と、レティーシア様に言われると何故か感無量で御座います」
別に絶賛された、という訳ではない。
過去にはそれこそあらゆる美辞麗句を述べた客も実に多く居たが、今はその時、それ以外も含めた中で最もシルベスターの心を満たしていた。
態度はどこか尊大だし、口調も上から目線である。
だが、その纏う空気は言葉にできないものがあり、口にする言葉は魔性のように心の隙間に染み込んでいく。
見た目は美しくも幼いというのに、どうしてこれほどその賛辞が嬉しいのであろうか。
「料理程ではないが、このワインも中々悪くない。慣れぬ者にはこの重さは辛かろうが、妾にはこれくらいがやはり丁度よい。ふむ、奮発しおったな?」
そう言って手に持った口が少し狭く、尻がより大きく膨らんだ専用のグラスを口元に運ぶ。
芳醇な香りも素晴らしいが、何よりこの味わい、そしてグッと喉元を刺激する重さと感覚は本当に良いワインでないと無理だ。
見た目とのギャップもそうだが、その年齢でワインの良さを知っていることにシルベスターは嬉しくなる。
「いやはや分かりますか? 値段を口には出来ませんが、今ではそう多く残ってない一本です。そちらは私からのささやかな贈り物です。セラーで腐らせるより、こうした機会にでも使うほうが幸せというものでしょう」
どうやら出して正解だったようだと微笑む。
正直に言えば、その一本で今日の三人の払うであろう料理代を上回るだろうが、なんら問題はなかった。
こうして気持ちよく客と話すのも、料理を振るうのも、実に久しぶりな気がするのだから。
「粋な計らいをしおってからに。メリル、シャンレイ、味わっておくとよい。これ程の赤はそうそうお目に掛かれるものではないぞ」
「レティがそういうなら、それほどなんでしょうね。でも私、そこまで味が分かるわけじゃないのだけれども……」
「むむむ、私は平気だ! と言えない己の舌に頭を垂れたくなりますね」
「なに、ワインはやはり一度最高峰の味を知っておく方がいい。これはそれに近いものであるからな。後学の為と思えばよかろう。なにより、丸々一本、妾が独占しては勿体無いというものだろう?」
そう言ってほんのり上気した頬で艶やかに笑うレティーシアに、メリルばかりかシャンレイもどきりと心臓が高鳴る。
整った容貌は異性同姓問わず惹きつけるが、レティーシアのソレはいささか以上に性質が悪い。
だからと言う訳じゃないが、王女である自身より尊大かつ、上から目線な発言の数々であるというのに、どうしてか無礼という言葉すらシャンレイは感じていなかったことを、なんら不思議に感じていなかった。
それどころか、その動作の洗練さ、見目、垣間見える知識の深さに、興味と興奮ばかりが募っていくのだった。
後書き
お久しぶりです。
と、ここ数話ずっと口にしてますが、まぁ気にしないでいきましょう。
感想返しはまた後で行います。
もう今しばらく事態が動きませんが、その後はどんどん展開は加速しますのでお待ちください。
どうでもいいですが、作者は白より赤派。