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とある吸血鬼始祖の物語(サーガ)  作者: 近々再投稿始めます
第三章 三界大戦
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三界大戦 追憶編 その2

この話には残酷、流血、微性的、微欝的シーンが存在します。

苦手な方は最後数行、あるいは完全に読み飛ばして下さい。




 私は目に映る光景に、魂を抜かれたように立ちすくんでしまう。私は今、目の前に広がる風景を地獄と呼ばれれば、きっと信じてしまうに違いない。

 赤かった。大好きな城下町が真っ赤に染まっている。赤は空を染め、立ち上る黒煙は街を覆い、人々が何かに追われて逃げ惑う。

 身体の中心から喉元に何か激しく熱い物が駆け巡り、口から幾度も吐き出される。それが私の絶叫だと気づくこともなく。



「……様! ……アリ…ア様!!」



 サムソンが何やら話しかけているが、私の意識は眼前で今も燃え広がる無残な城下町しか映っていなかった。

 ここまで届く熱風は私の金色の髪を揺らし、生臭く、何かが焼け焦げたような臭気が吐き気をもよおさせる。

 少しの時間を経て、耳障りな悲鳴の元が私だと気づいた頃、僅かばかりの理性が私に戻ってきた。

 これは一体……戦争というのは、こんなにも残酷だというの? 天を焦がさんばかりに燃え上がる城下街の姿に、私はただただ圧倒されるしかなかった。

 血風渦巻く死の戦場が今、私の目の前に広がっている。誰も彼もが赤い世界で狂ったように踊っている。

 一体何人の無辜むこの民が殺されたのか、私には想像すら付かない、いや、できない。

 思わずふらりと、力が抜け、体勢を崩しそうになるが、サムソンが後ろから支えてくれる。



 私はそこでようやくまともな思考を取り戻し、サムソンに手を引かれるままに歩き出した。

 この城は城下町の中心にあるから、首都を出るのにはどうしても東西南北のうちのどれかの門を通る必要がある。

 方向からして、一番近い北門に向かっているらしい。城の周囲にうろついている他国の兵士の目を盗み、なんとか城下町まで逃げ込むことに成功する私達。

 第一関門である、城の周囲を徘徊する残兵をやり過ごすことに成功し、私は知らず安堵の息を吐いていることに気づいた。

 城下町まで降りてきて増す死臭、多くの死体、血痕、悲鳴、罵倒。対照的な歓喜の笑い声。

 その全てが見えない鎖のように、私を捕らえようと絡みついてくるような、そんな錯覚さえしてしまいそうで――――

 


「アリシア様止まってください」



 サムソンが片手を私の前にかざす。私は黙って頷き、言われるままに民家を盾にする形でサムソンの後ろに隠れる。

 私にはよく分からなくても、彼にはきっと何か分かったのかもしれない。

 後ろからでもサムソンが警戒しているのが分かった。騎士甲冑に包まれた体から、素人の私でも感じられる研ぎ澄まされた気配。それが薄らいで場に溶けてゆく。

 こんな場でなければきっと私は賛辞を述べていたに違いない。後ろから現状を深呼吸と共に認識する。

 恐らく他国の兵が居るのだろうと辺りをつけたとき、それは私の耳に届いた……



「ひゃっはー! 獲物だぜぇ!」

「ひぃ!? こ、ころさないで……」

「あぁ? そうだなぁ、ほら靴を舐めろよ、そうしたら見逃してやってもいいぞ?」

「そ、そんなこと――」

「うるせぇ! 殺されてぇのかっ!!」


 民間人の反応に青筋を浮かべ、手に持っていた剣の塚でその頭を強打する。

 そのまま力一杯腹を蹴り上げ、再び恫喝するように口を開く。


「てめぇは黙って俺様の靴を舐めればいいんだよッ!」

 

 そう言って再び剣を振るう仕草を見せれば、地面に倒れ伏していた民間人が青褪めた顔で他国の兵へと縋り付くのが私の目に映った。


「な、舐めます! 精一杯舐めさせていただきますっ――」

 



 敵国の兵に命令されるがまま、その血とヘドロに塗れた軍靴を懸命に舐める姿に言いようもない怒りが私の中で滾るのが分かった。

 王族として生まれた私には民を導き守る義務がある。それが例え不可能だとしても、民を見捨てることなどあってはならない。

 思わず乗り出しそうになるけれど、サムソンの手が私の腕を強く握る痛みで我を取り戻す。

 残酷だけど、ここで前に出てしまって、それで仲間を呼ばれてしまったら終わりだと、冷えた思考が導き出す。

 民を守るのも、導くのも大切だ。けれど、私がここで捕まってしまえば未来と言う道はそこで閉ざされてしまう。

 千を救う為に時に一を切り捨てる。それはとても残酷で大切な決断だ。そんなことすら判断出来なくなるくらい、今の城下街は異様な空気を孕み、思考を鈍らせている。



 深呼吸。大丈夫、決意は私の胸にある。だから、私は自分の意思で見ず知らずの一国民を“見殺し”にする。

 そう、自分の命と相手の命を秤に乗せ、同じ命であるのに見捨てる選択を選んだんだ。

 狂おしい程に胸に湧き上がる罪悪感と、自分の命を投げ捨てずに済んだ事実に安堵している自分に吐き気が止まらない。

 それはあまりに常識的で、なんて汚くおぞましいのか、私は爪が食い込む程拳を握ってせめて最後まで見届けようと前を向く。

 だって――――敵国の兵の顔を見れば結末は決まっているのが分かるのだから。


 

「駄目駄目だなぁ。全然綺麗になってねぇじゃねーかよ」

「そ、そんな、それはあなたが――ギヒィッ!?」



 口答えなど許さない。そんな雰囲気で再び柄で殴り掛かる。どこからどう見てもチンピラか傭兵崩れなのは私にだって分かった。

 実際の実力はどうか私には分からないけど、それでもとげとげしい皮鎧もあいまって、少なくとも威圧するには十分過ぎる見た目なのかもしれない。

 その兵が近くの血溜りに軍靴を浸し、再度汚れに塗れた軍靴を全身汚泥に塗れた男の顔に乗せ、その努力をあざ笑う。

 あまりに醜悪、戦争は容易く人を悪魔に変えてしまうんだ。

 反抗しようとする男の頭を剣の柄で殴りつける敵国の兵隊。知らず私の唇から一筋の血が地面に滴る。

 そして響き渡る兵士の哄笑、弱者をいたぶり、嬲ることに愉悦を覚えた者の狂った笑い声。



「イヒッ、イヒヒヒヒ!! おま、おまえ。ばっかじゃねーの? 戦争で敵国の民を見逃す馬鹿はいねぇーんだよ。恨むなら、自国の王様を恨むんだなぁッ!! 今日からこの国は全部俺達のものよ、男は皆殺し! 女は一生性奴隷としてなぁッ! さぁ、俺の名前を刻んで逝けッ、俺様の名前はジっ――クソッ噛んじまったじゃねぇかッ!!」

「や、やめ……だ、誰か! レジナルド様! お、おたす――」


 

 私は見えてしまった光景に思わず目をそむけた。命乞いの言葉は最後まで続かず、無残に振るわれた白刃。最後に口にしたお父様の名に心臓がキリリと痛みを訴える。

 あぁ……これも全て私が背負うべき罪なのだと、理解してしまう。幾度も鳴り響く何かを刺し貫く音と、ごひゅっと何かを吐き出すような音。

 兵士の笑い声だけがやけに私の耳に響く……やがて兵士の笑い声が止むと、おそらく次の獲物を求めてだろうか、その場から歩き去ってしまった。

 今更ながらに震えが走る、これが戦争。悪こそが正義と肯定される忌まわしき人の業。弱者はどこまでも搾取される世界の真実。

 


「行きましょう、お辛いでしょうがここで止まる訳にはいきません」



 私は頷くく。そうだ、全ての罪は私が背負っていこう。何時か戦争を必要としない、あるいは何者にも屈しない比類なき国を建てるまで覚えておこう。

 私は震える身体を懸命に奮いたたせて萎えかけた腰にかつをいれる。大丈夫、私はまだいける。

 そうやって自分に言い聞かせる。そうしないと蹲って、耳を塞いでしまいそうになるから。さっき無残にも殺された男の断末魔を思い出してしまいそうになるから。

 虚勢で意地を張っても、所詮は温室育ちのお姫様に過ぎない私には、この現実はあまりにも辛過ぎる。

 そんな私も力強い瞳でサムソンが私の手を引き、そのまま北門に向かっていく。

 


 獲物を求めて徘徊する敵国の兵に、少ないながらも民を逃がそうと奔走する、自国の兵との泥沼の戦闘に幾度も遭遇した。

 でも駄目だ、全然足りなくて、まるで虫のように沸いて出る敵国の兵の圧倒的人数に、技量で凌駕している筈の自国の兵が次々と殺されていく。

 中には私の姿を見た兵が、敵国の兵に私の名前を叫びながら吶喊とっかんしていく者も居た。

 次々と散っていく兵に民、これじゃあ一方的な蹂躙となんら変わらない。誰もかれもが狂っている。

 嬉々として蹂躙する敵国の兵も、それを止め様として突撃する自国の兵も、この異様な空気にきっと冒されているのだ。

 私は悔しさと、惨めさに唇が切れるほど噛み締め、サムソンと共に走る。一人誰かの死を見るたび足が重くなる、誰かが私のために散っていくたび叫びだしたくなる。



 それでもお父様との思い出が、最後の言葉が私に立ち止まる事を決して許してくれない。

 生温い温室で育った私だけれども、立派に父の血を継いでいるんだと、私は胸に宿る暖かなかがり火を思う。

 感じる苦しさと痛みはまだ私が正常な証拠だと言い聞かせる。これが麻痺してしまったとき、きっと私は何か大切なもの失ってしまうんだと、漠然と理解した。

 走りだして暫く、何度か哨戒中の兵に見つかったり、ばったりと遭遇するもサムソンが一太刀で全て切り伏せる。

 強かった。彼の白刃が宙を舞うたびに敵兵の首が、腕が、胴が断ち切られていく。同時に、そんなつわものを民を逃がす為ではなく、私一人の為に独占する事に心がキリキリと痛みを訴えた。

 時折飛び散る返り血に、サムソンの白銀の鎧が真っ赤に染まり、その匂いが鼻をつく。



「アリシア様、見えてきました!」



 今まで警戒と緊張で平坦な声ばかりだったサムソンの声音に喜びが混じる。

 私も同じだ。城から脱出して既に数時間、体力はとうに底をついているし、気力だって限界だった。北門は開けられている、敵兵が居てもサムソンさえ居ればきっと大丈夫――――

 だから、それは一瞬の油断だったのかもしれない。

 どこからか飛来した矢が私を捉えようとした瞬間、サムソンが素早く私を抱きかかえる。

 ブジュッ……と何かを貫く音。目の前のサムソンの首に突き刺さり、貫いている一本の矢。



 私は思わず悲鳴を上げそうになるのを堪え、瞬間目を見開く。サムソンは即死してもおかしくない一撃を受けてなお、一歩、二歩と私から後ずさった。

 まるで伝え聞くリビングデット(生ける屍)のようにふらふらと、しかし明確な意思の元動くサムソン。

 ごぽりと口元から真っ赤な液体を撒き散らしながらも、瞳に宿る炎はまだ消えていない。

 彼の瞳には忠誠と、お父様への約束の言葉が爛々と燃え盛っていた。



「さ、サムソンッ!」

「……ッ!!」



 私が急いでサムソンに近寄ろうと走りだそうとした瞬間、サムソンは腰に備え付けていたスローイングダガーを渾身の力で二度投げ放つ。

 一本が何かにぶつかりそれを弾き、もう一本が民家の暗がりに飛んでいく。何かが倒れる音、でも今はそれに構っている暇はない。

 同時、サムソンの起こした奇跡の数秒は終わり、最後に「おにげ……くだ、さ…い…」と、そう血を吐きながらも言って、どこか満足そうに倒れ込んだ。

 あぁ……そんな、私のせいでサムソンがッ――――私がもっと警戒していれば、治癒魔術が使えれば!

 どうしてどうしてと、様々なもしもが私の脳裏を駆け巡っていく。弱いと言う事がこんなにも無様だなんて、私は知らなかったのだ。

 弱者の身では守りたい物一つ満足に守り通す事も出来ない、そればかりか私の為に私なんかよりよっぽど強き者達が冥府へと誘われていく。


 

 急速に冷えていくサムソンの体、理屈は分からないけれど、それがまるで死神による魂の吸引のようで、私の瞳はあっさりと決意を裏切って大粒の涙をぼろぼろと流す。

 所詮は暖かな環境で育った私だ、決意なんて言ったところでそれがどれほどであろうか。

 こんなにも容易く、自分の為に誰かが死んでしまうだけで崩れ去ってしまう。

 そのとき、私の耳にジャリッという石を踏みしめる音が聞こえた。

 そこで沸騰した頭が冷静さを取り戻す、そうだ、ここで蹲って悲観に暮れるのは簡単だけど、それではサムソンやお父様の思いを無駄にしてしまう。



「女だぜぇ!! しかも上物だあああ! 残念だったなぁ? えっ? 愛しの騎士様はお陀仏だぜ。あひゃひゃひゃひゃっ!! 安心しあなぁ、騎士様の代わりに俺がお前を飼ってやるからよぉー」


 

 そう言って下劣な笑い声を上げ、いやらしい眼差しで私の身体を無遠慮に嘗め回すように見詰める。

 目の前に現れたのは、私が見殺しにすると決めた男を無残に嬲り殺した兵隊と似たような格好をしていた。

 ぼさぼさの伸びるに任せた頭髪、皮製の鎧を着込みその下には何か金属のトゲやショルダーを当てていた。

 その男が一本のナイフを片手にこちらの恐怖を煽るようにべろりと舐め、一歩、また一歩と近づいてくる。

 どうやら私を王族だとは思っていないのは幸いかもしれない。それでも捕まったら最後、どんな目に合うかわからない、私は下卑た笑い声を上げながら近づいてくる男、その距離が後数歩になった瞬間――――



「ぎゃあぁああぁあぁあ!? で、でめぇ! クソがぁッ! 優しくしてやろうと思ったがやめだ、オイッてめら! 捕まえた奴から先に輪姦まわしちまっていいぞッ! クソアマが、俺様の足を斬りやがった!」



 サムソンが持っていたダガーで男が近づいた瞬間、その腿をおもっいきり斬りつけた後、私は脇目も振らずに走り出した。

 最悪なことに男が現れたのは北門からで、そちらに逃げるのは無理だった。私は疲労で悲鳴をあげる肉体に鞭打ちながらも走り続ける。

 足だけじゃなく太腿までもがくがくと震えるけど、歩みを止めたときがきっと最後。その先に待っているのは性知識に乏しい私でも、碌な事にならないと告げていた。

 後ろからは数名程の足音が私に迫っている、距離はまだそれなりにあるけれど、女の私じゃいずれ追いつかれてしまうのは明白だ。

 出来るだけ民家と民家の間を縫うように進んでいく、それなのに足音は近づきもしなければ遠ざかりもしない。



 まるでこっちの位置を把握しているような……駄目よ、そんな弱気じゃいけない。たとえそうだとしても、逃げ切ってみせる。

 私にはお父様の、サムソンの、そして多くの民の命が背に乗っかっているのだから。

 時折転がる死体に転びそうになったり、泥と油と血溜りに足を滑らせながら、私は必死に走り続ける。

 後ろから聞こえる嘲笑と嘲り、その全てが自分の行動が無駄なんじゃないかと、そんな弱音が心の奥底に忍び寄る。

 それを懸命に振り払いながらも走る、ひたすら前に進む!

 もう直ぐ、もう直ぐで東門のはず、そこからならきっと出られるはず!

 私は門前にある最後の民家を気力を振り絞って走りぬけ――――





「ここから先は、 い き ど ま り だ ぜ ?」



 北門で足を斬り裂いた筈の男が笑いながら私の視界の先で座り込んでいた。

 悠々と、余裕すら感じさせる態度で、ゲヒゲヒと不快な笑い声を上げながら……

 あり得ないはずの状況に、膝が遂に限界を迎えて勝手にガクリと崩れ落ちる。 

 

「そ、そんな……どうし、て――」

「ひゃははは! 馬鹿だなぁ、魔術って知ってるか?」

「ぅぁ……」



 そのとき、私は確かに自分の心が砕け散る音を聞いた気がした。

 あぁ……そうか、私は自分が知らないうちにこんな下種たちにもて遊ばれていたのか。 

 何も知らない私の逃げる様を後ろから眺め、この先手に入るだろう未来に想いを馳せていたのか……

 次々と集まる兵隊達とは名ばかりのならず者達、全員がにやにやと嫌らしい笑みを浮かべ、こちらを見ている。

 私の意識はそこで最後だった――――







 


 ――――私が捕まってから何日経っただろうか……

 私は逃げ出させないように切られた両手、両足首の腱のせいで熱が出て朦朧とする頭で考える。

 捕まった後に待っていたのは女として生まれたのを後悔するような、そんな陵辱の限りをつくしたような日々だった。

 前戯も無しで処女を散らされ、代わる代わるに白濁した液体をぶちまける男たち。

 最初は痛みと知らない男のモノが肉体に分け入る感覚と、あまりのおぞましさ抵抗していた気がするけれども、気づけば無駄な抵抗をしない自分が居た。

 それは受け入れたとか、何か使われたのか勝手に肉体が反応するとか、そんなことではなくとても単純なことだった。 



 馬車に連れて行かれ、他の女性と一緒に腱を切られ、自殺できない様に口に詰め物をされ、悲鳴が煩わしいと喉を潰された。

 それからは変わらず、兵達の慰み者。いいえ、それ以下の肉人形としての扱いかもしれない。

 代わる代わるの陵辱劇はまるで華々しいヒロインの物語、その裏話見たいに凄惨で、なまじ容姿が整っていた私はその裏舞台で見事ヒロインの座を射止める事に成功していた。

 性処理道具ヒロインに食事は必要ない。与えられるのは男たちの体液のみ。既に身体は痩せ細り始め、同じ馬車の女性の何人かは発狂して死んでいる。

 中には私より幼い子も居て、私はその子が悲鳴を上げるのをぼんやりと何時も見詰めていた。

 


「……ぐぅ。ふぅ、おい! チッ反応しねぇんじゃ興醒めだぜ」



 私を組み敷きひたすら腰を振っていた男が、ぶるりと震えたかと思うと忌まわしい液体を注ぎ込んでいく。

 この感覚だけはどうしても慣れず、意思とは関係無しに身体がびくりと反応してしまう。

 痛みを増す薬、魔術、快楽を促進させる薬に魔術。まるで玩具のように面白半分で試された日々。

 そんなふうに客観的に自分を観察していることに、知らず笑みが漏れる。

 笑い声は出ないから、形だけの笑みだけれど、それは私の空虚な心を微かに震わせた。

 男が薄気味悪そうにこちらを見た後馬車から去っていく。私の心に宿るのは絶望でも、無念でも、恐怖でもなく、諦めだった……



 自殺の許されない今、私が望むのは遠からず訪れるだろう緩やかな死だけである。

 この地獄から解放されるのなら、死はとても輝いて見えて、今ならその甘い汁を喜んで私は感受するだろう。 

 少しだけお父様とサムソンには悪いかなとは思うけれど、今の私にはそれさえどこか空虚だ。

 散々汚された身体は例え繕っても元には戻らない。白に混じった黒はどんなに努力したって灰色にしかならないのだと。

 羽を捥がれた鳥は大空には戻れないから。きっと私は落ちてしまった鳥なのだろう――――



 


 それから更に数日後、傷は化膿し異臭を放ち、いよいよやせ細った身体は以前の私からは想像すら出来ないほど、その容姿は変わり果ててしまっていた。

 ジクジクと痛む傷口は半ば腐り始め、栄養不足に視界が霞む。激痛と高熱で世界がまるで陽炎のように揺らめいているようにも見える。

 そしてその夜、私をさんざんに食い物にした男たちはあっさりと、まるで路傍の石ころでも蹴るように、“私を道端に”放り捨てた。

 そのとき見た彼らの瞳に映った色は、決して人を見る目ではなかった――――





 星が綺麗だった。

 まるで宝石をばら撒いたかのように、霞む視界の先で、キラキラと瞬いている。

 死んだら星になるんだよ、と昔母に聞かされた。でもきっと私はそんな綺麗なものにはなれない。

 きっとこの闇夜の帳の一部になる。でもそれはきっと、とてもとても素敵なこと。

 もし、生まれ変わりがあるのなら、次は思考する必要のない生き物がいい。

 猫なんていいかもしれない、誰にも懐かず、一人孤高に生きるのも悪くないと思う。

 ああ、眠い。酷く眠い。思考が徐々ににぼんやりとしていき、睡魔が襲ってくる……

 うとうと、うとうとと、緩慢な時の中、星々に見送られ緩やかな死へと向かう。そう考えれば、今の状況もなんとなく悪くはない。

 そう思ってしまうのは私が壊れてしまったからなのだろうか。



 どうやら本当に死ぬ直前なのだろう。だって、私の空を見つめている筈の視界には、一人の天使が映っているのだもの。

 腐り、穢れ、死を待つだけの私とは正反対の、とても綺麗な天使様。まるで汚れを知らない銀を纏った、でも血を彷彿させる赤を合わせた天使。

 闇夜にあってなお輝く銀色の髪に、爛々と燃え盛る真紅の瞳。私より幼い顔立ちのその天使は、今まで見てきたどんな人物より美しかった。

 じっと私を見つめる天使様。最後の時が天使様に見つめられてなんて、神様も粋なことをしてくれると思う。

 でも、申し訳ないと思うわ……前の私ならともかく、今の姿はとても天使様には不釣合いだから。

 


「お主、生きたいか?」


 

 その声もどこか優美で、平時であればずっと聞かせてくれませんかと、そうお願いしていたかもしれない。

 でもその言葉を聞いた瞬間、私は自分でも不思議なくらいに“死にたくない”と思ってしまった。

 どうしてかなんて分からない。それでも、死にたくない。私にはやらなければいけないことがあるんだと、磨耗し、擦り切れ、消え去った筈の思いが最後とばかりに轟々と燃え盛る。

 

「、……、……! …、……ッ!!」


 必死に声を出そうとするけれど、声帯を潰された私が出せるのは無様な呼吸音と掠れた音だけ。

 ああ、悔しい。私はこんなにも悔しかったんだ。湧き上がる様々な思い。喉が張り裂けそうなほど叫ぶけれど、何度やっても言葉にならなくて、枯れ果てたはずの涙がボロボロと零れ落ちる。

 目の前の天使様がこんな私に手を伸ばしてくれているのに、その期待に応えられない不甲斐無い自分が悔しい。

 どうして私はこんなにも弱いのか。どうして弱い事は罪なのか。



「もうよい、喋るな。もし、お主がこんな現実(世界)を変えようと思うなら、生き足掻きたいと思うなら、妾の手を取るがよい」



 差し出される手を掴もうと、私は腕を伸ばそうとするけれど、既に半死体の身ではほんの僅かしかあがらない。

 私はここまでなのだろうか、いいえ、諦めちゃいけない。諦めるのはもう嫌だ。

 天使様がこんな私の為に、力を貸してくれると言ってくれた。ああ、私の腕よ、どうか、どうか最後だけでいいから、ほんの一握りの力を――――!




「ゆっくり眠るがよい。次に目覚めたときには全て終わっているゆえな」


 そう言って掴み取った手を引き、眉一つしかめることもなく天使様は穢れた私を抱きしめてくれる。

 私は母に抱かれる子のように、その意識をゆっくりと手放した――――



 それが私とレティーシア様の初めての出会いであり、私と言う存在ヒロインが真に物語の登場人物となった瞬間であった。






後書き


加筆で八千超えたので、分割しようとも思いましたがそのままにしました。

全体的に暗く、レティーシアの過去話の時よりもちょっと重く書いているかもしれません。


それでは、感想や評価、特に感想など心よりお待ちしております。

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