事後処理
「んっ……うん?」
昨日は珍しくそれなりに早く寝たと言うのに、やけに肉体が気だるい。
まるで重りでも付けているかのようなぎこちなさを感じつつ、天蓋付きのベッドより這い出る。
ふぁっ……と、欠伸が一つ零れ落ち、まなじりからつぅっと涙が零れて行く。
どうも寝たと言う感じがしなかった。むしろ昨日より疲労しているのではないか?
そう危惧してしまいそうなほど体が重い。
吸血鬼は確かに朝に弱い。太陽を苦手とするのも理由だが、全体的に低血圧な種族なのだ。
レティーシアも例に漏れず低血圧なのだが、血流の操作で本来なら毎日快適な朝を迎えている。
何時もより倍率ドンで思考が鈍っているが、身体と脳髄に刻まれた行いは意思とは関係なしに魔術を発動させる。
幽鬼のような足取りで天蓋のカーテンから出、そのまま一人用の小さなテーブルに備え付けられた椅子にトスンっと軽い音を立て座り込む。
気づけば頭がこっくりこっくりと船を漕ぎ、油断すれば再び夢の世界へと旅立ちそうだ。
回らない思考が血流操作により回転数を取り戻す間、ぼぉーと視線を彷徨わせる。
何時もより時間が掛かっているのか、一分経っても中々思考の靄は晴れない。
―――ガチャリ……
「失礼致します――レティーシア様?」
起き出す気配を察知したのか、寝室に一礼と共に入ってきたエリンシエが首を傾げる。
無理もない、常ならば自分からしっかりと起き出す筈の主人がぼぉっとしては、眠そうな顔で椅子に座っているのだ。
何やら嬉しそうな気配を滲ませて、もう一度「失礼致します」と小さめに囁くと、そのままレティーシアの背後に回りこみ夜着を脱がせにかかる。
その際の微妙な振動がレティーシアには心地よく感じられ、されるがままとなっていると、気づけば黒を基調とした白のレースにフリルが愛らしい下着姿となっていた。
ともすれば不健康な程に白い肌がエリンシエの視界一杯に晒される。
全体的に肉付きの薄い少女特有の肉体。シミ一つない肌は逆に汚したくなるような、そんな思いを与えかねない儚さを有している。
エリンシエがそっと肌に触れれば「んっ……」と、鼻に掛かった声とともにひんやりとした感触が伝わってくる。
吸血鬼の特徴の一つである低体温だ。普通の人間よりおよそ、差はあれど二度程吸血鬼は体温が低い。
そのままクロゼットから赤を基調としたドレス、キャミソール、ペチコート、黒のニーソックス、リボンがワンポイントの革靴。更に同種の変えの下着などを取り出していく。
まだ未発達の身体はくびれが僅かしかないが、太腿などは女性的な丸みをしている。
臀部の肉付きも薄いが、その曲線は美しく思わず頬擦りでもしたくなる程だ。
腰に手を当て太腿からそっと下着を抜き取ると、常ならば人目に晒される筈のない場所が姿を見せた。
肌の色と殆ど変わらないが、全体的に少しぷっくりとしており、何もない平原には一筋の切れ込みが走っている。
無表情を崩さず細い足首を手に取り、そのまま変えの下着を履かせていく。
ブラが必要なのか疑問に思う大きさの胸から、胸部用の下着を取り外し、同じように付け替える。
そのまま流れるような動作でキャミソールやペチコート、そしてドレスを着せて満足そうに微笑むと、どこから取り出したのか櫛でその滑らかな銀髪を梳き始めた。
そこまでで僅か三分程だが、その時間でようやくレティーシアの思考は通常へとシフトし始める。
焦点の合い始めた瞳できょろきょろと周囲を見渡せば、何時の間にか着替えている自分。
髪の毛を梳かれている事から、エリンシエの仕業であることを知り、暫くそのまま身を預けることにする。
――――十五分程かけて更に艶を増した髪を何時もの髪型にし、そのままエリンシエに案内されるままにリビング兼客間へと向かう。
正式に客間を用意してもいいのだが、これ以上空間を弄るのは影響が出かねないと自重している。
アンティーク調の高名な工芸師のドワーフが無償で送ってきたテーブル、それにセットになっている椅子の一つに腰掛け、朝食が運ばれるのを待っていると、ふと“夢の内容”を思い出した。
瞬間、彼もレティーシアも同時に同じ不愉快な気持ちを抱く。
どうやらナイアルラトホテップに関する部分以外は相変わらず忘却してしまったようだが、しっかりと己が“アウターゴッド”の一員に勝手に任命されてしまったと言う事は覚えている。
(勝手に言い分だけ言って立ち去りおって、今度見えた時は確実に封印してくれるわ)
(まぁ、記憶を共有しているから分かるだろうけど、一筋縄ではいかない相手だよ。なんせ顕現体を千も有しているんだ)
(分かっておるわ。時果てより高度な封印術が必要になるとは思っておらなんだが、暇を見て考案してみるとしよう)
「レティーシア様?」
レティーシアの思考体とせんない事を話していると、何時の間にかテーブルで準備を終えていたエリンシエが何時までも食事を始めないのに疑問に思ったのか、名を呼んできた。
何でもないと口にし、ここ最近では慣れてきたこの世界産の食材を使った“パン”に、バターやジャムを塗り朝食を開始する。
使う素材が違う為か、パンは表面が一層パリッとしサクサクとした食管が歯ごたえよく、中はふんわりとして仄かな甘みが口に広がっていく。
バターやジャムと共にそれらを平らげ、毎度お馴染みとなっている一杯の紅茶で一息付くと、エリンシエが口元を拭ってくれる。
汚れはついていないが、一種の様式美だろう。そのまま素早く食器類を片付けたエリンシエが口を開く。
「今日は学園長へとご報告に伺うとのことですが、お時間は何時に?」
「ふむ、面倒な用件は即座に片付けておくに限る。この時間に居るかは不明だが、とりあえず出向いてみるまでよ」
「畏まりました。それではいってらっしゃいませ」
椅子から立ち上がり告げたレティーシアに、その場で深く一礼するエリンシエ。
「では部屋の留守は任せたぞ」
返事は聞くまでもないとそのまま寮へと繋がる扉へと向かう。
扉を開ければカツンッと革靴と石の床がぶつかり合い、小気味よい音を響かせる。
時刻はまだ九時前だ。休日と言うこともあり、寮全体からはあまり人の気配が感じられない。
未だ眠りに付いているか、クエストに向かっているのか、既に外に出ているかしているのだろう。
流石にテストを前にクエストに出向いている者は稀かもしれないが……
颯爽と歩き去るレティーシアの姿に数名の生徒が視線を向けるが、それらを完全に無視して寮から校舎へと進んでいく。
学園長室のある校舎へと入り、入り口の巨大ホール、その前方にある両方からの上り階段を進み、学園長室と書かれた部屋を三度ノックする。
「む? 開いておるよ」
暫くするとどうやらこの時間でも部屋に居たらしい学園長が返事を返す。
「では失礼するぞ」
声に導かれるまま両開きの扉、その片方を押し開いて室内へと入り込む。
現れたのがレティーシアであると気づいたのか、その皺くちゃの顔を驚愕に染めて口をだらしなくあんぐりと開閉している。
レティーシアがそのまま中央奥の執務用の机まで歩み寄ると、ようやく再起動をはたした学園長が言葉を発した。
「ぶ、無事じゃったのかね!?」
「うむ。特殊な空間に居たせいで時間の流れが違ったらしい。昨日戻ってきたが、妾の主観ではまだ一日と数時間程度しか経っておらぬな」
「時の流れが違う空間のぉ……」
幾つか事例に心当たりでもあるのか、立派なふさふさ顎鬚を撫で擦り、思案顔となる学園長。
このまま放置しては長くなりそうだとレティーシアが先を述べる。
「封印されておった魔神に関してだが、癪だが逃げられおったわ。深手を与えたゆえ、暫くはこの世界へと来ることはなかろうが、一応容姿だけ伝えておくぞ」
そう言うとレティーシアが口頭でナイアルラトホテップの詳しい姿を伝えていく。
ついでに一枚の白紙を用意し、羽ペンですらすらっとその姿を書き起こして渡す。
僅か数分で描かれたにしてはかなり精細な絵だが、魔術を使えば本来なら一発である。
流石に学園長を前に精霊を介さない方法での魔術は疑問を持たれる可能性が高いと、そう判断した結果である。
一応精霊を介した魔法も使えるが、これくらいの労力であれば問題ないというのが大きい。
一通り説明を終えれば一度大きく頷き、レティーシアの描いた絵を仕舞い口を開く学園長。
「あい分かった。SSオーバー級の魔神じゃ、わしからデルフィリーナ及び各国へと警戒の通達を送っておこう。にしても、そんな相手によく深手を与えられたものじゃ。真祖とはそれほどわしら人とは違うのかの?」
「妾の実力が人と比べるべくもないのは事実だが。相手が封印から出たばかりであった、と言う面もあろう」
予め用意しておいた解答をよどみなく述べる。
どちらにせよ現場にはレティーシア一人だけだったのだ、信じる以外にはないだろう。
例え疑ったとしても何かメリットがある訳でもない。
レティーシアの実力を知ったところで余計な爆弾を抱え込むにだけなのだ。
出た杭は打たれるのが常だが、聳え立つ天空の塔相手に槌を振るうことは出来ない。
レティーシアの実力が明るみになれば、自然そう言う事になってしまうだろう。
御しきれない武器はお呼びでないどころか、邪魔にしかならないのだ。
「ふむ……なるほどの。取り敢えず、今回の一件は今の報告と合わせて冒険者ギルドへと報告がいくじゃろう。恐らく各国へも伝わる筈じゃ」
各国と言う点に流石にレティーシアの眉が一瞬寄るが。
即座に目標と計画には利用できそうだと考えを改める。
一瞬の表情をどう勘違いしたのか、学園長がレティーシアを気遣うように言葉を口にする。
「なに、その身に不利になるようなことは起こらぬじゃろうて。むしろ未曾有の危機に陥ったかもしれぬ魔神の復活、それを阻止とはいかぬも大いに時を稼いだのじゃ。賞賛されこそ非難はあるまい、おって何かあればわしの方から伝えよう。そして何より、生徒レティーシア。無事に学園に戻ってきたこと、それを何よりわしは嬉しく思う――――」
――――学園長室から退出し、そのまま特にやることもないと寮室へと戻ろうと寮に戻ってきた時。
どこかに向かう途中だったらしいメリルとバッタリ出くわし、なぜかこれから昼食へと向けてミリア、メリル、ボア、そしてレティーシアの四人で手ずから食事を用意することとなった。
メリル曰く、「レティの手料理が食べたいのよっ!」とのことらしいがいい迷惑である。
一度部屋に戻った方がいいだろうと、深い溜息を吐きつつレティーシアは自室へと歩き出した。