地竜退治 後編
交渉を終えた後、四人は近くの宿で部屋を四つ借り、翌日に備える事になった。
一人一室の計算である。
レティーシアは借りた部屋で何をする訳でもなく、ベッドに腰掛けていた。
三人は恐らく明日の準備に追われているのであろうが、レティーシアにはそんなもの必要な訳がなく、やることが無いのだ。
最初、ヴェルクマイスターかエリンシエにでも連絡を取ろうかと思ったのだが、部屋を覗かれては不味いと思い至り断念。
結界系の魔術を使えば、と思うかもしれないが。違和感に気づかれたりする可能性を考え、自重した次第であった。
――――コンコンコン……
と、やることも無いので、仕方なくこれからのこの世界に対しての指標を確認していた時、略式のノックが三回鳴り、レティーシアの部屋に誰かが訪ねてきたのを知らせる。
この手のマナーをボアが知っている筈もないので、必然来訪者は二人に絞られるだろう。
「入っても構わぬぞ」
と、声をかければギィ……と扉開きメリルが入って来る。
「お邪魔するわ。あら、レティは明日の準備はしないのかしら?」
「妾は持ち物の類は所持する必要がないのでな、必要な物は何時でも取り出せるゆえ」
そう言うとレティーシアが指をパチンッと、スナップを利かせて一回鳴らす。
すると、小さな魔術陣が展開され、秒に満たない内に消失するのと同時、部屋の中央に置いてあるテーブルに、紅茶一式が何時の間にか湯気を立てて出現する。
その一連の流れを見たメリルが、はぁ……と諦めにも似た溜息を吐く。
「もうレティが常識外なのは嫌と言うほど見てきましたけど、やっぱりそう慣れるものでもありませんわね。セットが二つあるという事は、私も一緒してよろしいのよね?」
「うむ、その為に実践ついでに用意したのだ。味は保証するゆえ、心行くまで賞味してゆくがよい」
「それでは失礼致しますわ」
そう言って先に椅子に腰掛けたレティの向かい側、もう一つ置いてあった椅子にメリルが腰掛ける。
メリルがテーブルに視線を移せば、ポットにミルク、それに砂糖や洋菓子の類が並んでおりカップには既に、香りから恐らくファーストだと思われる紅茶が注がれていた。
取り敢えずストレートで味わうべくカップに手をつけ、口元にそっと運んで一口。
瞬間、メリルの表情が愕然としたものへと変わった。
「美味しい……」
「であろう? エリシンエが妾が元居た場所でも最高級、しかも初摘みの物をこれまた最高の技法を駆使して淹れたもの。それをそのまま保存していたものであるからな。それに好みによってではあるが、ミルクを加えてみるのもまた味わいが変わってよいぞ」
レティーシアが勧めると、それならばと、カップにホットミルクを足しまた口元に運んでいくメリル。
そして、その味にまたもや目を見開き、暫くの間黙々と紅茶を楽しむのであった。
その後、宿屋の女将が食事の準備が出来たことを告げに来て、食事が終わった後に今度はミリアとボアも含めた、ちょっとした茶会が開かれることとなる。
ミリアは兎も角、ボアは紅茶自体飲んだ事がないらしく、最初は混乱していたのだが、見かねたメリルが教え、一口味わった後はメリルと大差ない反応を示していた。
ミリアも同じで、飲み方を変える度に「わっわっ!」と両手を振り回して感激する始末である。
レティーシアはその二人の反応を見て、己自身気づかぬうち、その表情に笑みを浮かべていた――――
――――翌日、四人は朝食を食べた後。太陽が未だ真上に昇らないうちに市長から聞いた情報、それを元に地竜が頻繁に出没する街道へと向かっていた。
移動に馬車は使わない。馬車が襲われては堪ったものではないし、歩いても一時間と少しで行ける距離であったからだ。
既に出発する前にあらかたの作戦や地竜の情報交換は済ませており、四人は移動の間一切の無駄口を叩かずに移動していく。
都市を出た瞬間から安全等とうに消えうせ、何時魔物が出現するか分からないからである。
いくら地竜が現れる場所が偏っているとは言え、都市近くに出ないとは決まっていない。
前衛にボアが並び、次にメリルが接近戦も出来るように短剣型の詠唱媒体を右手に、左手には小型の盾を握っている。
実は二つともレティーシアからのプレゼントであり、ボアとミリアにも別の物ではあるが、かなり上質の装備が渡されていた。
効力は魔法詠唱の補助や、筋力の増強である。ボアは兎も角。
ミリアとメリルは当初かなり渋っていたのだが、「命の安全が高まるなら遠慮などいらぬであろう? 無料が心苦しければ、死に物狂いで妾を楽させる気概で頑張るがよい、そして役にたて」という言葉に渋々ながら頷いたのだ。
メリルの後ろに長杖――レティーシアの送った魔道具――を構えたミリアが並び、最後にレティーシアが続いている。
何故レティーシアが最後尾なのかというと、バックアタック時に最も素早く対処できると判断されたからだ。
――――そろそろ一時間半が経とうとしていた。
既に目撃情報の圏内に入っており、何時地竜が出現してもおかしくない。
それ以外にもこの辺りは数種類の魔物、主に四足系の生息地が重なっている。
各自が一層気を引き締め、警戒の度合いを高めてから数分。遂にソレは現れた。
「前方より生物反応。恐らく二体であろう、来るぞッ!」
真っ先に地面の振動を察知したレティーシアが素早く警戒を促す。
それを耳にミリアとメリルが動きを止め、ボアだけが先行すべく、数メートル分先に走り出す。
と、一瞬でトップスピードに至ったボアの横を黒い影が追い抜いていく。
「そのような体たらくでは、妾が先に片付けてしまうぞ?」
後方より信じられない速度でボアを追い抜いたレティーシアが、地竜と接触する一瞬前、地面にその華奢な片腕を叩きつける。
ドゴンッ! という見た目とそぐわぬ音と共に発動された魔術が、局地的かつ大規模な振動を地下に伝えていく。
魔術の発動が終了するのと同時、振動に耐えかねたのか、巨大な影が一瞬で二体地面から現れた!
「待ってたぜ! 姿さえ現せば直接殴れるってもんよッ!!」
そう言って追いついたボアがそのまま舞い散る粉塵から垣間見えるシルエット、その全長十二メートル程もある巨体の片方に一瞬で接近。
魔力を込めた鋭い一撃が放たれる! ボアに渡されたのは皮製の手袋であり、使用者の魔力を強制的に一定値吸い上げ、硬度を飛躍的に上昇させる代物だ。
その効果中の硬度は優に鋼を上回ると言う。
『ングギィィイイ!?』
鋭い一撃が巨大な縄のように長い胴体、その部位数発叩き込まれた。
痛みの為か耳障りな叫びを上げ、巨大な体を振り回すようにしてボアに襲い掛かる。
それを素早く数メートルもの跳躍で鮮やかに回避したボアが、レティーシアの真横に並ぶ。
外れた一撃が地面を砕き、石つぶてとなって襲い来るが、レティーシアの防御魔術で全て弾かれてしまう。
「私を忘れては困りますわよッ!」
後ろから追いついたメリルが直径三十センチ程の火球を十個近く操り、粉塵が収まる瞬間の巨体に叩き込む。
更に後ろからミリアの氷の柱が幾本も炸裂し、緑色の液体が突き刺さった箇所から飛び散っているのが、レティーシアの目に映った。
追い討ちとばかりに詠唱速度に自信のメリルが雷の矢を、正確に傷口に叩き込んでいくッ!
耳障りな魔物の悲鳴が響き、四人に着実とダメージを与えているのだと知らせてくれる。
そのまま素早くレティーシアが方針を全員に伝えるべく、声を張り上げた。
「ボアは前衛で敵の気を引き付けておくがよい、メリルは状況に応じて判断せよ。ミリアは出来るだけ強力な魔法で確実にダメージを与えるのがよかろう。妾は防御面を預かるゆえ、貴様らに攻撃は任せたぞ?」
レティーシアの支持に各自で緊張の度合いは違うが、しっかりとした返事が返ってくる。
「おーけー。俺の全力を叩き込んでやるぜ!」
「りょ、了解です!」
「臨機応変ですわね。分かりましたわ」
「来るぞ!!」
レティーシアが地竜の気配を感じ、素早く警戒を促した瞬間。
粉塵が消え、姿を現した“巨大な蚯蚓”が地を這って襲いかかってくる。
先手必勝、メリルが高速詠唱で一条の電撃を傷の深い一体のお見舞いする。
電撃が炸裂し、一体からは緑色の液体が体の一部から絶えず噴出しているが、その巨体ゆえか、大したダメージを受けている様子がない。
ボアが一度あけた距離を再び接近していく!
「ここから先はっ、行き止まりだっラッアアッ!!」
接触の瞬間、二体の蚯蚓の先端が開き口が縦横に開いたかと思うと、丸呑みするかのようにボアの頭上数メートルの位置から頭部を落としてきた。
それをメリルが風の魔法で動きを阻害しようと試みるが、あまりの質量に殆ど効果がない。
地面に突き刺さる度に地が揺れ、クレーターが一つ、また一つと出来上がっていく。
地竜の厄介なところか一撃の攻撃能力とそして、その大質量にあると言えよう。
流石に二体を相手に攻めに転じるのは厳しいのか、巨体から繰り出される出鱈目な一撃を全力で回避していくボア。
速度重視なだけはあり、余裕は見られないものの、確実に相手の気を惹きつつ攻撃を回避している。
「下がりなさいッ!」
補助から攻撃に切り替え、詠唱を開始していたメリルが短剣をまっすぐ前に向ける。
メリルの声がボアの耳に届いた瞬間、彼は地面を蹴り一気に地竜から数メートルの距離を取る。
僅かな差で飛来する無数の風の刃が、二体の地竜の巨体を一気に切り裂いていく。
のた打ち回り痛みに暴れ、体液を撒き散らす地竜。
「チャーンスッてな。オマケだ、持って行きなッ!」
痛みにのたうち回る地竜に素早く接近、ボアが右回し蹴りをその巨体に向けて放つ!
ドムッ! という鈍い音と共に強化された蹴りがその体を抉り取る。皮製の編み上げのブーツは、手袋ろ同じ魔術陣が刻み込まれており、その一撃は折り紙付の威力だ!!
バッと飛び散る体液を浴びるのもお構いなしで、そのままもう一方の体を蹴り上がるように頭部へ近づいていく。
一切力を入れた一蹴り、重力を断ち切る浮力を得た肉体はあっと言う間に地竜の顔に接近、その横面に全力を蹴りを叩き込もうとして――――
「なっ、ガッ!?」
気づいたときには何時の間にか復活していたもう一方の地竜、その巨大な下半身がボアの全身を打ち据えていた。
圧倒的物量による衝突、それによって一瞬で数十メートルもの距離を吹き飛ばされる。
「チッ、メリル! ボアの治療に回れ! ここは妾が受け持つ」
「っ、分かりましたわ!」
「という訳だ、少しの間付き合ってもらおうかの?」
そう言って前回生成した暗黒物質性の不可視の刃を二本両手に構え、残像すら置いて瞬く間に距離を詰めていく。
所詮蚯蚓の魔物風情にその速度を知覚出来る筈もなく、二秒もかからずに二十メートル以上の距離を詰めると、動から静へ。
その運動エネルギーを一瞬で腕力に伝達し、二本の剣を交差するように地竜の一体に振るうッ!
まるで豆腐でも切り裂くように、容易く深々とX字に刀傷を刻み込み、更に切り裂く音で魔術を発動。
傷口に魔方陣が発生したと思った瞬間、小規模の志向性爆裂魔術が発動する。
爆裂が傷口を押し広げ、肉片と体液を飛び散らせ、苦痛の声をあげる地竜。
『ピギギャァァアアァア!?』
そこで自分達の懐にようやく何者かが潜り込んでいる事に気づく地竜、その巨体を振り回して薙ぎ払おうとするが、レティーシアは既に“宙を走っていた”。
空中を蹴り、地面から跳躍後に“もう一度宙を蹴る”。足元に一瞬だが、斥力場を生成し、それを踏み台にすることで空中での三次元機動を可能とする!
更にそこに磁力を斥力場と自身に付与し、反発を用いることで速度を上昇ッ!
模擬戦闘でSクラスの男子が扱っていた魔法、あれとは違うが、それより更に使い勝手の良い魔術である。
「時間稼ぎ程度に思うておったが、復活が遅ければ片方でも潰しておくか?」
迫る尾っぽを生成した斥力場を蹴り、宙返りの要領で華麗に回避する。
ゴウッ、と空気が振動する音と共に的を外した尻尾が地面に直撃、ガリガリと周囲を砕いていく。
高度を増した位置からダイブするように、空中から頭部に接敵して交差する瞬間、素早く一閃、二閃と剣を振るう!
バッと飛び散る鮮血を地面へそのまま向かう事で回避、もう一体の体を振り回して放たれる一撃を、信じられない程の脚力で地面を蹴り上げる瞬間、斥力場の反発力で上空数十メートルの位置まで上昇することで逃れる。
見れば踏み砕いた地面は罅割れ、陥没してしまっているではないか。
さてどうするかと言う場面で、ミリアの詠唱がレティーシアの耳に届いた。
「全てを凍り付かせて、破砕せよ。永久凍土の棺!!」
空中高くまで回避したレティーシアの、その安全を確認したミリアが、長文詠唱の完了と共に氷の上級魔法を発動させる。
何時の間にか召喚した精霊アクアの力により、地竜の損傷の大きい方の巨体、その傷口から瞬く間に全身が凍り付いていく。
温度にしてマイナス百二十度を越え、標的をあっと言うまに氷の彫像に変えてしまう魔法。
地竜の抵抗も虚しく、あっと言う間に巨体を次々と凍らせ、遂には身動きすら出来ずに一分足らずで全身を氷へと変えていった。
「いまっ、です、レティーシアさん!」
「まぁ、ボアには悪いが折角の機会、無駄にする訳にもいくまい」
長文詠唱による酸素の欠乏で、荒い息を吐くミリアがレティーシアに精一杯の大声を向ける。
酸素不足であるが、魔力には余裕があるところは流石Sクラスと言えようか。
それを受けてトドメをさすつもりは無かったレティーシアであったが、仕方あるまいと魔術を発動しようと片腕を上げて――
「私達を」「俺達を」
「忘れてもらっちゃ困るぜ!」
「忘れてもらっては困りますわ!」
復活したボアと共にメリルが接近して来るや否や、二人が同時に魔法により一時的に強化した回し蹴りを同時に氷の棺と化した地竜、そのどてっぱらに向けて放った。
瞬間、インパクトの同時。あっという間に地竜の全身に罅が入ったと思うと、粉々に砕け散っていった。
キラキラとダイアモンドダストのように氷の欠片が降り注ぐが、よくよく考えれば魔物の体液やらなんやらの結晶である。
その場に居た全員の顔色が悪くなったのは無理はないだろう。
――――その後、一体となった地竜を三人が魔法に拳の雨あられであっという間に叩き伏せ、討伐の証拠として死体から牙一本を抜いてディルザングへと四人は戻っていった。
「確かに、地竜討伐の成功を受理した。報酬はギルドの方から受け取ってくれ」
「それで、妾達と契約をする気になったか? しないのならそれでも構わぬ、もっと条件に合う人物を探すまでよ」
ほれほれ、はやよう決めぬかと、レティーシアが来る時より一層不遜な態度で追求する。
それに市長がだらっだらと汗を欠きつつ、精一杯その頭脳を働かせ言葉を捻り出そうと思考する。
「ぐっむむむ……」
ディルザング商業都市へと戻り、三人は一旦宿屋へと戻り、レティーシアが討伐報告に市長の屋敷まで足を運んでいた。
何故三人が宿屋に戻って行ったかというと、返り血を浴びたボアに、それを治療したメリルが非常に臭かったのである。
魔物の血を全身に浴びたのだから、致し方ないとはいえ、それでは市長のもとには行けない。
ミリアが付き添いで、宿へとシャワーを浴びに行ったのだ。
因みにレティーシアは返り血は浴びていないし、匂いの元は魔術で綺麗さっぱり、原子分解されてしまっていた。
「良かろう、お前達との契約を受けてやる。お前の名を聞いておきたい」
散々唸っていた市長が漸くその汗にまみれた顔を表にあげて、契約を結ぶ主旨を伝えてきた。
ハンケチで汗を拭う市長から何とも言えない匂いが漂ってきて、レティーシアの細く整えられた眉が眉間に寄る。
一刻も早くこの場を去ろうと名を告げ、足早に宿へと向かっていった。
「あっ、レティーシアさんお帰りなさいです!」
「うむ……報酬はギルドで受け取れだそうだぞ」
「なんだ、レティーシアの奴、顔色が悪いぞ?」
「あら、確かに……まさか!? あのヒキガエルに何かされたのですか! まっまさか、む、無理やり別室に連れて行かれて、あ……あんなところやこんなところ!? ――ぶふぉっ!!」
臭いのせいで軽い頭痛に見舞われながらも宿屋に戻ったレティーシアであったが、戻ってくるなりミリアとボアが心配げな声を掛けてくるし、メリルに至っては何を妄想したのか、訳の分からぬ事を呟いたとおもったら鼻血を吹いて倒れてしまう。
「そういえば、予定表で提出した期間を考えると、まだ日数って余っていますよね?」
「うむ、明日一日は丸々空く計算になるであろうな」
「それなら、明日はディルザングを観光しませんか? 折角学園外に来れたことですし」
「確かに、そいつはいいな。商業都市って言う位だからな、珍しい武器とか防具が見つかるかもしれねぇ」
「私は構いませんことよ? どうせ早く戻っても授業が待ってるだけですもの」
溜息を吐き、こめかみに手を当てて、馬鹿ばっかりだと彼が心で呟いていたとき。
ミリアがふとした感じで訪ね、それを答えれば明日一日を観光して回らないかという案が飛び出してくる。
ボアはそれに一もに二もなく飛びつき、何時の間に復活したのかメリルまで賛成の意をとなえている。
それを眺め、レティーシアは仕方が無い、と呟くとゆっくりと口を開くのであった。
その後、今日のボアの接近戦での反省やその他を話し合い、依頼の完遂にちょっとした料理を女将に用意してもらい、夜遅くまで騒ぐ四人であった。
何はともあれ、初めてのクエストはしっかりと見事にこなしたのだから――――