地竜退治 前編
依頼を受けた後、各自準備として次の日、丸一日は解散となり。
翌日の授業後になればそれぞれ足りないアイテムの補給、必要物資の調達に費やされた。
最もレティーシアだけは寮室でのんびりとしていたのだが……
なおこの翌日の放課後に、メリルが予定表を提出している。
内容は移動日数に四日、交渉等に一日、討伐に一日に予備日として更に一日、計七日間で組まれていた。
これは無事に受理され、一週間の授業免除と単位を保障してもらう事となっている。
また本来であれば学園から無担保無利子で資金を借りられるのだが、四名全員――ボアはメリルに少しばかり借りていたが――が資金に問題は無かった為、借り受ける事はなかった。
そして、依頼を受けてから二日後の早朝。四人は校門で待ち合わせをしていた。
時間ぴったりではあるが、レティーシアが最後という結果で到着し、早朝の九時に四人は準備万全の状態で揃った。
各自が腰に備え付けられたベルトやポーチ、あるいは背負うタイプのリュックに備品を詰め込んでいる。
一人レティーシアだけは手ぶらであり、毎度のことながら場にそぐわない、フリルをふんだんにあしらったドレス姿ではあるのだが……これは勿論、エリンシエの成果である。
「全員集まりましたわね? 今一度今回の目的を確認致しますわ。先ず、今回受けた依頼主が居る場所が私の生国である、デルフィリーナ帝國。その国領の東端、更にそこの国境から数十キロ範囲の禁止領域を越えた先、ほぼ隣接していると言っていいわね。その隣接しているメルクリウス商業国、その一都市であるディルザング商業都市が目的地よ。そしてそこの市長と交渉し、依頼をもぎ取って完遂するのが最終目標ですわ。ここまでで質問はあるかしら?」
話を区切ると、一息ついてメリルが全員に質問はないかと問いかける。
その目にはまさか知らない訳はないですわよね? と言う感情が見え隠れしているようだ。
これにはボアもミリアも、全部知っている情報だった為、特に質問することもなく首を横に振った。
と、ここでレティーシアが口を開く。
「メリル、禁止領域とは何なのだ? 妾は此処に来る前は閉鎖的な場所におったからな。未だ知らぬ事も多い」
レティーシアの疑問に答えようとメリルが喋ろうとしたとき、ミリアが割り込むように一歩レティーシアに近づき、先に口を開いてしまった。
しかも何気にその表情はどこか勝ち誇ったような色が見え隠れしている。
その態度にメリルが少しばかりムッとした顔をするが、大人気ないと思ったのか、直ぐに表情を取り繕う。
「えっと。禁止領域というのはですね、その名の通りに立ち入りが禁止されている場所なんです。禁止理由は様々ですが、大抵は人の手に負えない魔物が徘徊、群棲する地だとか、危険な迷宮の類がある場所ですね。この領域はかなりの数、それに距離で存在しているんです。世界最大の大陸であるこのアルバトロスにも、百以上の禁止領域が存在しています。大陸の約三割近くを埋めている計算で、そのせいで未だに禁止領域。あるいは空白地帯と呼ばれる、その地帯の内部のマッピングは遅れていますし、生態系も大部分が謎に包まれているんです」
この世界、いや。大陸の住人であれば、子供でも知っているような知識である為、普段興味の無い内容を聞き飛ばすミリアでも、かなり詳しくその内容を知っていた。
一通りの説明を受け、レティーシアが満足そうに頷く。理解するには十分な回答であったらしい。
レティーシアの世界では、既に殆どの大陸や海峡が暴かれており、かなり正確な世界地図まであるくらいである。
こういった未知に連なる土地と言うのは、ヴェルクマイスターを建国する時に未開の大陸を切り開いたときの懐かしさ、そういった感情を思い出せ、レティーシアの奥底に眠る|未だ見果てぬ彼方への探究心を刺激する。
内心で何時かそういった場所を巡るのもまた面白そうだと思っていたとき、メリルが口火を切った。
「はぁ、ミリアに出番は取られてしまいましたけれど。確認はこれくらいにして、そろそろ出発しますわよ?」
「まっ、移動の四日なんて時間はかなりギリギリの計算だからな、早く出発するにこしたことはないぜ」
そう言って校門前に停められている馬車に乗り込むメリルに続き、ボアもさっさと乗り込んでしまう。
ミリアが慌てて「待って下さいよぉ!」と少し離れた場所から駆け足で後に続き、レティーシアが「馬車は逃げはせぬぞ?」と、呆れながらも最後に乗り込んだところで、御者席に座っていた青年が馬車を発進させた。
――――レティーシア一行がエンデリック学園を出発してから二日目のお昼前。地図上ではもう間も無く、ディルザング商業都市に到着しても良い頃合であった。
ここまで来るにも色々あったものである。途中の街道で低級の魔物である、ゴブリンやハウンドウルフと言った小型の魔物に襲われたり。山賊の類に運悪く遭遇したり。
夜は魔物が活発化するので馬車を引く馬の安全を考え、途中で泊まった村で部屋が一部屋しか取れなくて、誰がベッドで寝るかなど。
無論、レティーシアがきっちりとベッドを独占したのは言うまでもない。
ただ、何を勘違いしたのか、ベッドがクイーンサイズであり、両脇をミリアとメリルに固められたのはレティーシアの予想外であった。
朝起きた時には両手を二人の折り曲げられた膝の奥に抱え込まれていて、彼が無くなってしまった象徴が今は有難かったと、そう思った程である……
何せ、無意識なのかどうか不明であったが、時折下腹部に手を擦り付けようとするのだ、一体どんな夢をみているのやら。
なお、ボアは毛布だけ渡されて部屋の外で寝ることで決着が付いていた。流石に乙女? 三人が泊まる部屋に堂々と入る程、ボアも落ちぶれてはいない。
「おっ、どうやらディルザングに到着したようだぜ?」
馬車の窓から外を覗いていたボアが三人に声をかける。
それに反応したミリアも逆側の窓から外を覗き込む。
「本当です! はわぁ……思っていたより大きいんですねぇ、ディルザング商業都市って」
窓から身を乗り出したミリアがほへぇと、少々間抜けな溜息と共に驚きの感想を漏らす。
無理もない、刻一刻と近づいている都市の外部は、堅牢な城壁にも似た石の壁でグルリと囲まれているのだ。
高さにすれば十メートル以上あるだろうそれは、並の魔物の進入を許さないことだろう。
その外部から見た威容はまるで“城塞都市”のようである。集まる冒険者も一流が多く、自警団の質も高い。
ディルザング商業都市は、物流の要の一つとして機能しており、その防衛能力が高いのは当然と言えた。
「ふぅ。早く宿を取って一風呂浴びたいですわね……」
ディルザングの入り口である大門、そこの門番に学園発行の身分証明書を提示し、馬車を預けてから都市に入った四人。
すると、馬車の内部では静かにしていたメリルがうんざりとした口調で愚痴をこぼす。
途中宿泊に立ち寄った村では桶にお湯を張り、タオルで体を拭うしか出来なかったのだ、いくら冒険者を目指すメリルとは言え侯爵令嬢であり、また女の子である。
二日もまともに風呂に入る事が出来なければ、愚痴の一つや二つ出るのは仕方のないことだろう。
「俺はあんまり気にしないけどな。遺跡とかなんて、数日風呂に入れないことなんてザラだぜ?」
その言葉に近くで歩いていたミリアがささっと、ボアから距離を取る。
「いやいや!? 今はそこまで酷くねぇだろ? 俺だって湯でちゃんと体を拭っていたからな!?」
「貴方……部屋の外でしたのに、全裸を晒していたのです……か?」
確かに三人と違い部屋の外に居たボアの場合、必然体を拭うときも外となる。
その露出狂も真っ青の行為に真っ先に思い至ったメリルが、何気なくレティーシアの手を引いてボアから距離を取る。
それを見たボアが「お、俺が一体何を……」と、がっくりと肩を落として呟いていたが、十分に犯罪ギリギリの行為である為、誰からも擁護の言葉が入ることはなかった―――
ぶつぶつと呟くボアを後ろに、三人は途中で歩いていた人に市長の住む場所を聞き出し、ディルザングの中心広場にある屋敷まで来ていた。
流石数万人が住む都市の市長の住まいと言うべきか、その大きさはかなりのもので、屋敷の周りは大きな芝のような庭で囲まれ、更にその外を鉄柵が囲んでいる。
門は開放されており、真っ直ぐと屋敷まで道が続いていた。
ボアとミリアが珍しげに屋敷と庭を見渡している中、レティーシアを先頭に四人が玄関前まで進んでいく。
途中警護に者に視線を向けられるが、レティーシアとメリルの身なりから身分の高い者と予想したのか、ちりらと一度見た後はとくに警戒されることはなかった。
――――ガンガン、ガンガンッ!!
レティーシアが両開きの厚い木製の扉、その中心に備え付けられた、獅子を模したノッカーを四度大きく鳴らす。
レティーシアがノックするのは訪問時において、相手へ警戒させないようにと、敬意を表してのレティーシアなりの考えであった。
暫くの後、ギギィィィ……と重厚な扉の片方が開き、中から一人の男性が出てきた。
「はい、ただいまお待たせ致しました。……おや? お嬢さんがノッカーを鳴らしたのですかな?」
扉から出てきた、燕尾服らしき物を纏った初老の男性が、ノッカーを鳴らしたのが見た目十歳と少しの少女だと知ると、方眉を僅かに顰めるとしかし、直ぐににこやかな笑みで対応してくる。
「悪いが、妾は無駄な問答は嫌いでな。ここは無理にでも通らせてもらうぞ」
そう不適に口角を吊り上げながら告げると、下から見上げるように執事であろう初老の男性に視線を合わせる。
その瞬間たしかにミリア、メリル、ボアの三人は見た。レティーシアの瞳が視線を合わせる瞬間、その瞳の真紅の輝きが一層濃くなったのを……
それと同時、パチンとレティーシアの指が鳴る。すると、先程まで漂っていた重苦しい雰囲気が霧散しもとに戻っていく。
「それでは、貴様の主人の場所へと案内してもらおうか?」
「……はい、こちらでございます」
視線を合わせた瞬間から、まるで魂でも抜かれたかのように立ちすくんでいた執事が、レティーシアの命令に従い扉の中に入っていく。
これこそレティーシアの世界における吸血鬼の力の一つである。相手の精神を侵食し、記憶を改竄したり、意のままに操れる傀儡とする恐ろしき能力。
魔術とはまた違う先天的能力であるこれは、所謂“魔眼”の一種であり、瞳を合わせることで発動を可能とする吸血鬼特有の力で“支配”と呼ばれている。
そして、これに抗う術を常人は持ち得ない。
「ほれ、ゆくぞ」
レティーシアが執事の後ろに付いて行くのと同時、三人に声をかける。
すると、ボアとミリアがハッとしたかのように慌てて後に続く。
メリルだけは何時もと変わらず、二人より先にレティーシアの後に続いていた。
屋敷を進むこと数分、執事が一つの部屋の前で立ち止まる。
――――コンコン
「お客様をお連れ致しました」
「ん? 客だと? そんな予定など無かった筈だが……まぁよい、入室を許可する」
執事が部屋をノックし入室を求めると、中から戸惑い気味ながらも入室の許可を許す返事が返ってきた。
聞こえた声はどこか粘着質で、ミリアとメリルが無意識の内に眉を顰める。
「失礼致します」
そう意って扉を開け、押さえながら執事が告げる。
レティーシア達は開けられた扉を潜り、室内へと入っていく。
どうやらそこは政務用の部屋らしく、扉から真っ直ぐ真紅のカーペットが奥まで続き先に横に広い机が一つ、その両端には多くの書簡や用紙が束ねてある。
「ようこそ、いらっしゃいまし……た? これはこれは、どの様なお客様かと思えば、お美しい女性方とは。そちらの男性は護衛か何かですかな?」
机の奥、備え付けられた椅子に座っていた小太りの男がこちらに振り向き、客と呼ばれた人物が見目麗しい女性だと知ると、その顔をにんまりと、カエルのような笑みを貼り付け、猫なで声でもみ手をせんばかりの勢いで三人を凝視してくる。
ミリアが小さく「ひっ」と叫び、メリルが不愉快そうな顔をし、護衛と見違えられたボアが青筋を浮かべている。
それらを無視し、レティーシアは内心魔眼を使う必要すらなさそうだと一人呟いた。
「この方達は地竜討伐の件で市長をお尋ねに来たようです」
「ん? あぁ……あの件か。わしはBランカー二名以上を指名していた筈だぞ? ギルドから何の連絡も無いということはだ、このお嬢さん方はギルドランクがB以下なのだろう?」
「ええ、確かに彼女達はBランクには届きませんが。あのエンデリック学園の生徒で御座います。しかも全員がAクラス以上在籍だとか」
「ほぉ」
執事がレティーシアの思うがままに喋らされているなど、全く持って微塵も疑っていない市長は、エンデリック学園という言葉に、先程まで馬鹿にしていたような声音を驚きに染める。
エンデリックとは入るは易しだが、その進級の難しさ、生徒の優秀者、その両方で大陸一を誇っている学園だ。
時期を追う毎に授業は難しくなっていくし、向上心がなければすぐに立ち行かなくなる。また、人材育成を秘密裏ながらに目標とされている為、かなり実力主義な部分もある。
そこのAクラス以上在籍と言うことは、実力も下手な冒険者を越える可能性が高い。その事に市長も思い至ったのだ。
「まぁ、あの学園の生徒ならハズレを引く確率は低いのは確かか……しかしだなぁ……こんなお嬢さん方が本当に実力があるのかねぇ?」
市長がちょび髭を撫でながら、どこか嫌らしげな視線で三人をじっとりと無遠慮に視姦するかのように見つめていく。
まるで衣服の上から素肌を透かさんと言わんばかりに三人を凝視し、殊更メリルの胸に熱い視線を注ぐ。
その視線にメリルが肌を粟立たせ、ミリアがまたもや「ひっ」と先程より強めの声で悲鳴を上げる。
ボアに至っては、二人を気の毒そうに見守っている始末だ。
「何、妾達がBランク以下であることには違いあるまい。無論、それなりのリスクは受けようではないか」
レティーシアの思わせぶりな言葉に市長のニヤケ顔が一層強まる。
脳内で一体どのような想像をしているのか、考えるだけで反吐が出そうだと、元男性であるがゆえに、その内心を透かすように理解出来る彼が内心で表情を歪める。
逆にレティーシアはくみしやすい相手だと、内心鼻で笑っていたが。
こう言う己の利益ばかりを考える輩程、操りやすい者も少ない。
「それで、ふむ。まぁわしとしてもだ、失敗されて名声にでも傷がついては敵わぬからなぁ……」
市長が言外に貴様らを雇っても表沙汰にはせぬぞ、と。そう言ってくる。
裏ではともかく、表ではこの市長もそれなりの支持を得ているのだ。
無論レティーシアだけでなく三人もそれを理解していた。
「市長、そなたの心配も妾は理解しているつもりだ」
「ほぉ……それで?」
「だからこそ。そなた、妾達と契約を結ばぬか?」
契約、という言葉に三人が声を出そうとするが、レティーシアが片手でそれを制す。
市長は言うと、予想外の言葉が飛び出てきたことで少しばかり混乱しているようであり、その間抜けなカエル顔が一層愉快になっている。
そこに畳み掛けるかのようにレティーシアが捲し立てた。
「契約の内容は簡単だ。今回のような依頼の際、妾達のチームを直接指名すること。個人やチームの指名は、依頼主が匿名としてギルドで扱われるのであろう? これなら万が一妾達が失敗したとしても、そなたの名が傷つくことはあるまい?」
「確かに。それならわしの名誉が傷つくことはあるまい、しかし、それだけならわしのメリットが少なすぎやしないかね?」
市長が目の前にぶら下げられた餌に勢い良く食いつく。しかも更に利を寄越せと要求する浅ましさに、メリル以外の二人の表情が歪む。
メリルは舞踏会等でそういった汚い大人の面を知っている為、そこまで忌避感はないのだろう。
さぁさぁと、利益ばかりを考えるその姿はまるで、ぶひぶひと餌を暴食する豚のような醜悪さだ。
「無論それだけではないぞ? 妾達を直接指名した場合で、依頼を失敗したときは違約金を倍支払おうではないか。それだけではなく、成功報酬も通常の一割減で構わぬ。それに、今回の依頼もデモンストレーションとして、明日一日で片付けてみせようではないか。それで実力の程を確かめればよい」
提示した内容を聞き、市長の顔が喜悦で醜く歪む。それは見事に金に釣られた者の顔であった。
レティーシアからすれば失敗等あり得ないことであるし、専属で依頼をまわしてもらえればそれだけ早くギルドに顔を覚えられ、ランク上昇の速度アップも見込める。
しかもどれも口約束である。それに、万が一にも失敗したからといって、市長がレティーシア達を非難しようにも、それはイコール自身の名を出すことに他ならない。名誉と金を何よりも求めている男に、そのような度胸はないと言えた。
結果。全ては今回の依頼を成功させれば、ということになり。
“今回の依頼そのものは何の不都合もなく受ける”ことに成功するのであった――――