※番外編・その紅茶の名は?※
総合評価が一千まで回復した記念に、番外編書いてみました。
なお、この番外編と本編はほとんど関係ありません。
時間軸も適当です。
――――コンコン、コンコン……
正式訪問のノックが鳴る。
書斎にてノンフレーム式の特殊な眼鏡を掛け、魔術の研究に没頭していたレティーシアは一瞬誰かと怪しむが、気配から納得し、そんな時間かと壁時計に目を見やれば大当たり。
時刻は既に十九時を指し、第二の土曜日とはいえこれでは十時間以上没頭していた計算である。
因みにこの世界、週七日、月は三十一日から三十二日と微妙に彼の世界より多い。
客間兼リビングで何やら準備を進めていたエリンシエの気配が、寮の廊下に繋がる仮の玄関口へと向かう。
「いらっしゃいませ。メリル=フォン=ブロウシア様並びに、ミリア=チェルノイエ=クレファース様、エリシー=ブライス様で御座いますね?」
「ええ、相違ありませんわ」
「はい!」
「私の名はスペクターだ」
その言葉にメリルの眉がキリッと上がり、瞳が何を言ってらっしゃるの!?
と言わんばかりにエリシーへと向けられたが、本人はそ知らぬ顔である。
彼女、事ある毎に己をスペクターと呼ばせようとするのだ。
「これは失礼しました。スペクター様、お許し下さいませ」
「あ、ああ。分かってくれたならいいんだけど……」
エリシーの場を無視した、ある意味では何時もどおりの返答にも無表情に、瀟洒で完璧な受け答えを返すエリンシエ。
流石に眉根すら変えず返答されるとは思っていなかったのか、エリシーの返事がやや尻すぼみである。
これにはメリルもミリアも驚きの表情を見せたが、流石と言うべきか、メリルが二人より数秒早く表情を繕う。
「現在、レティーシア様は書斎にて魔術の研究をなさっておられます。もう直ぐ参られるかと思いますので、こちらでどうぞお待ち下さいませ」
片手で指し示されたのは、玄関直結のリビングの中央。
一言で言えばどこかの王室に連なる姫の部屋とでも、大公爵の贅を凝らした、しかし品良く纏めた部屋とでも言えばよいのか。
絨毯は赤に金糸で幾何学模様が描かれ美しく、その毛は長い。
土足だと言うのにその毛が潰れる様子はなく、まるで押し返してくるかのような弾力すら感じられる。
アンティーク調の縦二メートル近い置時計は細かな細工が施され、下部で揺れる振り子は拳大のサファイアときた。
入り口の両横には物言わぬ騎士甲冑が並び、相当古い代物なのか、随分と重厚な空気を醸し出している。
置時計含め、周囲の装飾品の全てが一目で歴史ある一品だと察せられる趣を醸し出していた。
壁に何枚か風景画が飾られており、内一枚がメリルの目に留まる。
何所かの城を空から描いたものらしく、白と黒を基調としたその城の絵はさぞ高名な絵師によるものなのだろう。
その筆一筆に至るまで力を感じられ、写実主義の究極とも呼べるようなその出来は、どういう技術による力か、まるで額縁から抜け出してくるかのような錯覚すら感じられる。
見たことのない城であったが、見事という他にないその外観と相俟って、数枚の絵の中でも群を抜いての迫力であった。
三人が案内されたリビングの中央、テーブルに備え付けられたアンティーク調の椅子に全員が腰掛ける。
それぞれが座った目の前には、どう見ても淹れたばかりの紅茶がカップから湯気をたてて置かれている。
中央にはミルク等も完備であり、ちょっとした菓子類までも……
「……美味しいです」
真っ先に手を伸ばしたミリアがほぅっ、と溜息混じりに台詞を吐いた。
必要ならミルクをと、そう考えていた思考があっさりと彼方に飛んでいく。
もともと一般家庭でも飲まれるものだが、それなりを求めるなら一般には出回っていないせいか、どうしても基本は貴族や金持ちの道楽の気が強い。
ミリアの実家も一般からすれば随分と良い所の出と称して問題なく、こうした嗜好品の類もそれなりに経験を積んでいるのだが、それに比べても頭一つ分どころか身長まるまる飛びぬけている。
「本当だわ……家ではお母様が好きだからよく飲むのに、こんなに香り高くて、気品を感じさせる味わいをするものは一度も味わったことがありませんわね」
ミリアが口をつけた後、メリルが続いて流石は侯爵令嬢と、そう口にしたくなる所作でそっと口にカップを運ぶ。
熱湯に舌を焼けどしないように気をつけて口に含めば、瞬間広がる独特の香り。
強い香りは人によっては苦手となる要素の筈なのに、この香りはそれすら一蹴りの下に笑ってしまうような、どこか恍惚さをも含んでいた。
味わいは濃く、まるで途方も無い歴史の重さの一端を感じさせるかのよう。
ミルクなんて入れる隙間すらない、単一で完成された味。
それはどこか、そう……メリルが知る人物の影を彷彿とさせる味であった。
「これは……私の家も仕事柄紅茶の葉を扱うからか、小さい頃からそれなりに嗜んできたと思うんだが。今まで一度も味わった事がないな」
全員の反応に興が乗ったエリシーが最後にと、冷める前にカップの中身を口に運ぶ。
広がる味は商家として生まれた関係上、多くの茶葉に触れてきたエリシーですら、その葉どころか、他に類似点を見つけることすら困難な味であった。
それはあまりに完成されすぎている、そう言い換えてもいい味。
完成されている為に、これ単一のみで味わおうとしか思えず、他の一切を受け入れる余地のない至高。
それは例えれば、世界を征服した頂に佇む覇者の環境と同じだろうか。
それはどこか、至高の頂に君臨しながらも孤独を感じさせる味わいに他ならない。
「ふむ、この匂い……エリンシエ、アレを淹れたのか」
「はい、御学友なればと思いまして。差し出がましかったでしょうか?」
「よい。そなたがそう判断したのならば構わぬ」
魔術の研究を中断し、眼鏡を書斎の机に備え付けられた引き出しに仕舞った後。
書斎には防音がなされていない為、気配と声とで出るタイミングを窺いつつ、丁度良い頃合にて退出し脳内で弾き出した台詞を口に出したのであった――
「レティ、この茶葉の銘柄を伺ってもいいかしら?」
三人と同じく、エリンシエに椅子を勧められるまま席に着き、音も無く差し出された紅茶を飲み一息吐く。
その手元のカップに淹れられた紅茶は、三人が飲むものとは別らしい。
それを見ておもむろにメリルが切り出した。それは大なり小なり残り二人も思った事に違いなく、その答えを全員が待ち望んでいるのは間違いない。
ふむ、と。別段深く考えている様子も見せず口に出し、指先で顎を撫でるとレティーシアが口を開く。
「エリンシエがそなたらに出した茶葉、それに正式な名はない。理由は商品化されておらぬでな。だが、それを口にすることを許された者と、開発及び栽培を任された者達からはこう呼ばれておる。“レティシア”と、な」
その名に含まれる意味に思い至らないほど、この場に集った三名の思考は鈍っていない。
そして、その名を聞いた全員。付き合いの浅いエリシーですら思ったのだ、やはり、と。
レティシア。飲んで聞けばなるほどと頷かずにはいられない銘と言えよう。
その名が示すのはつまり、レティーシアに相違無く、その人柄に触れた後にその茶葉を味わえば、誰一人として間違える由も無くその身を想像するだろう。
それはまさにレティーシアの名を賜るに相応しく。
そして同時に、これ程その姿を彷彿とさせるものがないというくらいに、その茶葉の全ては香りで、味で、およそ紅茶という範疇にあってレティーシアという人物を見事に表していた。
尤も、レティーシア本人からすれば、さほど好きな味でもないのだが。
それは所謂同属嫌悪とでも表現するのが妥当であるのかもしれない、味に関してはまさに極一級品なのだから。
だがしかし、三人。特にミリアとエリシーが、だが。
こんな思考をしてしまう、遥か頂を想像してしまうレティーシアとは、一体何者であるのか?
そう微かな疑問を抱くのは極自然なことであった――――
「それでは皆様。改めまして、この度はようこそ我が主人の私室へとお越し下さいました。エリンシエ=ペッカートゥムが、今日は十全な一夜をお約束致しましょう」
場に漂った疑問の空気を吹き飛ばすように、レティーシアの後ろに控えていたエリンシエが前に出て、感情を窺わせない声で腰を折って告げる。
三人がそれに習って各人が口上を述べ、今回の招きに対する謝辞を口にしていく。
そう招き。三人を招いたのは、他でもないレティーシアなのだ。
「それにしても、随分広い部屋だけどここだけ作りが違うのか?」
今回初めてレティーシアの部屋へと足を運んだエリシーが、ある意味尤もな言葉を口にした。
このリビングだけでも優に寮の部屋全部が埋まってしまうのだ、そこに寝室や書斎、その他とくればどうなっているのか疑問に思うのは当然だろう。
それに答えたのはエリンシエではなく、レティーシアであった。
「この部屋は転移の魔術を使って、本来の妾の部屋と空間を入れ替えたのよ。尤も実際の空間の広さを誤魔化す為に細工はしておるがな」
「……え? ――空間の入れ替え、ですか?」
「さ、流石、天使様だね……そんな伝説級の魔法が使えるとは私も思わなかった。いや、神族なら当たり前なの、か?」
ミリアが残りの紅茶に口を付けていたがのだが、レティーシアの言葉にポカンと口を開け反射的のような台詞を口にする。
エリシーが根本的に間違えた認識をしつつも、その口元は引き攣っている。
流石の十四歳病も、実際その代表格とも言える空間操作を目にすれば動揺を隠せないらしい。
唯一人、メリルだけがなぜか誇らしげにその立派な胸をデンッ! と突っ張ってはどや顔を披露しているのがなんだか痛々しい――――
その後、この世界に存在しない料理をエリンシエが振る舞い、最高級のワインを横に談話で花が咲く。
全員の故郷の話し、将来の話し、明日の話し……あるいは魔法の話し。
時には胸の話しになり、全員がメリルへと恨めしげな視線を送ったり、逆にレティーシアに哀れみの視線が突き刺さったりと。
女三人寄れば姦しいとはよく言ったものだ。
誰が提案したのか、全員で風呂に入ることとなり、レティーシアが真の格差社会を目の当たりにしたり。
狼と化したメリルに襲われたり、エリシーのスレンダーのモデル体型にミリアとメリルが溜息をついたりと。
楽しい一時はあっという間に過ぎていく。
レティーシアとしてもこのような時間は、一体何百年ぶりであったろうか?
時刻は既に二十一時を過ぎたあたり。
風呂場から全員が出て、さて、そろそろおひらきであろうか、という場面でのレティーシアの一言……
「これより、ゲーム大会を始める、拒否権はないと思うがよい。ルールは単純、エリンシエが用意した様々なゲームを行い、その優勝者が敗者三名に好きな命令を下せる、と言うものよ。ただし、命令出来る者は敗者三名のうち一人にのみ。また、ゲームはエリンシエの意思によってころころ変わるゆえ注意せよ」
夜はまだ始まったばかり。
真の宴は、なに、これからだと言うことである。
今宵の一夜はとてもとても長くなりそうであった……
場所は同じく客を迎える為の客室謙リビング。
「ふふっふふふふふっ……」
メリルがレティーシアの言葉に不気味な笑いを放つ。
まるで可笑しくて、可笑しくて、心底笑えると言うようなそんな笑い方。
レティーシア含めた三人が思わず一歩後ずさる。
それ程今のメリルは得体の知れない気配を放っている!
「レティ? 私言ってませんでしたっけ? 私の家系は遥か昔、グランドラインと呼ばれるゲームの大海を制し、付けられた二つ名が……“ゲーム王ブロウシア”だと言うことをねッ!!」
瞬間、レティーシア以外の二人がなんだとぅッ!?
と、背後に稲妻で走ったかのような劇画調の表情を晒す。
ミリアとエリシーがぶつぶつとゲーム王だとぅ!? や、あ、あのブロウシアだったのか!?
などと、一人レティーシアを置いて白熱していく。
「クックックッ……」
すると、その表情から一転。ミリアが腹の底から響く暗い笑いを漏らす。
まるで魔王、全ての塵芥を見下す魔王の笑い声ッ!
先ほどの恐れていたのはブラフッ!! そう、仮面だとでも言うような、そんな変容のレベル!!
「甘いですよ、甘すぎますよメリルさんも皆さんも……私がゲームを禁じられて数年。そう、自国で数々のゲームを制し、数多のプレイヤーを闇に葬り去ってきた私の二つ名は……“大魔王クレファース”と、そう呼ばれていたんですよッ!!」
今度はメリルとエリシーがなんだとぅッ!?
と言う表情に切り替わる。またしても背後から聞こえる稲妻の幻聴。
二人から聞こえてくるのは、「あ、あの悪名高き大魔王クレファースだと!?」
という言葉やその他、ミリアの恐ろしき所業の数々。
「しかし……しかし、だ。私はその上を行くッ!! 前世で神々を恐怖に震え上がらせた“神を陥れた邪神”の私がなぁッ!!」
エリシーがババンッ! と効果音のつきそうな勢いで己の二つ名を告げる。
が、ミリアもメリルも、え? 何それ美味しいの? と言う顔であった。
ひそひそと二人で顔を寄せ合えば、「ねぇ、メリルさんは聞いたことあります?」とミリアが問えば、「いいえ、私も聞いたことがありませんわね」と答え。
更には二人で口を合わせ。
「「えー! 邪神ですってぇ? ぷぷ、邪神だってぇ!! 十四歳病が許されるのは十四歳までよねぇ? キャー!!」」
と指を揃えてエリシーに言葉の刃を解き放つ。
それを聞いたエリシーが、がくりっと絨毯に膝をつく。
それを見ながらレティーシアが一人可笑しいなぁと考えたのは。
アレ? 若干一名抜いて、なんだか性格変わってない? と言う事であった。
――――ここに、レティーシアにすら予想外の。
闇のゲームが開催された――――
後書き
続きも書く予定ですが、ドラネギがむしょうに書きたくなって今日は断念。
そのうち次の機会で続きを書きたいと思います。