The story’s 家忘れ病 6
雪が降っている。
街灯の光の中で、雪は静かに落ち続けている。
夜の道を、一人の男が歩いている。
年は五十代くらいだ。
仕事帰りだろう。
コートの肩に雪が積もり始めている。
男は駅から家に向かって歩いていた。
いつもの道だ。
何年も同じ道を歩いている。
角を一つ曲がる。
そのとき、ふと足が止まる。
男は周りを見る。
道は知っているはずの場所だ。
街灯も、家も、見慣れている。
けれど、胸の奥に空白がある。
家が、どこにあるのか分からない。
男はしばらく立っている。
吐いた息が白くなる。
「……またか」
小さくつぶやく。
家忘れ病だ。
この世界では珍しくない。
風みたいに突然やってくる。
男はまた歩き出す。
雪の上を踏む音が小さく響く。
歩きながら、男の頭の中に、昔の記憶がゆっくり浮かんでくる。
雪の夜。
小さな自分。
冷たい道。
誰もいない。
泣きながら歩いていた。
あのときも、家が分からなくなった。
いや、違う。
家が分からなくなったのではない。
家がなくなったのだ。
男は歩きながら思い出す。
子どものころ。
雪の中で、親と離れた。
迷子になったと思っていた。
でも、そのあと何日も待っても、誰も迎えに来なかった。
そのまま保護されて、施設に入った。
それからずっと。
家というものを探す時間が続いた。
施設で暮らし、
大きくなり、
何度か別の家族のところに行った。
でも長くは続かなかった。
また別れ、
また別れ、
また施設に戻った。
そうやって何十年も過ぎた。
男は雪の道を歩く。
住宅街の灯りが見える。
家の窓から光がこぼれている。
ある家の窓から、笑い声が聞こえる。
別の家ではテレビの音がする。
食卓の影が窓に映っている。
男はゆっくり歩きながら、それらの家を見る。
どれも温かそうだ。
どれも、誰かの帰る場所だ。
男は歩き続ける。
雪はまだ降っている。
しばらくすると、一つの家の前で足が止まる。
小さな庭。
低い門。
玄関の灯り。
どこか懐かしい。
昔、子どものころ住んでいた家に少し似ている。
男はしばらくその家を見ている。
胸の奥が静かに揺れる。
男は門の前まで歩く。
ノックしようかと考える。
ただ懐かしくて、
それだけで。
手を伸ばしかける。
そのとき、昔の記憶が急に浮かぶ。
雪の夜。
小さな自分。
親の背中。
そして振り向かないまま遠ざかる足音。
迷子ではなかった。
捨てられたのだ。
男は手を止める。
胸の奥が重くなる。
静かに振り返ろうとする。
そのとき。
家の窓の中から声が聞こえる。
「パパー!」
子どもの声。




