Skeleton Flowerの透明な嘘 8
私は、ずっとこの島にいる。
理由は、もう思い出せない。
ここにいることが当たり前になりすぎて、
“いつから”を考える意味がなくなった。
波が崖を削る音も、
夜の湿った空気も、
乾いた草の匂いも、
全部、変わらない。
⸻
あの日、海が荒れていた。
遠くで何かが浮かんでいるのが見えた。
最初は流木かと思った。
でも違った。
人だった。
私は崖の上から、
その様子を見ていた。
波に押され、
砂浜に打ち上げられ、
しばらく動かなかった。
死んでいるのかと思った。
でも、
咳き込んだ。
体を丸め、
砂を掴んだ。
生きている。
その瞬間、
胸の奥に、小さな波が立った。
珍しい、というより、
“続きが見たい”と思った。
⸻
近づかなかった。
遠くから見ているだけで十分だった。
あの人は、何も知らない顔で、
島を歩き回った。
水を探し、
実をかじり、
苦い顔をして吐き出し、
火を起こそうとして失敗した。
何度も。
手の皮を剥き、
小さな炎を消して、
夜になると洞窟の奥で膝を抱えた。
暗闇を怖がっていた。
その姿が、
この島には不釣り合いで、
でも妙にまっすぐだった。
私は、岩陰から見ていた。
助けようとは思わなかった。
あの人は、生きようとしていた。
それを奪いたくなかった。
⸻
何日か経った。
火がついた夜。
あの人は、
小さな炎の前で、静かに笑った。
一人きりで。
その笑顔を見たとき、
少しだけ、胸が締まった。
私は何もしていない。
それでも、
あの人がこの島で生きていることが、
妙に嬉しかった。
おかしい、と分かっていた。
私は人ではない。
この島に縛られているだけの、
形のある残り香みたいなものだ。
温度も、鼓動も、
曖昧だ。
近づけば、
壊れる気がした
⸻
大雨の日だった。
空が暗くなり、
風が洞窟の奥まで吹き込んだ。
あの人は、
朝から様子がおかしかった。
動きが鈍く、
息が荒かった。
夜になる頃には、
洞窟の奥で倒れていた。
熱。
呼吸が浅い。
目を閉じたまま、
意識が沈んでいる。
私は、しばらく立ち尽くした。
関わらないと決めていた。
でも、
呼吸が途切れそうになった瞬間、
体が勝手に動いた。
洞窟に入った。
そのとき、雨は止んでいた。
雲は薄く、
空は明るかった。
それでも私は、
あの人の額に触れた。
熱い。
水を運び、
布を濡らし、
そばに座った。
夜が明けるまで。
あの人がうっすら目を開けたとき、
私はそこにいた。
ぼんやりした視線が、
私を捉えているようでした
私は、すぐに立ち上が離、
洞窟の入り口へ下がる。
そのまま、
姿を薄めた。
⸻
決めたのは、その後だ。
姿を見せるなら、
理由を作る。
雨の日だけ。
島には不思議が似合う。
雨の日にだけ現れる女。
それなら、
疑問は飲み込まれる。
晴れの日も、
私はいる。
木々の間にも、
崖の上にも。
あの人が海を見ているとき、
背中越しに、見ている。
でも、出ない。
あの人が私を探す日もあった。
岩陰を覗き、
森の奥へ入る。
名前を持たないまま、
呼びかけようとして、
やめる。
そのたびに、
胸が軋んだ。
それでも、
出なかった。
距離を保たなければ、
いけない。
⸻
雨の日。
洞窟に入る。
最初からそこにいたみたいに、
静かに立つ。
あの人は驚かなくなった。
火を囲み、
波の話をし、
昔の生活の話をする。
私は、聞く。
あの人の声は、
島の音と混ざらない。
ちゃんと、浮いている。
それが心地よかった。
肩が触れるようになったとき、
私は一度、距離を取った。
でも、
あの人は何も言わなかった。
ただ、少しだけ寂しそうに笑った。
その顔を見て、
私は動けなくなった。
近づけば、
離れられなくなる。
分かっているのに。
⸻
私は、人ではない。
時間の流れ方が違う。
ここに縛られている。
あの人は違う。
外へ行ける。
海の向こうへ戻れる。
もし、
私に執着したら。
もし、
ここに留まろうとしたら。
それは、いけない。
だから、
期限を作るしかなかった。
一週間。
雨が降らなければ、
消える、と。
嘘だ。
私は、晴れでも存在できる。
でも、
嘘は必要だった。
あの人が、
私から離れるための嘘。
私が、
離れるための嘘。




