表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
The story’s (あるバスは決まりなく色んな街、色んな街に進いていて、 バスの窓から色んな場所色んな物語見て語る話)  作者: San


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

73/124

Skeleton Flowerの透明な嘘 1

潮の音で、目を覚ました。


最初は夢の続きだと思った。

耳の奥で、ずっと低く唸る音。

それが現実だと気づいたのは、喉に流れ込んだ塩水の苦さでだった。


咳き込みながら、体を起こす。

視界が白く滲んで、何度か瞬きをすると、砂浜が見えた。

白い砂。濡れた腕。海に引きずられた跡のような線。


──生きてる。


それだけが、はっきりしていた。


空を見上げると、雲がゆっくり流れている。

飛行機の音はしない。

人の声もしない。


砂浜の向こうには、緑が生い茂る島があった。

ここがどこなのか、分からない。

けれど、少なくとも、助けはすぐには来ない。


立ち上がろうとして、膝が笑った。

体の奥が冷えている。

服は乾きかけて、潮の匂いが強く残っていた。


歩き出すたび、砂が足にまとわりつく。

靴は片方しかなかった。


島の奥へ進むと、木々が濃くなり、日差しが遮られた。

影の中は、ひんやりしている。

しばらく歩くと、岩がえぐれたような場所があった。

洞窟だった。


中に入ると、外よりもずっと静かだった。

波の音が、遠くに引いていく。

ここなら、雨も風も防げそうだった。


その日から、同じような日が続いた。


朝、目が覚める。

喉が渇く。

洞窟の外に出て、雨が降っていれば、両手で水を受ける。

降っていなければ、海水を避けて、流木の隙間に溜まった水を探す。


腹が減る。

木の実を拾い、見たことのない実は避ける。

空腹に耐えきれなくなると、よく分からないものも口に入れた。

苦くて吐き出すこともあった。


夜になると、波の音が近くなる。

風が強い日は、洞窟の奥で体を丸めて眠った。


誰とも話さない日々。

声を出さない日が続くと、喉の使い方を忘れそうになった。


独り言を言ってみる。

声が、岩に当たって返ってくる。

それが少し怖くて、すぐに黙った。


何日経ったのか、もう分からない。

指折り数えることもやめた。


ある日、空の色が急に暗くなった。


風が吹き、葉がざわめく。

雨の匂いがして、次の瞬間、空が割れたみたいに降り出した。


洞窟へ戻ろうとして、足を滑らせた。

濡れた岩は思ったより滑りやすく、体が横に流れる。

手をついた瞬間、鈍い痛みが走った。


頭が揺れる。


視界が暗くなり、

雨の音だけが、遠ざかっていった。



次に目を開けたとき、焚き火の匂いがした。


最初は、火事かと思った。

でも、焦げた匂いじゃない。

乾いた木が燃える、あたたかい匂い。


体を起こそうとして、止められた。


「無理しないで」


声がした。


洞窟の奥に、知らない女の人がいた。

火のそばに座っていて、こちらを見ている。


誰。

喉がひりついて、声が出ない。


女の人は、水の入った器を差し出してきた。

黙ったまま受け取ると、ゆっくり飲めと、手で合図された。


水は冷たくて、喉を通るたびに体の奥にしみていく。

息が、やっと落ち着いた。


「大雨だったから。倒れてるの、見えた」


女の人はそう言って、焚き火に薪を足した。

ぱち、と音がして、火が少し強くなる。


「ここ、初めて?」


頷く。


「……私も、似たようなもの。

この島に、しばらくいる」


その言い方が、妙に曖昧だった。


それから、言葉は途切れ途切れになった。

名前は聞かなかった。

聞く余裕もなかった。


ただ、火の前で並んで座っているだけで、

独りじゃないという感覚が、胸に広がった。


その夜、久しぶりに、眠りが深かった。



次の日、目が覚めたとき、洞窟の中には誰もいなかった。


焚き火の跡だけが残っていた。

灰は、まだ少しあたたかい。


夢だったのかと、一瞬思った。

けれど、喉の奥には、昨日飲んだ水の冷たさが残っている。


その後、雨の日になると、彼女は現れた。


洞窟の入口に、何の前触れもなく立っている。

こちらが驚くと、少しだけ困ったように笑う。


「また降ったね」


一緒に火を起こし、

流木を削って簡単な道具を作り、

海を眺めながら、言葉を交わす。


何を話したかは、よく覚えていない。

大したことは話していないはずだった。

それでも、声を交わすだけで、胸の奥が少し軽くなった。


晴れた日は、彼女はいなかった。

探しても、見つからなかった。


どこにいるのか、聞こうとしたこともある。

けれど、聞いてはいけない気がして、やめた。


それでも、雨の日を待つようになっている自分がいた


雨の音が、洞窟の奥まで届いていた。

滴る水が岩に当たる音は、規則正しくて、どこか眠気を誘う。


火の前に並んで座りながら、濡れた髪を指で梳く。

湿った空気の中で、火だけが乾いた音を立てていた。


「……今日は、波が高いね」


何気なく言った言葉に、彼女は頷く。


「うん。こういう日は、浜の方に近づかない方がいい」


知っているような口ぶりだった。

この島に来てからの日数を、私よりも正確に数えている気がする。


雨の日は、いつもこうだった。

火を囲んで、どうでもいい話をする。

島の話、波の音の話、夢の話。

会話の内容よりも、声があること自体が、救いだった。


晴れの日には、彼女はいない。

どこを探しても、見つからない。


最初の頃は、探した。

岩の陰、木々の間、浜辺の端。

それでも、彼女の姿は見つからなかった。


ある日、ふと思った。

雨の日の彼女は、最初からそこにいたみたいに現れる。

歩いて来た様子もなく、音もなく、

気づいたときには、洞窟の入口に立っている。


違和感は、胸の奥に沈めた。

言葉にしたら、壊れそうだったから。


「……ねえ」


火を見つめたまま、声をかける。


「何?」


「……いや、なんでもない」


聞きたかったのは、

“晴れの日は、どこにいるの?”

それだけだった。


でも、その言葉は、喉の奥で溶けた。


雨の日が、増えていった。

正確には、雨の日を、待つようになった。


洞窟に一人でいるとき、

遠くで雷の音がすると、胸が少しだけ軽くなる。

雨の匂いがすると、息がしやすくなる。


彼女が来るからだ。


それに気づいたとき、

自分の気持ちを、はっきり認めたくなかった。


ある日、焚き火の前で、彼女がぽつりと言った。


「ここに来る前、何してたの?」


しばらく考えてから、答える。


「……ちゃんとした生活。

毎日、決まった時間に起きて、

決まった場所に行って、

決まった人たちの中にいた」


「楽しかった?」


「……どうだろうね」


本当は、楽しくも、楽しくなくもなかった。

ただ、流されていただけだった。


彼女は、少し考えるような顔をして、

それから、小さく笑った。


「私はね……」


言いかけて、言葉を止める。


「私はね……」


そう言いかけて、彼女は言葉を飲み込んだ。

焚き火に視線を落とし、火の揺れをじっと見つめる。


「……ごめん。

あんまり話すと、面倒な話になるから」


そう言って、軽く笑った。

その笑い方が、どこか遠かった。



雨は、ゆっくりと弱くなっていく。

洞窟の外では、水滴が葉を叩く音が、少しずつ間隔をあけていった。


それから、何度も雨が降った。


雨のたびに、彼女は現れた。

私たちは、同じ場所に座り、

同じ火を囲み、

同じ景色を見た。


時々、言葉が途切れる。

それでも、気まずくはならなかった。

沈黙が、怖くなくなっていた。


ある夜、雨が強くなり、

風が洞窟の奥まで吹き込んできた。


火が揺れ、煙が少し目に染みる。

私は思わず目を細めた。


「目、弱いね」


彼女が言って、私の前に手を伸ばす。

火から視線を遮るように、手のひらをかざした。


「……ありがとう」


その距離が、近かった。

呼吸の音が聞こえるほど。


一瞬、何か言おうとして、

結局、どちらも黙った。


それでも、その沈黙は、前よりも柔らかかった。


別の日、浜辺で流木を集めていると、

波打ち際で足を滑らせた。


「危ない」


背中を支えられる。

振り向くと、すぐ後ろに彼女がいた。


「……いたんだ」


「うん…」


それだけのやり取りなのに、

胸の奥が、少しだけ軽くなる。


彼女は、私の手から流木を取って、

代わりに持ってくれた。


並んで歩く。

足跡が、二つ並ぶ。


波が来るたび、

その足跡は、すぐに消えた。


それを見ながら、

この時間も、いずれ消えるのだろうか、

そんな考えが、ふと浮かんだ。


違和感は、消えなかった。


雨の日にしか会えないこと。

現れるとき、いつも“最初からそこにいた”みたいなこと。

なのに、私は、聞かない。


聞いてしまったら、

この時間が終わる気がした。


それでも、距離は、少しずつ近づいた。


火の前で、肩が触れても、

どちらも離れなくなった。


眠気が来ると、

互いに背中を預けるようになった。


「……ねえ」


ある夜、彼女が小さく呼ぶ。


「なに?」


「ここに来てから、

夜が、嫌いじゃなくなった」


私は、少し驚いて、

それから、頷いた。


「私も。

一人でいる夜より、

今の方が、ずっといい」


その言葉を言い終えたあと、

少し恥ずかしくなって、視線を逸らした。


彼女は、何も言わなかった。

ただ、火を見つめて、

小さく笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ