The story’s 果てしない旅 2
海は、私を拒まなかった。
沈みもせず、完全に浮きもしない。
身体はゆっくりと波に持ち上げられ、また落とされる。その繰り返しの中で、私は長い時間、仰向けに空を見ていた。
青い。
やはり青い。
この色を、私は知っている気がする。
けれど、思い出そうとすると、指の隙間から砂がこぼれるように消えていく。
昼が過ぎ、夜が来る。
星が見えた。
宇宙から何度も見てきた星々を、今度は下から見上げている。
それだけのことなのに、奇妙な違和感があった。
私はどちら側の存在なのだろう。
上から見る者か。
下から見る者か。
波が身体を揺らす。
塩が唇に触れる。
遠くで、何かの鳴き声がする。生物だ。
この星には、音がある。
風の音。
水の音。
小さな命の動く音。
私は長いあいだ、音のない宇宙を漂ってきた。
星が砕ける瞬間でさえ、真空の中では静寂だった。
ここは、うるさい。
それが、心地よかった。
やがて、潮の流れが変わった。
私の身体は、ゆっくりと岸へ押しやられていく。
波が背を持ち上げ、砂の感触が足先に触れた。
陸だ。
何度も降り立ってきたはずの「地面」というものが、妙に重く感じられる。
私は腹ばいのまま、しばらく動かなかった。波が引き、また寄せる。そのたびに身体が少しずつ砂へ埋まっていく。
やがて潮が遠のき、完全に取り残された。
風が吹く。
乾いた匂い。
塩と、草と、土の混ざった匂い。
私はゆっくりと起き上がった。
◇
最初に見たのは、足跡だった。
砂浜に並ぶ、規則的な凹み。
二足歩行。
だが、人間とは少し違う。
踵の跡の後ろに、細く長い線が続いている。
尻尾。
私はその線を目で追った。足跡は草地へ続いている。
丘を越えると、集落が見えた。
石と木で組まれた簡素な住居。
煙がゆるやかに立ち上り、畑のような場所で何かを育てている姿がある。
彼らは――
人に似ている。
直立し、二本の腕を持ち、顔は前を向いている。
だが、腰の後ろから長い尻尾が伸び、頭部には小さな角が二本、静かに生えている。
角は鋭くはない。丸みを帯び、装飾のようにも見える。
肌の色はさまざまだが、どれもこの星の光をやわらかく反射している。
目は大きく、瞳孔はわずかに縦に伸びている。
彼らは私に気づいた。
数人が立ち止まり、じっと見る。
驚きはある。だが、恐怖は薄い。
一人が近づいてきた。
背は私より少し低い。角は短く、尻尾がゆっくり左右に揺れている。
その揺れは、敵意ではなさそうだった。
言葉を発する。
音は柔らかく、波のように上下する。
意味は分からない。
だが、声色は穏やかだ。
私は何も答えられない。
長い時間、他者と会話をしていない。
それでも、視線を逸らさず、立っている。
しばらくして、彼らは道を空けた。
受け入れるでもなく、拒むでもなく。
ただ、「ここにいてもいい」と示すように。
◇
私は集落の端に身を置いた。
簡素な小屋を与えられた。
木と泥でできた、風を防ぐだけの場所。
彼らは多くを求めない。
朝になれば畑へ向かい、昼は水辺で網を使い、夜は火を囲む。
火の周りでは、低い声で歌う。
争う姿を、私は見なかった。
食料は分け合われ、道具は使い回され、角や尻尾を誇示する者もいない。
文明は発展していない。
空を飛ぶ装置も、巨大な塔も、観測装置もない。
だが、焦りもない。
私は彼らと共に畑へ出た。
土を掘り、種を埋める。
手の中の土は温かい。
湿り気を帯び、命の匂いがする。
成長には時間がかかる。
芽が出るまで、何日も待つ。
私は待つことに慣れているはずなのに、この「数日」という単位が妙に新鮮だった。
星が滅びるまでの時間ではない。
文明が崩壊するまでの時間でもない。
ただ、芽が出るまでの時間。
それは短く、しかし確かだった。
◇
私はときどき、集落を離れた。
丘を越え、森を抜け、川沿いを歩く。
この星の空は、時間によって色を変える。
朝は薄い銀色、昼は深い青、夕方は紫に近い橙。
夜には星が瞬く。
私はその星々を見上げる。
かつて通り過ぎた星々。
砕け、燃え、消えた星々。
その光が、今も届いている。
ここも、いずれ終わる。
この穏やかな集落も、角を持つ彼らも、土の匂いも。
すべて、時間の中で失われる。
私はそれを知っている。
だが、不思議と胸は静かだった。
なぜだろう。
彼らは私に、過去を問わない。
どこから来たのかも、なぜ死なないのかも。
私が老いないことに、薄々気づいているはずだ。
それでも、何も言わない。
ただ、今日の作業を共にする。
◇
ある夕暮れ。
子どもが、私の尻尾のない背を不思議そうに見ていた。
小さな角がまだ短い個体だ。
尻尾が落ち着きなく揺れている。
私は自分の背に手をやる。
何もない。
角も、尻尾も。
私は、彼らとは違う。
人間とも違う。
では、何だ。
答えはない。
だが、その子どもは笑った。
私が何者であろうと、関係ないというように。
その笑顔を見たとき、胸の奥で、かすかな痛みが走った。
懐かしさ。
青い星を探していた理由に、少しだけ近づいた気がした。
それが地球かどうかは、もう重要ではないのかもしれない。
私は今、この星で歩いている。
土を踏み、風を感じ、穏やかな存在たちと火を囲む。




