The story’s 猫の考え(読み切り)
猫は、だいたい午後二時に起きる。
正確に言えば、起きるというより、まぶたを半分だけ開ける。
私はそれを、机に肘をつきながら観察している。
今日も学校は早く終わった。というより、早く帰ってきた。理由は特にない。家のほうが静かだからだ。クラスのざわざわは、私には少し大きすぎる。
リビングの窓から入る光が、床に四角く落ちている。その真ん中に、うちの猫——しろが、伸びきって転がっている。
白いお腹が、呼吸に合わせてゆっくり上下する。
「ねえ、何考えてるの」
聞いても、耳がぴくりと動くだけだ。
私はノートを開く。
表紙には昨日、油性ペンで書いた。
――しろ観察日記。
まずは今日の記録。
二時三分。右耳が三回動く。
二時五分。目を細める。
二時七分。尻尾、床を一回だけ叩く。
何か意味があるはずだ。
私はソファから立ち上がり、そっと近づく。影がかからないように、慎重に。
しろの目は、金色だ。光を反射して、ビー玉みたいにきらりとする。でも焦点が合っていないようにも見える。
もしかして、何も考えていないのだろうか。
それとも、私には理解できない何かを、ずっと考えているのか。
私は床に寝転んで、しろと同じ目線になる。
天井が、逆さまみたいに広がる。
しろの視界は、いつもこんな感じなのかな。
突然、しろが体を起こした。
私は慌てて息を止める。
しろはゆっくりと前足を伸ばし、爪をカーペットに引っかけて、ぎゅっと伸びをする。それから、私の顔の横を通り過ぎ、キッチンへ向かった。
ごはんの時間ではない。
時計を見る。二時十五分。
私は静かに後をつける。
キッチンの床はひんやりしている。しろは冷蔵庫の前で座り込んだ。
じっと、冷蔵庫を見上げている。
「……中に何かいるの?」
もちろん返事はない。
でも、しろは本気で見つめている。まるで、冷蔵庫の向こう側に別の世界があるみたいに。
私は冷蔵庫を開けてみる。
光がぱっと広がる。
牛乳、卵、昨日のカレー。
しろは一歩も動かない。ただ、風を感じている。
冷蔵庫の中の匂いを、吸い込んでいる。
ああ、なるほど。
しろは、中身じゃなくて、流れてくる匂いを見ているんだ。
私はノートに書く。
二時十六分。冷蔵庫の匂いを観察。
しろは満足したのか、くるりと向きを変え、廊下へ歩いていく。
廊下の先には、階段がある。
私はまた後ろをついていく。
二階は私の部屋と、両親の部屋と、物置だけだ。しろはだいたい、私の部屋に入る。
今日も、迷いなく私の部屋へ。
ドアは少し開けてある。しろは体を横にして、するりと入る。
私はドアの隙間から覗く。
しろは私のベッドに飛び乗り、枕の上に丸くなった。
そこ、私の場所なんだけど。
でも怒らない。
しろは目を閉じる。
ほんの数分前まで、冷蔵庫の前で真剣な顔をしていたのに、もう夢の中だ。
なんて切り替えの早い生き物なんだろう。
私はベッドの端に腰かける。
「ねえ、退屈じゃないの」
私の一日は、長い。
学校で六時間。帰ってきて、宿題。スマホを少し見て、やめて。夕飯までの時間が、やたらと余る。
でも、しろの一日はどうだろう。
寝て、起きて、匂いを嗅いで、また寝る。
それだけなのに、退屈そうに見えない。
むしろ、満ち足りている。
私はしろの隣に横になる。
天井の模様が、ゆっくりと形を変える。
もしかしたら、しろは時間を数えていないのかもしれない。
昨日も今日も、同じ午後二時の光。
でも、匂いは少し違う。空気の温度も、私の気分も、全部少しずつ違う。
それを、全部ちゃんと感じているのかもしれない。
しろのヒゲが、私の頬に触れる。
くすぐったい。
私は目を閉じてみる。
音が大きくなる。
遠くで車が通る音。冷蔵庫の低い唸り。自分の呼吸。
しろの呼吸。
……同じ速さだ。
私はそっと目を開ける。
しろのまぶたが、少しだけ動いた。
夢を見ているのかな。
どんな夢だろう。
広い草原? 見たこともない鳥? それとも、ただの暗闇?
「今度、私にも見せてよ」
小さくつぶやく。
もちろん、答えはない。
でも、しろの尻尾が、私の腕に巻きついた。
偶然かもしれない。
でも私は、そこに意味を見つける。
しろは、世界を大きくしようとはしない。
窓の外に鳥がいても、必ず追いかけるわけじゃない。
ただ見て、満足する。
私はいつも、どこかに行きたいと思っているのに。
何者かにならなきゃいけない気がしているのに。
しろは、ただ、しろでいる。
夕方の光が、部屋をオレンジ色に染める。
時計を見る。
五時四十分。
そろそろ母が帰ってくる。
私は起き上がり、ノートを開く。
今日の最後の記録。
五時四十一分。尻尾が腕に触れる。意味は未解明。
ページをめくる。
空白が、まだたくさんある。
私はペンを置く。
たぶん、全部は分からない。
でも、それでいいのかもしれない。
しろが目を覚まし、ゆっくりと私を見る。
金色の目が、まっすぐ私を映す。
その中にいる私は、少しだけ、退屈じゃなさそうだった。
しろは小さく鳴く。
ごはんの催促だ。
私は立ち上がる。
「了解、調査継続中」
しろは何も言わない。
ただ、足元にすり寄る。
その柔らかさだけで、今日はもう十分だった。




