表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
The story’s (あるバスは決まりなく色んな街、色んな街に進いていて、 バスの窓から色んな場所色んな物語見て語る話)  作者: San


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

44/130

バルニンーグ 4

桜が咲いたあとも、その家は変わらなかった。


朝は静かで、

夜も静かだった。


ただ、庭の木だけが、

少しだけ存在を主張していた。


小さな花びらが、風で揺れる。


里母さんは、洗濯物を干すとき、

必ずその木を一度見る。


触れない。

撫でない。

ただ、見る。


その視線は、長すぎず、短すぎない。


僕は、それを何度か見て、

見ていないふりを覚えた。



僕はときどき、あの部屋に入るようになった。


最初は入口に立つだけだった。

次は、一歩入る。

その次は、窓を少しだけ開ける。


埃はほとんどない。

誰かが、時々、掃除している。


本棚の絵本は、少し古かった。

端が丸まっている。

何度も読まれた跡。


机の引き出しの中に、色鉛筆があった。

半分くらい、短くなっている。


何歳だったのかは、聞いていない。

でも、部屋の高さで分かる。


僕より、少し小さい。


裏に、小さく名前が書いてあった。


———


(僕はそれを読み、

読まなかったことにして、元に戻した。)


———


その日から、

僕はその名前を心の中で呼ばないようにした。


呼ぶと、

この家の静けさを壊してしまいそうだったから。



ある日、庭の桜の根元に、小さな石が置いてあるのに気づいた。


丸くて、白い石。


何の飾りでもない。

ただ、そこにある。


夕方、里父さんがその石の周りの雑草を抜いていた。


僕も黙って手伝った。


「ありがとう」


それだけ言われた。


その“ありがとう”は、

雑草のことじゃない気がした。



六月の雨の日。


家の中が少し暗い。


里母さんが、あの部屋のカーテンを外して洗っていた。


「湿気るとね、よくないから」


独り言みたいに言う。


僕はカーテンレールを押さえた。


二人で、黄色い布を外す。


干されたカーテンは、

風に揺れて、少し透けていた。


あの部屋は、その日だけ、

空っぽみたいに見えた。


でも、空ではなかった。



夕食のとき、

味噌汁が少ししょっぱかった。


里母さんは気づいていないふりをして、

何も言わなかった。


里父さんも、何も言わない。


僕も、何も言わない。


この家では、

“言わないこと”が、ひとつの会話だった。



ある夕食のあと、

里父さんが言った。


「来月、少し話がある」


その声は、穏やかだった。


僕はうなずいた。


驚きはない。


この家が、

永遠ではないことは知っている。


でも、胸の奥が、

ほんの少しだけ、重くなった。


その夜、

僕はあの部屋に入った。


机に手を置く。


ここに座っていた時間が、

どれくらいあったのか、想像する。


僕の時間は、まだ短い。


でも、重さは同じじゃなくてもいい。


そう思った。



別れの日は、晴れていた。


桜はもう葉だけになっている。


職員さんの車が止まる。


段ボールは一つだけ。


僕はあの部屋の前で立ち止まった。


ドアは開いている。


黄色いカーテンが揺れている。


机の上に、色鉛筆が置かれていた。


一本、短い青色が、少し転がっている。


僕はそれを、そっと元に戻した。


何も持っていかない。


代わりにはならない。


でも、

ここにいたことは、本当だ。


あの名前を、

最後まで口にしなかった。


それでいい。



玄関で靴を履く。


里母さんは、何も言わないで、

僕の袖のほこりを払った。


里父さんが、庭を見た。


「また桜、咲くからな」


僕はうなずいた。


来年、僕はいない。


でも、咲く。


それでいい。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ