表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
The story’s (あるバスは決まりなく色んな街、色んな街に進いていて、 バスの窓から色んな場所色んな物語見て語る話)  作者: San


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/134

バルニンーグ 3

施設に戻ってから、二週間が過ぎていた。


洗濯機の回る音。

廊下を走る足音。

夜、誰かが泣く声。


どれも、懐かしいというより、元に戻っただけだった。


僕はベッドに寝転びながら、

前の家のチョコレートの包み紙を指で折っていた。


なくならないものはない。

でも、完全に消えるわけでもない。


そのとき、職員さんが言った。


「次のご家庭が決まったよ」


僕はうなずいた。

驚きはなかった。

少しだけ、深呼吸をした。



その家は、郊外の静かな住宅地にあった。


庭に、小さな木が一本立っている。

まだ若い。

支柱で支えられていた。


玄関のドアを開けると、

柔らかい石鹸の匂いがした。


「いらっしゃい」


里母さんは、ゆっくり笑った。

その笑い方は、どこか慎重だった。


里父さんは、深く一度うなずいた。


家の中は整っていた。

静かで、きれいで、

少しだけ広い。


案内された二階の部屋は、八畳あった。

机と、本棚と、ベッド。


そして、廊下の突き当たりに、

もう一つドアがあった。


閉まっていた。


「そこは……物置なの」


里母さんは、ほんの一瞬だけ視線を逸らして言った。


僕は、何も聞かなかった。



最初の夕食は、カレーだった。


三人で向かい合う。

スプーンの音が静かに響く。


「学校はどう?」


「普通です」


「そう」


それ以上、広がらない。


でも、沈黙は重くなかった。

どこか、慎重なだけだった。


食後、里父さんが庭の木に水をやっていた。


「それ、何の木ですか」


初めて、自分から聞いた。


里父さんは少し驚いた顔をして、それから答えた。


「桜だよ」


春に咲く、と。


まだ小さいから、花は少ないけどな、と。


僕は、支柱に結ばれた紐を見た。

きつくもなく、緩くもない。



日々は静かに流れた。


朝、三人で食卓を囲む。

夜、「おやすみ」と言う。


この家では、誰も大声を出さない。

喧嘩もしない。

笑い声も、小さい。


ある日、廊下を歩いていると、

あの閉まったドアが少しだけ開いていた。


中は、薄暗かった。


机。

小さなベッド。

カーテンは、淡い黄色。


本棚には、絵本が並んでいた。


僕は足を止めた。


呼ばれていない。

でも、拒まれてもいない。


「……入ってもいいよ」


後ろから声がした。


振り向くと、里母さんが立っていた。


怒っていない。

でも、少しだけ震えていた。


僕は部屋の中に入った。


埃はない。

きれいだった。


まるで、誰かが今も使っているみたいに。


「昔、子どもがいたの」


それだけ言った。


それ以上は、言わなかった。


僕も、聞かなかった。



その日から、

その部屋のドアは、時々開くようになった。


僕が通るとき、

閉められることはなかった。


ある夜、リビングの棚に写真立てを見つけた。


小さな男の子。

桜の木の前で笑っている。


今、庭にある木より、

少し大きい桜。


僕は何も言わず、

写真を元の位置に戻した。



この家では、

僕は代わりではなかった。


それは分かっていた。


でも、完全に別の存在でもなかった。


食卓で、里母さんが時々、

僕の皿によそいすぎることがある。


そのたび、

「あ、ごめんね」と少し笑う。


僕は「大丈夫です」と言う。


たぶん、

誰かにも、同じことをしていた。



冬が来た。


桜の木は葉を落とし、

細い枝だけになった。


ある日、三人で庭に立った。


「春になったら、少し咲くよ」


里父さんが言う。


僕はうなずいた。


そのとき、初めて思った。


この家の中には、

四人いる。


僕と、里父さんと、里母さんと、

もう一人。


誰も口にしないけど、

確かにいる。


でも、それは怖い存在じゃなかった。


消えないものがあると、

知っている家だった。



春。


桜は、小さな花をつけた。


たくさんではない。

でも、確かに咲いた。


里母さんが、少し泣いていた。

声は出さなかった。


僕も、隣に立っていた。


何も言わなかった。


言わなくても、

分かることがある。


この家では、

悲しみは隠されていない。

ただ、静かに置かれているだけだ。



僕は、変わらない。


相変わらず、

深く踏み込みすぎない。

期待もしすぎない。


でも、

この家の空気は、

前より少しだけ、

胸に残る。


別れが来るかどうかは、まだ分からない。


でももし来ても、

ここには、

確かに僕がいた時間がある。


そして、

消えない誰かと一緒に、

僕も少しだけ、

この家の中に置かれるのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ