バルニンーグ 2
夏が終わる頃、僕はその家にもう半年近くいた。
テレビの音が消えない日もあったし、夕食後にリビングで延々と話す夜もあった。
小学生の弟は毎晩、ベッドで寝返りを打ちながら、誰かと笑い声を交わしている夢を見ているみたいだった。
中学生の姉は、宿題をしながらも、僕の顔をちらっと見て「大丈夫?」とだけ言う。
ある土曜の朝、僕はリビングで朝食を取っていた。
卵焼きを一口かじると、弟が目を輝かせて言った。
「ねえ、お兄ちゃん!今日、公園行こうよ!」
姉も顔を上げて、笑った。
「夏も終わるし、最後の海遊びって感じ?」
僕は、少しだけ迷った。
でも、返事をした。
「うん、行こう」
外に出ると、空は雲ひとつなく青く、海までの道には小石が転がっていた。
弟は僕の手を引いて走る。姉は少し遅れてついてくる。
波の音が遠くで聞こえる。
僕は少し、怖かった。水が苦手だから。
弟は笑いながら、腕を引っ張る。
「大丈夫って!お兄ちゃん、こわくないよ!」
本当に怖かったけれど、笑いながら流されると、恐怖が少しだけ薄れる。
その日の夕方、僕は砂まみれの靴を洗いながら、彼らの笑い声を思い出していた。
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秋になって、空気が少し冷たくなったころ、家の空気も少し変わった。
大きな声で笑う日もあるけれど、夜になるとみんな、リビングで小さな声で話すようになった。
姉は宿題をしながら、僕に小さなメモを渡した。「次の週、テスト頑張ろうね」
弟は、僕の靴下をそっと洗濯かごに入れてくれる。
里父さんは、夜の散歩に一緒に行くことを提案したりした。
その変化は、些細だけど確かにあった。
僕はそれを心の中で受け止めながらも、どこかで、まだ「いつか離れる」と思っていた。
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冬のある日、里母さんが僕に言った。
「あなたは、いつも真面目すぎるのよ」
僕は、少し笑って答えなかった。
本当は、その言葉が少しうれしかったから。
そして年末。
夜、みんなで鍋を囲んだ。
具材を箸でつまむ音、笑い声、テレビのざわめき、外の寒風。
全部が、一つの時間の塊だった。
その夜、布団に入って目を閉じたとき、ふと考えた。
ここにずっといたら、僕はどうなるんだろう。
ずっといることは許されるのか。
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翌朝、職員さんが迎えに来た。
「少しお話がある」
僕は、わずかに肩をすくめた。
泣きたい気持ちはなかった。
でも、少し寂しかった。
里母さんは、僕の上着のポケットに小さな袋を入れた。
開けてみると、チョコレートだった。
メモも手紙もない。
それが、あの家らしかった。
弟は「また来いよ」と言い、姉は照れくさそうに笑った。
「元気でね」とは言わなかった。
でも、声やしぐさの端々で、全部伝わった。




