表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
The story’s (あるバスは決まりなく色んな街、色んな街に進いていて、 バスの窓から色んな場所色んな物語見て語る話)  作者: San


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/124

The story’s 鏡に映る人 (読み切り)鏡に映る人を見る話し

朝、洗面所の鏡に映る自分は、少し眠そうな顔をしていた。

歯ブラシを口に入れた瞬間、視界の端で“もうひとつの動き”があった。


鏡の奥。

そこにいるのは、俺だった。


同じ寝癖。

同じように眠そうな目。

だが、そいつの背後には、見覚えのない部屋が広がっていた。壁の色も、洗面台の形も違う。


最初は寝ぼけているのだと思った。

目をこすっても、蛇口の水で顔を洗っても、奥の世界は消えなかった。


向こうの俺は、こちらを見ていない。

正確に言えば、こちらが“ある”ことを知らない。

普通に歯を磨き、普通に口をゆすぎ、普通にタオルで顔を拭いた。


俺が手を振っても、何も起きなかった。

その日は、それだけだった。


それから毎朝、鏡の奥に“別の人生”が映るようになった。


電車に乗る前、駅のトイレ。

学校の体育館の姿見。

ビルのエレベーターの鏡張りの壁。


鏡のある場所に立った時だけ、向こうの世界が見える。

向こうの俺は、ただの鏡に映る自分を見ているつもりらしく、こちらの存在に気づくことはない。


向こうの世界は、俺の世界とよく似ていた。

同じ制服。

同じ通学路。

同じように遅刻しかけて走る朝。


けれど、細部が少しずつ違う。

コンビニの位置がずれていたり、知らない店が並んでいたり、駅前の看板の文字が微妙に違っていたり。


ある日の放課後、ショーウィンドウの奥で、

向こうの俺は女の子と並んで歩いていた。


楽しそうに話し、

時々、視線を交わしている。


俺はガラスの前で足を止めた。

しばらく眺め、

人の流れに押されるまで、その場を動かなかった。


胸の奥で、何かがかすかに動いた気がした。

けれど、それが何なのか確かめる前に、

向こうの世界は人混みに溶けて見えなくなった。


それ以来、鏡を見るたびに、向こうの人生を“確認”するようになった。


就職活動で面接に落ちた日。

鏡の奥の俺は、スーツ姿で誰かに頭を下げていた。

雨に濡れた夜。

向こうの俺は、傘を差しながら誰かと並んで歩いていた。


画面越しのニュースを見るような距離感で、

俺はそれらを受け取った。


ため息をつくことも、

目を逸らすこともなく、

ただ、映像が切り替わるのを待つように立っていた。


俺の人生も、淡々と進んだ。


就職して、働いて、疲れて、

休日にまとめて眠るようになった。


誰かを好きになり、

言葉にする前に距離が離れ、

それでも生活は続いた。


鏡を見るたび、向こうの俺も、同じように年を取っていった。


少しずつ目の下に影ができ、

少しずつ動きがゆっくりになる。


ある日、駅のホームの鏡に映った向こうの俺は、

スーツの胸元に花を挿していた。


人に囲まれ、

何度も頭を下げている。


俺は、電車の到着を知らせる音を聞きながら、

それを最後まで見届けた。

ドアが開くと同時に、振り返らずに乗り込んだ。


時間が経つにつれて、鏡の中の世界を見る回数は減っていった。

見慣れたからなのか、

それとも、こちらの毎日で手がいっぱいになったからなのか。


それでも、たまに足が止まる。


ビルのトイレの鏡。

夜のコンビニのガラス。

エレベーターの静かな箱の中。


向こうの世界の俺は、年老いていった。

白髪が混じり、背中が少し丸くなり、

それでも、今日の用事をこなすように動いている。


その姿を見ながら、

俺はスマホの通知を消し、

次の予定を頭の中で整理する。


ある日、久しぶりに洗面所の鏡を覗いた。

向こうの世界には、もう誰も映っていなかった。


部屋だけが、そこにあった。

生活の痕跡を残したまま、

人の気配だけが抜け落ちた部屋。


次の日も、その次の日も、

鏡の奥に人影は戻らなかった。


俺は歯を磨き、顔を洗い、仕事へ行く。


それまでと変わらない朝。

それまでと変わらない足取り。


鏡の中に別の人生が映らなくなっても、

日々は同じ速度で流れていく。


ある夜、風呂上がりに曇った鏡を手で拭いた。

そこに映ったのは、

年を取った自分の顔だけだった…


しばらく見つめてから、

俺はタオルを肩にかけ、電気を消した。


きっと明日にも

鏡には相変わらず

その時の自分は映る

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ