The story’s map 2
気づいたときには、指が動いていた。
あの人の背中は、まだ画面の中にあったはずなのに、ほんのわずかな操作で、景色は簡単に流れていく。建物が遠ざかり、道がほどけて、街の輪郭が曖昧になっていく。
追おうと思えば追えたのに。
なぜか、追わなかった。
指はそのまま、別の場所へと滑っていく。
海を越える。大地をなぞる。雲の影がゆっくりと動いている。その下にあるどこかの街へ、意味もなく近づいていく。
どこでもよかった。
ただ、さっきまでとは違う「誰か」を見つけたかったのかもしれない。
画面を少しずつ拡大していく。
道路が見える。建物が見える。人影が点のように動いている。
その中で、なぜか一箇所だけ、動きの少ない場所があった。
小さな店だった。
通りに面していて、ガラス張りの入口。看板はあるが、文字までは読み取れない。
ただ、その前に並んでいるものが、目に入った。
花だ。
色とりどりの花が、店先に並べられている。
それなのに、通りを歩く人たちは、ほとんど立ち止まらない。
視線を向けることすらなく、通り過ぎていく。
その店の中に、一人いた。
椅子に座っている。
背筋は伸びているのに、どこか力が抜けているようにも見える姿勢。
膝の上に手を置いたまま、動かない。
ただ、前を見ている。
店の外では、風が花を揺らしている。
花びらがかすかに震え、葉が擦れ合う。
それに気づいたのか、その人はゆっくりと立ち上がった。
店の外に出る。
一つ一つの鉢に手を伸ばし、少しだけ位置を整える。
ほんの数センチの調整。
それを、丁寧に繰り返す。
整え終わると、また少し離れて全体を見る。
何かが気に入らなかったのか、もう一度同じ花に手を伸ばす。
その動きが、やけに静かだった。
急ぐ気配も、面倒そうな様子もない。
ただ、同じ作業を繰り返しているだけなのに、その一つ一つが、妙に意味を持っているように見える。
誰も見ていないはずなのに。
通りを歩く人の足音は聞こえない。
車の音も、話し声も届かない。
それなのに、静けさだけは伝わってくる。
その人は、花の葉を一枚、指で軽く撫でた。
枯れかけている部分を見つけたのか、少しだけ顔を近づける。
そして、迷うように手を止める。
摘み取るのか、そのままにするのか。
ほんの数秒の沈黙。
やがて、そのまま手を離した。
摘まなかった。
理由はわからない。
ただ、その選択が、小さく残った。
また椅子に戻る。
同じ場所に座る。
同じ姿勢で。
時間が、ゆっくりと過ぎていく。
影が、少しだけ動く。
花の色も、光の加減で変わって見える。
それでも、店の前を通る人は、ほとんど足を止めない。
一人だけ、立ち止まった人がいた。
少しだけ花を見て、値段を確認するように視線を落とし――
そのまま去っていく。
何も起きない。
何も変わらない。
それなのに、なぜか視線を外せなかった。
その人は、何度も同じように花を整え、同じように座り、同じように前を見ている。
まるで、その場所に時間が留まっているみたいに。
けれど、完全に同じではない。
ほんのわずかに、動きが違う。
手の止め方。
視線の落とし方。
立ち上がるまでの間。
そのすべてが、少しずつずれている。
その“ずれ”を、ずっと見ている。
気づけば、どれくらい時間が経ったのか、わからなくなっていた。




