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復讐の絃  作者: 彷徨いポエット
第壱章 紡がれ始めた復讐
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5 新たなる怨痕

 秋綱は普段よりも少しだけ早く、城を辞すると、一振りの刀を手にした。

「柄の長さ、刃の長さ、重心の位置、全て昂殿に似合いだ」

 そう呟き、軽く鞘走りを確認するかのように抜き差しをし、小さく頷くと、それを買いつけた。

「昂殿は受け取ってもらえるだろうか」

 それだけが疑問として残り、そのまま自分の屋敷の門を潜り抜けた瞬間、その空気の『異常さ』に気が付いた。

――なんだ……?

 軽く鉄を思わせる、嫌な臭いが秋綱の鼻をついた。

――これは、血の臭い……。それに……。

 死臭。それに思い至った瞬間、秋綱は刀を抜いて、屋敷の中を走り出していた。

――何が、起きている?

 屋敷の中に飛び散る、暖かさを持った、真っ赤な鮮血。そして、至る所に無造作に捨てられた肉塊。それが朝、屋敷を出るまでは人の形をして動いていた。

――一体、何が……?

 秋綱が走り抜ける中、ようやく人の形をした女中を一人、見つけた。

「だ、ん、な、さ、ま……」

「何が、何が起きた!」

 恐怖の表情を浮かべたまま、途切れ途切れに声を出す女中の肩に手をかけ、声を張り上げた瞬間、その女中の身体が無数の肉塊となって崩れ落ちた。

「な……!?」

 驚きの声を上げた瞬間、屋敷の奥で小さな音が響いた。

「栞様!」

 秋綱が音のした部屋の主の名前を叫び、すぐさまその襖を大きく開いた。

「存外に早かったな」

 全身を返り血で真っ赤に染まった昂が、愉悦に浸った声を秋綱にかけた。

「昂、殿……?」

 そこに立つ昂の姿が、それまで見てきたどの姿より鮮烈に見えた。そして、秋綱の視線の先が昂よりも奥に注がれた瞬間、秋綱の中で何かが音を立てて崩れ始めた。

「俺に餞別があったのだろう? だから、俺もお前に餞別を残す事にした」

 昂がそう言いながら、自分の後ろにあるそれ(・・)から拭い取った鮮血を舐めた。

「栞、様……?」

 秋綱は自分の目を疑った。視線に映るのは、一糸纏わぬ姿で両手を縛られたまま、宙に吊り下げられた栞。そして、大腿部から爪先に向かって流れ出る、赤い液体。それが滴り落ちる先にある、赤黒い物体。

――胎児……。

 頭の中でその考えに至った瞬間、秋綱は言葉にならない『声』を発していた。

「そうか! 嬉しいか! 気に入ったか! そうだろうよ! これは、お前の為に用意した、俺からの餞別の品だからなぁ! それだけ喜んでもらえて嬉しいぞ!」

 昂が気に入った玩具を遊ぶかのような声で言葉を綴った。

「何を……」

 秋綱の震えた声に、昂は両肩を震わせた。

「貴様、栞に何をしたぁ!」

 秋綱の絶叫を聞き、昂は更に笑い声を付け加えた。

「何が可笑しい!」

「可笑しいさ! 今更、この状況を見て『何をした』だと? 決まっているだろう? 胎児を引きずり出してやっただけだ!」

 昂がそう言った瞬間、秋綱は刀を上段に振り上げた。

「昂! 貴様ぁ!」

 激情と共に振り下ろされた斬撃が、昂の額に当たる直前で大きく跳ね返された。

「な、に……?」

 驚愕の声を上げた瞬間、夕日が部屋の中を一層赤く染め上げた。そして、その陽光の中で、秋綱は昂の周りに張り巡らされた、蜘蛛の糸程も無い、細い絃を照らされているのを見た。

「これは……」

「やめておけ。今のお前では俺に勝てんよ。確かに剣の技量であれば、或いはお前の方が勝っているかもしれん。だが、今の俺にある技業は剣技にあらず……」

 そう言いながら、昂の指先が虚空を踊った。そして、次の瞬間、秋綱の腰に差さった刀の鞘が音も立てずに畳に落ちた。

「この『絃の結界』に守られた俺に、お前は何も出来んよ」

 昂はそう言うと、虚ろな瞳で虚空を見る栞の顔に指を触れた。

「何故だ……?」

 秋綱の震えた声に、昂は栞から指を離した。

「十五年前、俺はお前に同じような質問をしたな……?」

 疑問では無く、確認を取る様に声を出すと、秋綱の表情が微かに震えた。

「お前は答えてくれなかったが……」

 秋綱が息を呑み込むと、昂は満足そうに頷いた。

「だが、俺は答えてやろう!」

 両手を広げ、昂は大々的に宣言をした。

「復讐だ!」

 笑い声を上げながら、昂はそう叫んだ。それは秋綱が予想をし、そして、最も望んでいなかった答えだった。

「何故……」

 震える声を抑えようとせずに口を開く秋綱に、昂は見世物を見るかのように、笑いを止めた。

「何故、栞を巻き込んだ!? 俺一人を殺せばいいだろう!? 何故、関係の無い、栞を巻き込んだ!?」

 その言葉に、昂は静かに首を横に振った。

「瑞希に来るまではそのつもりだったさ。だが、お前に嫁ぎ、あまつさえ、お前の子を孕んでいるとなれば、話は別だ!」

 昂は声を荒げると、栞の大腿部から流れる液体を指で掬い上げ、栞の頬に触れた。

「この十五年、お前を苦しめる事だけを考えて生きてきた。ほんの刹那の時間さえ、それを考えなかった時間は無い」

 鮮血で栞の頬を赤く染める。

「栞から手を離せ!」

 鮮血が栞の白い肌を赤く染め上げる中、秋綱が鋭い突きを放った。だが、それさえも余裕を持ってかわすと、何事も無い様に昂は言葉を発した。

「確かにお前を殺せば、それで済むだろう。だが……」

 一瞬だけ言葉を切ると、憎悪に満ち溢れた視線を秋綱に叩き付けた。

「俺と同じ苦しみを味わってもらわねば、俺の気が晴れぬ!」

「それだけで……」

 震える声に昂は愉悦に溢れた笑みを浮かべた。

「それだけで、栞を傷つけたのか!? 誰よりも貴様を信じた栞を!」

 秋綱の言葉に昂の肩が震えた。

「無論、それだけではないさ……」

 少しだけ憂いに満ちた、しかし、それを上回るだけの憎悪を抱いた表情を浮かべ、昂は言葉を綴った。

「な、に……?」

「俺が気付かぬと思うか? 毒を渡して主筋を謀殺した。その謀を問い詰めた俺を、お前は斬った。それだけの事をしながら、何故、守矢の家は潰れぬ? 答えは簡単だ……」

 昂の言葉に、今度は秋綱の肩が震えた。

「貴様、それ以上……」

「言わせてもらうさ! 主筋を謀殺! 本来ならば潰されて当然の事をしながら、お前は瑞希の……栞を妻に娶った! 父上と母上の死に瑞希の本家が関わっているのは、一目瞭然だ!」

 吐き捨てる様に声を張り上げると、昂は栞に視線を移した。

「それでも、栞だけは例外にするつもりだったさ……。そう、栞だけは……」

 微かに光の戻った栞の目を見ると、昂は静かに首を横に振った。

「お前の子さえ、孕んでいなければなぁ!」

 再び声を荒げると、昂は足元の胎児を踏みつけ、秋綱に振り返った。

「昂ぉ!」

「どうだ? 目の前で愛する者が奪われていく感覚は……? 心が引き裂かれる程に痛いだろう? 身が切り裂かれるよりも痛いだろう……? そして……」

 昂は一旦声を落とすと、大きく唇を歪めた。

「最高の気分だろう!」

「貴様ぁ!」

 昂が声を張り上げた瞬間、秋綱の中で何かが弾けた。

五月蠅(うるさ)い」

 そう言いながら、昂が左手を動かした瞬間、秋綱の身体が何かに縛られたかのように動きを止めた。

兇螺流傀儡(くぐつ)術……鬼神縛」

 僅かに唇を動かして、そう告げると、昂は歩き出した。

「貴様……」

「心配するな。今はまだ、お前の命を欲しいとは思わぬ。その絃も、半刻も過ぎれば切れ落ちる。だが、それまで栞が生きているかどうかは微妙だな」

 昂はそう言うと、秋綱の頬に手を触れた。

「そうだ! その顔だ! 今のお前の顔は最高だ! この十五年、その顔を、その表情を見る為だけに、地獄の中を彷徨い続けた!」

 狂気に満ち溢れた声で、昂は笑い続けた。

「あぁ、本当に、心が洗われる気分だ……。本当に、気持ちが良い……」

 恋慕さえも思わせる口調に変わると、昂は秋綱の耳元で静かに呟いた。

「今日、この時間より先、お前は孤独と知れ。誰かと親しくなれば、皆一様に、この屋敷にいた人間と同じ運命を辿る。お前は失意と絶望の中で、この俺を捜し続けるのだ」

「貴様、貴様、貴様ぁ!」

 秋綱の怨嗟の声を心地よい風を受け止めるかのように聞くと、昂はもう一度声を大きくして笑い出した。

「いいぞ、秋信。俺の半分でも苦しみを味わうがいい……。それこそが、お前に出来る償いだという事を知るがいい……」

 昂は高笑いと共に沈んだ夕日の中へと姿を消していた。

「昂ぉ!」

 残された秋綱の絶叫だけが、屋敷の中を大きく震わせていた。


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