表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
復讐の絃  作者: 彷徨いポエット
第壱章 紡がれ始めた復讐
5/25

2 伏せる憎悪

 陽が空を赤く染めていく中、秋綱は自分の屋敷の門を通り抜けた。

「……ん? 誰か客人か?」

 秋綱は見慣れない作りの足袋を目に止め、足も止めた。その姿を見て、小間使いの少年が慌てて秋綱の傍に走り寄り、急いで頭を下げた。

「あぁ、ご主人様、お帰りなさいませ!」

 謝罪の声を上げる少年に秋綱は軽く手を上げた。

「よい。それよりも誰ぞ客人か?」

「あ、はい。奥方様の古い知り合いとの事でございます」

 少年の言葉に秋綱は首を傾げた。

「栞様の? はて、そのような方がおられただろうか……」

「奥方様はお客人を『兄様』とお呼びになられていました。ですが、お城のお殿様でない事は……」

 秋綱が疑問に答える少年の声に、秋綱は弾かれたかの様に走り出していた。

――まさか……。

 栞が『兄』と呼ぶ相手はたった二人しかいない。それを知っているが故に、秋綱の頭は混乱していた。

――そんな筈は……。

 混乱した頭で、それでも幾つもの答えを探そうとした。

――確かに斬った……。私が、この手で……。

 秋綱は息を切らしながら、栞の部屋の前まで来ると、そこで初めて呼吸を整えた。

――生きているのなら、何故……。

 そう思いながら、部屋の中を窺った。時折、相槌を打つかのような静かな男の声に、栞の楽しそうな声。それは十五年前には『当たり前』だった筈の響きだった。

「……栞様、秋綱でございます」

「あ、秋綱様? 申し訳ありません、もう、お帰りの時間でございましたね。さ、お入り下さい。今日はとてもいい事がありました!」

 栞の謝罪と喜びの声に、秋綱は部屋の襖を静かに開けた。

「久しいな、秋信。いや、秋綱、だったな……」

「昂、さ、ま……?」

 秋綱は静かに掛けられた男の声に、掠れた自分の声を耳にしていた。

「生きて……おられたのですか……?」

「少なくとも、死んでいたのなら、今、この場にはおらぬ」

 小さく込められた皮肉の声が、秋綱の心に斬りかかった。

「昂兄様!」

 それを咎めるかのような栞の声に、昂は湯飲みに口をつけ、小さく喉を鳴らすと、それを畳に置いた。

「いや、すまぬ。やはり十五年ぶりの『再会』とやらが美しいとは限らぬ」

 昂はそう言うと、秋綱に視線を移した。

「もう……。さ、秋綱様もお座り下さい」

 栞の声に促されて、ようやく秋綱は昂の正面に腰を下ろした。

「色々と聞きたそうな顔だな」

 秋綱の表情を見て、昂が感情の無い声を出した。

「何故、でございますか?」

 秋綱の口から自然と零れた声に、昂は静かに目を閉じた。

「それは、どういう意味だ?」

「両方でございます」

 昂の言葉の真意を推し量ったかの様に秋綱は切り替えした。

「秋綱様……?」

 不思議そうな顔をする栞の声に、昂は目を開くと、今度は畳に視線を落とした。

「そう、だな。すぐに帰って来なかった理由は『愚かな自分』を見つめなおすだけの時間が欲しかったからだ。そして、今頃になって帰ってきた理由は『ようやく割り切れる』と思えるようになったからだ。それでは答えにならんか?」

 昂がそう言うと、秋綱は微かに頷きかけ、そのまま首を横に振った。

「……そうではありません。私は、この十五年、ずっとあなたに謝りたかった……。父の愚かな姦計に踊らされ、この手で……」

 秋綱は自分の両手に視線を落とし、両手を握り締めた。

「この手であなたを斬った、そんな自分が……」

 その言葉の途中で昂は静かに秋綱に向け、手を差し出した。

「よせ。俺は水に流す。そう言っているのに、蒸し返すつもりか?」

「しかし……」

 それでも言葉を続けようとした秋綱に、栞が大きく手を叩いた。

「秋綱様? せっかく会えたのです。もう、ご自分を責めるのはおやめ下さい。今宵は再び会えた事だけを祝いましょう」

「そうでございますな……」

 秋綱は静かに頷くと、軽く手を数回叩いた。それを合図に、しばらくして夕餉が運ばれてきた。

「して、昂様はこれから何か予定でもありますか?」

 酌を勧めながら、秋綱はそう切り出した。

「いや。予定は無い。目的みたいな物はあるがな……」

「目的、でございますか?」

 秋綱の問いに昂は酒を口にしながら、小さく頷いた。

「あぁ。俺は既に死んだと思われた身だ。そのお陰で自由に動ける」

「自由に、でございますか?」

 昂の言葉に栞が反応した。

「俺はこの十五年で『葉月昂』ではなく、ただの『昂』という人間になった。それは俺という人間にとって、瑞希の外戚という名前の見えない鎖から放たれ、自由にこの大陸を歩く事が出来るようになったという事だ。それは、父上が望んでいた事でもあった」

 栞の声に律儀に応えると、昂は再び酒を口にした。

「雪綱叔父様が、ですか?」

 栞が疑問の声を出すと、昂は頷いた。

「父上は元服をしたら自由に生きろ、と言っていた。瑞希の外戚ではなく、葉月の家を継ぐだけでいい。そう言われた」

「昂兄様……」

 昂は静かに笑みを浮かべると、秋綱に視線を移した。

「あの頃は『葉月』という名前さえも重かった。そして、今の俺には『昂』という名前があればいい。そう思えるのに十五年もかかった。だから、俺は瑞希に戻ってきた。ここから、ただの『昂』という人間が旅立つために、父上と母上に伝えておきたかったからだ」

 昂がそう言うと、秋綱は意を決したように頭を下げた。

「昂様……」

「なんだ、秋綱?」

 昂が静かに問うと、秋綱は頭を上げる。

「急ぐ旅でございますか?」

「いや、急いてはおらんな。だが、長く留まるつもりも無い。少なくとも、瑞希の中だけでも半年はかかる。大陸を見て巡るだけでも、半生を費やすかも知れん」

 昂はそう言うと、杯を置いた。

「世界は広い。俺はそれが見たい」

「では、しばらくで構いませぬ。我が家に逗留下さい。部屋は用意いたします」

 秋綱の言葉に栞が同意をするように、満面の笑みを浮かべた。

「……そうだな。考えてもいいが、一つの条件がある」

 昂がそう言った瞬間、秋綱の肩が震えた。

「そう硬くなるな」

 昂はその様子を見て、苦笑を浮かべた。

「簡単な条件だ。俺を『昂様』と呼ぶ事だけは止めろ。言葉使いを直せと言って、聞くお前だとは思わんが、俺とお前は十五年前に『主従関係』は断ち切れた。お前に『様』をつけられる謂れも、資格も無い」

「……昂兄様」

 栞が安堵の笑みを浮かべると、昂はそれに答えるかのように頷いた。

「わかりました……。では、昂殿、でよろしいですか?」

「あぁ、それでお前が納得するのであれば、それでいい」

 秋綱の言葉に昂は静かに答えた。


 布団に入った秋綱は隣で横になりながら、嬉しそうに今日の出来事を語る栞の髪を指先で掬い上げた。

「どうなされましたか?」

 不思議そうに問う栞に、秋綱は僅かに首を振った。

「私は不安なのです……」

 天井を見上げ、秋綱は静かに声を出した。

「不安? 何が、ですか?」

 再び疑問の声を上げる栞に、秋綱は目を閉じた。

「昂殿はああ言われましたが、果たして、本当にそうなのか、と……」

「昂兄様は水に流す、と……」

 目を開くと、秋綱は首を横に振った。

「私はこの手で昂殿を『斬った』のです……。そして、それだけならばいざ知らず、昂殿の『一番欲しかった物』まで手に入れてしまった……」

「昂兄様の『一番欲しかった物』ですか?」

 秋綱は軽く栞の頬に触れると、しっかりと栞の顔を見つめる。

「栞様、あなたです」

 栞が目を丸くすると、秋綱は再び天井を見上げた。

「昂殿から見れば、私は『両親の仇の息子』で『愛した人間を奪った恋敵』です。私が同じ立場に立った時、私が同じ台詞を言えるとは思えません……」

 秋綱の言葉に栞は優しく自分の頬を触れる手に、自分の手を置いた。

「栞様……?」

「仕合を……」

 一旦言葉を切ると、栞は静かに笑みを浮かべた。

「仕合を申し込んでみてはどうでしょうか? お二人は昔、それでよく分かり合えたのではありませんか……」

「仕合、ですか……」

 秋綱は栞の手の感触を感じながら、少しだけ考える時間を置き、やがて頷いた。

「そうですね。栞様の言われる通りです。確かに昔から、私たちはそれで分かり合えていました。明日、仕合を申し込んでみます」

 目を閉じる秋綱に栞は微かな笑みを浮かべ、同じ様に目を閉じた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ