9.副業おたすけ屋さん(3)
「なあに?」
「えっ。あっ」
スモモが首を傾げて、トタンはようやく、自分がスモモを見つめすぎていたことに気づく。
「ご、ごめんなさい。なんでもないですっ」
「そ? まあ、見つめたいなら見つめたいだけ見つめてていいよ。トタンちゃんかわいいから大歓迎!」
——たぶん、いろいろと考えすぎだ。
この能天気さでスパイが務まるわけないし、ましてや英雄なんてもっと務まるわけがない。
トタンは、自分をそう納得させることにした。
スモモが何者かよりも、いまは自分のことを考えた方がいい。
盗まれた物は、学生証と自宅の鍵。
学生証には顔写真と学籍番号と名前くらいしか載っていないが、簡易身分証として使用できるため、どこかで悪用されたら厄介だ。
自宅の鍵の方は、帰宅後すぐ家族に相談し、錠前ごと取り換えれば問題ないはず。
お金はかかってしまうけど、最近は店の方でも窃盗が繰り返されているから、これくらい用心しておいて損は————ん?
トタンは心のなかで首を傾げた。
何度も何度も盗まれてうんざりだ、と父親が愚痴を言ってたことを、いまさら思い出す。儲かっているから、嫌がらせをされているに違いない、とも言っていた。
——これ……スパイとか英雄とかそんなのまったく関係なくて、実はうちの家業側の問題だったり? そうなると、スモモさんはわたしに巻き込まれただけ?
その可能性を否定してほしくて、トタンはふたりにこの件を伝えようと口を開く。
しかし言葉を発したのは、バウディッド先生の方が早かった。
「ひとまず、今日はここまでとしましょう。私はいまから、おふたりのご家族に電話で事情を伝えてきますが……なにか、あなたたちから伝えたいことはありますか? お迎えを頼むとか」
「あ。うちはいま仕事中で家にだれもいないと思うから、かけなくて大丈夫! 自分でちゃんと話すよ!」
「いえ、こういうことは、教師の口からきちんと……」
「じゃあ今日話して、家族がセンセからも話を聞きたいって感じだったら、こっちから電話させる!」
「……ではせめて、手紙を渡してもらいたいので、しばらくここで待っていてください。トタンさんのおうちはどうですか? たしかご家族はお店を経営されているという話でしたが……」
「あ……はい。父はそうですけど、母は家にいると思います。でも、迎えを呼んだりとかはしなくて大丈夫なので……」
「わかりました。では、トタンさんもスモモさんとともに待っていてください。お母様から伝言を承るかもしれませんので」
「はい」
先生は足早に面談室から出て行った。
店での窃盗の件は伝えそびれてしまったけれど、電話で話すのであればバウディッド先生は母からそれを聞くかもしれない。
ならば、とトタンはスモモに向き直った。
「スモモさん」
「ん? なあに? また見つめたくなっちゃった?」
「いえ、あの、そうじゃなく。先に謝っておきます。ごめんなさい。もしかしたら今回の件、わたしのせいでスモモさんが巻き込まれたのかもしれなくて」
「……んん?」
スモモがぱちくりと瞬いた。
よくよく見れば、まつ毛が長い。くるんと上を向いていて、ハリがあって。
髪や肌もそうだ。ハリがある。艶がある。
若いからというだけじゃなく、きちんと手入れされているのだろう。
粗野な振る舞いも多々見られる彼女だが、なるほど黙って座っていれば、裕福な家庭で大事に育てられた一級品だ。
自分のような、ここ最近になってそれっぽい外見になるよう繕い始めた人間とは違う。トタンはなんとなく、そう感じ取った。
「なんでトタンちゃんが悪いみたいな話になってるの? まさか本当にスパイ?」
「ちっ、違います! もし本当に白百合姫様の部隊が動いたっていう話だったとしても、それは誤解です! 誓って、白百合姫様に誓って、わたしはスパイじゃありません!」
「うん、まあ、だよね。勘だけど、なんとなくそんな感じ。それに、あんなあからさまに荒らした跡を残すやり方は、姫さまのとこの人はやんないと思うから……だから、わたし的には噂を信じた同級生からの嫌がらせかな? って考えてたんだけど」
「……そ、そうなんですか? 嫌がらせ……。そっか……。そっちの方が、可能性高いのかな……?」
「むしろ、トタンちゃんがわたしを巻き込んだ可能性って、どんな?」
「……ええと」
それから、トタンは店の恥だと理解しつつも、己が知っている大まかな事情をスモモに話した。
そして、時折相槌を打ちながら聞き終えたスモモは、なぜかトタンの手をとり。
「よーし! そういうことなら、行こう!」
と、本当になぜか、バウディッド先生の『待っていてください』という言いつけを破ることになってしまったのだった。
◇
「困ったときは、ここだよね!」
ほとんどスモモに引きずられるようにして連れて来られた先。
それは、『おたすけ屋さん』という看板を掲げた、青い屋根の小さな一軒家だった。
人通りの少ない裏道。いくら看板を掲げていても、目につかないのであれば集客は望めないだろう。
——しかし。
「こ、ここって……!」
トタンはこの場所を知っていた。
というより、噂好きな人間ならだれでも知っている場所だった。
「真白部隊が裏で関わっているっていう、あの……!」
白百合姫直轄部隊が経営しているのではないかと囁かれているお店。
窓がひとつもないせいで中の様子が一切うかがえず、また、用のない、好奇心を満たすためだけに訪れた人間には扉を開けることができないという噂もあるお店。
そんな、実は密かに『いつか』なんて願っていた場所に、トタンは来てしまっているのだ。
「さ、れっつごー!」
「あわわわ……こ、心の準備が……!」
スモモはトタンの手を握ったまま、意気揚々とおたすけ屋さんの扉を開く。
——まさか、英雄とのご対面……!?
ドキドキと高鳴る胸を抑えつつ歩を進める。
そうして、トタンの目に飛び込んできたのは。
「わあぁ…………んん?」
意外にも——いや、外観からすれば相応に質素な、カウンターとイスのみしか置かれていない店内だった。
そして、そのカウンターに突っ伏すようにして寝息を立てている少女がいた。
感嘆の声を飲み込んだトタンは、少女をじっと見つめる。
適当に結ばれたポニーテール。サイズが合っていなさそうな、何回も袖を折られた白衣。
顔は伏せられているからまだ確認できないが……彼女が英雄なのだろうか?
「ヤーナ、お客さんだよ~」
少女に近づいたスモモが、ためらいなくその肩を揺らす。
ヤーナ。少女の名前か、とトタンは考える。どうやら、ヤーナとスモモは知り合いであるらしい。
「んー……」
小さく呻いたヤーナは、スモモの手から逃れるように身じろぐ。
負けじとスモモは、さらに強くヤーナを揺らした。
「さすがにお客さん無視は庇えないよ。リーダーに怒られてもいいの?」
「んんー……んー…………スモモが言わなければ、バレない……」
ヤーナは、すでに起きてはいるようだ。
「や、わたしが言わなくても、リムククがいるし」
「うん。あたしがサボりを見逃すと思う?」
「えっ!?」
トタンはすばやく横を見る。
するとそこに、本当にいつの間にか、丸い帽子をかぶった見知らぬ女の子が立っていた。
ここに入ったのは、たしかにトタンとスモモだけで、なかにいたのは、たしかにヤーナだけだったはずなのに。
驚きのあまり『だれ?』と問いかけることもできないトタンとは違い、スモモが動じた様子はない。それは、ゆるりと体を起こしたヤーナも同じだった。
ヤーナは眠たげな目を帽子の女の子に向けると、にんまりと口角をあげた。
「今日もスモモのストーカー? おつかれさま」
「すっ……!? 最悪な言い方しないで! リーダー命令だからやってるだけ! あたしだって、サボれるならサボってる! ヤーナと一緒にお昼寝してる!」
「ストーカー、楽しんでるくせに?」
「楽しんでるわけないでしょ! いろんなヤツにかわいいかわいい言ってるスモモを見るのなんか!」
「ほら、楽しんでる。愛されてるね、スモモ」
「んへへへ。でも、リムククが愛してるのは、ヤーナもだよ」
「うん、知ってる」
「なんでそんな話になるの!」
ポンポンと小気味よく交わされる会話から察するに、三人の仲は相当いいらしい。
ほんの少し疎外感を覚えつつ、トタンはいまだ繋がれたままだったスモモの手を引いた。
「あっ、そうそう、トタンちゃん。この子のお話、聞いてあげてほしくってね」
スモモはトタンの手を離し、代わりに一歩前へ出ることを促すように、トタンの背に手を添えた。
「トタンちゃんには、さっきの話をもっと詳しくこの子たちにも話してあげてほしいんだ。こっちがヤーナで、こっちがリムクク。で、まあもうわかってると思うけど————わたしたち三人は、この『おたすけ屋さん』の店員なの」