6.学校への潜入(6)
——重い。
やはり向こうの身体能力も、おかしなことになっている。
スモモはとっさに剣をヘアピンへと戻し、空いた右手でも盾を握った。
そして、先ほど強打した脇腹と背中が痛むのも構わず、渾身の力を込める。
「うぉぉおお————りゃあッ!!」
盾がハンマーを押し返す。
ジュジュの体勢が崩れる。
きっと、スモモと同じ世界から来た彼女は、力負けしたことがなかったのだろう。目を丸くしている。
異世界に来る前から運動が得意だったスモモの身体能力——とくに腕力は、同じ世界出身者のなかでも突出しているのだ。
その力でもって、スモモはジュジュの腹部に盾を叩き込んだ。
「か、はッ——」
地面を抉るように沈んだジュジュは、ハンマーから手を離す。
スモモはそれを、彼女の手の届かないところへと思いきり蹴り飛ばした。
これでもうジュジュに勝ち目はない——いやだから、気を抜いちゃダメだ。
スモモはもう一度ヘアピンを剣へと変化させ、横になっているジュジュの首筋へと突きつけた。
「抵抗しないでね。殺したいわけじゃないんだから」
「…………ひっ……うっ……」
「えっ」
ぼろぼろと。
喉を引き絞るような嗚咽とともに、ジュジュが号泣し始めた。
剣を突きつけているせいか身じろぎひとつせず、手で頬を拭うことすらせず、ただただ涙をこぼし続けている。
痛ましいその姿に、けれど剣を引くこともできず、スモモは「あっ、あっ」とうろたえた。
「ごご、ごめんね! 強すぎたかな!? でもあの、だって仕事だし、わたしも痛くしたかったわけじゃなくってね……!」
「……どうして……」
小さな声。
それを聞き逃さないために、スモモは口を閉じる。
「あたしとあなた、どうしてこんなに違うんですか……。あたし……あたし、なにがいけなかったの……。どうしてあたしばっかり……」
スモモも釣られて泣いてしまいそうだった。
ジュジュの泣き顔が、かつて見た親友の泣き顔——鯨うみの泣き顔と酷似していたからだ。
『どうして』『なんで』『帰りたい』——そう言っていたうみの気持ちに共感できなかったスモモは、気の利いたことなんてなにも言えず、ただ彼女を抱きしめることしかできなかった。そんな昔を思い出す。
「……殺して」
しかしそれは、親友が言ったことのない言葉だった。
「あたしばっかりこんなに苦しいなら、死んだ方がマシじゃないですか……!!」
帰れないなら、死んだ方がマシ——なんて。
まさか、そんなこと親友は言わない。
言わないけれど……思っていたとしたら?
ジュジュとうみを重ねたスモモは、動揺してしまった。
その隙を見抜いたのか、ジュジュが体を起こす。
「殺してくれないなら、自分で死にます!」
刃先がジュジュの首に触れ、真っ赤な鮮血が流れる。
「ちょっ……!」
焦ったスモモは剣を引いた——が、ジュジュが刃先を掴んで、それを阻止した。
「べつに敵なんだからいいじゃないですか! どうせあたしなん————」
パン、と手を打ち鳴らしたような音が響いた。
途端に、スモモの剣を掴んでいたジュジュの手が離れ、彼女は再び地面に横たわる。
そしてそのまま目を閉じ、動かなくなってしまった。
「…………ジュジュちゃーん?」
スモモはそろりと彼女の顔をうかがう。
半開きになっている口からは微かに呼吸音が漏れていた。
意識はない。けれど生きてはいる。
この突飛な現象の原因に、心当たりがあった。
「怪我、してない?」
「うわっ、いつの間に!?」
声に驚いて振り向くと、リムククが立っていた。
幼児と女性は連れていない。頼んだ通り、公園の外あたりまで送り届けてくれたのだろう。
「さっすがリムクク、仕事がはやすぎてびっくりした。……ね、いまのってアステティ?」
「うん。お昼の後始末を手伝ってもらってから一緒」
「そっか……」
——アステティ。
リムククと同じく、スモモの仲間のひとりだ。
彼女はスモモの理解が及ばない、魔法はびこる世界の出身。
これも睡眠魔法だか気絶魔法だかの仕業だろう、と検討をつける。
きっと、アステティが魔法を解除するまでジュジュは目を覚まさない。そしてアステティは、ジュジュを牢に入れるまで解除してくれないだろう。
もうちょっと話してみたかったんだけどな、とスモモが思っていると。
「また目移りしてる。情報収集以外で敵と会話なんてしない方がいいよ」
そう言いながら、リムククがジュジュを持ち上げた。
「わたしが抱っこしよっか?」
「ヤ。目移りしてる人になんか渡さない」
「……目移りっていうか」
恐らくリムククは、声をかける少し前からこの場に戻っていたのだろう。
そしてスモモとジュジュのやりとりを見て、会話を聞いて、スモモがジュジュに同情していると感じたのかもしれない。もしかすると、ジュジュを助けよう、ジュジュを逃がそうと思っていたようにすら感じた可能性もある。
けれど、実際のスモモの心情は、もちろんジュジュへの同情もないわけではないが、それよりも。
「うー……」
スモモは、ジュジュを担いでいるリムククの背中に抱きついた。
モヤモヤする。変な考えは忘れてしまうに限る。
リムククが「くっつかないで」と言ったのは、それから一分後のことだった。
◇
「はい、ご褒美。スモモのお眼鏡にかなうといいのだけれど」
「うわぁあ!? 乱闘だあ! しかも持ってるハードのやつ!」
王城、玉座の間。
本来は厳かであるはずのその場所で、スモモはパッケージを掲げくるくると踊っていた。
そのパッケージは、異世界で生まれたゲームソフト。いままさに、わざわざ壇上から下りた白百合姫の自らの手によって下賜されたものだ。
「すごい! ランダム召喚なのに、こんなピンポイントなんて!」
「ふふふっ。前にスモモが見てはしゃいでいたロゴがあったから、もしかしてと思ったの。喜んでもらえたみたいでよかった」
「しかも、わたしのリアクションを覚えてくれてた!? もぉお、そういうとこが好きっ! 姫さま愛してるう!」
「わたくしも、わたくしを愛してくれる人間は好きよ」
「やだぁ、両想い! ぎゅってしていい!?」
「ええ、お願いを聞いてくれるなら」
「……お願い?」
スモモは歓喜の踊りをやめ、首を傾げる。
白百合姫も、それを真似するかのように首を傾げた。
「ご褒美は渡してしまったけれど、もうしばらく学校に通ってほしいの。どう?」
「え……」
いやだ——と、白百合姫からのお願いでなければ断っていただろう。
しかしスモモにとって白百合姫は、異世界に召喚してくれた恩人で、自分たちの衣食住と生活費を賄ってくれている恩人で、なにより見た目がドストライクな美少女だ。
極力、彼女からのお願いはなんでも聞いてあげたい。
——でも、学校はなあ。
そんなふたつの想いがないまぜになって、スモモは白百合姫からそっと目を逸らした。
「その……わたし今回、人目につく場所で暴れちゃったから、ほとぼりが冷めるまでまた裏に引っ込んでた方がいいと思うんだけど……」
「いいえ。スモモは自由に暴れてくれていいの。せっかく綺麗に事が進んでいるのだから、あなたを裏に追いやってしまうなんて、そんなもったいないこと考えられないわ」
「…………そうなの?」
白百合姫は頭がいい。スモモとは比べものにならないほどに。
その白百合姫がそう言うなら、スモモの考えが及ばないなにかがあるということなのだろう。
しかし、いまいち納得はできない。
「でも今回のことだって、絶対わたし担当じゃない方がよかったよ。鯨ちゃんなら、もっとうまくやれてたもん」
「わたくしはスモモに任せてよかったと思っているわよ。最善の結果だったもの」
「ジュジュちゃんを怒らせちゃったのに……?」
白百合姫がゆったりと微笑んだ。
細められた黄金の瞳から、目が離せなくなる。
かわいい。あまりにもかわいい。
けれどこれは、白百合姫からの意志表示でもある。
スモモの通学継続はもう決定事項で、きっとスモモがなにを言おうと、その決定が翻ることはないのだろう。
ふう、とスモモは息を吐く。
仕方がない。こんなにかわいくて、幼くて、なのに女帝としてがんばっている白百合姫のお願いだ。
断る方がどうかしているという話ですらある。
「わかった。でも代わりに、わたしのお願いも聞いてほしいな」
「なあに? わたくしを抱きしめることは、もちろん許可してあげるわよ?」
「やった! ……じゃなくて。それもだけど……ジュジュちゃんに、あんまりひどいことしないであげてほしいなって。刑罰的なのも、できれば……」
「スモモは相変わらず優しいのね。スモモのお願いなら、叶えてあげる」
「ホント!? ありがとー! 姫さまの方が優しいよぉ!」
スモモは、あふれ出る感謝の気持ちに従って、小さな白百合姫をぎゅっと抱きしめる。
すると、白百合姫は嫌な顔をするどころか、スモモの顔を引き寄せるように手を伸ばし、踵をあげ、スモモの頬に口付けた。
数秒、理解が追いつかず、スモモは呆ける。そののちに。
「ぎゃー! わたしを殺す気なの!?」
心臓ごと弾けそうになった胸を押さえながら飛び退り、スモモは白百合姫から距離をとった。
そんな反応がお気に召したらしい。白百合姫は口元に手を当て、「ふふふふっ」と心底おかしそうに、無垢な子どものように笑った。
スモモが一番好きな、白百合姫の表情だ。
「かわいいっ!!」
たまらずスモモは、もう一度、白百合姫へと抱きついたのだった。