5.学校への潜入(5)
「あの」
放課後、真っ先に席を立って帰ろうとしたスモモを呼び止めたのは、かすれた声だった。
振り返って驚く。白いツインテールに、自信なさげな伏し目——ジュジュの方から話しかけてくるとは、夢にも思っていなかったからだ。
スモモは笑顔で、できるだけ柔らかい口調を心がけて答える。
「ジュジュちゃんから話しかけてくれるなんて嬉しい。どうしたの?」
「あのっ……じ、じかん……!」
「うん?」
「お話っ……時間、ください……!」
きょとん、とスモモは瞬く。
こういう言い方をするということは、この場で気軽に話せる内容じゃないということだろうか。
実のところ、昼休みの後始末は大丈夫だったか、敵の情報はなにか得られたか、それらを早く帰って確認したい気持ちもあった。
けれど、ジュジュも調査対象だ。そしてなにより、かわいい。かわいい子が、かわいくお願いをしてくれたんだから、受け入れない方がどうかしている。
「もちろんいいよー! ついでに、デートしちゃう? お買い物とか、カフェとか!」
「えっ……」
ジュジュは戸惑ったように視線をきょろきょろと彷徨わせ、「お、お金が……」と呟いた。
富裕層の学校でその発言、怪しんでくださいと言ってるようなものだけど、大丈夫なのだろうか。
「じゃあ、公園デートはどう? 百合園行ったことある? そんなに遠くないし、ベンチもたくさんあるからゆっくりお話しできるよ!」
返事は無言。
けれど代わりに、ジュジュはスモモから目を逸らしたまま頷いた。
◇
百合園は、白百合姫が産まれた年に作られた記念公園だ。
名の通り、公園の半分を百合が占有している。
『異世界道具により年中満開』——入り口の看板には、そのような説明書きがある。
公園中央に鎮座する、水晶のような丸い石。それが、件の異世界道具だ。
仕組みはわからない。スモモの故郷ではない異世界から召喚された道具だからだ。
ただ、公園ではもう一種類、異世界道具が活躍している。そちらは、スモモにも馴染みのあるもの——自動販売機である。
ここの自動販売機では、値段の安い入れ物なしの飲料と、値段の高い入れ物ありの飲料が選択できる。
スモモはまず、入れ物なしのジュースを選んで自分の水筒へ注ぎ、次に紙パック入りのジュースを選択して、ベンチへと向かった。
ベンチには、ジュジュがうつむいて座っている。
「どーぞ」
隣に腰を下ろしたスモモが紙パックを差し出すと、ジュジュは「……えっ」と明らかに困惑の表情を見せた。
「え、あの……え?」
「おごりー。はい」
受け取ってくれそうにない雰囲気のため、スモモは紙パックをジュジュに無理やり握らせる。
「……い……いい、の?」
「もっちろん」
経費で落とすし——という言葉は、ジュースと一緒に飲み込んだ。
スモモがごくごくと飲み進めていく様を見て、ジュジュも遠慮がちに口をつける。
そして、ひと口飲み込んだところで——ぽろぽろと泣き始めてしまった。
「えぇえっ!? どど、どうしちゃった!?」
「…………あまい」
「甘いの苦手!? ごめぇーん!」
慌てて謝るスモモに、ジュジュは首を横に振る。
「スモモ……さん、は……日本人です、よね……?」
唐突な切り出し。回転数の少ないスモモの頭が、オーバーヒートする勢いで働き始める。
肯定すべきか、否定すべきか。どちらが正解なのか、短時間で答えを出せる気がしない。
こういう、探り合いをしたり嘘をついたりということは向いていないのだ。
どうしよう、と不自然な間があく。焦れば焦るほど、頭が真っ白になっていく。
無意識に、スモモの目はどこかに隠れて見守ってくれているであろうリムククを探す。その最中、綺麗に咲き誇っている白百合の花が目に入った。
真っ白に近いスモモの頭のなかに、白百合姫の顔が思い浮ぶ。
——白百合姫は、わざわざスモモを指名して学校に通わせた。ならば、スモモが苦手な探り合いや嘘を求めているわけではない——はず。きっとそうだ。そうに違いないのだ。
意を決して、しかし恐る恐るスモモは口を開いた。
「……もしかして、ジュジュちゃんも?」
ぱあっ、と初めてジュジュの顔が明るくなる。
そして、何度も何度もジュジュは頷いた。
……これはもしや、怪しいけど敵ではないタイプか? とスモモは考えを巡らせる。
大事な話があるんだろうなとは思っていたが、まさかこんなにあっさり情報開示されるとは。
ただ、ジュジュが敵ではなかったとしても、こちらの情報は最低限——スモモ自身のことはともかく、外部に漏れていない仲間の情報だけは渡さないようにしなくてはならない。
慎重に、慎重に言葉を選びながら、スモモは質問を続けることにした。
「えーと、名前って本名?」
「は、はい。西王樹々、です」
「わたしは古賀スモモ。えっと、それで……一応、念のためなんだけど、この国で召喚された子じゃない……よね?」
「は、い。……あの、や、やっぱり、ダメでしょうか……? 国は、あの、ベイルドアで……」
「あー、うん、まあ、ベイルドア……。そうだよね、召喚ならうちかベイルドアかだもんね。……じゃあもう、ぶっちゃけて聞くけど、今日わたしを撃ってきたのはジュジュちゃんの知り合いだったりする? 銃使ってたし、ベイルドア王国の人だった可能性高いなって」
「え……」
明るくなっていたジュジュの顔が、みるみる青ざめていく。
セーリンド帝国とベイルドア王国が異世界召喚を行えることは、周知の事実。
他国にも異世界の技術を伝授することはあれど、基本的に異世界にまつわるものが関わっている事柄には、セーリンドかベイルドアが深く関わっている。そういう認識が普通だからこそ、異世界道具である銃を所持している人間は、セーリンド人かベイルドア人だと相場が決まっているのだ。
「じゅ、じゅう……? うたれ……え? きょ、今日……?」
——この反応は……ハズレ? それならそれで、よかった。
スモモは内心ホッとする。こんなにかわいい子と殺し合いなんてしたくなかったからだ。
「ごめんごめん! 関係ないんだったら気にしないで! 疑ってごめんね!」
しかし、スモモが明るく言ってみせても、ジュジュの顔色はもとに戻らない。
——関係ないわけじゃない……のかもしれないのか。
スモモの気分まで落ち込みそうな心地だった。
気まずい雰囲気がふたりを包む。
「あの、その、ホントにごめんね」
スモモは絞り出すように再度謝罪を口にした。
「えーと……ベイルドアとうちとじゃ、いろいろ違ってて困ることもあるでしょ。教えてほしいとか助けてほしいとか、なんでも頼ってね。日本人のよしみ、同級生のよしみってことで」
ジュジュはうんともすんとも言ってくれない。
いくらかわいい子と一緒でも、こういう空気は苦手だ。スモモの頭では、うまい切り抜け方が思いつかない。
「じゃあ、あの、今日のところはそんな感じで……そろそろ……」
スモモが腰を上げたようとした、そのときだ。
「……帰り方」
まるで独り言のような声量で、ジュジュが言った。
「知ってますか……?」
動きを止めたスモモを——スモモの目を、控えめながらもジュジュが見つめてくる。
「帰りたいの?」
それはきっと、よくない返答だった。
ジュジュと目が合っていたからこそ、スモモでもはっきりと気づけた。
「帰りたくないんですか……?」
信じられない、という響きのこもった声色。
まだ中身が入っているであろうジュースの紙パックが、音を立てて凹んだ。
「こんな、いきなり召喚なんてされたのに……どうして……?」
「ど、どうしてって……うーん……こっちのが楽しいから、かな……? 帰ってもどうせ勉強ばっかりでつまんないし……」
「勉強って……こ、こっちでも学校に通って勉強してるじゃないですか……! 読み書きすらイチから学ばなくちゃいけないんだから、絶対に帰った方が——」
「あ、いや、実はわたし、入試はコネでスルーしてて、勉強しなくても問題ないようになってるというか」
ジュジュが顔を伏せた。
必然的に、彼女がどんな表情をしているのかわからなくなる。
「あー……ジュジュちゃん……?」
またよくない言い方しちゃったかな……とスモモが不安になっていると、ジュジュは顔を伏せたまま、ぼそぼそと呟くように話し始めた。
「あたし、ずっと……やりたくもない訓練をさせられて……やりたくもない戦いをさせられて……やりたくもない殺人をさせられて……学校に入るのだって、やりたくもない試験のためにどれだけ……」
「ちょちょちょ、それわたし聞いちゃダメなやつじゃないかな!?」
スモモは慌てて周囲に視線を送る。
異世界人だという暴露だけならまだ誤魔化しようもあるが、訓練やら戦いやら殺人やらの話は、ベイルドア王国の軍人であるという告白に等しい。
それはつまり、スモモたちの敵確定ということになる。
小さな声ではあったけれど、ここは開けた屋外。耳のいい人には、いまの話を聞かれていてもおかしくない。というか、絶対に聞かれた。スモモにはその確信があった。
「あの、重ね重ねごめんなんだけど、ここにいるのってわたしだけじゃなくって! ちょっと一回タイム挟んで仲間とお話ししてきていいかな!? じゃないとジュジュちゃんの命が危ないかも!」
せっかく知り合ったかわいい子。しかも、嫌々働かされてたっぽい日本人。
セーリンド帝国にとっては敵でも、スモモの心情的には彼女を敵認定できなかった。
しかし。
「うらやましい」
ジュジュが立ち上がる。
「こんな状況で、そんな冗談を言えるような環境にいたんですね」
紙パックが地面に落ちた。
中身がこぼれる。
——もったいない。
自然とその様子を目で追っていたスモモは、直後横薙ぎに吹き飛ばされ、自動販売機にぶつかった。
「いったぁい……!」
脇腹から背中にかけてを強打し、スモモは涙目になる。
頭をぶつけなかったことが不幸中の幸い——いや、異世界に来てから体が丈夫になったことが幸いだった。
でなければ、骨折はもちろんのこと、内臓破裂からの死もあり得ただろう。
「スモモ! 大丈夫!?」
声の方に視線をやると、巨大なハンマーを構えるジュジュと、ダガーを握るリムククが対峙していた。
追撃がこなかったのは、リムククのおかげだろう。
「ちょー痛いけど、大丈夫! ありがとー!」
気を抜きやすく、不意打ちに弱い。仲間からよく指摘される、スモモの欠点だ。
またやってしまった……と反省しながらも立ち上がり、胸ポケットに刺していたプラムのヘアピンを右手、鯨のヘアピンを左手に持った。
それらはスモモの体温を通じて、瞬く間に変化する。
プラムのヘアピンは両刃の長剣へ。鯨のヘアピンは分厚い金属製の丸盾へ。
プレゼントしてもらった、スモモ専用の武器である。
——戦いたくはないけど。
しかし如何せん、向こうがやる気だ。
当然怪我はしたくないし、となれば応戦するしかない。
スモモは剣と盾をしっかりと握りしめて足を踏み出す——否、踏み出そうとしたのだが。
「うわぁあああん!」
子どもの泣き声が響き渡った。
それは、一目見ただけでは性別の判断もつかないほどに幼くて、かわいらしい子どもだった。
泣き喚いている幼児のそばで、顔面蒼白の女性がへたり込んで呆然としている。
真夜中というわけでもないのだから、子ども連れが公園にいたってなんら不思議なことではない。
軽く視線を巡らせれば、逃げるように走り去って行く人の背中もちらほらと見受けられた。
さすがに、彼ら彼女らを巻き込む可能性は排除しておきたい。
スモモはリムククへ「ごめーん!」と呼びかけた。
「一般人の安全確保優先でお願い! こっちはわたしだけで大丈夫だから!」
警戒を緩めないまま、リムククがちらりとこちらを見る。
その横顔は、不満ですと言いたげだった。
リムククは基本的に、他人なんてどうでもいいと考えているタイプなのだ。
「お願い! 今夜のデザート、わたしのぶんもあげるから!」
「……デザートって、なに」
「昨日食べたいってねだられてたから、チーズケーキだと思う! いつもみたいにチョコ味もあるはず!」
「ふーん……」
リムククが考え込む素振りを見せる。
その間、ジュジュはリムククではなく、スモモをじっと見据えていた。
リムククが戦闘を離脱しても、きっと彼女は気にしないだろう——スモモはそう推測した。
ジュジュを刺激しないようゆっくりと歩を進め、リムククの隣に並ぶ。そして再度「お願い」と言えば、リムククは諦めたようにため息をついた。
「あたしのいないとこで怪我したら怒るから」
「ふへへ、優しい。大好き。ありがとうも込めて、あとでぎゅってしてあげるね」
「それはいらない」
ダガーをアウターのポケットに仕舞ったリムククは、ひと息で幼児の眼前へと移動した。
「ひぅえっ」
驚きのせいか、幼児の泣き声が一瞬とまる。
その隙にとリムククは幼児を肩に担ぎ上げ、座ったままの女性を引っ張るように立たせて、この場から離れていった。
「仲、いいんですね……」
リムククたちの姿が完全に見えなくなってから、ジュジュが口を開いた。
「お友達なんですか……? お仕事だけの関係ってわけじゃなさそう……」
スモモは、もう不意打ちを食らってしまわぬよう、油断なく盾を構えながら答える。
「んー……まあ、仲はいいかな。お友達っていうより、一緒に住んでるから妹に近いけど」
「……そう、ですか」
彼女はずっと、瞬きもせずにスモモを見つめている。
そしてその瞳から、ぽろりと涙が一粒こぼれた瞬間。
「ずるい」
スモモの盾に、ハンマーがぶつかった。