24.お願いの果て(2)
「ハァ……ハァ……ふぅ……」
這う這うの体で学校敷地内から抜け出したバウディッドは、開店前の飲食店の裏手で壁にもたれかかり、息を整えていた。
さすがにそろそろ限界だ。
白百合姫を殺しに行くよりも先に、病院に行く必要がある。大金を積めば一介の医者程度黙らせられるだろうと見当をつけ、壁を支えにしながらでも少しずつ進もうとした、そのときだ。
壁に置いた手が、真っ赤に弾けた。
「は……?」
なにが起こったかわからず、バウディッドは自分の手をまじまじと見つめる。
そして撃たれたのだと理解した瞬間、壮絶な痛みと熱を感じた。
「うぐぁッ……!? な、なん……!?」
「大丈夫ですか? お困りごとがあれば聞きますわよ」
わざとらしい足音を立てながら近づいてきたのは、青いストレートロングヘアの女。バウディッドもよくよく知っている人物だった。
「な……は……? なぜ…………」
「先ほどは驚きました。トタンのトラウマになっていなければよいのですが」
バレナ。
クラスのまとめ役。学校設立以来の才女。
元貴族の家系、由緒正しい家に連なる娘だったはずだ。
その彼女が、二丁の銃を握っている。
「きっといろいろとストレスが溜まっているのでしょう? よくわかりますわ。わたくしも、たくさんたくさん————ほんっとうにたくさんのストレスを抱えていて。無性に人を傷つけたくなってしまう気持ち、とても共感できますもの」
なんのためらいもなく、バレナが引き金を引く。
「ぎゃあッ!?」
折れているのとは逆の足の甲を撃たれた。
バウディッドはその場にへたり込んでしまう。
「だから、わたくしの所業も許してくださるでしょう?」
脛を撃たれる。
「先生もスモモに同じことをしたのですから、責めないでくださるでしょう?」
太ももを撃たれる。
「あらあら、泣かないでくださいな。——モモちゃんは泣いてなかったでしょ」
骨盤を撃たれる。
まるで遊ばれているかのようだ。
才女の目は暗く淀んでいて、けれどその奥には悦びが見え隠れしている。
自分はきっと、彼女にとっての玩具なのだ。
バウディッドがそう悟ったとき、さらに新しい声が聞こえてきた。
「それ以上はいけないわ、うみ」
長いまつ毛が影を落とす黄金の瞳。
裏路地など似合わない、豊かな銀髪。
「白百合姫……」
「ごきげんよう。とてもいい朝ね、バウディッド」
まるで夢を見ているかのようだ。
あんなに追い求めた白百合姫が、こんな場所に現れるなど。
「……いらない人間は、褒美としてわたしにくれるって話だった気がしますけど。モモちゃんにはゲームのご褒美あげてるのに」
「拗ねないでちょうだいな。邪魔をしてしまったのは申し訳ないけれど、わたくしが遊んだあとは、きちんと交代してあげるから。ねえ、いいでしょう?」
「…………先に壊したりしないでくださいね」
「もちろんよ。ありがとう、うみ」
なんの話をしているのか、理解したくない。
だからなのか、バウディッドの口は、話の根幹からズレたところで発生した疑問を投げかけていた。
「うみ……?」
「ああ……気になりますか? そうですよ、先生」
バレナの声が変わる。
髪色が変わる。
目の色が変わる。
「鯨うみと言います。バレナは偽名。身分は病死した子どものものを拝借しました。そしてお気づきでしょうが、真白部隊に所属しています。改めて、よろしくお願いしますね」
顔の形自体は変わらずとも、そこに立っていたのはまるで別人の女だった。
「スモモが転入する前から、学校はずっと真白部隊の管理下だったのよ。まったく気づいていなかったでしょう? ふふふっ」
白百合姫の楽しそうな、からかうような笑い声。
それが、バウディッドの脳を沸騰させるスイッチだった。
「いつもいつもいつも……そうやって滑稽な私を嘲り笑っていたというわけか、いい御身分だな女狐めがッ! 貴様のせいで……貴様などが産まれさえしなければ……!」
「かなしいわ。ひどいことを言わないでちょうだい」
「白々しい嘘を吐くな! 貴様が性根の腐った女だということはもうわかっている! だというのになぜ……なぜ貴様は私を放置していた! 私を殺して痛む良心など持ち合わせているわけもないだろうが!」
「だって、性根の腐った女だと思われてしまうじゃない」
言われた意味がわからず、バウディッドは口をつぐんでしまう。
その間に、ふんわりと微笑む白百合姫が言葉を続けた。
「あなたが裏でこそこそやっているからと殺してしまえば、裏を知らない人間たちには、なにもしていないあなたがいきなり殺されたように見えてしまうでしょう。いけないわ、そんなこと。わたくしは、愛らしくて汚れひとつない、真っ白な白百合であるべきだもの」
「————は?」
「わたくしの子を表で遊ばせていたら、あなたも表に出て来なくてはいけなくなるわよね。思い通りに事が進んでよかった。とってもいい遊びっぷりだったわよ、羨ましくなってしまうくらいに。だからわたくしも最期にこうして、お話しに来てしまったの。——ねえ、あたなはどうだったかしら? わたくしがお膳立てしてあげた遊び、楽しかった?」
うみが額を押さえてため息をついたが、もはやバウディッドにその光景は見えていなかった。
ただただ白百合姫の瞳だけを睨み、歯をむき出しにして怒鳴りつける。
「ふざけるなッ! 我々を見下し、神にでもなったつもりか! 悪魔か魔女にしかなれぬ貴様は、いまここで死ぬべきなのだ! 死ね! 死ね死ね死ね! 死んでしまえぇッ!!」
「ふふふっ。とっても素敵な歓声ね。——でも」
微笑みを絶やすことのなかった白百合姫の顔から、すとんと感情が抜け落ちた。
「レパートリーが少なくて飽きてしまったわ。うみ」
「はい」
「もういらない」
「では、交代ですね」
踵を返した白百合姫は、そのままバウディッドから遠ざかっていく。
代わりに一歩前へ出たうみが、バウディッドへと銃口を向ける。
「ま……待て! 待ってくれ……!」
その言葉は、白百合姫とうみ、どちらに向けたものか。
答えたのは、うみだった。
「大丈夫ですよ、先生。つい最近、たくさん寝てたくさんお喋りしたおかげで、そこまでストレス溜まってないんです。だから————一時間以内には、きちんと終わらせてあげます」




