2.学校への潜入(2)
「スモモです。よろしくお願いします」
異世界召喚されて約三年。十六歳。まさか、いまさら学校に通えと言われるとは。
そんな内心は隠しつつ、スモモがにこりと笑顔を浮かべると、同級生たちはまばらな拍手で迎えてくれた。
——うーん。あんまり歓迎されてないっぽい。というか、困惑されてる。
さもありなん、とスモモは隣に並ぶ人たちを横目で見る。
ひとりは、綺麗に整えられた髭がトレードマーク、洗練された身なりの紳士然としたバウディッド先生。
——これは、まあいい。先生がいるのは当たり前だ。
ひとりは、新緑色の目が印象的で、少しふっくらしていて、胸とか太ももあたりが魅力的な女の子。とくに胸の方は、ワンピースタイプの制服の布地を窮屈そうに押し上げていて、とても豊かなことが窺える。
彼女は「トタンと申します。どうぞよろしくお願いいたします」とお堅い挨拶をした。
——まあ、うん。新学期だからね。転入生がもうひとりいてもね、うん。そういうことだってあるでしょう。
そして最後のひとりは、真っ白な髪をツインテールにした、伏し目がちな女の子。こちらは逆に、心配になるほどほっそりとしている。
「ジュジュ……です。よ、よろしくお願いします……」
彼女は顔をあげないまま、緊張した様子で挨拶をした。
——同じ日に転入生が三人って、そんなことある?
スモモがうみ経由で受けた仕事は、学校に通うこと。それ以外の指示はない。
恐らく白百合姫は、スモモが学校でなにかをすることを期待しているのだろう。そのことと、転入生が三人という事態、なにか関係があるのか否か。
スモモは無意識に、制服の胸ポケットに刺していた、プラムのヘアピンと鯨のヘアピンを撫でる。
そうして深く考え込みそうになっていたスモモを引き止めたのは、バウディッド先生の声だった。
「では、自由席なので、三人とも好きな場所へどうぞ——と言いたいところですが、初日ですので……バレナさん!」
「はい」
すっと女の子が立ち上がる。
青いストレートロングヘア。声も所作も落ち着いた、大人っぽい子だ。
「バレナさんは、このクラスのまとめ役です。今日は彼女の周りで授業を受けるといいでしょう。バレナさんも、三人を気遣ってあげてください」
「はい」
「それと、休み時間か放課後、学校の制度や施設についても、ある程度説明してあげるように」
「はい、かしこまりましたわ」
まるで模範的な生徒。彼女の真面目そうな表情からは、言い渡された使命を全うしようとする意志が感じられる。
先生に促され、スモモを含めた三人は、バレナの隣へと歩を進める。
その途中、スモモとバレナの視線がかち合ったが、すぐに目を逸らされてしまった。
◇
「知っておくべき学校施設はこのくらいでしょうか。みなさん、ほかに気になる場所はございますか?」
バレナの問いかけに、スモモ、トタン、ジュジュの三人は首を横に振った。
いまは放課後。彼女は転入生のために、自分の時間を削ってまで校内を案内してくれたのだ。
「あの、バレナ様。本当にありがとうございました」
一歩前に出たトタンが、胸に手を当てて言う。
すると今度は、バレナが首を横に振った。
「様など、おやめくださいませ。それはいまや、姫様にのみ適用されるべき敬称ですわ。嫌味と捉えてしまう方もいらっしゃいますから、気をつけた方がよろしいかと」
このセーリンド帝国では、白百合姫の治世が始まって以来、貴族制は廃止されている。
『ですわ』といういかにも貴族育ちのお嬢様らしい口調のバレナも、貴族などではない。
女帝である白百合姫より下に優劣はなく、みな平等。白百合姫のみが民の上に立つという形が、いまの情勢だ。
ただし、優劣はないといってもそれは権力的な意味であって、貧富の差は明確にある。
白百合姫が女帝に君臨してまだ三年。よっぽど金遣いが荒いわけでもなければ、元貴族たちの私財はまだまだ潤沢にある。
それ故か、貧困層からは『自分たちと同じ身分にまで堕ちたくせに』『金を持っているだけの分際で偉そうに』『金だけを頼りに過去の栄光に縋っている』などと揶揄されることも少なくないのだ。
恐らく、トタンは元貴族ではないのだろう、とスモモはあたりをつける。
この学校は富裕層しか通えないほど、学費が高い。転入ともなれば、最近まとまった金を用意できたばかりの商人などが適当だろうか。
商人は——とくに、貴族馴染みとなっていた商人たちは、貴族制が廃止されたあとも、元貴族に対して腰が低い傾向にあると聞く。貴族のもとで使用人をしていた家の人間なんかもそうだ。
しかし、彼らが元貴族を様付けで呼べば、貧困層からどんな目を向けられるか。そういったことを気にする元貴族も珍しくない。
権力という盾を失くした状態で、敵はなるべく作りたくない、というのが、現在の元貴族の考えとしては主流なのだそうだ。
「ご、ごご、ごめんなさい! そんな、嫌味なんてつもりはまったくなかったんです!」
「ええ、大丈夫です。承知しておりますわ。同級生の多くはわたくしを、バレナ、と敬称もなにもつけずに呼びます。みなさんも、ぜひそうしてくださいませ」
「えっ……そ、それはさすがに、あの、うちはたまたま商売で成功しただけの、ずっと昔から本当の意味での一般家庭で——」
「うん、よろしくね、バレナ! わたしのことも、気軽にスモモって呼んで」
ぎょっとした顔で、トタンがスモモを見た。
きっとスモモがトタンの素性を察したのと同じ理由、あるいはスモモの所作振る舞いから、スモモが元貴族ではなく自分と同じような立ち位置の人間だと考えていたのだろう。
まるで、自分が怒られる! と言わんばかりにトタンの方が焦っている。
けれど対して、バレナはスモモの態度になにも感じていない様子。
あっさり「ええ。これから仲良くいたしましょうね、スモモ」と返してきた。
「あなたのことも、トタンと呼んでもよろしくて?」
「そ、それはもちろん、ですけど……。うう……よ、よろしくお願いいたします、バレナ——さん」
どうやらトタンのなかで、呼び捨てはギリギリ許容できなかったらしい。
バレナもそれ以上強制するつもりはないようで、彼女の目は次に、ずっと居心地悪そうにうつむいていたジュジュの方へと向かった。
ジュジュは、バレナが校内を案内してくれている間、ひと言も喋らなかった。
バレナがジュジュを見ていることで、自然とスモモとトタンの視線もそちらへ移る。
そうして妙な沈黙が続いたことで、うつむいていたジュジュはようやく違和感に気づいたらしい。
そろりと顔をあげた瞬間、大袈裟なほどに体をビクつかせた。
「ひッ……あ……あぇ……」
「ジュジュちゃん、大丈夫? 朝からずーっと緊張した顔してる。もしかして、体調悪いとかだったりする?」
スモモとしては、できるだけ優しく声をかけたつもりだった。
けれどジュジュは、すうっと大きく息を吸ったかと思うと。
「ごめんなさいッ!!」
突然、勢いよく叫び、そしてその勢いのまま走り去ってしまった。
「バレナさんにお礼も言わずに行くなんて……! スモモさんも気遣っていたのに……!」
トタンが眉をつり上げる。
バレナは逆に眉を下げて、困惑気味。
そしてスモモは「うーん、とりあえず……」と呟いたのち、にぱっと笑った。
「元気があってよろしい!」
その言葉を聞いたトタンは、「えっ?」と信じられないものを見るような目をスモモへと向ける。
「体調不良じゃなさそうで安心だね。あと、かわいい! あそこまでおどおどしてる子は、いままで周りにいなかったから新鮮! かわいい! わたし、仲良くなりたいから、追いかけてみるね!」
一気にそう捲し立てたスモモは、ふたりの反応も待たずに駆け出す。
「スモモさん!?」という声が背後から聞こえたが、スモモが振り返ることはなかった。
というのも、捲し立てた内容は半分本当で、半分嘘だったからだ。
かわいい、という言葉は本当。けれど、仲良くなりたいから追いかける、は嘘である。
真実は、ひとけのない場所に行きたかったから、追いかけるフリをした、だ。
目論見通りだれもいない空き教室へと辿り着いたスモモは、注意深くあたりを確認してから窓を開ける。
「こっちは大丈夫そうだよー」
そう外に向かって声をかけた瞬間、物音を立てずに窓から少女が飛び込んできた。
ボリュームのある丸い帽子に、動きやすそうなショートパンツとブーツ。
窓を閉めるため背を向けた彼女が着ている、裾の長いアウターからちらりと灰色が見えて、スモモは指をさした。
「リムクク、また尻尾出てる」
「にゃっ!?」
かわいらしい声とともに、灰色がアウターのなかへと引っ込む。
「ベ、ベルト外してたんだった……。うみには言わないで。絶対怒られるもん……」
少女——リムククは、ゴソゴソと腰回りや背中に手を回しながら、拗ねたように言った。
「じゃあ、言わないでおいてあげるから、帰ったらわたしの制服着て? リムクク、似合うと思う。本当に。マジで」
「ヤ」
「ヤじゃない。言っちゃうよ?」
「ヤ」
「んんん————もう! かわいいなあ、その言い方! いいよ、言わないでおいてあげる!」
「くっつかないで!」
嫌がるリムククをよそに、スモモはぎゅうぎゅうと彼女に抱きつく。
ついでに顎下のひとつでも擽ってやれば、すぐに陥落。この猫ちゃんは、いつだってそうなのだ。
「ふにゃぁ~……」
気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らすリムククは、たっぷり一分ほど経過してから、ハッと我に返ったようだった。
「こ、こんなことしてる場合じゃない! わざわざあたしを呼んだってことは、調べてほしいことがあるんじゃないの?」
「あ、うん、そう。いまからジュジュちゃんを追いかけて、おうちの場所探れたりする? もう学校から出てたとしても、そんなに遠くまで行ってないと思うんだけど」
「……ジュジュチャン。スモモがかわいいって言ったヤツ」
リムククの頬が膨らんだ。
彼女は嫉妬深いのだ。そこがまたかわいくて、スモモが好ましく思っているところなのだけれども。
「んも~! リムククが一番だよお! 一番かわいいっ!」
「嘘つき。女の子全員に言ってるくせに」
「いっ……やいやいやいや! 嘘なんてそんな!」
「ふうん……。じゃあ、実際に過ごしてみて、学校の感想は?」
「うみの言ってた通り、かわいい子が多い!」
「ほらね、嘘つき! 学校なんて嫌だって言ってたくせに、かわいい子が多いって聞いた途端に乗り気だったもんね!」
「……うう~! だってだってぇ~!」
「くっつかないで!」
また抱きつきながらリムククの顎下を擽ろうとしたスモモだったが、今度はしっかりめに拒絶され、リムククはスモモから離れてしまった。
「うえぇ~……。こんなにリムククのこと好きなのにぃ……。本当に本当に大好きなのにぃ……。ううう……ひぐっ」
本格的に泣き始めたスモモを見て、リムククは表情に少し呆れを滲ませる。
けれど、いつものことだと割り切ったのか、距離は保ったまま話を続けた。
「それで、ジュジュチャンってやつの方だけでいいの? もうひとりの転入生は?」
「ぐす……。トタンちゃんは……普通によくいる商人一家って感じだから……後回しでもいいかなって……」
「そ。じゃあ、今日はジュジュチャンの方だけね」
リムククは踵を返し、窓を開ける。
そして窓枠へ足をかけようとしたところで動きを止めた。
「……リムクク?」
いまだ泣いているスモモは、その不審な行動に首を傾げる。
やがてリムククは、顔を伏せた状態で再度踵を返す。それからスモモの方へと早足で近づいてきたかと思うと、ぎゅっとスモモを抱きしめた。
「……いってくる」
スモモはもう、それはそれは嬉しくて、涙も吹き飛ぶほどに顔を輝かせた。
「いってらっしゃい! チョコたくさん用意して、おうちで待ってるね!」