16.副業おたすけ屋さん(10)
髭を蓄えた亀。甘ったるい匂いを漂わせながら、その亀は「がままっ、ぎままっ」と喉から絞り出すように鳴いている。
「ふふふ、おかしな鳴き声」
応接室の卓上。檻に閉じ込められたそれを観察している白百合姫は、非常にご機嫌だ。
それがまた薄気味悪くて、うみはこっそり腕を擦った。
この亀は、スモモとヤーナが自慢げに捕まえてきた異世界生物だ。
犯人は、意味のない行為をリスクを背負ってまで無駄に繰り返す者。物事を深く考えられるほどの知能を持たない生物だとヤーナは考えたそうだ。
だから罠を張れば——しかも、檻の中に香水を振り撒いて誘き出すという古典的な罠で捕獲できたと言っていた。檻自体にあらかじめ魔法封じを施しておけば、あとは亀がのろのろ歩いてくるのを眺めているだけでよかったそうだ。
機械を作る必要もなかったし、魔法事案だからと慎重になりすぎた、とも言っていたが、うみとしては、スモモもヤーナも迂闊で間が抜けていることが多々あるため、いくらでも慎重になってくれて構わないと思っている。
「面倒をかけてしまったわね、うみ」
「……いえ、仕事ですので」
「あら。仕事は真白部隊の任務であって、おたすけ屋さんはスモモたちの趣味でしょう?」
「一応、わたしたち的には副業のつもりなんですが……」
「ふふ、意地悪を言ってみただけ。今回はとくにわたくしたちの不手際なのだから、たくさんお礼をしないとね。それと、トタン——だったかしら。彼女の家にも謝罪金を送らないと。用意してくれる?」
白百合姫がそう言った先は、うみではなく扉前で待機していた騎士だ。
赤い腕章をつけた彼は、真紅部隊の隊長である。
基本的に王城の外を駆け回っている真白部隊とは異なり、彼ら真紅部隊は白百合姫自身や国の重要拠点を直接的に守護することが主な役割となっている。
「あと、それ。処分していいわよ」
ついさきほどまで楽しそうに観察してたはずだが、白百合姫はもう興味を失ったかのように亀を見ていなかった。
「もうよろしいので?」
「ええ。今度はきちんと、念入りに、ね」
「はっ」
真紅部隊隊長は敬礼をし、檻を抱えて退室した。
最後に聞こえた「がままっ」という鳴き声が可哀想な響きに聞こえたのは、うみの心情によるものだろう。
あの亀は、もともと白百合姫が召喚した生物だ。
白百合姫は人間、非人間、非生物問わずあらゆる異世界のものを召喚できるが、なにが召喚されるかは完全なランダムとなっている。
したがって、時には不要なものや、白百合姫の指示に背くものも召喚されてしまうのだ。
亀が有する能力は、転移魔法。自身や物体を瞬間移動させることができるというこの力自体は非常に役立つものであるが、亀は召喚された直後に転移して逃げてしまったらしい。
つまり、白百合姫に仕える意志がない、あるいは仕えられるだけの知能がないという判断で、処分——殺されることになるのだろう。
勝手に召喚されて、勝手にいらないと判断されて、殺される。
あまり心地の良い話ではないが、さりとて白百合姫に従うと決めたうみには『やめろ』などという権利はなく、ただそういうルールなのだと受け入れるしかない。
ただ、うみにはひとつ、どうしても気になっていることがある。
ヤーナが推測した香水窃盗事件の全容は、こうだ。
逃げるために白百合姫の召喚魔法で生じた魔力残滓を使って転移。しかし白百合姫の傍を離れたことで魔力の供給が途絶え、たまたま転移先にあった、しかも魔法的な守りもなにも施されていない香水に目をつける。
ケース内の香水を手元に転移させようと魔法を使用し、恐らくここで召喚時に亀を取り巻いていた残滓がすべて消滅。さらに魔力を得るために、香水の魔力を使って自身か香水を転移させ、香水を盗む。けれど魔法を使ったことで総量プラスにはならず、またなけなし魔力を使って香水を盗み——と堂々巡りになり、知能が低いせいでこのループから抜け出せなかった。
最初から最後まで、知能の低い亀が一匹だけで実行した、計画とも言えない計画——だと納得することもできたのだが。
それでもうみは疑念を抱き続けてしまい、とうとう白百合姫に問いかけてしまった。
「失礼を承知で、念のために確認しますが……わざと逃がした、なんてことはないですよね?」
黄金の瞳が細められる。
一拍、間を置いてから、「ふふ」と白百合姫は笑い声をもらした。
「どうして、わたくしがそんなことを?」
逆に問われて、うみは答えに詰まる。
亀を逃がして、一般の店に迷惑をかけて、白百合姫にどんなメリットが生まれるのかはわからない。証拠があるわけでもない。
ただ、やはり引っかかるのだ。
そもそも、魔法を使える人間や生物が召喚される可能性があるとわかっているくせに、転移魔法の対策もしないままなんてことが、白百合姫に限ってあり得るだろうか。害あるものが召喚されたらすぐ処分できるよう、真紅部隊の魔法使いもそばに置いていただろうに。
しかも逃げたあと、ヤーナたちは簡単な罠で捕獲できたのに、真白部隊や真紅部隊を使って探す素振りもなく、いままで放置していたなんて。
——でも、こんなのは、ほとんど勘でしかない。こじつけだと言われればそれまでだ。
だからうみが黙り込んでしまっていると、白百合姫が「そうだ」と手を合わせた。
「いい写真が撮れたのではない?」
うみは思わず、胸ポケットに手を当てる。
「……だれから聞きました?」
「勘よ。ふふ、あなたと同じね」
——わたしは、勘だなんて口に出してないのに。どこまでお見通しなんだ、この人は。
うみは胸ポケットから写真を一枚取り出し、卓上に置いた。
「スモモとヤーナが調査している最中、店内を覗き見ていた人間がいました。撮影者はリムククです」
写真に写っているのは、外套と仮面を身に着けた大柄な人物。学校でリムククたちを襲った集団と同じ格好だ。
スモモとトタンの荷物を荒らしたのは、この写真の関係者なのではないかとうみは睨んでいる。
「顔は仮面でわかりませんが……ジュジュに確認したところ、体格から見て指示書を渡しにきていた者と同一人物である可能性が高いそうです。ただ————」
「その方も、結局はジュジュと同じ使い捨ての駒。実際に指示を出している人間ではないと思われる——でしょう?」
白百合姫が、写真を手にとる。
「ねえ。この写真、わたくしが頂いても?」
「元データはヤーナが保管しているので構いませんが……どうするつもりですか?」
「これを添えて、お手紙を送ってみようと思って。ふふふっ、どんな反応をするかしら。驚いて慌てて、楽しいことをしてくださればいいのだけど」
「…………もう目星がついているなら、情報共有してほしいんですけど」
うみが白百合姫を見る目は、もしかすると冷ややかなものになっていたかもしれない。白百合姫が笑って、「こわいお顔」と言った。
「勘頼りの不確かな情報を伝えてしまうと、迷惑をかけてしまうでしょう? まずはきちんとした証拠を集めなくては。……だからそのために、またひとつ、お願いしたいことがあるの」




