江南の夢
「なんという無礼な」
「無礼にも程がある」
なんだ?
遠くの方から聞こえてくるような喧騒
多くの人間の会話が遠くに聞こえる。苛立ち、憤りが溢れる喧騒。まるでWEB会議の向こうで聞こえてくる会話のような声が徐々にはっきりと聞えて来た。
ぼんやりとした視界もまた徐々にクリアになっていき、それと同時に喧騒がはっきりと言語として意識されていく。
「大殿の養女となった娘を離縁して送り返すなど、これは佐々木六角家からの明確な離反でございます」
「浅井討伐のご許可を」
佐々木六角?
浅井?
完全に戦国時代の話だな…。
目の前で騒いでいる壮年の男たちの顔が徐々に色付き始めたころ、その会話の内容が頭に入ってくるようになる。出てくる苗字は聞いた事のある名前がある。日本の歴史好きであれば誰もが一度は聞いた事がある名であろう。
「既に浅井側でも兵を集めている模様」
「この機に佐和山を落とし、北近江へ進軍すべし」
完全に視界がクリアになる頃には、頭の中もまた霧が晴れたようにすっきりとして来た。それと共に自分が置かれている状況を理解し始める。
この場所はフローリングというにはお粗末な板の間。その板の間に一畳だけ置かれた畳の上に自分は座っている。その自分の横に頭の毛を剃った丸坊主の男が座っていた。そんな二人を囲むように多くの人間が板の間に胡坐をかいて座っているという状況。
なんだこれ?
隣の丸坊主は腕を組んで目を瞑ったまま。自分の横にいるという事は、囲んでいる多くの男達と正面から対峙しているのは自分なのだ。だが、囲んでいる男達は自分に向かって語り掛けているというよりは隣の丸坊主という変な形だ。
なんか、変わったばかりの社長みたいだな。隣にいるのが会長で、社長を譲りはしたが、代表権を残したままの会長が出席する会議のようだ。この前WEBで出席した会議の模様が思い出された。
「御屋形様!」
「御屋形様、如何に!」
今目の前で騒いでいる男達の話を聞く限り、ここは佐々木六角家なのだろう。佐々木六角家と言えば戦国時代と呼ばれる室町後半に南近江を支配していた宇多源氏佐々木の末裔である六角家しか思い浮かばない。皆が着ているのも時代劇でしか見た事のない着物と袴であるし、この板の間が正直、令和の時代のフローリングからはかけ離れているのもある。
時代劇と言っても一昔前の映像のような煌びやかな着物ではなく、貧乏くさいなと思えるほど粗末な着物なのだ。
浅井という苗字も出てきているし、浅井と言えば北近江三郡を支配していた浅井の事ではないだろうか。有名どころで言えば、織田信長の義弟である浅井長政であろう。
「右衛門督、如何する?」
目を瞑ったまま、隣の坊主が声を掛けて来た。
右衛門督?
六角が近江の六角だとすれば、右衛門督という官職を得ていたのは、一人だけだろう。
六角義治
どの文献でも、どの二次小説でも、どのゲームでも愚鈍かつ粗忽者として名を馳せる男。六角の隆盛を終わらせ、滅亡へと導く『観音寺崩れ』を演出した立役者。
えっ? 今、私を向いて右衛門督と呼びかけたのですか? 僕? 僕が六角義治なの?
「わ、私ですか?」
「…既に家督はその方に譲っておる。六角家現当主はその方であるぞ」
当主が既に義治に移っているという事は、確か義治の父である義賢が仏門に入って『承禎』となり隠居したのが、1557年だった筈。よくよく考えれば義治の誕生が1545年だったから、数え年13歳で当主とされた義治も可哀そうだな…。
いや、そんな事はどうでもいい。先程からの事を考えると、目の前で徒党を組んでいるのが六角家臣団だから、その者達の話を掛け合わせると、浅井長政…今は浅井賢政から嫁を送り返されたと。その嫁というのは、確か六角家臣の平井定武の娘だったよな。
「…右衛門督?」
しかし、よくよく周りを見ると、この家臣達は完全に義治を侮っている。父である承禎が声を掛けているから視線をこちらへ向けているが、半分以上は白けた目をしていた。
確か浅井が嫁を送り返したのが、永禄2年の4月頃。という事は1559年の4月という事になり、かの有名な桶狭間の戦いが1560年5月か6月だった筈だから、それ以前という事になるだろう。
ああ! 漫画やアニメでもないし、異世界転生や歴史逆行転生なんてあり得るはずがない。という事は、今目の前に起きているのは夢なのだろう。確か寝る前に戦国ゲームをやっていた気もするし、歴史小説を読んでいた気もする。
夢だ、夢に違いない。ならば、すぐに目が覚めるだろう。そういうことならこの場は好き勝手やらせてもらおう。
「加賀守、娘は息災か?」
「!!」
浅井との戦の話ばかりしているが、離縁された娘の心境の方が大事だ。浅井など、織田の助力なくば、この南近江に足を踏み入れる事は出来ない。野良田の戦い以前であれば、全く持って相手にならないのだ。そんな相手に憤る事があるとすれば、幼馴染として育ったはずの平井定武の娘を粗略に扱った事であろう。
正直誰が平井加賀守定武なのかわからない為、視線を定める事無く声だけを出す。すると、自分から見て左側の2番手に座っていた初老の男が肩を動かした。
「御屋形様、息災とは?」
おお! 平井は義治を『御屋形様』と呼ぶのだな。まぁ、六角六宿老の一人だから当然と言えば当然だろう。だが、その瞳には不信感が滲んでいるのが見える。確かに聞き方がまずかったか。離縁されて強制的に送り返されて息災な訳ないわな。
「済まぬ、問い方を誤った。怪我、病など無く戻ったか?」
「っ! 某の不調法、御許し下さいませ。心こそ弱っておりますが、息災にございまする」
こちらが軽く頭を下げれば、平井加賀守は弾かれたように身体を跳ねさせ、そのまま板の間に額を打つほどに頭を下げる。
ふむ…。義治が謝罪を口にするというのは、不信感を増幅させるような物なのかもしれない。これは少し考えた方が良いだろうか。
いや、どうせ夢だ。夢ならば好きなようにやろう。
「そうか、心が弱ると身体も弱る。ゆるりと養生する事だ」
「はっ」
平井加賀守から視線を外し、広間を見る。
正直信じられないが、今視界に入っているのが、かの有名な観音寺城の評定の間なのだろう。何かの文献でも見たことはないし、もちろん実際に写真が残っているわけでもない場所が細かな場所まで鮮明に映っている。奥に見える屏風や襖、木で出来た引き戸。戦国時代の城の中でもかなり堅牢な作りになっている山城である観音寺城の中に今いるという事に感動し、身が震える思いだった。
「心が健やかになる頃に、城へ上げよ」
「…そ、それは」
評定の間にいる幾人かの家臣達の顔を見るが名前が出てこない。当たり前だが、顔と名前が一致しないのだ。六角義治ではないのだから当たり前なのだが、元々の記憶とかが流れてくれば楽ではあるが、所詮は夢なのだろう。
「我が室とする」
「なんと!」
六角義治の逸話やIF小説などを見る度に、いつも考えていた。難しい事とは分かっているが、この時義治が平井加賀守を労い、優しい言葉をかけていたら、その娘のその後をしっかりと面倒を見ていたら、歴史は少し変わっていたかもしれないと。
どうせ夢ならば、自分の好きにやってみよう。夢から覚めれば笑い話だ。従属していた家からの出戻りの娘を六角佐々木家現当主の正室とするなど、周囲から侮られ、馬鹿にされてもおかしくない話であるが、それで六角家中が纏まるならば、何も問題はない筈だ。
「御屋形様、室にするとは、側室として上げよとの仰せでありますか?」
「否、正室とする」
先程よりも凄まじいどよめきが起きる。隣に座っていた承禎坊主でさえも驚きに目を見開き、首ごとこちらへ向けていた。家臣筋の娘を正室にすること自体が珍しいのにも拘らず、出戻りの娘となれば尚更なのだろう。
この時代の女性の立場は余りにも弱い。子を成す為の道具としか考えていない男も数多くいるし、実際に扱いも酷いのだ。
「御屋形様、それはなりませぬ」
「下野守殿の申す通りにございます。御屋形様のご温情、忝く思いますが、それはなりませぬ」
最初に口を開いた男は下野守と呼ばれていた事から、おそらく蒲生定秀なのだろう。六角六宿老として有名な六人は、蒲生定秀、平井定武、進藤賢盛、後藤賢豊、三雲定持、目賀田忠朝の六人。
今、自分の目の前で口々に騒いでいる者達は概ねその六人という事で問題ないのだろう。ここにいる人数が六人でない以上、どれが誰なのかを判別しようもないが、一人一人憶えて行くしかない。夢の時間があとどれだけ残っているかは分からないが。
「下野守、ならぬとは何故じゃ」
「しからば、加賀守殿には酷になりますが、右衛門督様の正室としては相応しくございませぬ。右衛門督様は現六角家ご当主故に、しかるべき娘を北の方様とされるがよろしいかと」
「ふむ。但馬守」
「はっ、某もそのように」
「山城守」
「同じく」
但馬守=後藤賢豊、山城守=進藤賢盛。六角の両藤と呼ばれる宿老中の宿老だ。他、目賀田摂津守忠朝、三雲対馬守定持の二人となるが。その二人は言葉を発しない。他四人に比べると、宿老としての発言力が弱いのか、それとも別の考えがある為なのか。
「摂津守、対馬守も同じか?」
「某は、御屋形様の決定に従いまする」
「加賀守殿の心中を思えば、御屋形様の御覚悟、畏れ入ってございます」
ふむ。三雲は同意。目賀田は同意しているわけではないが決定に従うといったところか。
二人の発言を受けて、また評定の間が喧騒に包まれる。それぞれが口々に意見を言い、それが反響して大きな騒めきになっている。
承禎坊主は眉間に皺を寄せ、再度目を瞑ってしまっている。何を考えているのか分らないが、またこのボンクラが何か騒ぎ始めたと呆れているのかもしれない。
「静まれぇ!」
喧騒が大きくなり、収拾が付かなくなる前にこの話は終わらせるべきだ。そう感じた為に、腹に力を入れ、しっかりと前を向いて声を発した。全員が口を開いたまま声を止め、驚いたようにこちらに視線を向ける。六宿老から立ち直り、居住まいを正して自分と正対した。
ほう、ここに来て、ようやく当主と向き合うつもりのようだ。
「加賀守の娘は、我が父承禎入道の養女となり、浅井の猿夜叉へ嫁いだ。つまりは我が義妹である」
皆が居住まいを正した事を見届け、出来るだけゆっくりとした口調で話を始める。口にした内容は既に皆が周知の事ではあるが、建前と言えば建前なのだ。それを然も当然のように自信をもった口調で話せば、それは揺るがない事実となる。
「義妹を娶るというのも可笑しな話ではあるが、一度我が義妹となった以上、わが一族である。本来、再度良き伴侶を責任を持って探してやるのが義兄の役目なのかもしれぬが、加賀守の家に戻った為にそれも叶わぬ。ならば、我が手にて幸せにしてやる事こそ、一族として迎え入れた六角家当主の責務であろう」
一言一句しっかりとした口調でゆっくりと語る間、誰一人として口を開かない。皆、息さえもしていないのではないかと思う程の静寂が評定の間を支配した。誰も義治から目を離さない。よく見れば、先程まで眉を顰めて小さな不快感を表していた家臣達の表情にも変化が見えていた。
「だが、加賀守の想い、娘の想いがあっての物でもある。我が想いは今語った。仔細は加賀守に任せる、良いな?」
平井加賀守へ視線を向けると、暫くこちらを呆然と見た後、勢いをつけて再び平伏してしまう。周囲へ改めて視線を向けると、六宿老を筆頭に全員が平伏して行った。
「御屋形様のお言葉、誠に有難く…うぅ…」
平井加賀守が口を開くが、言葉は最後まで続かず、くぐもった嗚咽になってしまう。先程まで反対をしていた下野守、但馬守さえも、そんな加賀守へ温かな視線を送っていた。
「…よう言った。ようやく六角家当主としての自覚が芽生えたか。皆の者、六角家当主の決断である。儂は右衛門督の決断を隠居として嬉しく思う」
父である承禎入道が追認した事により、再度皆が一斉に平伏する。やはり、義治が当主と言われても、まだまだ隠居である承禎入道の発言力が強い証明であろう。
正直、今が1559年だとすれば、まだ義治は数え年で15歳。人間50年と云われている時代であろうとも若輩中の若輩。現代であれば中学を卒業するかどうかのガキに頭など下げられるものではないだろう。
「さて、浅井に関してであるが、佐和山を攻める。加賀守、高島七頭を動かし、江北へ軍を進めよ。摂津守は、八町城の赤田を攻めよ。その際に吉田城からも兵を募れ」
「はっ」
吉田城の吉田氏も元を辿れば佐々木源氏、浅井についている赤田城を潰せば、佐和山まで邪魔する武家はない。いや、まだ先の話にはなるが、既に浅井の手が伸びている家があったか。
「肥田城へ使者を向かわせよ。既に浅井の手が伸びておるかもしれん。伸びておれば行きがけの駄賃とする」
「高野瀬が寝返ると申されますか?」
「肥田城、高野瀬城は南近江に食い込む急所だ。佐和山への道を封じる事もでき、八町城と連携すれば、南近江に向かって領土を押し出す形となる。例え調略が成功しなくとも、六角にその疑惑を持たせるだけでも上々よ。俺ならば試してみる」
「な、なんと…」
目の前の家臣達が唾を飲む音が聞こえた。隣の承禎も驚いた顔をしてこちらを見ていた。まぁ、文献に残っている義治の人となりが誇張ない物であれば、まるで人が変わったように見えているだろう。
しかし、この夢、長いな。
もうかれこれ一時間以上経過しているような気もする。これだけ長い夢を見ていると、徐々に細部がぼやけて来たり、薄れて来たりする物だが、逆に時間が立つほど視界が鮮明になり、視野が広がっているようにさえ思う。
「但馬守、下野守、どれだけの兵を用意できる?」
「は、はっ。加賀守殿、摂津守殿の兵を抜くとすれば、この月に集められても精々四千が限度でございます」
「七千集めよ。肥田城へ使者が辿り着いた翌日には肥田城へ着陣させるぞ。陣触れを出せ!」
「ははっ」
1560年近辺の六角家の総動員数を考えると、おそらく最大2万から2万5千は可能だろう。確か史実の野良田の戦いの動員数が2万5千だったと思う。あれは8月中旬での戦いであった為、旧暦だと考えると稲刈りも終わっての動員だったのだろう。
今は4月、田植えの時期か、それが終わるか終わらないかの時期だろう。であるならば、農民兵の集まりは悪い。そこを見越しての浅井の離反なのだと思う。今ならば六角もすぐに兵を挙げる事は出来ないと考えた筈だ。
この時期に徴兵をすること自体が領地の民からの不満に繋がり、その領民達を管理している各豪族達の不満になるのだが、ここは無理をしてでも動員して浅井を叩くべきなのだ。それでなければ、周囲の各国から舐められるだけだ。
この時期の機内は三好が権勢を誇り、足利将軍である義輝もようやく坂本から京へ戻ったばかりの為、六角が揺らぐ事はかなり危険なのだ。実際、史実ではこの浅井の離反から六角の衰退が顕著になり、観音寺騒動まで一直線に進んで行く。これが夢とは言え、それは避けたい。
「田植えに必要な人間は残せ、各農村にいる次男三男などかき集め、兵とせよ。兵となれば飯は喰える。徴兵にそこまで苦労はせぬ筈だ」
自分を囲む家臣達の目にあった侮りの色が薄くなっている。『大丈夫なのか?言っている事はまともだな。だが、良いのか?』という疑問はあるようだが、逆らう事はないようである。
「何かあれば進言せよ。なければ、兵が集まり次第、肥田城へ向かう。父上、よろしいな?」
「…う、うむ」
「では、皆の者、支度を急げ! ……対馬守には別途話がある故、暫し残れ」
「はっ」
意見を問うように家臣を見回すと、皆が平伏する。最後に父承禎に確認すると、未だに驚きから立ち直り切れていないのか、返答に躊躇しながらも小さく頷きを返した。
隠居である父が頷いたのを見届け、私の号令と共に家臣達が一斉に立ち上がり、それぞれの屋敷へと帰って行く。徴兵をするために領地に戻る者、大慌てて領地にいる親族や家臣に手紙を送る者など様々だが、瞬く間に全員が評定の間から消えて行き、自分と父承禎、そして家臣で唯一三雲対馬守定持だけが残った。
「ふぅ…四郎、どうしたのだ?」
周囲に誰もいない事を確認した承禎が、自分に声を掛ける。官位である『右衛門督』を使わず、四郎という通名で呼んだ事でも、私的な質問なのだろう。ああ、もしかすると、この時代であれば、六角義治は『六角右衛門督義弼』なのかもしれない。
三雲対馬守もこの場には居るが、この三雲家は甲賀五十三家の内の一つで、武家として六角家に籍を置いてはいるが、配下には甲賀の者達が多い。裏の影働きをしている為、他の家臣達よりも裏の情報にも精通しているのだ。それ故に、個人的な話の場にいても地蔵と同様に扱う。
「どうしたとは?」
「昨日までのその方とは思えぬ」
至極真面目な顔をしてこちらを見る承禎の目は疑心が見え隠れしている。確かに短気で浅慮が売りであった義治が突如として家臣を想い、戦略を口にするなど物の怪の類だと思われても仕方がない。実際、この父もまた狐憑きとでも疑っているのかもしれない。
何と答えれば良いものか…。夢であるとは言え、ここで正直に話した場合、物の怪の類だと思われ、そのまま刀で首を落とされてしまう可能性もある。夢である為、死ぬことはないだろうが、首を切られるのはちょっと嫌だな。
「猿夜叉が平井の娘を離縁したという言葉を聞いた時、余りに頭に血が上った為か、逆に妙に頭が冴えました。霞が掛かっていた視界が晴れたと申しましょうか。頭に乗っていた石が取れたというべきか」
「そうか…」
「ただ、私怨を抜いてでも、ここで浅井は叩いておくべきと思いまする。これを機に浅井を滅ぼす事は叶わずとも、高島郡の全てと佐和山までは六角が抑えるべきかと」
未だ狐憑きの疑いは晴れずとも、息子が言っている事が六角の為になる事であるというのは理解できたのであろう。承禎は目を瞑り、腕を組んで一度唸った。
「鎌刃城まで行けば、美濃と余計な火種を生む可能性もありますが、佐和山であれば浅井の喉元に手を掛けるには十分。佐和山を取り、私が入るか、家臣を付けて次郎を入れるかし、六角の北近江最先端の拠点とするべきかと愚考致します」
「…出来るか?」
「今ならば。逆に夏を待ってから兵を起こせば、条件は浅井と変わりませぬ。予想通りに高野瀬が浅井側に付けば、六角の足元が揺らぎます。また、この状況での浅井の離反は幕府側としても好意的には受け取りますまい。ならば、朽木を除いた高島郡を六角が支配する事にも否とは言わぬでしょう」
足利将軍家という家は本当に厄介極まりない家である。
足利尊氏という鎌倉幕府内の一御家人が、時流に乗って天下人に担ぎ上げられたようなものである。一御家人というが河内源氏の流れを汲んでいる足利宗本家であるため、血筋としては他のご家人よりも一歩上だった筈。だが、彼は足利本家の息子と言えども次男であった。時勢と運がかみ合った結果が幕府樹立になったといっても過言ではない。
厳密にいえば、現将軍家が全ての武家の棟梁である為、主君となる。故に声高に誰も口にはしないが、文献に残っている足利尊氏という人物像を見ると、尊大、横柄、自己中心的という側面が見え隠れする。実際に鎌倉幕府の執権を討伐して倒幕しているのだから下剋上で出来上がった幕府なのだ。正直、あの成立までの歴史を鑑みて、よく250年近くも持ったなと考えてしまうのだ。
「ただ、浅井が今回の行動を起こした背景が少し気になります。如何に猿夜叉が血気盛んであり、才気があると言えども、単独で当家に矛を向ける事が出来る程の力が浅井にあるとは思えませぬ」
「ふむ」
浅井はどんなに多く見積もっても北近江三郡、精々が20万石強の領土である。この時期の六角家は伊賀の四郡の内の三郡と北伊勢の一部の領土も間接的とはいえ統治している。実質3倍以上の石高を持っており、楽観的に考えたとしても敵対出来る相手ではないのだ。
「対馬守、浅井の実情は?」
「はっ、この度の離縁は浅井新九郎の独断と思われます。有力家臣達と共謀し、浅井左兵衛尉を幽閉しております」
浅井新九郎は浅井長政、この頃は賢政。浅井左兵衛尉はその父の浅井久政である。久政は下野守を自称していた文献も残っているが、その文献も野良田の戦い終わり、六角家から明確な離反が完了した後からの物。この時代は、京極高広が斡旋してくれた『左兵衛尉』を呼称している。
史実では、この時に有力家臣達の直訴により、強制的に家督を譲らされ、小谷城の小丸に蟄居させられていたと云われている。だが、その後、織田との同盟後も何らかの影響力を持ち、自身を蟄居させた家臣達を罰する事もせずにいた事を考えると、ただの策謀だったのではという考察もあるのだ。
「それは真の話なのか? 正直、家督を奪う必要はなかろう。六角を欺く為の騒ぎではないかと考えておる。対馬守を信頼していない訳ではないが、少し訝しい。時期が時期とはいえ、これだけの強気な姿勢を見せて来るのであれば、何らかの後ろ盾があると考えるべきだろう」
「…後ろ盾でございますか?」
自身の配下が持ち帰った情報を疑われた事は納得が行かないのだろう。少々不満そうな表情を上手く隠しながら疑問を口にする三雲対馬守を見て、やはり長年培って来た六角家嫡男への不信は一朝一夕に晴れる事はないのだと理解する。
まぁ、現代人の感覚で言えば、十代前半の人間にいい大人が大きな責任を背負わせて、勝手に期待して、勝手に失望するなと思ってしまう。素行が悪かったのは義治の性格なのかもしれないが、それもまた育て方如何によっていくらでも変わっていただろうからな。
「対馬守には朝倉が動いていないかの確認をして欲しい。浅井と朝倉には深い縁がある筈。朝倉としては浅井を六角への壁として使いたいのだろうが、両家の思惑が合致すれば厄介だ」
「朝倉の後詰か…あり得なくはない」
横で承禎入道が唸りながらも一人納得する。先程までの不満な雰囲気を消した三雲対馬守は、姿勢を正してこちらを見ていた。
「また、越前国内に『加賀に不穏有』の噂を流せるか?」
「一向宗ですか!?」
対馬守が驚きを表すが、現代人の感覚だと当たり前なのだ。ただ、この時代、日本という国全体の形も定かではなく、国の境は分かってはいても、二国先の地形は勿論、情勢など全く分からないのが当たり前なのである。情報が入ってくるにしてもひと月、ふた月掛かるのは当然なのだ。
「加賀守に高島郡から塩津へ進ませる。そこに朝倉の後詰がいては壊滅となってしまうだろう。だが、朝倉には最早『太郎左衛門尉』は居ない。加賀から一向門徒に攻められれば、一乗谷まで一気に入り込まれる恐れもあり、その噂の真偽を定かにするまでは敦賀を超えて兵を進ませる事は出来ない筈だ」
一通り話し終え、対馬守へ視線を向ける。そこには呆然と口を開けた大人が、声も発せずに少年といっても過言ではない人間から目も離せない姿だった。
「お、御見逸れ致しましてございます! 早急に愚息を越前へと向かわせまする」
対馬守の息子となれば、嫡男の三雲新左衛門尉賢持か、次男の豊左衛門成持となるが、賢持が討ち死にするのは観音寺騒動後の1566年だった筈。という事はまだ健在であるし、承禎入道の俗名である『義賢』から偏諱を受けて『賢持』と名乗っている筈だから、武家として六角に仕えており、戦働きを主としているかもしれない。となると、今忍び働きを統率しているのは『成持』の方なのかもしれない。
「頼むぞ。その方達の働きが六角の未来を左右するのだ」
「は、ははっ。身命を賭して」
もう一度深く平伏をした対馬守はそのまま素早く立ち上がって謁見の間を出て行った。残るは本当に六角親子だけとなる。
本来であれば、親子での会話をする事となるのだが、未だに狐憑きの疑いが晴れないのか、承禎はじっと腕を組んだまま目を瞑っていた。
「父上、私をお疑いですか?」
「!!」
このまま疑いを持たれたままであれば、六角家にとって良い事ではないだろう。ここまでの長い夢となれば覚めない事も考えなければならないだろう。その場合、彼を父親と思い過ごさなければならない。夢を見る前の自分の年齢が幾つであったのかが何故か思い出すことは出来ないが、父親とするには自分との年齢差がないようにさえも思えた。それでも父と子としてしっかりと関係を築いていかなければ、経緯は異なっても結果である観音寺騒動を引き起こしてしまう可能性を否定できない。
故にこそ、ここはしっかりと話す必要があるのだ。
「狐憑きか妖か。私にも解りかねます。ただ、私には幼き頃から過ごしたこの観音寺城の思い出があります。六角の誇りも変わりませぬ」
「…そうじゃな。そうであるな。お前は変わらぬ。人一倍強い六角の誇りが、今はしっかりと方向を定めた、という事なのだろうな」
何かを覚悟したような、そして諦めたような溜息を一つ吐き出した承禎は、厳しい表情で再度顔を上げる。そこにいるのは前佐々木六角家当主であった六角左京太夫義賢の顔。
「四郎、今日より儂は完全なる隠居じゃ。評定にも其方が望まぬ限り顔は出さぬ。六角を頼むぞ」
「はっ」
覚悟を決めた承禎は、表舞台から去る事を明言する。評定に顔を出さないという事は政務から一切離れる事を意味する。この時代、意外に隠居したが権勢を持ち続ける者は多かった。特に名を馳せた者ほど、権勢を維持している。それは隠居したとしても実権を手放したくないという権威欲ばかりではなく、後任である息子を頼りないと思う家臣を纏めるためにも、権勢を手放せないという事も多かった。
江戸時代と異なり、この室町後期の頃の武士には『主君』と『家臣』という線引きが曖昧であった。それこそ守護職にあった家であれば、古くからの家臣筋がある。六角氏も列記とした近江守護職ではあるが、近江一国の守護職を京極氏と取り合うような形となっていた時代も長く、家臣団を強くすることが出来ていなかった。
現在の六角氏は南近江を抑えており、先々代当主である管領代であった六角定頼の実績と、それを壊さずに保ち続けた先代六角義賢の名で配下にある土豪衆を束ねているのだ。
「近江守護として、北と南を統一致します」
「うむ」
その先の事も伝えるべきかを少し悩むが、ここで隠しても仕方がない。今この場で自分が思っている事を伝えるべきだろう。正直、もうこれが夢なのか、それとも今まで見ていた物が夢なのか分からなくなっている。行く所まで行くべきだろう。
「父上もそうお考えだったと考えておりますが、将軍家とは距離を置くべきかと考えております」
「…なっ!」
六角家念願の一つでもある近江の統一を口にする息子に対して満足げに頷きを返した承禎であったが、続いて飛び出した言葉に絶句した。
この時代の将軍家というのは正直、禁忌に近い。西暦2000年代の人間にとっては馬鹿らしいの一言で片付く物ではあるが、この時代の武家にとって、足利将軍家という存在は別格なのだ。
目には目を歯には歯をが、この室町末期である戦国時代の常識なのだが、それがこの足利将軍家だけには通用しない。現在も三好家と何度も衝突をしている。かの有名な三好長慶が死んだのが1564年だった筈だから、まだまだ存命中なのだろうが、足利将軍家はこの三好長慶の暗殺未遂まで企てている。更には、1561年に弟である十河一存の急死、1563年には嫡男である三好義興の急死も死因が不明で、足利将軍家の関与が疑問視されている。
真偽のほどは定かではないが、当主である三好長慶の2度の暗殺未遂は文献にも残っており、その内の一度は幕臣自ら三好長慶を斬りつけている。
「現状の将軍家は危うい。畏れ多くも大樹に物を申すつもりはありませぬが、幕臣共の質が余りにも悪い。今でこそ筑前守殿が健勝故に、相手にすらされてはおりませぬが、三好家も武家でございます。異常な侮りを受ければ、降りかかる火の粉は払わなければならぬ筈」
「……大樹を害するというのか?」
先にも語ったが、この頃の日本の武家は、江戸時代のような完全な封建社会で生きてはいない。既に百年以上続く室町幕府という存在により、征夷大将軍という地位に関して盲目的な畏怖を持っているとはいえ、儒教の教えのような絶対的な忠誠などは存在しないのだ。武家の基本は『御恩』と『奉公』であり、奉公に報える御恩を与える事の出来る者が主君であり、それを下が選べるという考えさえもある時代。
「幕臣共の勘違いには、我らとて辟易している筈。我ら守護職にある者達は全て等しく大樹の直臣でございます。同じく直臣である幕臣達に侮られる所以はございませぬ。既に三好家とて細川家の家臣筋ではなく、守護職の一端。筑前守殿は幕臣共のような木っ端に目を向ける暇などありませぬが、三好家の家臣達からすれば、腸の煮えくり返る思いでございましょう。主君を侮られて喜ぶ者などおらぬ故」
「……その方の言い分、聞けば聞くほど尤も至極。しかし、腐っても幕府であるぞ。更に言えば、佐々木六角家は管領代のお家柄である」
「……雲光寺様には申し訳ございませぬが、所詮『管領代』にございます。何の役にも立たなかった『管領』の代わりに扱き使われただけ。費用と時間だけを浪費させられ、その間で我が六角家の領地は如何ほど広がりましたか? 最早、無用の長物に時間と資金を取られている訳には参りませぬ。形ある物必ず滅しまする。動き出す時代に六角家が乗り遅れる訳には参りますまい」
正直、歴史通りに進めば、1565年には永禄の変にて将軍足利義輝は誅殺される。残り6年しかないことになる。ここで浅井を叩くとしても、既に凋落が確実視されている足利将軍家に関わっている程の時間はないのだ。
足利義昭の擁立にも関わるつもりはないのだが、今はそれを口にしても仕方がないだろう。
「……六角家当主は其方だ。六角家を良しなに頼む」
「お任せあれ」
横で疲れたように溜息を吐き出す承禎を横目に立ち上がる。
未だに夢は覚めない。
覚めないならば、覚めるまでは『六角右衛門督義弼』として生きてみよう。
朧気ながらに記憶している2000年代が現実なのか、それともこの1550年代が現実なのか。人の生涯など所詮は夢幻の如く。どちらが胡蝶の夢なのかなど、最早どちらでも良し。
後の世で天下人間近の織田信長が城を築いたこの日ノ本の中心で、精一杯足掻いて見せようぞ。