96話 勝利
「グオオォォォオオ!」
アレスが紫色の魔力を立ち上らせる中、デザートドラゴンの拘束が解けてしまう。しかし、アレスは慌てない。
厳しくも凛々しい顔で、剣を構えた。
「僕の大事な想いを踏みにじりやがって……」
アレスの全身から、怒りが漏れ出しているようだった。さらなる魔力が立ち上り、俺の肌をピリピリと刺激する。
「絶対に許さないぞ!」
今までアレスのことは、強いは強いものの、ジオスや怪物化した領主には及ばないと思っていた。しかし、今のアレスは彼らに比べても、遜色ないほどの威圧感を放っている。
正直言って、恐ろしい。
自分でも疑り深いと分かっているが、殺されかけた記憶は消えてはくれないのだ。背筋が震えた。この力が自分たちに――シロとクロに向いたらと思うと、恐ろしくてたまらない。
アレスが俺たちを殺さないと宣言していても、恐怖は消えなかった。
「天竜と戦った時にこの力があれば、2人を死なせたりしなかったのに!」
アレスの放つ気配がさらに強く、猛々しく変化する。ブチギレてはいないものの、その背中は間違いなく闘争者の背中だった。
「おおぉぉぉぉおぉ! 死ね!」
「ガアアァァァ!」
アレスの剣と、デザートドラゴンの前足がぶつかり合う。凄まじい衝撃音。黒と紫の魔力が激しく明滅し、光が乱舞する。
その打ち合いは、互角であった。
あの巨体相手に、打ち負けないとは……。あの紫色の魔力によって、途轍もない身体強化を実現しているようだった。
アレスの速度がさらに増していく。
残像ができるほどの速度でデザートドラゴンの周囲を飛び回り、剣を振るった。紫の魔力を纏った斬撃が、デザートドラゴンの黒い魔力を削り、剥がしていく。
驚きなのは、アレスの動きを俺がしっかり見極められていることだろう。
ジオスと領主の動きは見えなかった。それが、今は見えている。アレスの動きが、ジオスたちに比べて遅いということはないはずだ。
なぜか、俺の動体視力が短期間で上昇した? 再生力といい、自身の能力が異常に上昇している感覚があった。
ただ、あの戦いに入っていける自信はない。この分では身体能力も上昇しているかもしれないが、所詮は4歳児の肉体だからな。
それでも、いざとなればアレスの援護ができるように、魔力を静かに集中させた。アレスが怖いと言っても、彼に勝ってもらいたいのは間違いないのだ。
「ガガァァァァ!」
デザートドラゴンの気配が変わった! その咆哮には、深い怒りが籠っているのだ。
黒い魔力がボゴボゴと泡立つかのように蠢くと、その巨体がさらに膨れあがっていく。身を起こせば高い天井に頭がついてしまいそうなほどのサイズに、それまではなかった一対の翼。
まさに、凶悪な黒竜といった姿だ。
これは、デザートドラゴンの肉体はそのままで、覆っている黒い魔力だけが変形しているのか?
アレスが跳び上がって翼を切り裂いたが、そこから血が噴き出すようなこともなかった。それでいながら、即座に再生した翼が大きくはためくと、魔力が発せられ凄まじい風が吹き荒れる。
動くだけで風魔法が発動しているようなものだ。
やはり、ただ巨大化するだけの虚仮脅しではない。
「ガアアアアアアア!」
「ウオオォォォォ!」
ドラゴンの胸部が膨れ上がり、ガパッと開けられた口の奥では光が瞬く。明らかにブレスの前兆動作だった。
対するアレスは逃げようとはせず、大上段に構えた剣に紫の魔力を集中させた。互いから立ち上る魔力だけで、震えが来そうになるほどだ。
ヤバい! 直感的にそう感じた俺たちは、3人で固まって障壁を張った。
直後、凄まじい爆風と衝撃が一気に吹き付ける。障壁の外では紫の魔力と黒の魔力が混ざり合うように荒れ狂い、障壁を削った。
ドラゴンのブレスと、アレスの放った魔力が正面からぶつかり合い、大爆発を起こしたのだ。
3人で踏ん張りながら、障壁を維持すること数秒。長い長い数秒を耐えながら、俺は歯を食いしばった。
俺たちは、何もできていない。強者同士の戦いに巻き込まれた、弱者。それが今の俺たちだ。
悔しい。強くなったつもりだったのに、所詮はつもりだった。どの面下げて、シロとクロを守るって? ただの雑魚が、何を言っているんだ!
悔しさに身を震わせながら爆風を耐えきると、部屋の状況は一変していた。床が大きく削られ、クレーターのような大きな穴が開いているのだ。
アレスは、無事なのか? サウナのような熱に顔を顰めながら、部屋を見渡す。
「グゥ……」
アレスは生きていた。だが、右腕や顔の一部に火傷を負っている。完全には防ぎきれなかったらしい。
デザートドラゴンもただでは済んでいない。黒い魔力が所々抉れ、その下の肉体が見えている。かなりのダメージを負ったようだ。
互いに睨み合いながら動かない。俺たちのことなんか、眼中にないのだろう。その姿を見て、俺の内で燻っていたモヤモヤとした気持ちに火が付くのが分かった。悔しさを燃料に、怒りが燃え上がる。
俺たちなんて、気にするまでもないっていうのか? ふざけやがって!
怒りと共に喉が熱くなり、自然と魔力が湧き上がる。今なら上位魔法が使えるはずだ。不思議と、そんな確信があった。足が独りでに動き出し、口から勝手に漏れ出すように紡がれる詠唱。
それでいながら、自分を客観視しているかのような冷静な思考もどこかに存在していた。火魔法は防がれた、ならば違う属性がいいだろう。そんなことを考える自分もいるのだ。
激怒しながらも、それに呑まれていない。自身をそう評する冷静さも残っている。
急に飛び出して来た俺を見て、アレスが驚きの顔だ。
「はは……。僕って、いつも最後しまらないんだよな……」
アレスのボヤキのような呟きを聞きながら、俺は魔法を完成させた。
「――魂すら捕え、凍てつかせよ。氷の牢獄!」
その詠唱通り魂すら凍り付かせ、獲物の鮮度を保つための上位氷魔法である。
本来の使い方は、高位の魔獣ですら凍死させるほどの魔氷に相手を閉じ込めるという攻撃魔法だが。
「ギャアアアアアアァァァァァァァァァ!」
デザートドラゴンの腹の下に生み出された魔法陣が青白く輝くと、全身が一瞬で霜に覆われた。そのまま、白い霜がビキビキという音を立てながら、氷の塊へと一気に育っていく。
効いている! その確信があった。デザートドラゴンの放つ魔力が弱っていくのが感じられたのだ。
さらに、そこへと追撃が加わる。俺の吐き出した、真紅の炎だけではない。
「にゃぁぁぁぁ! 聖光刃!」
「わおーん! 獄炎穿槍!」
白と黒、二色の光線が競うように並んで伸び、苦しむ黒竜へと突き刺さった。ただの中位魔法ではない。シロの光る風と、クロの燃える闇が使われているのだ。
2人の特殊な魔力と、竜の力、憶えた魔法の合わせ技という訳である。上位魔法に匹敵するかもしれん。
俺の氷魔法と火炎、白と黒の魔力が混ざり合い、大爆発を起こしていた。先ほどのアレスと竜が引き起こした以上の、途轍もない衝撃が部屋を蹂躙する。
ただ、俺たちは薄い障壁に守られ、影響がなかった。俺も咄嗟に障壁を張ったが、それだけであの衝撃が防げるはずもない。
アレスの魔力だった。彼が俺たちを守ってくれたのだ。薄紫の障壁が、薄くとも強固に俺たちを覆っている。
光が治まった時、デザートドラゴンの無残な姿が露わとなる。驚きなのは、あれだけの大爆発なのに、体が残っていることだろう。まあ、下半身だけだが。
逆鱗も含めた上半身が、綺麗さっぱりと消滅していた。残っているのは、腹から下だけだ。
黒い魔力も消え去り、デザートドラゴンは完全に死亡していた。
「にゃ! 勝ったです!」
「しょーり」
「ああ! 俺たちの……勝ちだぁぁぁぁぁぁぁ!」
自分でも抑え切れない歓喜の咆哮が、喉から迸っていた。




