94話 助け?
「ガアアアアアアアアアアア!」
「っ!」
漆黒の魔力に包まれたドラゴンが、不意にその前足を振るった。鋭い爪を備えた丸太のように太い腕が、凄まじい速度で俺へと襲い掛かってくる。
咆哮の威圧によって体が固まっていた俺たちだが、攻撃を食らう寸前になんとか動くことができていた。目前に迫る死の恐怖が、咆哮による恐怖を上回ったんだろう。
直撃する寸前、俺は魔法を発動することに成功した。出現したのは、魔力マシマシの本気の鉄壁だ。
しかし、最大限強化したはずの鉄の壁でさえ、今のデザートドラゴンを相手にするには強度不足であったらしい。
前足を一瞬すら押し止めることができず、鉄の壁が粉々に砕かれる。当然、振り抜かれた前足は止まることなく、轟音を立てて俺に直撃した。
同時に水の結界を発動していたおかげで鉄壁のように粉々になることは防げたが、ピンボールのように弾き飛ばされる。
「がはっ……!」
俺は十数メートル近く吹っ飛び、背中から壁に叩きつけられていた。
背中どころか、体中が痛かった。診察してもらったら、全身骨折していますって言われるんじゃなかろうか?
まともに動けぬまま、俺はベシャリと床に落下した。痛みと出血のせいで、体がズシリと重い。動けない……。
「トール!」
「いまいく!」
シロとクロが俺の惨状を見て、悲鳴を上げている。
来るなと叫びたいが、声が出ない。シロとクロは俺の下に走り寄ると、抱き上げようとする。
だが、今のデザートドラゴンは一瞬でも目を離してよい相手ではないのだ。
「あ……」
なんとか発動した聖魔法によって僅かに痛みは引いたが、危ないという一言さえ絞り出せない。直後――。
「ゴオオォォォォ!」
「にゃぐ!」
「きゃぅ!」
デザートドラゴンの長い尾がしなり、シロとクロを襲っていた。先ほどの俺と同じように、真横に吹き飛ばされる2人。
壁に凄まじい勢いで激突したシロとクロは、その場でピクリとも動かなくなっていた。完全に意識を失っている。
くそ……このままじゃ……。
「グルルル!」
勝ち誇った声出しやがって……。黒い魔力に覆われていても、デザートドラゴンが舌なめずりをしているのが分かる。
こんな蜥蜴野郎に――。
「うおおおおおぉぉぉぉ!」
「ガァァァ⁉」
なんだ? いきなり白い光が……。
何処からともなく、白い閃光が飛んできたのだ。そして、デザートドラゴンの右前足を貫いていた。凄まじい威力の攻撃だ。
その直後、一人の男性が部屋に飛び込んできた。扉は開いていない。だが、男性は確かに存在している。
助かった? いや、今は助かったが、それは最悪の相手でもあった。
俺は聖魔法でなんとかダメージを回復しながら、デザートドラゴンに斬りかかった黒目黒髪の青年を見つめる。
一瞬でデザートドラゴンの眼前に移動すると、白い閃光を放ってその巨体を吹き飛ばした。先ほどの俺たちのように、今度はデザートドラゴンが壁に叩きつけられ、悲鳴を上げている。
凄まじい強さだ。だが、素直に喜べない。現れたのは、傭兵のアレスであった。
俺たちを襲い、殺しかけた因縁の相手。だが、領主が死んだ今、賞金はもう貰えないと思うが……。いや、それを知っているか分からないし、知っていても俺たちを奴隷商人に売り払う可能性もある。
そんな男が、顰め面で俺を見下ろしていた。
「……」
前回ほどの圧倒的な殺意は感じないが、やはり俺たちにいい感情を抱いている様子はない。
「やはり……。君は、領主と何か関係が?」
「?」
「君は、天竜の核というものについて、何か知っているか?」
え? 何だ急に? しかも、これは聖魔法か? 全身の痛みが和らいでいた。
俺が困惑していると、アレスがさらに言い募る。
「君からも核の力が感じられる。もしかして、領主に何かされたのか?」
もしかして、俺もシロやクロと同じように、領主の奴隷だったと思われている? 魔法の実験台的な?
明らかに、俺たちに同情的な表情である。顔を顰めているのは、領主に怒っているから? だとすると、アレスとは敵対せずに済むかもしれない。
問題は、天竜の核について、心当たりがあってしまうということだろう。直接見たわけじゃない。少なくとも、俺が保存庫に仕舞い込んだ素材に、天竜核は入っていなかった。
でも、作ったスープに、その名前は入っていた。俺が盗んだのかと言われたら、分からないとしか言えない。でも、自分でも大分怪しいのは分かっている。
「……」
俺の無言をどう捉えたのか、アレスは俺から視線を外す。
「グルルル!」
「ちっ! まずは、やつをどうにかする。話はその後だ。これを少女たちに飲ませてやってくれ」
アレスはどこからか取り出したポーションを俺の前に置くと、起き上がったドラゴンに向かっていった。
そのままアレスが、デザートドラゴンと激しい戦いを繰り広げ始める。俺たちを襲った時のように暴走する気配はないが、十分に強く見えた。
むしろ、冷静な今の方が強いんじゃなかろうか? 全ての攻撃を紙一重で回避しながら戦うアレスの姿を見て、背筋が寒くなるのだ。
俺は激しい戦闘に巻き込まれないようにアレスたちを監視しながら、床を這いずる様に移動をし続けた。
シロとクロを救うんだ。
その間にもアレスとデザートドラゴンの戦いが続く。舞うように剣を振るアレスと、蠅を払うかのように激しく動く黒い竜。
どちらも、圧倒的な魔力を放っていた。
これは、アレスを応援した方がいいんだよな?
正直、まだアレスを信じきれない。後ろめたさもあるし、襲われて殺されかけたことをどうしても忘れられないのだ。
もやもやとした気持ちを抱えたまま、なんとかシロとクロの下へと辿り着く。
「息は、ある……!」
よし! 死んでいない!
俺は二人に抱き着くように覆い被さると、そのままアレスのポーションを振りかけた。食材知識のお陰で、これがちゃんとしたポーションだと分かっている。上位のお高いやつである。
同時に聖魔法を発動した。しかし、傷の治りが遅い。
「シロ、クロ……」
カロリナと同じだ。掬い上げようとした命が、指の隙間から零れ落ちて行ってしまう感じ。全力をかけても、2人を救うことができないという、確信。
自身の無力さが、目の前が真っ赤になるほどに悔しい。
「なんで……!」
ここで、終わり? ふざ、けるな! 俺たちは絶対に生きるんだ! 生きて、食って、笑って……! 絶対に、生き延びてやる!
シロもクロも死なせるもんか! この2人は幸せにならなくちゃならないんだ!
治す! 絶対に!
「おぉぉ……がぁぁぁぁ!」
赤い魔力が、湧き上がる。喉のこれが逆鱗であると意識したからだろうか? 不思議と、魔力の操作性が上がっている気がした。
ただ、この程度じゃ足りない。もっと強く、もっと深く、より濃密な魔力でなくてはシロもクロも救えない!
腹が鳴る。こんな時にも、空腹を訴えて盛大に喚いている。いや、こんな時だからだろうか?
竜の魔力をより欲するのなら喰えと、本能が訴えかけているのだ。1秒毎に飢餓感が増し、自分の生命力が魔力に変換されていく感覚が理解できる。そりゃあ、この赤い魔力は強いはずだ。自分の命を削っているのだから。
だが、それで構わない。むしろもっと喰らえよ!
俺は保存庫に仕舞い込んでいた肉を取り出し、その場でかぶりついた。噛み千切って、咀嚼して、呑み込んで、また噛み千切って――。
肉を食えば食らうほど、腹の中で魔力へと変換されていく。体が内側から弾け飛んでしまうのではないかと思うほどの、超魔力が湧き上がってくる。
危険な力だ。だが、これなら――。
「おおおおぉぉぉ!」
赤い魔力を使い、聖魔法を使用する。同じ魔法でも、明らかにその効果が違っていた。魔力の消耗は凄まじいが、シロとクロの傷が再生し、心臓の音が段々と強くなっていく。
「にゃふぅぅ? すやー」
「わうー……すぴー」
シロとクロの顔からは苦悶の色が消え、暢気な寝息が聞こえていた。




