86話 Side ジオス
Side ジオス
逃げる少年少女たちを見送りながら、私は黒い影を見つめた。
黒い魔力を纏い、化け物と化した領主。どれだけ斬り裂いても、その傷は即座に再生してしまう。今なんて細切れにしてやったのに、未だに蠢いているのだ。少し経てば再生してしまうだろう。
まさかこれで死んでいないとは思わず、逃走を許してしまった。
魔力が尽きるまで斬っていればいずれ倒せるのか? 普段なら、適当に戦って逃げる相手だ。
だが、今は逃げるわけにはいかない。少年少女の逃げる時間を稼がねばならないのである。
「ガアアアアァァァ!」
「やれやれ、タフだねぇ。痛みも感じていないようだし」
なんでこんなところで、こんな化け物と戦っているんだ?
本来なら、この老害の下で適当にダラダラするつもりだったんだがなぁ。竜が出たあたりから、おかしくなり始めた。町に大きな被害が出て、治安が悪化。仕事も増えてしまった。
いや違うな。おかしくなり始めたのは、スラムの子供を見たときからだ。無視すればいいのに、何故かそれができなかった。
空っぽの私の中にも、残っているものがあったのだ。
そして、あの獣人の少女たち。一瞬、娘に見えた。姿も年齢も全く似ていないのに、なぜだろうか?
失った我が全て。今でも、あの時のことは鮮明に思い出せる。
当時、我が国が近隣の二国から攻め込まれ、私が団長を務める聖剣騎士団も東の前線へと送り込まれていた。戦いは一進一退。数が少なくとも、我が国が優勢だっただろう。
あの事件が起きるまでは。
国境からは距離があるはずの私の領地が攻められ、娘が人質とされてしまったのだ。私は、領地には戻らなかった。騎士団長として、帰還命令もない状態で私事を優先できなかったのである。
下らない誇りだ。その代償は、最悪の結末。
娘は、見せしめに処刑された。
後から聞いたが、町の者たちが自分たちの助命を条件に、防衛指揮中の娘を襲って差し出したらしい。だが、娘はそれでいいと、最後まで笑っていたそうだ。
その後、私以外に西部に領地を持つ領主の軍勢が動揺したせいで、東でも戦線を押し込まれてしまう。結果、我が国は多くの領地を失い、敗戦国となったのだった。私の領地は敵国の手に落ち、娘を差し出した愚か者どもは戦の最中に命を落としたらしい。
娘は犬死だったのだろうか? 凄まじい虚しさに襲われるようになったのは、その頃だろう。
しかも、その敗戦の責任を押し付けられ、団長の地位も、剣聖の称号もはく奪されることとなる。
まあ、当時の私は抜け殻状態だったので、自分がどういう扱いを受けているかもよく分かっていなかったが。気づけば、国を敗北させた無能な元剣聖という、どうしようもない存在が出来上がっていた。
それからしばらくは、生ける屍状態だ。死ぬことすら億劫で――いや、生き死にすらもうどうでもよかった。
娘が好きだった飴玉を舐めている時だけはあの子を感じることができて、多少は心が落ち着く。でも、それだけ。何もする気が起きない。
結局私は、国や民のことなんて、大事ではなかったのだ。私が本当に大事だったのは、家族。妻を病で失った私にとって、残った家族は娘だけだった。
その娘を失ってしまえば? 私の世界に、価値など欠片も残っていなかった。冗談ではなく、全てが色褪せて見えたのだ。
だが、子供だけは、違った。娘に重なって見えるからだろうか? そして、あの獣人の少女たちと、不思議な少年。彼らは色が付くどころか、輝いて見えた。
蓋をしていた自分の心の奥深くが、疼く。そろそろ現実から目を逸らすことをやめろ。天の娘がそう言っているように思えた。
そして、自身を顧みる。命を食らう化け物に堕ちた領主と、それに仕える愚かな騎士。
天にいる娘が悲しんでいる。何度も何度も言われてきた言葉だ。その度、私はヘラヘラと笑い、君に娘の何が分かるとはぐらかしてきた。
だが、自分自身で気づいてしまった。娘が、今の自分を見たら絶対に嘆くだろうと。
子供を斬れと喚き立てる領主。子供を喰らうと叫ぶ領主。ああ、なんと悍ましい。
気づけば領主を斬り、子供たちを逃がしていた。
「自分で斬る相手を選んだんだよ。クソ野郎」
頭に血が上った領主が、馬鹿な命令をしてくれたおかげだ。自分で斬る物を選べとか、そりゃあお前を斬るだろ。それに、子供たちを生贄に捧げる? ふざけるな!
領主の変貌も、こちらに有利に働いた。魔力の質さえ変わった今、以前交わした契約の効力が大幅に低下しているのだ。領主本人ではないと、契約術式が認識するのだろう。
結果、力技で契約を無効化できたのだ。
私を縛る鎖は、完全に消え去った。娘に誓おう。もう絶対に、道は間違えない。娘が今の私の姿を見れば、悲しむ。そのことを考えないように、目を逸らし続けてきた。だが、もう逃げん。この命尽き果てようとも、娘に顔向けできない生き方はしない!
「む?」
魔剣が光っている? あの時から、力を失った魔剣。てっきり、剣聖の称号を剥奪されたせいかと思っていたが……。
剣に力が戻って? いや、以前よりもさらに強い。
魔剣『ブレイブ』。勇敢な者が使えば、魔祓いの力を発揮すると言われている。だが、これほどの輝きは――。
「……そうか。そういうことか」
剣と深く繋がったお陰で、分かる。
勇敢というのは、戦いに臆さぬということだけではない。自身の弱さや、辛い出来事から目を逸らさず、向き合うこともまた勇気。
もう絶対に道を違えぬと娘に誓ったその勇気こそが、重要だった。心の弱さを乗り越え、己の命よりも大事な誓いを胸に秘めた勇敢な騎士こそが、この剣の真の使い手足るということらしい。
これもまた、娘のお陰か。
「ウゴオオォォ!」
「ようやく復活かい? さあ、また殺し合おうか」
「ウラギリモノガァァァァ!」
「……一番大事なものは、裏切っちゃいねぇよ。九ノ剣」
「ギイィィィィィイィィィイィィ!」
触れればそれだけで粉々になりそうなほどの速度で、領主が突っ込んでくる。だが、今の私は誰にも負けん。
輝きに導かれるように、振り下ろされた魔剣が領主を一刀両断した。
やはり、倒せてはいない。だが、明らかに領主の魔力が減ったのが分かる。このまま斬り続けていれば、倒せるかもしれない。
「ガガ……エイエンノ、イノチ……」
「うるせえ。人は死ぬんだよ。それが当り前だ」
「……アァァ……アアアアアアアア!」
再び復活した領主が、憎悪の籠った咆哮を上げる。いや、むしろ魔力が強くなっていないか? 迷宮から力を吸っている? やつを包み込む黒い魔力がより威圧感を増し、その姿はまるで悪魔のようだ。
「ちっ。こりゃあ、長丁場になりそうだな」
私が長時間の削り合いを覚悟したその時、戦場に新たな影が現れていた。
「あれは……魔王?」
「おや? 君はあの時の……」
「アレスです」
そうそう、傭兵のアレスだ。天竜に止めを刺した、不思議な力を持つ傭兵。彼の力があれば、領主を倒せるか?
「説明している暇がないんだが、手を貸してくれないかい? 子供たちを守るためにも」
「子供?」
「ああ、君と同じ黒髪の少年と、獣人の少女たちなんだが――」
「分かりました! なんでもやりますよ!」
アレス君はそう叫ぶと、領主へと果敢に斬りかかる。以前よりも速くなっていないか? しかも、その光る斬撃は――。
「ギャァァァァ!」
目に見えて領主を弱らせていた。私の魔剣以上に、領主に効いている。これは、いけるかもしれない。
「私が気を引く。君は削っていけ」
「分かりました!」




