83話 援軍
激戦を繰り広げる領主とジオスから、全力で逃げる。領主はジオスに集中しているらしく、追いかけられるようなこともなかった。
だが、どれだけ離れても、あの悍ましい魔力が追ってくるのではないかという恐怖が拭いきれない。そのせいか、20分以上走り続けてしまったのだ。
領主の魔力が感じられない距離まで逃げることができたことで、俺たちはようやく足を止めていた。
「はぁ……はぁ……追っ手はないか?」
「ふぅふぅ……だいじょぶだと思うです」
「はふ……ちゅかれたー」
足を止め、呼吸を整える。しかし、このまま休憩しているわけにはいかなかった。
「カロリナ……!」
「……」
カロリナが目を覚まさないのだ。道中、聖魔術は使っていたんだが……。
「この人、誰です?」
「トールのしりあいー?」
俺がカロリナにポーションを飲ませているのを見守りながら、シロとクロは首を傾げている。その顔には、僅かながらの警戒があった。
俺が名を呼んで助けようとしたことから、敵ではないと分かっているのだろう。ただ、大人の女性を前に、どうしても緊張は解けないらしい。
「ああ、俺の知り合いだ。芋とか薬とか調味料とか、買ってきてくれてたんだ」
「おー、お芋美味しいです!」
「味方だったー」
芋は本当に俺たちを助けてくれたからな。カロリナが調達してくれていたと聞き、一気に警戒が解けた。
餌を確保してくれる=味方という扱いになったのかもしれない。少なくとも、他の大人とは違う枠になったんだろう。
ただ、話をしている間にもカロリナの顔色はドンドンと悪くなっていた。
「くそ、俺の持ってるポーションじゃ、焼け石に水だ……」
顔からは血の気が引き、呼吸も弱くなっていく。領主の生命吸収魔法の効果が、想像よりも強かったのか?
「カロリナ、これを飲め!」
「……ぅ」
いざという時のために作っておいた、ヘルキマイラのスープを飲ませる。スプーンで口の中へと流し入れると何とか呑み込んでくれたが、回復しているようには見えない。
それどころか、顔色はさらに悪くなっていた。血の気の失われた顔は、青を通り越して白い。体からも熱が失われ始めている。聖魔法で多少は押し止めているだろうが、限界は近い。
「どうすれば……」
いや、分かっている。もう、俺がカロリナを救うには、アレしかないということは。
俺の保管庫の中には、天竜核の濃縮スープがまだ残っている。これを飲めば、あの日の俺たちのように助かる可能性があった。
でも、いいのか? 俺たちは奇跡的に助かったが、体が変異の負荷に耐えきれず死ぬ可能性があるという。
それに、成功しても肉体の一部が竜化するはずだ。カロリナが領主に捕まったのは、以前俺が飲ませた料理が原因だったらしい。竜の力を僅かに宿したせいで、人と違う魔力の波長になってしまっていたのだろう。
それが、今度は肉体が竜に変異してしまうんだぞ? カロリナは喜ぶか? いや、死ぬよりはマシだろうと思うが……それでも思い切れない。
天竜核の濃縮スープを手に、固まってしまう。
だが、俺は悩むあまり、ここが迷宮であると忘れてしまっていた。シロとクロも、カロリナに意識を向けていたせいで警戒が疎かになっていたのだろう。
ほんの十数秒間の油断が、致命的な危機を招き入れていた。
「キシャァァア!」
「むし!」
「あっちいくです!」
10匹ほどの蜂に似た昆虫型の魔獣が、いつの間にか俺たちを囲んでいたのだ。魔法を使っているのか羽音もせず、気配が非常に希薄である。寄ってきたのはスープの匂いのせいか?
「シロ、クロ! 頼む!」
「にゃ!」
「わう」
シロとクロが身構えるが、この蜂たちは中々の曲者であった。シロとクロが攻撃しようと前に出ると、対象となった蜂が後ろに下がり、他の蜂が隙だらけになった俺たちを攻撃しようと近づいてくるのだ。
より弱っているカロリナをターゲットしているのだろう。
この状態で、天竜核のスープを飲ませるのはマズい。カロリナの容態によっては、身動きが取れなくなる。
俺も攻撃に加わるべきか? 刻一刻と、カロリナからは生命力が失われていくのだ。
俺が聖魔法を維持しつつ蜂へと攻撃するため、水魔法を発動しようとしたその時であった。
「雷霆連槍!」
鼓膜を震わせるような重低音とともに、閃光が奔る。紫電が俺たちの網膜を焼き、蜂を粉々に砕いた。
一瞬で蜂が全滅し、俺たちには傷ひとつない。前髪が軽くそよいだ程度だ。雷撃を操る魔法か? あれだけ派手で広範囲に影響を及ぼす魔法を、俺たちにはほとんど影響なく行使できるなど信じられない。
領主が追ってきたのか? そう思ったが、俺たちに近寄ってきたのは1人の女性であった。
灰色の髪をショートボブにした、眼鏡をかけた背の低い女性だ。鎧を着込んでいるが、戦闘力があるようには見えない。
だが、その内に秘められた魔力は、かなりのものだ。俺たちよりも明らかに強い。さっきの魔法も、この人が使ったのだろうか?
「無事ですか?」
「は、はい。ありがとうございます」
「……いえ」
俺が礼を言うと、何故か女性は気まずげに視線を逸らした。何か気に障ることを言ったか?
「……ただの罪滅ぼしですから、お気になさらず」
「罪滅ぼし?」
「私は騎士失格ということです……」
女性の目は、カロリナやシロやクロを見ている。まともそうな人なのにあの領主の部下をやっているんだから、色々と葛藤があるんだろう。
だが、俺たちにとっては、非常に有難い援軍である。細かいことはどうでもいいのだ。




