5話 天竜
床に倒れるギズメルトの遺体は、かなり不気味だった。
目は見開かれ、舌がデロンと飛び出ている。元々の顔の造作も手伝って、ゴブリンかオークの親戚みたいに感じられた。
いや、その性根はさらに腐っている感じだったが。
同時に俺は、全身に力が漲るのを感じた。生物を殺すとその魔力を吸収し、体内魔力の総量が増えると聞いたが……。どうやら人間を殺しても、魔力が成長するらしい。
人同士の争いがなくならんわけだよな……。
「でも、本当に少ししか上昇してないな?」
ギズメルトはどう見ても、そこそこ経験を積んだ傭兵だ。それを倒して、これしかアップしないのか?
「とりあえず、この死体どうしよう?」
男の死体を前に、悩んでしまう。隠そうにも、隠し場所のあてもない。
「外に捨てたって、その現場を目撃されたらアウトだしな」
ここに埋める? いやいや、今後このテントを使い辛くなる。燃やす? そのためには魔力も足りないし、テントが火事になるだろう。
「となると……保存庫か」
これも気分が良くないが、寝床の下に埋めるよりは精神的負担は少ないだろう。保存庫に入れたからって、他の収納物と死体が触れ合う訳ではないし。
「仕方ない。収納」
俺はギズメルトに手をかざすと、保存庫に収納した。その際に、男の持っていた武具や道具は、保存庫の機能で選別して別々に分けておく。何か使い道があるかもしれないしな。
後始末はまだ終わらない。ギズメルトの流した血がしみ込んだ土を魔法で操作し、ひと塊にする。それを、俺は外に投げ捨てた。
後は、地面を均せば、証拠隠滅完了である。
「ふう、なんとかなったな」
だが、メチャクチャ疲れた。体力的にも、精神的にも。
行動するのは明日からにして、今日はもう寝よう。そう考えて寝床に横たわったんだが、中々寝付くことができなかった。
「うーん。目、冴えちゃったな」
精神が昂っているせいか、全く眠くならない。今日はいろいろあったし、仕方ないんだが。どれだけ長い間横になっていても、眠気がやってこない。
まあ、眠れないのは、空腹のせいでもあるだろう。半日以上、水と少しのヨルギン草しか口にしてないのだ。ひっきりなしに腹がグーグー鳴ってうるさいし。
「明日こそは、何か食い物を手に入れないとな」
転生までしておいて死因が餓死とか、目も当てられん。少し遠出をしてでも、食材をゲットするぞ!
そう決意した直後、俺は異変に気付いた。外が、妙に騒がしい。
「何だ?」
耳を澄ませると、やはり大勢の人々が何かを言いあっているような、喧騒が耳に入ってくる。ときおり甲高い悲鳴のような声まで聞こえてきた。
それとは別に、ドーンという爆発音も聞こえる。
この町では人同士の喧嘩は日常茶飯事なので、怒鳴り声なんかは珍しくない。しかし、これだけ沢山の人間が悲鳴を上げるような事態など、今までなかった。
ドォン! ドォン! ドォォン!
「ゆ、揺れてるか?」
断続的に響く爆発音。テント内に置かれた僅かな荷物が、カタカタと音を立てて震えた。
「やっぱ揺れてるな!」
しかも、音が段々近づいてきているような気がする。
しばらくテントに身を潜めていたが、事態は変わらないようだ。俺は、テントの入り口にそっと耳を当て、外の音に耳を澄ませた。やはりドーンという爆破音が近づいてくる。そして、人々の逃げ惑う声も。
「あんなの、ど、どこから来たんだ!」
「迷宮からだろう!」
「馬鹿な! 迷宮の入り口から、あんな大きな化け物が出てこれる訳ないだろ!」
「じゃあ、外から飛んできたんだろうよ!」
「そんなことより逃げないと!」
「西区は火の海らしいぞ」
「そ、そんな! 警備隊は何してるの!」
「やつらなら真っ先に逃げ出したさ!」
「この間来た、高ランク傭兵が戦ってるらしいぞ!」
「あんな少人数で何ができるっていうんだ!」
「そこまできてる!」
どうやら、大きな化け物が町を襲っているらしい。爆発音は、そいつの仕業なのだろう。警備兵は逃げ出し、僅かな傭兵だけが戦っている。
「ギズメルトの野郎が何か慌ててたけど、このせいか!」
状況は悪そうだった。
「俺も逃げないとヤバいぞ」
だが、今の俺は4歳児だ。どうやって逃げるというのか。そもそも、どこに逃げればいいのかも分からない。避難所なんかあるのだろうか。
「オオオオオォォォォォォン!」
「うわっ!」
突如、空気がビリビリと激しく震えた。獣の叫び声の様な轟音に、鼓膜がキーンと痛みを訴える。
音の源は結構近い。
「う、上か?」
俺は思わず上を見上げた。勿論、見えるのはテントの天井だけなのだが、見ずにはいられなかった。
「さっさとどっか行けよ……」
俺は身を竦ませているしかない。だが、ドーンという爆音と、怪物の咆哮び声が絶え間なく響き続けていた。
それでも暫くすると、段々慣れてきたような気がする。一々ビクッとしなくなってきたし。
とか思っていたら――。
ドガァァァンンン!
凄まじい地響きとともに、体が投げ出されるほどの大きな揺れが容赦なくテントを襲った。
「うわぁぁぁ!」
俺はこらえ切れずに、地面へ倒れ込む。次から次へと変化する状況に、落ちついて考える暇もなかった。
「くぅ」
打ち付けた膝の痛みををこらえて立ち上がると、俺はテントの入り口に向かった。
首だけを外に出し、周囲を窺う。だが、何も見えない。夜であるうえに、大量の砂煙が辺りを覆っているからだ。
「このままじゃラチが明かないな」
俺はそっと外に出る。靴は、自分で草を編んで作った草鞋の様なものだ。いつか逃げ出す日のために、見様見真似で作ってみた。練習中なので見栄えは悪いが、裸足よりはましだ。
「微風よ」
炉に風を送り込むための魔法で、砂煙を吹き散らす。そして、俺の前にそれは姿を現した。
「うおおぉ! す、すげえ!」
その威容に、思わず歓声が上がってしまう。恐怖の前に、憧憬の念が先にきたのだ。
「これは、竜か……?」
そう、テントのすぐ横に、尾の先まで50メートルはあろうかという巨大な竜が横たわっていたのだ。先程の揺れは、この竜が空から落下してきたせいで起きたのだろう。
「危な! もう数メートルずれてたら、ペシャンコだったぞ!」
竜の巨体にテントごと押しつぶされる自分の姿を想像したら、冷や汗が出てきた。本当に間一髪だったのだ。あの爪とか、少し引っかかっただけでもテントなんかズタズタだったろう。
「誰かがこいつを倒したのか?」
見ると、翼が大きく切り裂かれている。そのせいで飛行できなくなり、地上に落ちてきたのだろう。落下の衝撃で完全に死んでいた。
食材知識のおかげで、目の前の竜が完全にこと切れているのが分かる。何せ俺には、この竜が全身余すとこなく食材の塊に見えているのだから。
生きていた場合、部位ごとの判定ではなく、食用となる1匹の魔獣として見えるはずだった。
「天竜肉に天竜霜降り、天竜血、天竜眼、天竜骨、天竜脂、天竜核、天竜肝――」
竜は、全身が貴重な材料の塊だ。鍛冶や錬金だけではなく、料理にも使うことができる。俺は食材知識から、目の前で死んでいる竜についての知識を引っ張り出す。
『名称「天竜」。種別、飛竜種。ランク9。平均体長30メートル。その名の通り、飛行能力に優れている。肉質は甘みがあり、どんな料理方法にも合うクセのなさが特徴。味の程度としては竜種の中では中程度だが、素材としては上位とされている。魔力含有量が多く、中級以上の火魔法でなくては火を通すことができない』
保存庫を使えば、この竜を全身仕舞い込むことも可能だ。だが、これだけ巨大な竜が突然消えたら、騒ぎになるのは間違いない。
誰かが倒したのだとしたら、その人物に所有権があるのだろうし。盗んだことが後々ばれたら、面倒だろう。だが、この巨大な竜をみすみす見逃す手はない。
「あそこだ!」
「やったのか?」
俺が僅かな間悩んでいたら、誰かが近づいてきてしまった。明らかにこの竜を目指しているようだ。
「やばっ! 何か、何かないか!」
俺は焦りながら、咄嗟に手を伸ばした。
全身は手に入れられなくても、少しくらいは。貴重だとか、高価であるとか、そんなこと今の俺には関係ない。空腹絶頂の俺にとっては、天竜もただただ巨大な肉の塊でしかなかったのだ。
千切れて転がっている巨大な右手、千切れた翼膜。そして、自分でもなんでそれを選んだのかよく分らない、眼窩から零れ落ちた眼球を保存庫に仕舞い込む。
そして、素早くテントに逃げ込もうとしたのだが……。
「も、燃えてる! 俺のテントがっ!」
なんと、テントに火がついていた。天竜の吐いた火のブレスによって、周辺では火災が起きている。その火の粉が燃え移ったのだ。すでにテントは半分以上が火に包まれていた。
「ああああ、ちくしょうっ!」
俺はテントを中身ごと保存庫に放り込んだ。この際、火を取り込まないように指定することで、テントの火は消えたはずだ。だが、テントとしてはもう使い物にならないだろう。
俺はこの日、天竜の肉を手に入れ、親と家を失ったのだった。