4話 ギズメルト
7日ほど両親が帰ってこない。いつもなら3日くらいで帰ってくるのだが。
傭兵が迷宮に向かい、予定の日になっても戻らない。まあ、そこから導き出される答えは1つだろう。
すなわち、迷宮で何かあった。もっと突っ込んで言えば、死亡した確率が高い。
だが、そのことを考えても驚くほどに悲しみはないし、悼む気持ちも湧いてこなかった。
両親とはいえ愛情を向けられたことなどないし、虐待ともいえる待遇だったのだから、当然と言えば当然なのかもしれないが。自分でも薄情かな~と思うが、仕方がないのだ。
むしろ、逃げ出す手間が省けた。その程度の感慨しかない。しかし困ったこともある。
「腹減った……」
空腹が限界だ。何せ、7日間も放置されているのだ。両親が置いていったオートミールモドキは食べ終え、その材料であるアルモ麦の備蓄ももうない。
この2日間、ヨルギン草しか口にしていなかった。しかも、テント周辺のヨルギン草は食べ尽くしてしまっている。食べられるものがないかと、テントの隅々を探したが、何も見つからなかった。
食材の知識がインプットされているので、食べられるものなら目で見た瞬間に分かる。そんな俺が、テント内の食材を見落とすことはまず有り得なかった。
「4歳にして天涯孤独のうえに放置プレイとか、異世界なかなか厳しいぜ」
これ以上体が弱る前に、なんとか食料を確保せねばならない。とうとう、テントの外に出る日が来たのだろう。あと1年ほど魔法の修練と情報収集に励む予定だったが、仕方がない。
今いる町の名前は、『エルンスト』。辺境にある小さな町だ。町の中心に迷宮の入り口があり、かつてはそれ目当てに傭兵が集まって栄えていた。
ただ、数年ほどの賑わいの末、迷宮の規模が大きい割には宝箱の内容が渋く、魔獣も有効利用できる種類が少ないことが判明してしまう。それから傭兵の数は一気に減り、町は急速に寂れていったらしい。
今でも迷宮に潜っているのは、他の迷宮では爪弾きにされてしまう様なゴロツキ上がりの悪質傭兵ばかりだ。つまり、俺の両親のような人間しかいないってことだな。
それに、エルンストは統治者も最悪である。ホルム子爵というのが領主の名前らしいのだが、重税を課し、私兵で好き放題している典型的な悪徳貴族のようだった。
そもそも、寂れて見捨てられた辺境のエルンストに転封されてくるあたり、貴族としての終わりっぷりが分かるというものだ。
そういった事情から住民の多くは貧乏で余裕がなく、治安は非常に悪い。いわば、町の半分がスラム街みたいな状態だ。
いくらチート能力があるとはいえ、そんな場所に一人で放り出されるなど緊張するなというほうが無理だった。
「頼れる相手なんかいないし、当面はここを寝床にして、行動範囲を広げていこう……?」
そう決意した直後、外に何かの気配があった。草を踏みしめる音も聞こえる。
なんだ、両親が帰ってきたか? なんか、気が抜けた。確かに両親はクズだが、死ねと思うほど憎んでいるわけではないし、生きて帰ってきたのならそれで構わない。食い物にもありつけるだろうしな。
「ここか?」
だが、テントに入ってきたのは、見たことがない男だった。
禿頭に、頬には引っ掻いたような古傷。40歳位だろう。無精ひげを生やして、汚い革鎧に身を包んだ、どう見ても盗賊にしか見えない格好をしている。
誰だ?
「おう、ガキもいやがるなぁ」
見てるだけで不快になるような、いわゆる下卑た笑みを俺に向けてきた。可哀そうな子供を保護してやろうなんて、絶対に考えてはいないだろう。こりゃあ、マズいか?
「碌なものが残ってねーな。まあ、使えそうなものだけ頂いてさっさとトンズラするか。このギズメルト様が有効利用してやるから、あの世で精々悔しがれ。ぐへへ」
うーん、テンプレ通りの悪人な感じだ。男はテントの中を物色し始めた。
これは、両親の知人という雰囲気ではなさそうだ。というか、あの世? こいつあの世でって言ったな? やはり、俺の両親は死んだのか?
「まったく、あんな奴と戦えるかってんだ。とっとと盗れるもの盗って逃げねーとな」
そしてこいつは遺品泥棒であると。両親並のクズ野郎じゃないか。
「おい、こっちこい」
ギズメルトが俺を手招きする。誰が行くもんかい。子供を呼ぶなら、その汚いニヤケ面を整形してから来いってんだ。
俺は子供っぽく見えるように、イヤイヤと首を振った。これで諦めてくれればいいのだが。無理だろうな。
「お前の親は、迷宮の悪意に食われちまったぜ? まあ、ガキには理解できねぇだろうがな。いいから来い!」
ギズメルトが実力行使に出た。俺を捕まえようと迫ってきたのだ。俺は逃れようと体をよじる。
「ちっ」
正直、俺はこの時までこの男を舐めていた。虐待に近い育てられ方をしたと言っても、両親には暴力を振るわれたことはなかった。なので、奴隷商に売るために、無暗に怪我はさせないだろうという甘い打算が働いていたのだ。
だが、次の瞬間、俺は自分の考えの甘さを思い知らされた。
「大人しくしやがれ! クソガキ!」
「ぎゃっ!」
ギズメルトの固いつま先が、俺の鳩尾にめり込んだのだ。
「うげぇぇ! げほげほっ!」
吐き出すものが何もない胃から、胃液だけが逆流してくる。痛みと恐怖と嘔吐感のせいで、自然と涙が出てきた。
「うぐぅ……」
「手間かけさすんじゃねぇよ。おら、立て。さっさとしねーと、奴がきちまうだろうが!」
ギズメルトは俺の腕を強引に掴むと、無理やり立たせる。痛みのせいで抵抗する意思も湧いてこない。
俺は、自身よりも遥かに大きな男から理不尽に振るわれた暴力に、震え上がることしかできなかった。
「おい、次に逆らいやがったら、こんなもんじゃ済まさねぇからな?」
「うぅ」
「いいか? 俺は別にお前をぶち殺したって構わねぇんだ。こんな貧相なガキ、はした金にしかならねぇだろうしなぁ? 親子そろって殺されたくなけりゃ、大人しくしてろよ? 俺様は急いでるんだ」
親子そろって? 今こいつ、自分で殺したって言ったのか?
「お前の親は無様だったぜぇ? 二人そろって麻痺の罠にかかってやがってよぉ? サクッとぶち殺してやったんだよ。雑魚のくせに俺様と対等のつもりでよぉ、いつもムカついてたんだ。ギャハハハハハ」
聞いているだけで耳が腐りそうな最低の話を、薄汚い笑みを浮かべながら俺に語って聞かせる。一時もこいつと一緒にいたくない。心の底からそう思えた。
ギズメルトが俺を無理やり、脇に抱える。凄まじい力だった。どうやっても逃れることはできそうにない。
「おとなしくなったな。最初からそうしてりゃいいんだよ。まあ、暴れても良いぜ? ガキを嬲って殺すのも面白そうだしなぁ?」
このまま連れていかれても、まともな生活は見込めない。暴力と飢餓の未来しか見えなかった。何とか逃げないと。
両親の仇。その事実を知っても、怒りはわかない。憎しみ、恨み、どれも違う。だが、覚悟は決まった。
この男は、殺してもいい相手だ。
傭兵と思われるこの男は、俺よりも圧倒的に強いだろう。生半可な攻撃で倒せるとは思えない。そして、下手に魔法を使い、倒しきれなかったらどうなることか。
魔法を使える子供を、この強欲そうな相手が手放すとは思えない。その瞬間、凄まじい報復と、その後の奴隷落ちが決定だ。一撃で決めないとならなかった。
俺は迷うことなく、1つの術を選択する。最も使い慣れており、かつ発動が早く、隠密性に優れているおかげで奇襲に向いている魔法。つい先日、無詠唱での発動に成功した術。
「…………っ」
大事なのはイメージである。限界まで圧縮し、鋭さと硬さを増した水の針が、ギズメルトの頭部を貫くイメージだ。おまけに回転も付けてやろう。
「っ!」
術の発動と同時に、虚空に生み出された水の針がギズメルトの後頭部に突き刺さった。
「がぁっ!」
「いたっ!」
ギズメルトの腕から力が抜け、俺はドサッと地面に落とされる。受け身なんざ取れないので、思いっきり叩きつけられた。打った肘がめちゃくちゃ痛い。
「あぁぁ……?」
何が起きたのか、理解できていないのだろう。ギズメルトは間抜けな顔で、激痛の走った後頭部を手で触る。
そして、全身を硬直させて糸の切れた操り人形の様にその場に崩れ落ちた。その頭部には、直径5センチほどの穴が空いている。
「ふぅ……」
人を殺した。そう実感するが、何の感慨もない。ただただ、生き延びたことに安堵する気持ちだけがあった。
普通はここで、良心の呵責を感じて吐き気を覚えたり、気に病んだりしないといけないんだろう。だが――。
「こんなクズのせいで、気を病んだりしてやるもんかよ」
俺は、生きるんだ。何をしてでも。