35話 迷宮の悪意と希望
スープの魔法効果のお陰か、俺たちの容態は僅かに安定した。血はほとんど止まったし、痛みもかなり薄まったのだ。
シロとクロの意識は戻らないが、その顔に浮かんでいた苦悶の表情が和らいでいる。
しかし、完全に回復したわけではない。
塞ぎきれなかった傷がまだ残っているし、薄皮のようなもので何とか血が止まっているだけだ。何かあれば、またすぐに出血するだろう。
それに、血を失い過ぎているうえ、内臓などのダメージも残っているはずだ。
即死は免れたというだけで、俺たちが未だに死にかけであることに変わりはなかった。
この場でさらに傷を癒し続けたいところだが、俺の精神がもちそうもない。気を張って魔獣が来ないか警戒し続けていたせいで、自分でもわかるほど精神が消耗している。
この迷宮に出現する魔獣には、2種類のタイプがいる。
小部屋の中に出現し、そこから外に出ない守護者タイプ。こいつは、絶対に小部屋の外には出てこない。
以前、カマキリ型の魔獣にクロが大けがを負わされた時、部屋の外へと退却したら逃げ切ることができたのだ。
ただ、部屋の外から攻撃を加えた時点で縛りのようなものが解除されるらしく、迂闊に挑発などをしようものなら延々と追いかけられることになる。
また、部屋の入り口からは見えない位置に隠れていることがほとんどで、通路から先制攻撃するのは難しい仕様だった。
もう1つが徘徊タイプ。こいつは守護者型と違って、通路だろうが小部屋だろうが移動することが可能だ。
小部屋の魔獣よりは弱いことが多いが、その分追跡能力に優れている。
俺が今怖れているのは、この徘徊タイプの魔獣だった。
血の匂いに誘われて、この部屋にやってくる可能性があるのだ。
正直、満身創痍の俺が勝てるかどうかは未知数である。雑魚ならともかく、強い魔獣に発見されたら?
それに、俺はある話を思い出していた。
それは、『迷宮の悪意』と呼ばれる、謎の魔物の話だ。両親の会話を聞いただけだが、その内容があの影に当てはまることに気付いたのである。
どんな姿で現れるか分からず、どんな姿にも変身する、誰にも倒せない謎の存在。目を付けた迷宮挑戦者を追い回し、致命傷を与えて去っていく。
そして、同時に呪いを与えるのだ。
黒い呪いの印を刻まれた人間は、迷宮の中で魔獣により狙われるようになり、生き延びたとしても1年後に不自然な死を遂げるという最悪の呪いである。
致命傷に加え、呪いだ。
迷宮に潜む悪魔が人に絶望を与えて楽しんでいるとか、邪神が絶望を集めているとか、様々な説があるらしい。
あの影は、間違いなく迷宮の悪意だろう。傭兵は迷宮で命を落とすことを悪意に喰われるというらしいが、俺たちは本当の迷宮の悪意に出会ってしまったのだ。
なんでだよ……! ただ静かに暮らしていただけなのに……!
ともかく、この場を離れなければいずれ魔獣に襲われる。
できれば、迷宮を脱出したいが……。いや、したいじゃない。するんだ。絶対に脱出して、生き延びる!
「くぁ……」
やはり、動くとまだ全身がきしむ。それでも俺は歯を食いしばり、土魔法を発動させた。2人の体の下が盛り上がり、荷台のようなものがシロとクロをそれぞれ持ち上げる。
土生成と土操作を合わせ、本来は竈などを自在に生み出す術だ。これを応用すれば、攻撃や荷運びにも使用できた。
「はっ……はっ……」
維持するために集中するが、それすら俺を消耗させる。荒い息が吐き出され、目が痛んで霞んだ。それでも、これを維持し続けなくてはならない。
俺はシロとクロを揺らさぬように、静かに歩き出す。
目指すのは迷宮の外。
一歩一歩、確実に。絶対に、シロとクロを助けるんだ。土魔法に聖魔法、周囲の警戒、魔力を使い過ぎているのが分かる。
時おりスープを飲んで魔力を補給するが、腹がタプタプで飲めなくなってきた。魔法効果として魔力回復が付いているが、それは1杯飲みきった場合の目安だ。
1口ずつでは、ほんの少ししか回復してくれない。これは、住処まで魔力がもたないか?
それでも俺は、進み続ける。挫けそうになる心を叱咤し、気力を奮い立たせる。
俺は、思い出したのだ。僅かな希望を。
何故、多くの傭兵が迷宮に潜るのか? それは攻略者に与えられる恩恵が理由だ。迷宮を踏破し、最下層に安置されている神像に祈ると、願いを一つだけ叶えてもらえるらしい。
死病や欠損も癒し、どんな呪いでも解除してもらえる。寿命を延ばしたり、竜と殴り合いができるような肉体を得た者もいるという。
ただの噂ではなく、本当に起こる奇跡であった。料理に関係ないと思うんだが、何故かこの話が本当であると確信できる。神様の与えてくれた知識に、この恩恵の情報がしっかりと含まれていたようなのだ。
重要な話だから、言語などと共にインプットしてくれたのだろうか?
その恩恵があれば、自分たちの死の呪いも解除可能なはずだ。
子供に、迷宮の踏破なんて到底無理なのかもしれない。ましてや、俺たちは呪いによって、あと1年しか生きられない、
だが、それでも、希望があるなら足掻いてやる。何が何でも、生き延びるんだ。
俺は自分にそう言い聞かせて、気力を奮い立たせた。希望に縋っていなければ、心が折れてしまいそうなのだ。
「生きる……んだ……」




