14話 カロリナ
声をかけた女性が、俺を見つめる。
バッサリと短くしてある髪は、汚れているが元々は赤いんだろう。肌も埃塗れだが、多分元々は黄色人種系かな? 年齢は20は超えていそうだった。
目が見えないのかと思ったら、完全な盲目ではないらしい。右目は完全に白濁して動いていないが、左目は僅かに動いている。
「これ、杖です」
「あ、ありがとうございます。よいしょっと」
杖を支えに起き上がった女性は、体を上手く支えられないのかフラフラだ。全身に包帯を巻いているし、怪我をしてるのか?
さすがにこの状態の女性を放置して帰るのは……。
「……送っていく」
「え? 悪いで――きゃぁ!」
「ほら、歩くのも大変そうじゃないか」
思わずシロとクロと話すような口調で声をかけてしまったが、女性は気にした様子はない。考えてみれば、浮浪児にしか見えない俺が敬語使うのも変だしな。このままでいこう。
「うぅ……すみません」
俺が子供だからなのか、女性は驚くほど警戒心が薄かった。あっさりと家の位置を俺に教えるし、歩きながら身の上を話す。
この女性、先日までは普通に暮らしていたらしい。
だが、その暮らしが一変してしまう。天竜の引き起こした火災に巻き込まれ、全身に酷い火傷を負ってしまったのだ。
一命はとりとめたものの、強欲な神殿に治療費として財産の大半を巻き上げられ、家すら差し押さえられてしまった。
今は、知人が貸してくれたスラムのボロ小屋で寝起きしているらしい。
「それも、いつまで続くか分からないですけど」
「なんで?」
「今日、仕事を首になりましたので……。この目と手では仕方ありませんが」
「あ~……」
この体になってもなんとか職場には通っていたが、全く仕事ができなくなってしまった彼女はまさに今日解雇されてしまったそうだ。
女性――カロリナは本の写本を作る仕事をしていたという。
だが、今の彼女は目も微かにしか見えず、火傷で利き手も動かない。人権なんてないこの世界では、簡単に斬り捨てられる側の人間だった。
「この体じゃ、体を売ることも――あっと、なんでもありません」
「……そうか」
俺が子供であることを思い出して口を噤んだが、確かに今のカロリナが夜の蝶となることも難しいだろう。
「……はぁ。どうしてこうなっちゃったんですかねぇ。死んじゃった人たちよりはマシって思ってましたけど、これじゃぁ……」
どうしていいか分からない、どん詰まりの人間の顔だった。絶望というほど希望を捨てきれておらず、諦観というほど悟っているわけじゃない。
ただ、足掻いても無駄だということは分かってしまっている。
今のこの町には、彼女のような境遇の人間は珍しくないだろう。
無言のまま歩き続けた俺たちは、30分ほどかかってカロリナの家へと辿り着いた。スラムの中でも最も立地が悪い、ドブ川沿いのバラックだ。
中には寝床代わりの筵と、僅かな調理器具だけが置かれている。
「お出しできるものもないんですけど……」
「ああ、お構いなく」
この生活をしてる人から何か貰おうとは思えん。
ただ、少し考える。
この出会いを何とか有効活用できないか? 俺たちにも、彼女にも利点がある落としどころはないか?
あるのだ。どちらにも益がある選択が。
問題は、彼女が秘密を守れるかだが……。まあ、魔石や素材を売ることに失敗した今、頼れるのはカロリナしかいないしな。ここは彼女に賭けてみるのもいいだろう。
短い時間接しただけだが、悪人ではなさそうだし。
「なあ、その目や腕が多少でも良くなったら、また働けるのか?」
「それはもちろん。でも、無理ですよ。神官様に見てもらうにしても、ポーションを買うにしても、先立つものがありませんから」
床に座り込んで自嘲気味に笑う彼女は、本当に小さく見える。
そんなカロリナに対し、俺は無言で聖魔法を使用した。治るかもしれないなんて言って効果がなかったら、今度こそ絶望させてしまうかもしれないからな。
数秒ほど魔法を使っていると、カロリナが驚きの声を上げる。
「え? 目が……!」
「もしかして、見える?」
「す、少しだけですけど! さ、さっきよりも確実に! 大神官様の魔法よりも効いてる気がします!」
さすがに大神官以上ってのはあり得ないだろう。下級神官が大神官を騙って治療費を水増ししたか、貧乏人だから適当に済ませたのかのどちらかかね?
かなり腐敗してるっていうし、どちらもあり得そうだ。
ただ、すぐに俺の魔力が残り少なくなってしまう。酷い傷だしな。彼女を完治させるには、何度か通わなくては駄目だろう。
「……目と手を重点的に治した。完治はしてないけど、それなら仕事はできるか?」
「はい! これなら! ああ! ありがとうございます!」
「待て待て、もっと声を抑えろ。俺のことがバレちゃうだろ?」
「あ、はい……」
カロリナが慌てて口を押える。彼女も、俺が聖魔法を使えることがバレたら色々とマズいということは分かっているようだ。
これなら、誰かにバラされる心配は低いかな? まあ、フードを深くかぶっているし、顔は見られていない。眼もまだまだ薄ぼんやりと見えているくらいだろうし、万が一があっても俺を特定することは難しいはずだ。
「……魔力が回復したら、また治療にくる」
「本当ですか?」
「ああ、その代わりやってもらいたいことがある」
「……な、なんでしょう?」
カロリナがゴクリと唾を呑み込む。対価として何を請求されるのか、想像して慄いているようだ。聖魔法による治療はお高いらしいしな。
「俺は目立ちたくない。だが、俺みたいな人間がヒッソリと暮らすのはかなり大変だ。あんたは金を稼げるようになったら、俺のために雑貨や食料を買ってきてもらう。稼いだ金を全部寄こせとは言わん」
できるだけ重々しく聞こえるように、告げる。得体のしれなさを少しでも感じれば、裏切られる可能性が減るかもしれない。
「え? それだけでいいんですか?」
「俺にとっては重要だ。あと、俺の存在が周囲にバレたらその時点で治療は終了だ。怪我を治したければ秘密は守れ」
「も、勿論です!」
「目は時間経過でよくなったとでも言っておけ。火傷は、しばらくは包帯を巻いたままにしておいて、少し時間が経ってからポーションを買ったとでも説明すればいい」
「はい」
さて、これで僅かなりとも外との繋がりを得ることができた。塩以外にも色々手に入るといいな。




