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啖呵を切ったものの、ただの村娘である私が魔界の王子であるロゼルをどうやって幸せにしてよいものか、まるで見当がつかなかった。
しかもロゼルはそれっきり黙り込んでしまって会話をしようとしてこない。いきなり生意気な口を利いてしまったからだろうか?
私たちは気まずい沈黙の中、同じ空間にいることになった。
私から話しかけることもできなかった。
それからしばらくして。
私のお腹がくうっと鳴った。
そういえば攫われてから何も食べていなかった。
「……お腹空いたの?」
ロゼルが沈黙を破って訊ねてきた。
気恥ずかしさを覚えつつ「……うん」と答えると、ロゼルは仕方ないなとばかりに微笑んだ。
「もうすぐ晩御飯の時間だから。一緒に食堂に行こう?」
「いいのかな?」
「いいに決まっているよ。だって――」
ロゼルは顔を真っ赤にして「わ、私の妻なんだから……」と言ってくれた。
その内容と様子が可愛らしかったので、私はつい笑ってしまった。
「な、何かおかしかったかな?」
「ううん。おかしくないわ」
ただ格好いいだけじゃなくて、ちゃんと女の子らしい面もあると分かって、なんだか微笑ましい気持ちになった。
ロゼルは綺麗で素敵で、ちょっぴり自信なさげな女の子なんだ。
「食堂に案内してくれる?」
私のお願いにロゼルは何故か楽しそうに「うん!」と言う。
誰かに頼まれたことがとても嬉しいという態度だった。
食堂に向かうと既に豪勢な食事が用意されていた。
今まで見たことのない色とりどりのサラダや牛肉、それから……よく分からない食べ物もあった。
しかも魔族の給仕が数人いる。これが王族の食卓なんだろうか。
「さあ。席について。好きなものを好きなだけ食べていいんだよ」
ロゼルの言葉に甘えて、彼女の隣に座った私。
まずは味付けされたライスを食べる――美味しい!
「食べたことないくらい、美味しい!」
「ふふふ。いっぱいあるから。慌てなくていいよ」
こういった食事のときのマナーを知らない私はがつがつ食べてしまう。
一方、ロゼルは折り目正しく、ナイフとフォークを使って優雅に食べている。
ローストビーフなるものを食べていると「打ち解けたようだな」と魔王がやってきた。
上座に着くと、給仕に対し空のワイングラスを掲げる――すぐさま注がれた。
「流石にこのわしが選んだ女だな」
「タロットカードでしょ。何の自慢にならないわ」
「フハハハ! どうだロゼル。このわしに対して傲慢な態度! 素晴らしいと思わないか?」
普通なら不敬で怒られるところだけど、何故か気に入られてしまう。
別に魔王に好かれる必要はないのだけれど。
「父上。お話があります」
「そうか。おい、下がっていいぞ。他の者も近寄らせるな」
数人の魔族の給仕は一礼して、その場を去っていった。
こうして人払いさせた後、魔王は「話したのか、お前の秘密を」とワインを飲みつつ言った。
「ええ。そうじゃないとフェアではないでしょう」
「魔王に公平さを強要するのか? 笑わせるではないか」
「私は魔王ではありませんから。それと、ローラさんは……受け入れてくれました」
魔王が興味深そうに「ほう……」と私を眺めまわす。
「どういう腹積もりだ? 地位や富に興味がありそうには思えなかったが」
「興味が無いわけじゃないけどね。私はロゼルに同情したのよ」
「フハハハ。同情だと? 人間風情がよう言ったわ」
私は魔王をぎろりと睨んだ。
元はと言えば、この魔王のせいでロゼルは不自由な思いをしてきたのだ。
「普通の人間だから言えるのよ。あなたたちの関係はいびつで歪んでいるわ」
「当時はそれしか方法が無かったのだ」
「なら今はどうなのよ?」
「そなたがいる。そして妻となってくれるのであればそれでいい」
我慢ならない発言に、私は立ち上がった。
「ロゼルは……あんたの都合にいい道具じゃないのよ!」
「……随分とロゼルに肩入れするじゃあないか。さては惚れたか?」
「話を逸らさないで。私は――」
続けようとする私に、ロゼルが手を握って止めた。
顔を見ると、困っている様子だった。
「ローラさん。私は大丈夫。だから怒らないで」
「私はね、あなたが何も言わないから――」
「それも分かっているよ。あはは、ごめんね」
どうして謝るんだろう。
絶対にロゼルは悪くないのに。
悪いのは魔王と、それを取り巻く環境なのに――
「あなたが謝ること、ないんだから」
私は椅子に座って、大きいローストビーフを口に含んで、ひたすら噛み続けた。
そうしないと悔しさが残って、ロゼルの気持ちを飲み込めないから。
「面白い女だ。そう思わないか? ロゼル」
「……いえ、私はとても優しい人だと思います」
ロゼルは笑顔だけど、魔王の言うことに歯向かってくれた。
私のためというのは、傲慢かもしれない。
多分、自分の中で思っていたことを言ってくれたんだ。
それだけで、私はなんだか、救われた気分になった。
◆◇◆◇
お風呂を出た後、私に宛がわれた寝室に向かうと、そこにロゼルが困った顔でベッドの端に座っていた。
「どうしたの? まだお話でもあるのかしら?」
「……一緒に寝ろって。父上が」
「……あの魔王、何考えているの?」
『あの』と『魔王』の間に、ボケとかクソとか付け足さなかっただけ、私自身偉いと思う。
私は「仕方ないわね」と寝室に置かれたソファーに行こうとして――
「…………」
黙って袖を掴まれた。
もちろんロゼルにだ。
「……何をしているの?」
「一緒に、寝よ?」
「本気で言っているの?」
まさかロゼルがそんなことを言うとは思わなかった。
ロゼルは赤面しながら「だって、ソファーで寝かせるわけにも……」と言いよどむ。
「それに、私もローラさんも女の子同士だし……」
「まあそうなんだけど……」
「嫌じゃなければ、一緒に寝よ?」
なんだろう、普段は王子しているから恰好いいのに、こういうときだけ女の子なのは、正直ずるいと思う。
私は仕方なく「いいわよ」と頷いた。
灯りを消し、ふかふかのベッドに潜り込むとすぐに寝られそうだと思ったけど、隣にロゼルがいると考えると、ドキドキして眠れない。
相手は女の子なのにとぼんやりしていると、ロゼルが「手を握っていい?」と言ってきた。
「今、ちょっとドキドキしてて。手を握ってもらえると安心する」
「……いいわよ。ほら」
握るともっとドキドキするんじゃないかなと思ったけど。
ロゼルが望むのならいいかと手を握り合った。
「安心する……よく父上が眠れないとき、握ってくれた……」
「……一緒に寝たことないの?」
「うん。こうして誰かと一緒に寝るの、初めて」
私は寝付けないとき、母に抱きしめられながら寝ていた。
赤ん坊の頃から幼少期の話である。
人は人のぬくもりを知って、それに安心して眠られる。
だけど、ロゼルは――それを知らない。
「ロゼル、おいで」
私は間を少し詰めた。
ロゼルが息を飲む様子が暗闇でも分かった。
「いいの? 気持ち悪くない?」
「ないわよ。いいから。お姉さんに甘えな」
「……うん」
ロゼルは身を縮みこませながら、私に近づいた。
それを私は優しく抱きしめた。
少し震えていたけど、背中をさすってあげると落ち着いてきたようだ。
「……なんだろう。凄く安心する」
「そう。なら良かった」
「だけど、勘違いしそうになる」
何を勘違いしそうなのか。
私は敢えて聞かず、ロゼルを抱きしめた。
ひんやりとしたロゼルの体温は心地よかった。
「ありがとう、ローラさん」
眠りの国に誘われるとき、ロゼルの笑顔が見えた気がした。
灯りが無いから、多分、夢と現実の間の出来事だと思う。