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ブラック・スワン  ~『無能』な兄は、優美な黒鳥の皮を被る~   作者:
本編

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それは恋という名の

(サフィア視点)



 心持ち速足で歩を進める。

 不格好にならない程度に、だけど出来うる限りの速度で。


 訝し気な視線や気遣う声を幾つも受けながら、辿り着いた先は庭園を見下ろせるテラスだった。三日月の僅かな月光と星明りしかない今は、眼下の素晴らしい庭園の風景は定かではない。だけど今はその薄暗さが有り難かった。


 華やかな輝きに満ちたホールを背に、手すりへと身をもたれる。

 冷たい風が頬を撫でた。熱く火照った頬と身体にひんやりとした夜風が心地いい。


「サフィア様」


 鈴が鳴るような可憐な声音に、大袈裟(おおげさ)な程に肩が跳ねた。

 高鳴る心臓を無理矢理抑えてなんとか振り向けば、そこには心配そうな表情でこちらを窺うシェリル様が居た。


 先程まで一緒にいた国王陛下と同じ色彩の髪と瞳。だけど威厳に溢れ自信に満ちた表情のあの方とは違い、儚さや繊細さ、そういった雰囲気を纏う美しい女性。王家の姫君であるシェリル様だ。


「どうかなさいましたか?あの、もしやお具合でも?」


 賑やかな音楽を背に、一歩こちらへと踏み出すシェリル様。


 その声は不安が滲んでいて……もしかしたら、真っ赤な顔でふらふらとテラスへと向かった僕を心配して追いかけてきてくれたのかも知れない。そう思い至れば余計に頬に熱が灯った。

 ここが薄暗くてよかったと心の底から安堵する。


「大丈夫です。少し飲み過ぎてしまったので夜風に当たっていただけですから」


 無理矢理に笑みを作り、手に持っていたグラスを掲げて見せた。


「ほんとうに……?もしお辛いようならお声がけくださいね……」


 心配そうにこちらを覗きこんでくださる大きな瞳に鼓動が高鳴る。


「有難う御座います。ですが本当に大丈夫ですよ」


 微笑んで返した言葉にシェリル様は曖昧に笑みを作った。ちらりと俯き、微かに背後のホールを視線だけで見遣ったその表情は、思い上がりでなければ……。

 安堵と、そして少しの淋しさと残念さの混ざったもので。


「もう少し、休んでいこうと思うのですが……。宜しければお付き合い下さいませんか?あ、勿論(もちろん)お嫌でなければですがっ……」


 言いながら、再び頬が熱を持つ。

 もっと気の利いた言葉をかけれればいいのに……。


 だけどシェリル様は「喜んで」とふわりと花が開くような微笑を浮かべてくださった。


「なにか飲み物でもお取りしますか?寒くはありませんか?」


「いいえ、大丈夫です。寒くもありませんし、なにもいりませんわ」


 ふふっと控えめな笑みに、もう何度も繰り返した鼓動の高鳴りがまた一つ。


 いい加減、自分でも気づいている。

 側に居るとふわりと温かなものが胸を満たすこの感覚。


 その笑顔をもっと見たいと、側に居たいと……無意識に願うその衝動。


 初めて覚えたそれがきっと、恋というものだろうということを。



 初めてお目にかかったはのはもう随分と昔のことだ。

 幼く可愛らしい姫君は、まさに姫君そのもので。その時は特に深い感慨もなく、一般的な感覚としてとても美しく可愛らしい姫君だなと思っただけだった。


 それから茶会などで数度言葉を交わし、社交的な性格でないながらも一生懸命な姿に微笑ましさを覚えた。王侯貴族の茶会といえば、清楚な所作をしつつも如何(いか)に自分をアピールするかが重視されるのは必然だ。婉曲な嫌味や足のひっぱりあい、笑顔の裏で交わされるそれは日常でしかない。


 だけどシェリル様は人々の自慢話を素直にお聞きになって、素晴らしきを褒め、それでいて誰かが(けな)されればやんわりとフォローを入れる。

 彼女が出席する茶会は、穏やかな空気になることが多かった。


 高貴でありながら、(おご)らず、優しいその人柄を好ましく思った。


 人間的に好ましく思っていたシェリル様を、一人の女性として意識したのはわりと最近。


 父に付き添い、王城へと訪れていた僕は一人庭を外れた敷地内を散策していた。父が旧友に会い、話し込んでいるのがもう少しかかりそうだったからだ。

 美しく整えられた庭を抜け、さらに奥を散策していたのは……きっと誰にも会いたくなかったから。


 別に特別なにかがあったわけではなかった。ただ少しだけ、疲れていたから。


 そしてシェリル様と出会った。


 小柄な彼女は小さな、だけど精巧な彫像が施された東屋(あずまや)に一人座り込んでいた。庭や樹々を眺めるでもなく俯いた彼女に具合でも悪いのかと思って近づいた。


「リッセル卿が……帝都を移したのが…………で、…………が……年……。それから……」


 ブツブツとなにやら呟いていた彼女は足元に(かげ)った僕の影に緩慢に顔を上げ、そしてぴゃっ!と不思議な声を発して飛びのこうとした。その拍子に背後の柱に頭をぶつけそうになり、慌てて抱きしめるように頭を押さえ、柱と小さな頭の間に手を差し込んだ。


 今思えば、王家の姫君に対してなんとも不敬だったと思う。だけど固い柱に頭をぶつけたりしたら大変だと、あの時はそれしか頭になかった。


「……サ、サフィア様……?」


 お化けでもみたような顔で僕を見上げるシェリル様を離し、慌てて驚かせたことと無礼な行為を詫びた。途端に体勢に気づいて真っ赤に染まった顔と身体に彼女の体勢を立て直してから手を離す。

 真摯(しんし)に詫びるつもりはあったけれど、それと同時に一連の彼女の反応がまるで小動物のようだなと、そんなことを思っている自分が居た。


 その東屋はシェリル様のお気に入りの場所であったらしい。


 真っ赤な顔をして恥ずかしそうに彼女が語ったのは嫌なことがあったり、苦手な勉強を覚えようとするときによく訪れるのだということ。静かで長閑なその場所は心が晴れるし、部屋で暗記をしようと思うとどうしても心が他へ移って集中できないから、ということらしい。


 正直、少し意外だった。


 シェリル様は大人しい性格からあまり社交がお好きな様子はなかったけれど、いつだって巧みに他国の歴史や産業の話題に触れていたから。当然のようにそれらが頭に入っていると思っていた。


「私、あまり歴史や産業などを覚えるのが得意でなくて。音楽や好きな分野なら得意なんですが、特に戦乱や貴族の歴史背景ってどうしても覚え難くて……」


「意外です。シェリル様のお話はいつも分かり易く、皆さまと茶会などでも楽しそうに話題が弾んでいるのに」


 僕の言葉にシェリル様はふふっと笑った。

 それは恥ずかしそうで、だけどちょと得意げな悪戯っぽい笑みで。初めて見るその表情を、とても可愛いと思った。


「自分が苦手だからこそ好きなものに絡めて覚えているからでしょうか?例えばその歴史の経緯で何が起こったとか、その時流の副産物でどういった文化が生まれただとか。だってどうしても記号の羅列みたいに覚えるのは苦手なんですもの。でも、もしそういった話を絡めることで、他のご令嬢たちにも身近な話に出来ているのなら苦手であった甲斐もあるというものですわ」


 それは図らずしも以前あの方の言われた言葉と似通っていた。


 興味を抱いた切っ掛けは、だからだったのかも知れない。


 シェリル様が先程呟いていた歴史の年号に誤りがあり、それを指摘すれば歴史について話を振られた。幸い、他国や自国の歴史については詳しかったから、幾つか問われたエピソードを話せばシェリル様は「凄い!サフィア様には歴史書がそのまま詰まっておられるみたい!」と瞳を輝かせて褒めて下さった。


 それからも数度、知識を乞われた。

 僕が問われた国や時代の歴史を語り、シェリル様がそういった時代背景で生まれた楽曲の特徴や文化を教えて下さり、こういった豊かな時代だったからあの風習が生まれたのかも……などと様々な憶測を話し合った。


 城へと招いて美しいヴァイオリンの音色を披露してくださったことも、イニシャルと繊細な縁取りを刺繍したハンカチを贈ってくださったこともあった。


 そしていつしか、王家の姫君としてではなく、年下の友人としてでもなく……。

 一人の女性として、彼女へと惹かれている自分に気づいた。



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