それは畏怖を孕んだ羨望に似た
(ナディア視点)
カーテンを開けた。
窓越しに見えるのは家々の灯りと、夜空。
空を仰げば、ぽつりぽつりと輝きを投げ掛ける星々と、ほんの僅かに欠けた月があった。
合宿を終えた今日、“家”は大騒ぎだった。
森で遭遇した人攫いと魔獣の群れ。心配した“家族”たちに、あれやこれやと質問を投げ掛けられては身を案じられた。
大袈裟な程に心配され、労わられ…………疲れたので今日は早く休みたい、そう申し出てやっと解放された。
上質な寝間着に整えられたベッド。
そうして与えられた自室へと戻っても、眠気は一向に訪れなかった。
豪華な調度品に囲まれた部屋は今でもあまり馴染めない。
彼らに引き取られ、生活は格段に向上した。食事、衣類、生活の全てに高度な教育。どれも以前とは比べものにならないほどだ。
自分を引き取ってくれた彼らが嫌いなわけでもない。
新しい“家族”は想像していた貴族よりもずっと穏やかで優しく、心配していたような差別や冷遇も微塵もなかった。
だけど……此処が自分の“家”だという感覚も、彼らが“家族”だという感覚も、ついぞ覚えることは出来ずにいる。
アンジェスの末裔。
私の価値は、この身に流れるその血が全て。
アンジェスの末裔だから、彼らは私を大切にしてくれる。
アンジェスの末裔だから、みんなは私に興味を抱く。
アンジェスの末裔だから、私は以前の生活を失い、今の生活を得た。
アンジェスの末裔だから____________。
肩を抱いた腕に無意識に力が籠る。
爪が皮膚に喰い込む感触、だけど力を緩める気にはなれなかった。
いつだって付きまとうのは、自分自身が否定されている感覚。
今の生活が嫌いなわけじゃない。
飢えることも凍えることもない、満たされた生活。
学園だって楽しい。素敵な友達が沢山できた。
だけど……空虚な一抹の虚しさが心を包む。
苛立たしくて、もどかしくて、やるせない。
「私はアンジェスの末裔なんかじゃない!!ただの“ナディア”よ!」
そう 叫びたくて堪らなくなることがある。
深く吐いた溜息に窓硝子が白く曇った。掌で窓を撫でて曇りを払い見上げた先には、紺碧の夜空が広がっていた。
街の灯りが明るいからだろうか?目の前に広がる夜空は、なにもかもがあの夜見た夜空とは違って見える。
まず、第一に煌めく星の数が違う。
合宿の初日、コテージで見上げた夜空は息を呑む程の一面の星空だった。まるで宝石箱の中身をぶち撒けでもしたかのように。
そして夜の色が違う。
あの森の闇はもっと深く、冷たく、深淵へと繋がるような静謐さに満ちていた。
そしてその静謐な夜の闇を従えて、煌々と輝く月のなんと美しかったことか。
カーテンを開け放ったまま、ベッドへと戻る。
そしてそのまま柔らかなベッドへ背を預ければ、窓越しに月がこちらを見下ろしていた。
初めてその姿を目にした時から、本当はずっと苦手だった。
満月みたいな黄金の瞳。
あの瞳を見た時からずっと……。
入学式で挨拶の為に壇上へと上がったあの人は、造り物のように美しく高貴で浮世離れしていて……釘付けになった瞳を離すことができなかった。
気のせいかもしれない、壇上の彼の瞳がこちらを見た気がした。
瞳があったその刹那、感じたのは恐怖と切望と嫉妬と憧れと……数えきれないぐらいの様々な感情。そして圧倒的な気後れだった。
ベアトリクス様たちと仲良くなって、必然的に先生との関わりも増えた。
あんなにも浮世離れして見えた先生は、意外なくらいベアトリクス様達を大切にしていて。穏やかに笑う彼は、思ったよりもずっと親しみやすかった。
それは彼だけじゃない。
ベアトリクス様の幼馴染でお兄様のガーネスト様の親友でもあるダイア様も、留学してきた他国の王子で合宿で同じ班になったアレクサンドラ様も。
正直、彼らのことも本当は苦手だった。
それはきっと自分の出自が関係しているんだろうと理解はしている。
彼ら自身の性格や行動に対する不満ではなく、確固たる地位と自信を持つ彼らに私は劣等感と気後れを抱いているだけ。
不確かな王族の末裔である自分と、
真実、王族たる資格を持つ彼ら。
引き攣るように唇が歪み、月から顔を隠すように手で顔を覆った。
「バカみたい……」
アンジェスの血を厭いながら、結局自分自身が一番それに振り回されている。
挙句の果てには私やリリー様を心配してくれた先生に、八つ当たりで怒鳴り散らした。溜め込んだ不満も鬱憤も、先生に向けるべきものじゃなかった筈なのに……。
合宿の初日、突如フードの男達に襲われた私たちをアレクサンドラ様もシリウス様も必死に守ってくれた。
お二人があんなに強いことも吃驚したけど、なによりも吃驚したのは二人が本気で守ってくれたこと。
だってアレクサンドラ様は王子様なのに。
傷を負いながらも、みんなを守ってくれた。
リリー様も必死に道を探して、危険な崖から皆を助けてくれた。
自分が酷く恥ずかしくて情けなかった。
彼らが心の底では私のことを見下していると思っていた自分が。
他でもなく、立場や身分でしか相手のことを見ていなかった自分が。
弱くて、役立たずな自分自身が。
フードの男達から逃げるうちに森の奥へと追いやられ、攻撃を避けた際にリリー様が足を縺らせ怪我をした。ロイ様はティーナ様を庇おうとして男に振り払われ、ティーナ様は奴らの一人に捕まってしまった。
そんな時、先生たちが現れた。
先生はまるで状況を理解していないかのように自然体で、あろうことかティーナ様の代わりに人質を申し出た。最初は警戒していたフードたちだけど、先生を知っていたらしい奴らの口から出た『無能』の言葉。
『無能』
その言葉に胸が強くざわついた。
先生に刃が押し当てられたその瞬間、ゾッとするような恐怖を感じた。
そしてそこからは一瞬だった。
あっという間にフードの男を倒した先生と、闇が実体化したようにいつの間にか現れた黒衣の人影。フードの男達は全員音もなく地に打ち伏せられていて、先生と話していた口布をした男の人から溢れ出た威圧感に、「ああ、さっきのアレは殺気と呼ばれるものだったんだ」と恐怖の正体を悟った。
それで終わりだと思ってたのに、魔獣の群れが現れて……。
闇に底光りする赤い瞳に恐怖を感じていた筈なのに、「大丈夫」「怖いことはなにもない」とそう綺麗に微笑む先生の言葉に不思議なぐらい恐れは全て拭われた。
夜の森を抜けるのは危険だからコテージで一晩明かすことになって、まさかの先生が料理をしてくれることになった。最初は不安もあって手伝いを申し出たのだけど、正直手伝いなんて不要なぐらい先生は料理上手だった。
久々の料理は楽しかったし、料理なんて意外な作業をしてる先生はあの浮世離れした雰囲気も薄まって、いつもよりずっと自然に話をすることが出来た。
そしてあの日の謝罪も。
「貴女が無事で良かった」
さして気にした風でもなく許してくれて、そう口にした先生の笑顔は驚くぐらいに優しくて…………近寄りがたさに勝手に苦手意識を持っていたことへの後悔に胸がチクリと痛んだ。
アレクサンドラ様に守られた時と同じく、自分がどうしようもなく情けなくてちっぽけな存在だと自覚して。
誰もかれもが勝手な期待や幻想を通してしか“私”を見てくれない。そう嘆きながら、結局は私も自らが勝手に造り上げた虚像を通してしか“彼ら”を見ていなかった。
実際に触れ合った彼らは思っていたよりずっと“普通”で、遠い世界の触れることの出来ない存在なんかじゃない優しく血の通った存在だった。
だけど__________。
思ったよりもずっと親しみやすくて、優しくて温かい。
それでも__________。
やっぱり私は“彼”が苦手だ。
零れそうな程の満天の星。
深い闇と、臓腑に染み入るような昏く冷たい夜の静寂。
雲に隠れた月。
一瞬の静寂の後、昏い昏い闇を切り裂いて顕れた煌々と輝く満月。
息を呑むほどに綺麗な。
瞳を奪われる程に美しい。
その満月と同じ色彩の瞳で月を仰いでいた美しい人。
闇を従え、星々を導いて、孤高に輝く黄金の月。
それと同じ色彩を宿す人。
それは一幅の絵画のようでいて、神聖で厳かなその光景に誰もが瞳を奪われた。
同時に思った。
ああ、やっぱり この人は苦手だ、って。
心の奥底から浮かび上がってくる記憶がある。
どこか危うげな手つきで、おくるみを揺らす一人の女性。
夢見るような、陶酔した笑みを浮かべて、女性は胸に抱いたおくるみを覗きこむ。
「ぐっすりね。だけど早くその瞳を見せて?ママをその瞳に映して?」
謳うように、囁くように紡がれる声が脳裏から離れない。
「ああ、可愛い子。可愛い、可愛い私の坊や」
ああ、この人は、
この人は、まるで_______________。




