限りある資源を大切に
「あとは頼むリフ」
「畏まりました」
急ぎの書類仕事を片付けた俺は、細々とした残りの仕事を有能な従者へと託して執務室を出た。
教師の仕事は非常勤で週三日程なので、今日は在宅勤務だ。
公爵家としての業務をこなす為に睡眠時間もそこそこに怒涛の書類仕事に明け暮れ、向かった先は自室ではなく鍛錬場。
今はなにも考えず思いっきり身体を動かしたかった。
服を着替え、剣を手にする。
瞳を閉じて、息を一つ吸っては吐いた。
開いた瞳の先に敵を幻視して剣を振るう。
師匠であるアインハードから教わった動き、学園で眼にした騎士志望の生徒たちの切っ先や剣とは異なるハンゾーたちの攻撃、幾度か討伐に関わった魔物たちの牙や爪。
自分が眼にしたことのあるあらゆる動きを想定して、仮想敵相手に剣を振るう。
薙ぎ、払い、避けては間合いに攻め込み、空想の斬撃を躱し、牙を防ぎ、剣を押し返す。
「……っ」
ぽたり、と髪の先から滴る雫が鬱陶しい。
後ろへと飛びすさり、屈んだ状態から跳ね上げるように剣を振り払う。
ステップを踏むように重心を変え、横へ、斜めへと続けざまに剣を振るえば、結んだ長い髪が残像のように黒い影を描いた。
「くっ……そ」
実像がないのだから振るった剣の先に手ごたえがないのは当然のことだが、いまはそれがどうしようもなくもどかしかった。
我武者羅に剣を振るう姿はまるで恐れや葛藤を振り払おうとしているようで、だけど斬っても斬ってもそれらは執拗に纏わりつく。
雑念を払うように、速く、強くただ一心に。
荒くなる息遣いにも滴り落ちる汗の雫にも構わずに、ただ剣を振るい続けた。
「なに……やってるんだか」
力尽き、床に座り込んだままそう呟く。
耳障りな程だった呼吸音も落ち着き、一息ついた途端に襲ってきたのは猛烈な疲労感と首筋や背中を伝う汗の感触。
「あー、運動不足だな。最近」
昔に比べて鍛錬の時間が減っているからか、少し体力が落ちている気がする。
最近忙しかったしなーと思いつつ、もう少し鍛錬の時間を取るべきかと考える。
別に俺自身が闘ったりする機会は特にないものの、折角身に着けた力が衰えるのは頂けない。それを活かす場があるかないかは関わらず。
体力が落ちているのは運動不足だろう、うん。
さすがにまだ歳だとか考えたくない。二十代半ばとはいえ、衰えるにはまだ早い筈だ。
運動不足、運動不足。
よし、少し運動時間を増やそう。
それ以外の結論は認めない!
建設的な結論を出し、立ち上がると鍛錬場の外の手洗い場へと出た。
持っていた剣を隅に立てかけ、首元を乱雑に緩める。
汗を含んだ髪が鬱陶しくて、長い髪を結っていた紐を取り払う。水道の水を勢いよく出すと、そのままその下に頭を突っ込んだ。
アレだ、野球部とかの学生が部活終わりによくやってる感じ。
間違っても公爵家嫡男のやることじゃねーけど。
汗が気持ち悪くて仕方がなかったのと、あと………。
誰にも今の情けない顔を見せられなかったから。
ひっどい表情をしている自覚がある。
無様で不安そうで、すっっげぇ情けない顔。
流れ落ちる水の勢いと、長い髪が今の俺の表情を隠してくれる。
なにせこの敷地内には現役忍者が多数居る。
正に“壁に耳あり、障子に目あり”だ(この世界障子はないけど)。
今この場に人影が見えないからといって誰も居ないとは限らないのだ。
図書室でのように頭を抱えて奇声を発するわけにもいかなければ、こんな情けない顔を晒すわけにもいかない。
24時間、いつでもカメラ目線を忘れずに!!ぐらいの心根で挑まねばならんのだが、今はちょっと無理そうなんで強引な誤魔化し!
結果……汗は流せたし、頭も冷えたんだけど……同時に長い髪も上半身もびしょ濡れっていうね……。
取りあえず髪と服の裾をギュって絞る。
うん、びっしょびしょ。
あれだよね、学生が手洗い場に頭突っ込んで汗流すのって、基本短髪の子たちだよね。
長髪の人間が外であれやったら大惨事☆
まぁ、幸い今日は天気もいいし外に居ればいずれ乾くか、と剣を手にして歩き出す。
アインハードから剣を受け取った時にも使用した庭の端、広く開けた空間は影たちもたまに鍛錬に使用してる場所だ。いまは珍しく誰もいない。剣を切り株の上に預け、今度は体術の基礎と構えを中心に身体を動かす。
正直、体格には恵まれないから剣以上に活かす機会があるかは謎だけど、そこはあえて眼を瞑る。
つか、そこそこ鍛えてる筈なのに筋肉はつきにくいし、手だって剣だこのない滑らかな掌と細い指はどういうことだ。
納得がいかねぇ。非常に不本意である。
そんな風にくだらないこと(俺的には重要だけど)に内心で悪態をつけるぐらいには精神も回復してきた。
そもそも、なにをそんなに落ち込んでいたかというと……ズバリ、リリー嬢たちのことだ。
いつもの如く、俺は誤魔化した。
転生者であること、ゲームを知っていること。
リリアの時も、王妃様の前でも、ソラに転生者について聞かれた時も、リリー嬢にも。自分の事情からそうであることを隠した。
特に昨日、リリー嬢に打ち明けなかった事実が肩に重くのしかかる。
ソラのようにゲームの存在を知らない相手ならばまだ構わない。だけど、彼女はヒロインだ。
ヒロインの一人が転生者であるという事実は、俺にとっては都合がいい。
アンチヒロインなら最悪だが、彼女はそうでないしベアトリクスをストーリーの為に無理矢理に悪役にしたりはしないだろう。
そしてその危険性がないのなら、バッドエンドを防ぐ手段を知っている子がヒロインであるのはこの国にとって僥倖だ。
だけどそれは、同時に年端もいかない少女にこの国の未来を背負わせるということ。
ヒロインとして攻略対象者のイケメンたちと関われるという幸福もある一歩で、きっと不安も恐れもあるだろう。
『この世界の運命が掛かってるかも知れないんだから!』
『たった一人の転生者としてこの乙女ゲームの世界に抗って見せる!!』
リリー嬢の、リリアの、彼女たちの心の声が木霊する。
言わないと、明かさないと決めたのなら、こんなことで悩むだけ無駄だってわかってはいる。
だけどもし俺が打ち明けていたのなら。
たとえなにが出来るわけでなくとも、仲間がいるという安心感だけでも彼女たちに与えることが出来たのかも知れない。
そんなことを考えてうじうじと地味に落ち込んでいたわけである。
はぁ、と深く溜息を吐く。
なにはともあれ、今の自分に出来ることはせめて彼女たちにとって頼れる大人であることだけだ。彼女たちが手を伸ばせる相手である為にも、こんな情けない様は誰にも見せられない。
そう改めて気合を入れ、濡れて張り付いた髪を払いのける。
俺に何が出来るのか_____?
転生に気づいたあの日から、繰り返し何度も問いかけたそれ。
俺はどう生きるのか______?
未来は変えられるのか、変えられるとしてそれはモブな俺でも可能なのか。
出来る、出来る筈だ。
何度もそう繰り返し、だけどいつだって一抹の不安が心を過る。
本当に?
ただの脇役でしかない俺にそんなことが可能なのか?
湧き上がるそれらを振り切るように、切り株の上の剣を手に取った。
鞘から抜けば、現れる漆黒の刀身。
吸い込まれるように美しいそれに映る自分の姿と見つめ合う。
「……っ、知ったことかっ!」
睨みつけるように目の前の樹々を見据え、走り出した。
跳躍と共に一閃、太い幹に飛び込むように足をつけ、反動をつけて後ろへと飛びすさる。
大木から視線を放さぬまま、迫りくる幹にさらに数度刃を放つ。降りかかる枝を避け、バックステップで下がりながら身を屈めて迎え撃つように、倒れ込んでくる大木に斬撃を叩き込んだ。
「俺はっ」
強く強く剣を握り込んだまま、低く呟いた。
「カイザー・フォン・ルクセンブルクだ!!」
モブだとか、ゲームだとか、無駄かもしれないとか……そんなこと全部知ったことか!
俺はカイザー・フォン・ルクセンブルクで、この世界の住人だ。
王であるティハルトたちの親友で、可愛いあの子たちの兄貴で、俺を支えてくれる皆の主で、大切な人達がこの世界に生きている。
ズドォオオン。
地響きと共に砂埃が舞った。
片肘を上げて砂埃から口と目を守りながら我に返った。
視界の先に舞う緑豊かな葉っぱと、地面に落ちた小枝、幾つかに両断された大木。
…………し、森林を伐採してしまったっ!!
予想外に大きく響いた大木が倒れた音に、冷静に現状を把握し焦る。
その間にも慌ただしくこちらへと向かってくる足音は増え、あちこちから「なにごとだ?!」と驚きの声も耳につく。
目の前には無残に切り倒された大木、その横で剣を手に佇む俺(犯人)。
ど、どうしよう?!
近づいてくる足音に、未だびしょ濡れな俺は先程までとは違う汗に背を濡らした。




