乙女たちの聖戦、或いは製菓業界の陰謀
馬車に揺られながら俺は瞳を閉じていた。
コトコトと響く僅かな振動、乗っている馬車は公爵家のものではない。屋敷を出た時は公爵家の馬車だったが、途中で借りて乗り換えたものだ。
なにせ公爵家の馬車は豪奢な上、紋章入り。お忍びには向かないのだ。
公爵家の馬車には見劣りするものの、充分に座り心地に配慮された馬車の座席に腰かけながら、腕を組み静かに瞳を閉ざしていた。
心を落ち着けようとしているものの、眉間に皺が寄っているのがわかる。
そして向かいに座るリフが、そんな俺を見て苦笑いを受かべているだろうことも。
思い出すのは家を出る前のこと。
控えめにノックの音が響いた。
今日は外出をする予定があったため早朝から仕事に手をつけていて、昼前に軽い朝食兼昼食を持ってきてくれるようメイド長に言付けてあった。
お洒落な言い方をするならブランチ。
だから当然、扉の向こうから聞こえる声はメイドのものだと思っていたのだけど……。
「お兄様、休憩時間にごめんなさい」
メイドと共に入室したのは、眉を下げた妹の姿だった。
「実は、カイザーお兄様にお願いがあって参りましたの」
ベアトリクスが執務室まで訪れるのは珍しいので、何事かと問い質せば返ってきたのは真剣な瞳で。思いつめたような声音と表情に、思わずナイフとフォークを操る手を止めた。
ちなみにブランチはエッグベネディクトだ。
定番のカリカリベーコンと、贅沢にもロブスターを使ったシーフードベネディクトの二種にサラダとスープ。
ナイフを入れた瞬間、濃厚なオランデーズソースとポーチドエッグの黄身がとろりと混ざり合う様がなんともいえない。
そんな魅惑の一品を前にしつつ、今の最優先事項は妹だ。
見つめ合う俺達。
意を決したように開かれた薄紅の唇。
「カイザーお兄様…………どうか私とカトリーナ様に、お菓子作りを教えて下さいっ!!」
「……はい?」
ガバリと勢いよく下げられた妹の頭を見つめながら、ナイフとフォークを手に首を傾げる俺の姿は間が抜けていたと思う。
話を要約すると。
バレンタインデーに手作りに挑戦したいということらしい。
なぜメイドでもシェフでもなく俺?とか思うところはあるが。
「告白、するつもりなのかい?」
一番気になるのはそこである。
「まさかっ?!違いますわっ!!私たちはただっ……お菓子作りがしてみたくてっ」
真っ赤な顔でわたわたと両手をぶんぶん振るベアトリクス。
菓子作りがしたいだけ……というのは100%嘘だが、即答での否定に取り敢えずほっと息を吐く。
「それで……宜しいでしょうか?」
不安そうにうるうるした瞳で見上げてくる妹を前に、こくりと口の中のものを飲み込んだ。
宜しくはない。
シスコンとしては宜しくはないのだが……。
「構わないよ」
俺の言葉にぱぁっと華が咲くように笑顔が輝いた。
「ありがとうございますお兄様っ!!」
結局、可愛い妹のおねだりには勝てないのである。
はぁ、と溜息を一つ。
ベアトリクスがお嫁に行っちゃう日が、また一つ近づきそうでお兄ちゃん哀しい。
でもまぁこうして頼ってくれるだけ、まだ兄離れはしないでくれてるんだと自分の心を慰める。
そんなちょっぴり憂鬱な気持ちを抱えながら、辿り着いたのは『リリアーナ』。
慣れた裏口からこっそり入ると、すぐさま挨拶と共に出迎えられいつもの部屋へと通される。
「わざわざご足労頂き有難う御座います」
従業員のお姉さんが持ってきてくれたお茶を頂いていると、すぐさまアランとルーシェさんがやって来た。
出店したマカロンとショコラの店『リリアーナ』は今日も今日とて大盛況。
さすがはリフの妹さんとその旦那さん。優秀すぎて店のことはほぼ任せきりである。
そんな接客にはほぼノータッチの俺だが、オーナーとしてやるべき仕事もある。
「バレンタインの商品はいかがいたしますか?」
ルーシェさんの問い掛けに、用意してきた案を書き留めた紙をリフが渡す。
「参考までにこちらは商品ごとの毎月の売り上げ一覧と、近隣の店舗の例年の売り出し商品の一覧です」
そして反対に事前に調査した資料をリフへ手渡すルーシェさん。マジ優秀で仕事が早い兄妹である。
そして暫し、お互いの用意した資料を読み込む。
議題はバレンタインの商品展開。
余談だが、俺はこの世界でバレンタインが少し嫌いになった。
前世ではわりとモテてたこともあり、それなりに楽しみなイベントだったが……この世界で超絶美形かつ、金持ちに生まれた俺に待ってたのは大量のチョコの山だった。
おかげでちょっぴりバレンタイン恐怖症となった。
なお、ガーネストたちも同じようなこと言ってげっそりしてた。
だって鬼気迫る女性陣も恐怖なら、ガチで媚薬入りとかあるんだよ?!怖っ!!
到底食べきれないチョコは、ほとんどは孤児院とか行きです(事前で異能とかで異物混入チェックしてもらってから)。
子供たちは普段見ない綺麗なお菓子に大喜びだから、結果オーライなのかも知れないけど。
そして異能がなくても何故か異物混入見分けられるハンゾーさんたち。
なんでわかんの??
まぁ、そんなこんなで乗り気はしないイベントですが……菓子店のオーナーとしてはこのイベントに乗らない手はないわけですよ。
なんせ稼ぎ時!
「どれも実に素晴らしい案です」
資料を手にアランが感嘆の声を漏らした。
商機を感じてか瞳がキラキラと光っているので、社交辞令ではなさそうだと内心でほっと息を吐く。
一押しはペーパーナイフ。
ビター系統のショコラやマカロンの詰め合わせに、剣を模したペーパーナイフをつけたものだ。シックな包装に剣の銀が映える。
むしろ俺が欲しくて考案したといっても過言ではない。
なにせ、先程触れたようにバレンタインのチョコに辟易している男性陣は多い。なので実用品に焦点を置いてみた。
ペーパーナイフなら普段使い出来るし、なにより剣の形って恰好よくない?
他にも定番のハート型の菓子や包装の商品もいくつか。
そして華やかで可愛らしいチャーム付きや、小物入れになるBOXにショコラを詰めたものなど(いつもより豪華版)も。こちらは男性用ではなく女性の自分へのご褒美用。
むしろ前世では一時期、自分用や友チョコが主流だったしな。
「ペーパーナイフや小物入れは単価が高くなるから、数量限定か事前予約の受注生産を考えているんだけど……どうかな?」
「そうですね。その方がリスクが少ないかと」
顎に手をあててなにやら考えているアランの頭の中では、早くも単価や見込み数など様々なことが駆け巡っているんだろう。
「ところで」
考えが一段落したのか、アランが資料の一部を指した。
「こちらはどういった意向ですか?」
指さされたのは、小振りのギフトだ。
マカロンやショコラの詰め合わせで、内容量が控えめなもの。包装も他の華やかなバレンタイン仕様と比べると落ち着いている。
予想はしていたが、やはり指摘されたそれにうーんと悩む。
正直この案はさほど自信がないので、女性であるルーシェさんの意見を是非聞きたい所だ。
「さりげなく渡せる品もありかなと思ったんですが……女性としてはどうですか?」
「いいと思います。華やかな商品は魅力的ですけど、人によっては渡す際に少しハードルが高い場合もありますし」
「華美なのは苦手な方もいますし、あからさまに気がありますって感じがしますしね」
肯定的な意見に頷き合う。
一方でアランとリフはいまいちわからなそうな顔をしていた。
「好意があるから贈るのでしょう?」
あれはとあるバレンタインデーのことだ。
姉がデパートで買ってきた、高級そうなシックな包装に包まれたチョコレート。
某有名店のチョコながら、女性らしい好みの三女のイメージに似つかわしくないシックな包装に「ずいぶんシンプルじゃね?」と首を傾げれば、彼女はおっとりと言った。
「だって、あんまり力を入れたら好きって言ってるみたいじゃない?」
その言葉に、かつての俺はリフと同じようなことを返した。
「だって好きなんでしょ?」と。
「恋愛は駆け引きだもの。先に好きって言った方が負けなのよ?どちらが先に告白したかで、その後の立ち位置が決まる場合もあるの。だからこっちから示すのはさり気ない好意でいいのよ。主導権を譲るつもりはないし、いわばマウントの取り合いね」
にっこり笑った姉は美人だけど怖かった。
そんなおっとり「マウントを取る」とか言わないで欲しい。
そして俺は、女性には女性の複雑な駆け引きがあることを思い知った。
そんな旨をぼやっと濁しながら言葉にすれば、
「すごくわかります」
ルーシェさんに力強く頷かれた。真顔だった。
わかるんだ……。
ちょっぴり否定して欲しかったご意見は、真顔でもって肯定された。
その後、ルーシェさんをはじめ、接客担当のお姉さんたちの意見を取り入れ、無事商品ラインナップや包装等が決まりました。
さぁ、稼ぐぞー!!




