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ブラック・スワン  ~『無能』な兄は、優美な黒鳥の皮を被る~   作者:
本編

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30/210

これが敵に塩を送るということか



 最近、我が家のお姫様は元気がない。


 ふとした瞬間に愛らしい笑顔を(かげ)らせ、沈み込むように物思いに(ふけ)っている。

 憂い気な横顔は美しく、可愛らしさよりも麗しさを感じさせるその姿は、幼いままの妹ではなく彼女が年頃の女性へと徐々に成長を遂げていることをまざまざと思い知らせる。


 憂いの理由は、知っている。


「元気がないね。私で良ければ相談に乗るよ?」


 落とされた溜息にそう声を掛ければ、ぱちりと大きな瞳を瞬かせるベアトリクス。恐らく無意識で、自身が溜息を吐いた自覚がなかったのだろう。


 きょとん、とした後で、じわじわとシトリンの瞳が潤んだ。

 花弁のような唇が薄く開き、なにかを紡ごうとし……だけどそこから声が生まれる寸前、躊躇(ためら)うように閉ざされる。


「えっと……」


 忙しなく彷徨(さまよ)った瞳がおずおずと俺の背後へと向けられた。

 上目遣いに見上げられたリフはその視線で全てを悟り、一つ頷いて胸に手を当てた。


「お茶の準備だけしたら、私は別件で少しの間席を外しても構わないでしょうか?」


 機転を利かせてくれたリフに眼で礼を告げ「ああ」と短く告げる。


 さて、実はベアトリクスの悩みは知っている。

 確かに男性であるリフには聞かれるのが恥ずかしいのかも知れない(リフも俺もばっちりしっかり把握してるけど……)。それを思えば水を向けたとはいえ、こうして悩みを打ち明けて貰えるのは光栄なことだと思う。


 用意されたティーカップを手に、口をつけるのでもなく瞳を伏せ凪いだ琥珀色の水面を眺めるベアトリクス。長い睫毛が頬に影を落とす様を見つめながら、急かすでもなく待ち続ける。

 最愛の妹が重い胸の内を吐き出すのを……。


「恐いんです」


 ぽつりと零れ落ちた言の葉。


 吐息が琥珀色の水面を震わせ、やがてその波紋が静かにベアトリクスへと伝染していく。微かに震える手で、口をつけることなくカップをソーサーへと戻したベアトリクスが続けた。


「ダイア様たちが高等部に上がってしまって、お逢い出来る機会がめっきり減ってしまいました。登校はご一緒できますけど、下校は日によって高等部とは時間が違いますし、お昼だってご一緒できません」


「寂しいね」


 登校は毎日一緒だとか、イチャイチャは毎日しているだとか……。

 そんなことは突っ込んではいけない。

 恋する乙女はいつだって、健気で純粋で真剣なのだ。


「高等部のご令嬢たち、すごく綺麗なんですの。雰囲気だって大人っぽいし……身体つきだって私とは全然違います。そんな方達がダイア様の側には沢山…………」


 自分の胸元を見つめながらうるうるする可愛い妹。


 確かに、高等部ぐらいになると極端に変化が出る。

 特にこの世界は乙女ゲームの世界&西洋風の外見もあって、ボンキュボンのラインは目を見張るものがあったりする。なんならベアトリクスもめちゃくちゃという程ではないが、普通にスタイルよく成長する。


 ……とはいえ、セクハラになるからお兄ちゃんはその点に関しては沈黙させて頂きます。


 ベアトリクスは悪役令嬢ではあるものの悪女風ではなく、ちょっぴり気の強そうな正統派高貴なご令嬢!って感じの美少女だった。

 お色気系ではなかったけれど、兄の欲目を抜いても超美人。今でも超絶美少女だけど。

 正直、ヒロインより可愛いと思った記憶がある。


「ダイア様もガーネストも、いっつもご令嬢たちに囲まれてるんですの」


 あー。

 だよね。王子と公爵家、しかもイケメン。

 婚約者を狙う女の子たちが群がらない筈がない。


 以前からモテていた彼らだが、高等部は年齢的にもより一層今後を意識する頃だろうし、なによりいつも一緒にいたベアトリクスたちが居ないチャンスっていうのが大きい。令嬢たちだって張り切ってるだろう。


「二人ともモテるからね。ところで」


 話の腰を折って申し訳ないが、どうしても聞かなければならないことがある。


「ベアトリクスたちは大丈夫なのかい?男子に絡まれたりしていない?」


 若干(じゃっかん)身を乗り出して尋ねた。


 だって、チャンスなのはガードが外れたベアトリクスたちも一緒じゃん!

 むしろ、女の子っていう面でこっちのほうが俺的には重要。


 ベアトリクスの心配はわかるけど……ダイアはベアトリクス以外に(なび)いたりしないだろうし、ダイアもガーネストも自衛出来るしね。


「時々お声は掛けられますけど大丈夫ですわ。あんまりしつこい方はダイアナ様が追い払って下さいますし、サフィア様とかも間に入って下さいますもの」


 ダイアナ嬢&サフィア、超ナイス!!

 うちの可愛い妹助けてくれてマジあざーす!!


「……私…」


 震える声音。


「ダイア様のことが、好きです」


 小さく、だけどはっきりと告げられた言葉。


「だから恐い。恐いんです」


「なにが恐いんだい?」


「ダイア様を他の誰かに盗られちゃうことが。ダイア様が誰かを好きになってしまわれることが……」


 揺れる瞳、潤んだシトリン。

 だけどその瞳からは涙は流れずに……。


「こんなことを想う私自身が」


 代わりに、押し込めていたであろう想いが唇から零れ落ちていく。


 頼りなく持ち上げられた両手が胸元を押さえる。

 だけど抑えることの出来ない想いがある。


「私、私は……いつかこの魅了を使ってしまうかも知れません。いけない、ってわかってるんです。だけど、私はっ……!

ダイア様を失ってしまうぐらいならこの異能(ちから)に頼ってしまうかも知れない。それが、そんなことを考えてしまう自分が恐くて堪らないんです」


「ベアトリクス」


 震える華奢な肩がとても痛ましくて、座ったまま隣へと手を伸ばす。ソファの隣に腰かけるベアトリクスを引き寄せ、小さな頭を肩へと寄せた。


 大丈夫だよ、そう言ってやるのは容易(たや)い。

 そうすれば彼女は安心できるかも知れない。


 だけど誰がわかるだろうか?

 いまダイアがベアトリクスのことを好いていたとしても、人の心は変わらない保証なんてない(可能性は限りなく薄いと思うが…………)。

 “ゲームの強制力”そんな陳腐(ちんぷ)な言葉で片付けたくなんてないけれど、ゲームのようにベアトリクスが自らの異能を、魅力の力を使ってしまわない保証なんてない。


 ゲームと違って現実の彼女を知っている今、故意(こい)にベアトリクスがヒロインを貶めるなんて考えていない。


 だけど____。


 愛する人が他の誰かを愛して……。

 自分を見てくれなくなって……。


 その時にもしも、それを防ぐ能力を自分が持っていたとしたら……。


 その可能性に縋りたくなる気持ちも、恐れも、痛いほどにわかる。

 たとえそれが正しくなくても、間違っていると知っていても……それでも望んでしまうことだってあるかもしれない。


「こんな力、いっそ無ければ良かったのにっ!!」


 俺の服をぎゅっと握って、叫ぶように吐き出した妹の髪を柔らかく撫でる。


 結局、俺に出来ることはなにもない。


 妹を救うといいつつも、肝心のベアトリクスが全てを失ってでもとそれを望んでしまったならば、たとえ表面的な事態を防ぐことは出来たとしても……誰かの心を変えることまでは出来ないのだから。


「ベアトリクス。君がそう思うことはとても正しいことだよ。その能力に頼ることを躊躇(ためら)うのも、恐れるのも。そしてその縋りつきたくなる気持ちですら、とても正しい」


 誰かを想うこと。

 望みを叶えたいと願うこと。


 それは人としての本能だ。


「魅了でダイアを縛り付けて、自分を好きになってもらって……?それでベアトリクスは満足出来るかい?」


 静かな問いに、小さな頭がふるふると振られる。


「だけど後悔しても……一生、後悔しつづけることがわかっていても、その願いを望む時がくるかも知れない」


 ひゅっっと小さく息を呑む音が聞こえた。


「この世界には叶わない想いも叶わない願いもある、残酷だけどそれは事実だ。だから、沢山悩みなさい。一時の感情だけに流されて呑まれてはいけない。なにかを成すなら覚悟をしなさい」


「お兄様?」


 戸惑いを持って上げられた顔へと笑いかけた。


「異能なんかに頼らなくても、胸を張ってダイアに振り向いて貰えるようまずは自分で頑張ってごらん?頑張って、悩んで、努力して……。それでももし、もしもベアトリクスが間違えて道を踏み外してしまったその時は」


 たった一つだけ、俺に出来ること。


「その時は私も一緒に責められてあげる」


 糾弾され、投げられる(つぶて)の盾となろう。

 ただ、絶対の味方で居続けよう。


「一つだけ、覚えておいて欲しい。なにがあろうともベアトリクスは私のたった一人の大切な妹で、私は絶対にベアトリクスの味方だということを」


 こんなことがなんの救いになるかはわからない。


 だけどゲームのベアトリクスのように孤独に追い込まれることのないように。

 僅かでも心の慰めとなりますように。


 もちろん断罪させる気もないし、万が一断罪されたとしてもその後も不自由なく養えるだけの財はあるがな。公爵家の財とは別に店舗経営も順調だし!


 その後、抱きついてきたベアトリクスを存分に甘やかし、気分転換という名のもとにデートの約束を取り付けた。

 役得でしかない。

 

 さらには…………。


「こうやって慰めるのも、いずれは他の男に譲らなければならないんだね」


 髪を撫でながら感慨深く呟けば、


「もし将来誰かと結婚しても、カイザーお兄様は私の大切なお兄様に変わりありませんわ。私は一生、カイザーお兄様とガーネストの『妹』なんですから」


 赤くなった頬をぷうっと膨らませて、上目遣いでそう言われた瞬間の衝撃。


「嫁にはやらん!!」と叫びたくなった心境がお分かりだろうか。



 だけど実際は…………。

 俺の言葉に従ったベアトリクスはちょっぴり積極的にダイアへアプローチを開始し、結果二人の仲はより親密になりましたとさ。


 妹の倖せが第一だけど、ひょっとして俺がその時期を早めた?



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