誓いは変わらずこの胸に
(リフ視点)
幼い頃の私はとても傲慢な子供だった。
いや、過去形で語るのは相応しくないかも知れない、魂に刻み込まれた傲慢さは今も自身を形作っているのだから。
私の生まれはとある下級貴族だ。
貴族とは名ばかりの凡庸とした家庭だった。
兄が一人に妹が一人、両親も兄もこれといった野心はなく、平凡に穏やかに祖先から受け継いだ家名を守り生活していた。
これといった不満もなく、だけど未来への展望もなく。
身分が上だというだけで自分よりも劣る癖に輝かしい未来を約束された上級貴族。だけど、奴らを押しのけて這い上がってやろうという程の情熱すらもなく。
これが自分の人生なのだと……酷く冷ややかな諦観がそこにはあった。
そんな折に声が掛かったのがカイザー様の従者の話だった。11歳の時のことだ。
私の身の上ではこれ以上ない幸運だったのだろうが、特に歓喜もなければ断る程の忌避もなかった。
ただ一つ感じたのは…………恐れ多くも哀れみだった。
私の異能『絶対防御』は数ある異能の中でも特出して優れている。あらゆる物理的・精神的攻撃すらも無効にするのだから。
よりにもよって『無能』である主となる人間はそれをどう思うのかと。
妬むのか、僻むのか。
羨むのか、絶望するのか。
それともただ、私と同じように世界に対する冷ややかな諦観がそこにあるのか……。
微かな哀れみを覚えると共に、所詮はそれすらもどうでもよくて…………諾々とただ従い、そして_____。
あの御方と出会った。
美しい人だった。
射干玉の黒髪に白皙の造り物めいた美貌、成長しきらない細い手足。
それはまるで命を持たぬ人形のように、ただ美しかった。
「君が従者になってくれる子?宜しく」
柔らかな笑顔を浮かべられた瞬間、造り物が命を帯びた。
美しい瞳に込められた優しい感情と差し出された温かな手がすごく不思議だったのを覚えている。
血の通った温もり……当たり前のそれに何故か心臓が激しく鼓動を立てた。
義務感でしかない筈だった。
だけど私がカイザー様に崇拝と心酔を抱くのに、そう時間はかからなかった。
常に優美で、冷静沈着な穏やかな気質。
それはあの方が抱く色彩に相応しく、凪いだ夜を思わせた。
何処までも深く、静寂で、果てのない夜。
全てを受け入れてくれるような寛容と、孤高を抱いた夜そのものだった。
悠然として超然。
けれどそれは、あの方の一面でしかなかった。
机の上に積み重なる何冊もの書物。
大の大人と領地について議論を交わす姿。
造り物めいた美貌に似合わない幾つもの傷痕。
傷痕が残らぬよう細心の注意を払い、そしてまた刻まれる傷。
まるで生まれた時から全てを手にしていたかのようなその人は、生来の才能に夥しいまでの努力を裏付けすることでそこに立っていた。
妬み?僻み?
羨む?絶望する?
まだ自分の異能をカイザー様に告げてこそいなかったものの、それでも尚、かつて思ったそれらがカイザー様の心に芽生えることがないのを知った。
カイザー様は元より他人と自分を比べてなんていない。
あの方が見ているのはいつだって自分自身だ。
思い知らされると共に、初めて自分を恥じた。
愚かにも哀れみを抱いた自身を。
傲慢な諦観に彩られた己を。
「暫くは絶対に安静になさって下さい。鍛錬は禁止です」
「でも……」
「カイザー様?」
反論をしようとするカイザー様を強く名を呼ぶことで制止する。
本人も分が悪いことはわかっておられるのだろう、名残惜しそうに視線を彷徨わせ「わかった」と小さく頷いた。
だけどすぐに「いつまで?」と問いかけられ、期間を巡って攻防を繰り広げること暫し。
包帯の残りを手早く救急箱へと戻した。
微かに薬の匂いが鼻をつく。ベッドの上に腰かけたカイザー様の右手は、真っ白な包帯に包まれていた。
アインハード様との鍛錬の途中、激しい斬撃を捌いていたカイザー様が突如、剣を取り落とされたのだ。
たたらを踏むお身体と迫る白刃。
なにを思うよりも早く身体が動き、カイザー様の前に飛び出した私の肩越しに白刃は止まった。
慌てて歯止めをかけたものの間に合わないと思われた斬撃の急な停止に、斬撃を繰り出したアインハード様も背に庇ったカイザー様も目を見開き驚いておられた。
あの時、私の中には確かな誇らしさと自信があった____。
「仕方ない、暫くは勉学と仕事に力を入れるよ。でも早く治さなくては。闘技会はもうすぐなのだから」
包帯が巻かれた自分の手を見下ろし、憂い気に溜息を吐かれるカイザー様。
「今回は出場を見合わせるという手もあるのではないですか?まだ一年生でらっしゃるのですし」
「いや、自分で決めた目標だからね」
闘技会は学園で行われるイベントだ。
各学年ごとでなく、一年から三年全ての学年の出場希望者によってトーナメント制で行われる。そうはいっても、実際出場するのは将来騎士を目指す生徒ばかりだという。それにもかかわらずカイザー様は出場を決意された。
12歳から14歳というのは年齢によって体格差も大きく、ましてや相手は本職で騎士になろうという生徒たち。
カイザー様はここ最近、常の鍛錬よりも一層の力を入れてらした。
その結果が_____。
手の怪我は、疲労骨折だった。
強い一撃を受けたわけでもなく、度重なる無理が祟った怪我。
「何故そこまでなさるのですか?」
それは、ずっと抱いていた疑問だった。
勉学も、鍛錬も、仕事も……まるで自分を追いつめるように無理をする主の姿がもどかしかった。
縋るように見上げた先で、カイザー様は困ったように微笑った。
「きっと私が、弱い人間だからかな」
意味が理解出来なかった。
弱い? この方が?
疑問が表情に出ていたのだろう、私の顔を見てカイザー様が可笑し気に笑う。
「弱いんだ私は」
もう一度、理解が及ばぬ言葉が断定を持って繰り返される。
「祈ることしか出来ない、そんな言葉があるだろう?」
唐突に変わったかに思えた話題。
「人はきっとなにも出来ないことが不安で仕方ないんだろうね。出来ることを全てやって、もうなにも出来ることが無い時に、それでもなにもせずにはいられなくて人はきっと祈るんだと思う。私もね、不安なんだ」
それは初めて聞くこの方の心の内で…………。
「守りたいものがある。起こらないで欲しい未来がある。だけどなにをどこまで成せばいいのかわからない。力が欲しくて……だけどその為に必要な力すらわからないんだ。がむしゃらに努力することしか出来ない。それに向かっている間は、少しでも安心出来るんだ」
「それは……」
「詳しいことは話せない、すまない。出来ることなら全て誰にも知られる事無く、ただの杞憂で終わってくれることを願ってるんだ」
「その為にこれ程までの努力を?」
「そう、自分に出来る最大限の努力を。そうしてそれが無駄な努力となってくれるなら、それ程に嬉しいことはないよ」
私には理解出来なかった。
「どうして……?」
だから、なにを問いたいのかすらもわからぬままそう問うた。
「それが私の幸福だから」
そう仰って笑ったあの方は、とても眩く美しく。
「必死になれる程大切なモノがある。守りたいモノが溢れてる。命すら懸けられる程に大切な者に出会えた。私は間違いなく倖せだよ。そしてその為にまだ出来ることがある。こんなに嬉しいことはない」
それは天啓だった。
訳もわからない程の激情が胸を駆け巡り、息の仕方すらも忘れてただあの方を見上げていると……次いで零された言葉に今度こそ息が止まった。
「リフ、ガーネストの従者になるつもりはない?」
「な、何故ですか?私がなにかっ…」
真っ白になった頭。
なにか粗相をしてしまったかと、そのことばかりが頭をよぎる。
取り乱す私を落ち着かせるようにカイザー様が手を掴んだ。
つい少し前まで、私の中には確かな誇らしさと自信があった。
異能を露わにしたことで、カイザー様の従者としての自分の立ち位置が確固たるものになったという傲慢な自信。
この方に必要とされると、そう歓びに満たされていた。
なのに_____。
「不手際がありましたら必ず直しますっ!ですからっ……!」
「違うっ!!」
無様に取り乱す私の手を掴む御手は、相変わらず温かかった。
「そうじゃなくてっ、リフは私には勿体ないよ」
そうして話して下さったのは…………。
「まだ誰にも言わないで欲しい。実は私は爵位を継ぐ気はない、その時が来たら爵位はガーネストへと譲るつもりだ」
あまりにも衝撃の告白だった。
「本当はもっと後に言おうと思ってたんだ。ガーネストはまだ幼いし、同じ年頃の従者の方が都合のいい場面もあるだろう。もっと……ガーネストが成長してからリフに頼もうと思ってた。だけど今日、リフの異能を見て考えが変わったんだ。今からでもガーネストに付いてくれる気はないか?」
「何、故……?」
「リフが優秀だから」
困ったように笑う姿は、どこか幼く見えた。
いや…………年相応というべきか、この方はまだ12歳の少年なのだから。
「誰よりも優秀で、信頼してる。従者としても、親友としても。傍に居て居心地がいいし、世話も完璧だし、リフの紅茶が一番美味しい。それにあんなにも頼もしい異能まで持ってるなんて……」
それは、妬みでもなく。
僻みでもなく……。
「このままじゃ、手放せなくなりそうだ」
困り顔のまま零されたその言葉に、心臓が大きく音を立てた。
その歓喜を、なんと呼ぼう?
疲労によりそのまま眠りについたカイザー様を前に、随分と長いこと呆然としていた。
『必死になれる程大切なモノがある。守りたいモノが溢れてる。私は間違いなく倖せだよ。そしてその為にまだ出来ることがある。こんな嬉しいことはない』
不意に頭の中に声が響いた。
そして気付く。
爵位も立場も関係ない。
とうに自分は生涯唯一人の主を己で定めていたことを。
包帯に包まれた手を恭しく掬い上げ、忠誠を誓う。
そして、我が主が目覚められたら、今一度真っ先にこの忠誠を捧げようと、そう心に決めた。
そして…………変わらずカイザー様の従者で在り続けることとなった私に、ある日あの方が小さな小箱を下さった。
ビロード張りの蓋を開ければ、ピンブローチがそこにはあった。
二対の剣が交差し、その上部に燦燦たる星のように輝くダイヤモンド。
「貰って欲しい」そう告げるカイザー様に慌てて首を振って小箱を押し返す。
だって、それは…………闘技会の優勝者の証だ。
「これからも私の従者で居てくれるって言ってくれたのが嬉しくて。あっ、でも別にリフを縛り付けようってつもりとかじゃなくてっ!!ガーネストの従者を引き受けてくれるならいつでも受け入れるしっ。そういうことじゃなくて……本当に嬉しかったから。なにかお礼をしたくて」
珍しくもわたわたとしながら、突き返した小箱を押し返すカイザー様。
「有り難き倖せです。ですがこんな貴重な物を頂くわけには……」
「大丈夫」
そのお心に感激しつつも、物が物だけに素直に受け取るわけにはいかない。
だけどそんな言葉をカイザー様は遮った。
「だって来年も再来年も手に入れるから」
そう仰って不敵に笑われた姿は、いつもの超然とした姿ではなく年頃の少年らしい笑顔で……。
あの日頂いたそれは、今も誓いの証として私の左胸で輝いている。




