我が身命は唯一の為に
(ハンゾー視点)
出会いは偶然にして必然だった。
疑問も恐れも忌避もなかった。
だけどもしかしたら、飽いていたのかも知れない。惰性と虚無に満ちたその日常に。
血と暴力と嘘と裏切り。どれ程に美しい国だろうと、素晴らしい場所だろうと必ず影は存在する。
そして俺はそんな影の中に生きてきた。
その生き方を、自らの在り方を後悔していたわけではない。
何故なら俺は知っていた。それこそが自分の生き方だと。自分の居場所なのだと。
出会いは正しく怪我の功名だった。
一目見た瞬間、その異質さを感じ取った。
振り下ろされる刃に、咄嗟に腕の中に庇った美しい少女。凶刃の持ち主を一刀した美貌の青年。少女と同じく、明らかに貴族然とした美しさと高貴さを兼ね備えたその人物は、だけどどこか異質だった。
満月のような黄金の瞳。
眇められたその瞳は、手にした刃の切っ先と同様に冴え冴えとした光を湛えて、倒れ伏した男達へと向けられていた。
一瞬の躊躇もなく振り下ろされた剣。流れるように喰らわせた腹への一撃と首筋へと叩きこまれた剣の柄。
二人の男を無力化したその一連の動作は実に見事だった。
怯える少女を抱きしめ、安心させるようにかけられる声。
先程の冴え冴えとした瞳の持ち主と思えない程の優しく甘い声音と仕草に、悲鳴を上げる隙すらなく男達を処理したのは全て少女を怖がらせないためなのだと悟った。
必死に殺気を押し隠そうとする青年を呆然と見上げた。
それが、出会い。
慈悲深くも我が君は、傷が酷くまともに動くことが出来なかった俺を連れ帰り世話をしてくださった。
あれはいつだったか。
世話になって数日、リフ殿に包帯を替えて貰っている時だった筈だ。
「君はこれからどうするの?」
不意にカイザー様に問いかけられた。
「どう……とは?」
「雇い主に歯向かって狙われているわけだろう?怪我が治ったにしろ、仕事はしにくくなるんじゃない?」
「さほど問題はありません。雇用関係など大抵がその場限りですし、恨みも命を狙われることも日常茶飯事ですから。これまで通りに生きていくだけです」
刃を向けることも、向けられることもそれこそ日常。
たとえ再び狙われ、それが原因で命を落としたとしても、それは己の弱さが招いたことだ。
雇い主など報酬と依頼の内容によりその都度変わる。表があれば必ず裏がある、暗殺や諜報を引き受ける暗部の仕事はいつの世界でもなくならず、仕事に困ることはない。
「なにより、これが俺の生き方ですから」
そう言い切れば、黄金の瞳がぱちりと瞬いた。
「不満はないの?」
「なにも」
その言葉に嘘は一つもない。
誇れる仕事ではないし、真っ当に陽の下を歩ける身でもない。
それでもその生き方に、在り方に不満を抱いたことは一度もなかった。
実力と運だけが生死を別つ闇と影に包まれた世界。それこそが俺の生きる世界だ。
ぱちり、ぱちりと長い睫毛を瞬かせて不思議そうにこちらを見るカイザー様の表情に、口元に小さく笑みが浮かんだ。
それはあの日見た冴え冴えとした刃の如き瞳とは似ても似つかなかった。そら恐ろしいような異質さを纏わぬ目の前の人は、光の世界の住人なのだとそう思わせる澄んだ瞳をしていたから。
「この身は道具で、闇も影も俺の一部であり味方です」
きっと多くの者にはわからないだろう。
だけどそうある俺達のような者にとって、この身を潜めることの出来る闇も影も、そして道具であることすらも酷く優しい。
僅かに傾けられた顔に、艶やかな鴉の濡れ羽色の髪が白い首元を滑る。
「……道具?」
「はい」
「歯向かったのに?」
揶揄ではなく問いかけられた声は純粋な疑問が浮かんでいた。不思議そうな光を浮かべるその瞳を静かに見返す。
「道具だろうと矜持はあります」
「命の危険もあるし、他の生き方だってあるのに?」
「他の生き方など知りません。なにより、この手に刃を握った時からとうに刃を向けられる覚悟などしております。死も破滅も自己責任です。法や秩序に守られることがない代わりに、本当の意味で何にも縛られるつもりもない」
「受けた依頼は果たすけど、それは雇い主だって同じ?」
どこか楽し気な表情を浮かべたカイザー様にはいと頷いた。
実際、今回の件は雇い主の契約違反だ。罪のない女子供には手を出さないとは先に告げていた。契約違反をした相手を裏切ったことに後悔は微塵もない。
長い指を顎に添え、ふぅんと思わせぶりに瞳を細めたカイザー様は「恰好いいね」と一言呟いた。
「ねぇ」
そして再びこちらを真正面から見据えたその満月の瞳には……。
「君らが“道具”だというのなら、そしてその在り方に不満がないのなら、私に使われてみるつもりはない?」
蠱惑的に輝く瞳に見え隠れするのは、あの日と同じ異質な輝き。
あくまでも穏やかな提案だった。
だけど先程までと輝きを変えた瞳が、戯れや思い付きなどではなく本気なのだと告げている。突然の提案と雰囲気に呑まれ、黙り込んだ俺の反応を美しい双眸がじっと窺う。
光の世界の住人なのだと、たった数分前に思ったばかりだった。
高貴さも優美さも失わず、されど深い夜の色を纏ったその人は……言い知れぬ異質さを孕んでそこに居た。
若や姫君たちの、守られ慈しまれ、邪悪を知らぬ無垢な清らかさに通じそれに似ず。
俺達や腐った貴族共の、殺伐と謀に塗れ、目的の為なら手段も厭わぬ傲慢に通じそれに似ず。
光も闇も、清濁併せ持って尚、美しいままの姿で。
「あっ勿論、君の意思は尊重するよ?女子供に手を出せなんて言わないし、っていうか私だってそんなの御免だし。好待遇も保証するし、無理に縛り付けるつもりもない」
返答を返さない俺に矢継ぎ早に言葉を紡ぐカイザー様からは、つい一瞬前の雰囲気は霧散していた。その落差と気さくな様子で指折り告げる姿についていけず、今度は俺の方が先の彼のように瞬いた。
そんな俺たちの様子に静観していたリフ殿がくすりと笑う。
何時の間にか手当は終了していたようだ。道具を片付けるリフ殿に礼を告げる。
「カイザー様、肝心の仕事内容を告げてません」
リフ殿に告げられ、再びあっと声を上げるカイザー様。
そして仕切り直された勧誘。
「光が強いとね、そこに生まれる影も同じように強くなる。だから私はあの子たちを守る為の刃が欲しい。大切なモノを全て守り抜けるだけの力が」
「貴方ならその為の力を雇うことなど容易いでしょう?」
「どうかな?君のような人材は中々居ないと思うけど。金で寝返る輩も、意思を持たぬ人形もあの子たちの側に置くつもりなんてないし。ましてや権力にものを言わせて雇う気もない」
最後の言葉に人道的で素晴らしい人格者だと思った。
だけど当の本人は、そんな考えを肩を竦めて哂った。
「まさか。木偶を身の内に飼う気もなければ、扱いきれない“道具”を手にしたところで身を滅ぼすだけだろう?」
だから、俺の意思に委ねるのだと。
「それでも、私は君が欲しい」
そう請われた時には、きっと既に結論は出ていた。
己の生き方にも、在り方にも 不満などない。
この闇と影に生きることに 後悔も躊躇もありはしない。
ただ、ひとつだけ。
望んでいたことがあるとすれば、
道具であると自覚している己を使うに相応しい、そんな主を得ること。
社会にも秩序にも縛られるつもりなどない。
縛られるのでなく、自らの意思で跪き、全てを捧げられるような そんな主に出会うこと。
叶うことなどないと思っていたその願い。
それを前にして「考えさせてほしい」とそんな返答を返したのは、あの方の前から姿を消したのは……。
相応しくないと知っていたから。自分を狙う追手がかの家を狙うかも知れない状況、怪我のせいで以前通りに動けない身体。そんな状態でその手を取ることは出来なかった。
それは最低限のケジメで、必ずや期待に応えたいという自負。
全てを片付け、修行を積み……そうして俺は、ただ唯一の主君を得た。
メイド殿に授かった“ハンゾー”の名。
とある異国の名で、闇に生き、影に生き、主に忠義を尽くす意味を持つというその名に、恥じぬ己であろうと胸に誓った。
リフ殿と少しの話を終え、屋敷を出て夜を駆ける。
広大な敷地の中、樹々が夜風にさわさわと揺れた。夜は密やかで、闇は姿を隠しこの身を安穏へと沈めてくれる。その筈、なのに……持て余した心を抱えて俺は駆ける。
向かう場所は鍛錬場だ。
もう日付も変わる時刻だが、こんな気分の時はじっとしているよりも身体を動かしているほうがいい。経験からそう知っている。煮え切らない、滲み出るような焦燥と不安と、胸を焼く怒りと悔い。
「……っ!」
軋むほどに歯を食いしばり、苛立ちと共に放った飛針は狙った先の僅か右。
募る苛立ちを飲み込み、呼吸を整え続けざまに放つ。今度の的は急所と定めたその場所を穿った。冷静になれ、そう自分に言い聞かす。
胸を焼く怒りと悔いは己の不甲斐なさに。
瞳を閉じ、世界が闇に沈めば……思い起こされるのはつい先程のこと。
暗号のようなそれを瞳に映した途端、露わにされた驚愕と動揺。蒼褪め、瞳を見開かれたお姿がまざまざと浮かんで消えない。
理由を問うも答えては頂けず、またリフ殿も原因に心当たりがないらしい。
崩れ落ちる瓦礫を前に、あの場で騎士たちを助けるのが精一杯だったとはいえ、本来の目的を果たすことが出来なかったことが返す返すも悔やまれる。
廃墟と化したあの場所にはどのような秘密が眠っていたというのか。役目を果たせなかった悔恨が胸をつく。
なにかも知れぬソレが、我が君のお心に暗雲を齎しているというのなら。
払わねばならない。
憂いの元は、なにもかも。
まだ姿の見えぬ敵を幻視して、握った小太刀を根元まで振り下ろした。
我が君を、姫君方を守る“刃”になると誓ったあの言葉は本物だ。
むしろ、仕える程に一層に強さを増す尊敬と畏敬。全てを賭すに値する素晴らしき主君。
だが、あの方は違うと言った。
“命”を賭すのでなく、役目を果たし、尚且つ無事に“戻って”こいと。
「必ずや、お心のままに」
有り難くも頂戴した首元の襟巻に触れ、小さく呟いた。
次こそは必ず期待に応えてみせる。
俺を、俺達を 使い捨ての道具としてでなく、その存在そのものを認めて下さるというのなら……どんな死地でも潜り抜け、必ずお側へと参じよう。
誓いのままに、永遠の忠義をもって。
☆☆補足
怪我のお世話されてた時の呼称が我が君でなくカイザー様になっているのはワザとです。回想シーンで当時はまだ主従の関係じゃなかったので。




