手柄を横取りされてクビになった宮廷魔術師、趣味の人形遣いを極めて最強になる ~今さら帰ってこいと言われても、趣味が仕事な今のほうが楽しいので……~
「クビだ! ペリア・フィオクル、命令に従わないお前はこの研究室に必要ないッ!」
その日、上級魔術師であるイネクトは、部下であるペリアに向かってそう声を荒らげた。
クビ――その言葉に、彼女は赤い瞳を見開かせると、首をかしげ、長い銀色の髪を揺らした。
王立魔術研究所――世界で最も優秀な魔術師が集うこの施設で働く者のことを、俗に宮廷魔術師と呼ぶ。
上級魔術師は、その中でも特に抜きん出た能力を持った者しかなれない地位だった。
元より貴族の家の出であるイネクトは、上級魔術士という称号も相まって、逆らえる者は誰もいない存在である。
つまり、ただの魔術師であり、かつ平民の出であるペリアは逆らうことができないのだ。
「あ、あの、さすがにクビはないんじゃ……」
「この期に及んで僕に逆らうのか? いい度胸をしているな。いいか、お前は僕の命令に従っていればよかったんだ。それが何だ、今日中に間に合わない? 仕事が多すぎて眠れない? ふざけたことを言うなッ! それをやってみせるのが宮廷魔術師だろう!」
「でも、他の方やイネクト様は定時あがり――」
「口ごたえをするなァッ!」
イネクトは思いっきり机を蹴った。
響き渡るガタンッ! という音に、ペリアは体を震わせる。
「僕は知っているぞ、お前、趣味で人形なんぞ作っているそうだな? そんなものを作る暇があるのに、仕事に時間は割けないと?」
「あ、あれは、早く帰れた日に、少しずつ……」
「黙れ、無能が言い訳をするな! もういい、話にならんッ! とにかく出ていけ! 二度と僕の前に顔を見せるんじゃないぞ!」
そのままイネクトは研究室から出ていき――部屋は静寂に包まれた。
扉が閉まってしばらくすると、同室にいた同僚たちがニヤニヤと笑いながらペリアに声をかける。
「ペリア、今までありがとうな」
「え?」
「イネクト様にああ言われたんじゃ仕方ないよね」
「えっと、私、本当に……?」
そしてとどめと言わんばかりに、室長が告げた。
「我々としても非常に、心の底から残念だが、ペリア君と一緒に仕事ができるのも今日までのようだ」
「そ、そんなぁ……」
がっくりと肩を落とすペリア。
しかし彼らの言う通り、イネクトは絶対的な存在。
クビを言い渡されたからには、従うしかないのだった。
◇◇◇
ペリア・フィオクル、18歳。
彼女は、貧乏な田舎町の生まれだった。
幼い頃に見た人形劇がきっかけで魔術師に憧れ、猛勉強と猛特訓を経て、平民では絶対に不可能と言われる試験を突破。
貴族たちから冷たい視線を向けられながらも、宮廷魔術師になるという夢を叶えたのだ。
しかし――彼女に待っていたのは、厳しい現実だった。
王立魔術研究所に入って二年、イネクトの部下となったペリアには、膨大な量の仕事が押し付けられた。
街を覆う結界の強化案、流行病に対処するための治癒魔術の改良、魔獣の生態及び弱点の解析、より威力の高い攻撃魔術の開発――果ては王家の安眠のための魔術研究まで、その内容は多岐にわたる。
この量、そしてこの種類を新人に押し付けるなんてありえない。
平民に対する嫌がらせあることは明らかである。
だが、同僚たちはイネクトに睨まれたくないのか、まともに手伝ってくれないので、自ずと残業だけが増えていく。
ペリアは、とにかく必死で仕事をこなした。
『やっと夢が叶ったんだもん。もっと頑張らなきゃ、たくさん頑張らなきゃ、限界なんてまだ限界じゃない!』
自分にそう言い聞かせ、毎日のように何時間も残業して、時には寝る間も惜しんで――もちろん、趣味のゴーレム作りの時間も削って。
そしていつも、ギリギリで仕事を終えて――
『いつもお前は遅いんだよ! これだから平民は使えない!』
イネクトに怒鳴られる。
そんな毎日だった。
当然、ペリアの評価は上がらなかったし、給料だって据え置きだった。
対するイネクトは、ペリアから見てもわかるぐらいに評価が上がっていて、給料も上がっているらしかった。
一度、『せめて残業分ぐらいは上げてください』とイネクトに頼んだことがあったが、ものすごい剣幕で怒鳴られた末に、余計に残業を増やされた。
そしてイネクトは、上司である所長に褒められていた。
それでも、それでも、それでも――何度、心が折れそうになる自分をそう説得しただろう。
だが結局、何もかもは無駄な努力だったわけだ。
◇◇◇
ペリアは荷物を両手に抱えて、背中に拍手を受けながら研究室を後にした。
そしてとぼとぼと、施設の出口へ向かって歩く。
歩きなれた廊下を進むほどに、寂しさが胸に去来する。
「せっかく叶えた夢も、こんな形で終わるなんて……」
故郷の両親は、夢を全力で応援してくれた。
村の人たちは、平民から宮廷魔術師になったペリアを誇りだと言ってくれた。
いつかもっと偉くなったら、王都に呼ぶ――そんな約束だってしていたのに。
「……どんな顔をして帰ればいいんだろう」
考えても考えても、その全てが彼女の気持ちを暗くする。
そうしてたどり着いた自宅前。
彼女の家は、王都の端っこにある倉庫という珍しい場所だった。
それもこれも、趣味のゴーレム作りのためである。
「ああ、ゴーレムちゃんに触って早く癒やされたい……」
ゴーレムとは――“魔石”と呼ばれる、魔力を通したり、増幅したりする鉱石を使って作られた体のこと。
形は人型だったり、動物型だったり、あるいは生物ではなく、車の形だったりと様々である。
そして、そんなゴーレムを操る人間のことを“人形遣い“と呼ぶ。
それは幼い頃に見た人形劇に憧れた彼女の持つ、唯一とも言える趣味だった。
もっとも、人形遣いの使う魔術は人形劇ぐらいにしか使いみちがないため、宮廷魔術師のような高い地位の魔術師には、馬鹿にされやすい。
特に貴族であり、何よりも魔術師の“品位”を重んじるイネクトのような人間には、たとえ趣味であっても軽蔑の対象なのだろう。
しかし、ペリアにとってみれば、それはまさにロマンの塊。
鈍色のボディ、騎士の兜を思わせる一本角の頭部、魔力を通すと光る赤い瞳、山すら砕く豪腕に、大地を揺らす屈強な脚部――と、想像するだけでよだれが垂れそうだ。
「はえ……? な、なに、これ……」
だから、イネクトはそうしたのだろう。
「な、何でっ? 何で私のゴーレムがなくなってるのおぉぉぉぉっ!」
空っぽになった倉庫を前に、ペリアは思わず叫んだ。
そこにあるはずの、彼女が給料をつぎ込んでコツコツと作ってきた巨大なゴーレムが、影も形もないのだ。
するとペリアの声に気づいた、倉庫の管理人が彼女に歩み寄り、言った。
「ああ、あれならイネクト様から処分の命令が下ったからね。業者に頼んで運んでもらったよ」
「あれは私の個人的な持ち物です!」
「そうは言われても、イネクト様の命令には逆らえないからねえ」
「どこにありますか? まだ業者さんを止めたら間に合いますよね!?」
「もう何時間も前のことだから、とっくに王都から出てるんじゃないかなあ。ゴーレムなんて、どうせ大した価値のないガラクタだろう? 諦めるんだね」
彼がどことなく冷たいのは、平民であるペリアを内心で見下しているからだ。
他の人々だってそう。
王都は例外なく貴族だけが暮らす地域――例外であるペリアの味方は誰もいない。
だからこそ、あのゴーレムが心の支えだったというのに。
「私……何で……」
ペリアは膝をつく。
「二年も……頑張ってきたのに……何だったの……?」
胸に絶望を満たして。
今まで直視してこなかった現実からも、目を背けられなくなって。
「宮廷魔術師って、こんなもの?」
それは同時に、ペリアの幼い頃からの夢を否定することでもあり――
「私の夢って……何だったの? う……うぅ……うわあぁぁああああんっ!」
心がぽっきりと折れ、せき止めるものが無くなると、ぼろぼろと涙があふれだす。
空っぽになった倉庫の前で、彼女はそのまま、日が暮れるまで泣き続けた。
◇◇◇
一方その頃、イネクトは王立魔術研究所の一室で、優雅にお茶を飲んでいた。
上級魔術師になると、広い自室と数人の召使いが与えられる。
特に召使いは、奴隷の中でも一級品揃いなので、それを目当てに上級魔術士になるべく、王家に賄賂を送る貴族も少なくはなかった。
イネクトは、デスクの上に広げられた新聞に目を向ける。
「モンスター凶暴化の予兆、か……ふ、また汚れた血の民が消える。人類の選別は進む。実に素晴らしいことだ」
人々が暮らすエリアの周囲には、結界と呼ばれる“魔獣避け”が展開されている。
その維持、及び改良も宮廷魔術師の重要な仕事の一つだ。
しかし、それはあくまで“魔獣”を避けるものにすぎない。
モンスター――魔獣を遥かに超える、巨大で凶暴な化物が現れれば、生半可な結界では耐えられないのだ。
強力な結界を張れば持ちこたえることは可能だろう。
しかし、人類の居住可能エリア全てを、その強度で覆うのは不可能――だからエリアの外側ほど結界は弱く、そこには地位の低い平民が暮らしている。
そしてモンスターが発生すれば、その地域に暮らす平民は見捨てられる。
そんなシステムで世界は動いている。
なお、貴族が集う王都は逆に結界の中心にあり、かつ最も強力な結界が張られていた。
「モンスターは神の使徒かもしれんなあ。優れた人間のみが生き残る、そんな世界を作るための」
押しつぶされる平民の姿を想像し、悦に浸る。
思わず口元に笑みが浮かんでいることに気づき、イネクトはお茶の苦味で気持ちを落ち着けた。
そのとき、ふいにドアがノックされる。
「イネクト君、いるかね?」
「所長ではないですか。どうぞ、入られてください」
イネクトが召使いに顎で指示をすると、扉が開かれる。
部屋に入ってくる、恰幅の良い、髭をはやした中年男性――彼は研究所の所長、いわば上級魔術士の上司にあたる人物であった。
「所長自ら僕の部屋に来てくださるとは」
「たまたま通りがかってね。それより聞いたよイネクト君、ようやくあの女を追い出せたらしいねえ」
「ペリアですか。ええ、本当にようやくです」
所長もソファに座り、二人は向かい合う。
召使いは素早くお茶を用意すると、所長の前に置いた。
「平民ならばすぐに辞めさせられる……そう思ったのですが」
「まさか平民だからこそ、王家に守られるとはね。ガス抜きのために汚れた血を取り入れるなどと、これだから平和ボケした王族は」
「ですが、彼女は言い訳できないほどの無能だった。ようやく彼らにもそれを理解していただけたようで。根回しをしてくださった所長には感謝しかありません」
「二年も耐えてくれた君ほどじゃないよ。まともに仕事もしない、しても役に立たない。毎日のように無駄に居残りをしては、成果も出さずに、挙げ句のはてには残業代まで請求する始末。救いようがない平民だった。優秀な君の労力をあんな女に奪われるのは、王国にとっての大きな損失だ」
「僕の指導を受けても、あんなに伸びなかった新人は初めてでした」
「いやはやまったく、これでうまくいかなかったら、始末を頼むところだったんだが」
「それでもよかったのですが。僕の炎なら、痕跡も残さず消せますから」
「はっはっは、そうだったな、イネクト君は火属性専門の魔術師。そして将来的に、単独で魔石すら溶かすことが可能になるほどの才能――常人では原型を留められないだろう。だが、それは高望みというものだ。純粋なる、汚れなき研究所が戻ってきたことを喜ぼうではないか」
「研究所だけではありません。王都もですよ。この神聖な地を、平民が汚すようなことは二度とあってはならない」
「まったくだ。ふぅ……平民がいないと思うと、空気もうまいな! がははははっ!」
「ははははっ、僕もそう思ってたところです!」
部屋に男二人の、下品な笑い声が響く。
それを聞いて、入り口の前に立っていた女性は、嫌悪感を隠さない表情を見せ、そこから離れていった。
赤い髪に、イネクトと似たデザインのローブ――つまりは上級魔術師である。
「モンスターの活動が活性化してるってのに、あいつら余計なことを……っ」
彼女は早足で歩きながら、苛立たしげにそう吐き捨てた。
◇◇◇
ペリアが王都の正門を出ると、すぐに巨大な扉は閉ざされた。
もう二度と、彼女のためにその門が開かれることはないだろう。
ペリアはすでに宮廷魔術師ではないため、専用ローブの着用は許されておらず、他の平民と変わらぬ軽装となっていた。
短めのスカートを揺らしながら、彼女は大きな荷物を背負ってとぼとぼと歩く。
馬車でも雇いたいところだが、王都でただの平民を乗せてくれる馬車なんてない。
最寄りの村までは、徒歩で向かう必要があった。
「これから私、どうしたらいいんだろ……」
一番ベターな選択は、故郷の村に帰ることだろう。
しかし、それは同時に両親や知人の期待を裏切ることにもなる。
かといって、他に働くツテがあるわけでもない。
宮廷魔術師としての給料はそこそこあったので、蓄えもあったのだが――
「……まさか処分費用まで私から取るなんて」
ゴーレムの撤去費用にかなり持っていかれたため、あまり手元には残っていなかった。
故郷に帰るにしても、どのみち、どこかで路銭を稼ぐ必要があるだろう。
「次の村で魔獣退治でも受けてみよっかな」
「だったら、わたくしもご一緒してもいいですか?」
街道を歩くペリアの目の前に、どこからともなく少女が現れる。
白いローブに、丸っこい装飾が付いた杖――
(回復術師っぽい外見だ。あと、おっぱいが大きい)
ペリアの彼女に対する第一印象は、そんなものだった。
「あの、どなたですか?」
「これはこれは、自己紹介が遅れました。わたくし、セレナって言います! こう見えても回復術師なんですよっ」
「見た目通りですね」
「そうかもしれません! それで、あっちにいる人殺しが得意そうな子が――」
「誰が人殺しだ!」
蹲踞の体勢で、肩に刀身が長く、細く、反った剣――いわゆる刀を背負った黒髪の女性が吠えた。
「彼女はルーナって言います。見ての通り、物騒な剣士です」
(確かに物騒そうだ……あとおっぱいが大きい)
「よろしくな」
ルーナは立ち上がると、ペリアに歩み寄り握手を求める。
おずおずと手を差し出すペリア。
「それで、あなたたちは?」
「実はあなたを探してたんです」
「あんた、平民なのに宮廷魔術師の地位まで上り詰めた、ペリアだよな?」
「そうですけど。でも、クビになっちゃいましたから」
「ふふふ、それは都合がいいです。とりあえずこっちに来てください!」
ペリアはセレナに手を引かれ、街道を外れて森へと入っていく。
そのまましばらく進むと、開けた場所に出た。
「こ、これは……」
そこには――ペリアが失ったと思っていた、ゴーレムが横たわっていた。
「私のゴーレムちゃあぁぁぁぁぁあああんっ!」
思わず彼女はそう大声をあげて、ゴーレムに駆け寄り、抱きつく。
その冷たく硬い感触に、ペリアは目に涙を浮かべながら歓喜した。
「ゴーレムちゃんっ、ゴーレムちゃあぁんっ! よかったぁ、まだスクラップにされてなかったんだねぇーっ! かわいいよかわいいよちゅきちゅきちゅきーっ!」
「や、やっぱり、ペリアさんが持ち主だったんですね」
「大したもんだ。あんた、それを一人で作ったのか?」
「はい、はいっ! 間違いなく私の持ち物ですっ! あなたたちが助けてくれたんですか!?」
「ああ、ちょっとした興味があってな。あと、敬語はもういいぞ」
「ルーナ、ありがとぉーっ!」
「うわっとぉ!?」
ペリアはルーナに抱きついて、すりすりと頬をこすりつける。
ルーナは顔を赤くして、困った様子でセレナのほうを見るも、彼女はニコニコと笑うばかりで助けてはくれなかった。
「よかったぁ……ほんどうによがっだぁあ……ううぅ……っ」
「そんなに辛かったなら、何で処分したんだよ?」
「クビにされた上に、勝手に捨てられたのぉ……!」
「それは大変でしたね。よしよし」
セレナとルーナは、二人がかりでペリアの頭を撫でた。
そのおかげもあってか、ペリアは比較的すぐに復活し、体を離す。
冷静になると恥ずかしくなったのか、彼女は顔を赤くしながら目元をごしごしとこすった。
「改めて、二人ともありがとう! でもどうして、こんなことを?」
「ペリア、このゴーレム――戦闘用だろ?」
「うん、そうだけど」
「わたくしたち十人分ぐらいの高さはありそうなゴーレムです。こんなもので、何と戦おうとしていたんですか?」
「そんなの決まってるよ、“モンスター”だよっ」
両手を握って、ペリアはそう言い切った。
するとセレナとルーナは互いに目を合わせ、ニヤリと笑う。
「何かおかしかった?」
「期待通りだったから笑ったんだよ」
「実はわたくしたちも、モンスター討伐を目指す人間でして」
「そうだったんだ!」
「でもよ、以前所属してたパーティにそのことを言ったら、全力で馬鹿にされちまったんだよ。『あんな化物に勝てっこない、大人しく魔獣狩りを専門にしてろ』ってな」
「あはは……私も上司にちらっと話をしたら、すっごい罵倒されたからわかるなぁ」
「わたくしたちの場合、それを言い続けた結果、パーティから追い出されてしまったわけですが」
「そうまでして、どうしてモンスターを倒すことにこだわるの?」
ペリアの言葉に、ルーナは寂しげな表情を浮かべ、語る。
「あたしとセレナの故郷が、モンスターに潰されちまったからだよ」
「あ……」
それは、この世界ではよくあることだった。
人類はかつて、この世界を支配する生き物として君臨していた。
しかしその天下は、百年前、“ダンジョン”と呼ばれる巨大な構造物の登場により、突如として終わりを迎えた。
ダンジョンから現れたのは、これまで世界に存在した“魔獣”とは違う、巨大な――小さいもので10メートル、大きいものだと数百メートルにも達する化物だった。
あまりに圧倒的な力の差に、人類は一方的に蹂躙され、人口の大半、数億人が死に絶えた。
だが一部の――百万人にも満たない人間だけは、“結界”を張ることで生きながらえることに成功したのだ。
しかし、モンスターの脅威は消えたわけではない。
今も、結界の外には、一流の魔術師でも手も足も出ないような怪物が、うじゃうじゃと動き回っている。
結界にはモンスター避けの効果もあるため、普段は襲われずに済んでいるが――
「モンスター凶暴化の報せを聞いて、わたくしたちは急いで故郷に戻りましたが、すでに村に立ち入ることすらできない状況でした」
時に、モンスターは突如として凶暴化し、結界を破壊することがある。
そのたびに、人類は自らの領地を“切り捨てて”きた。
領地が狭くなれば、食料の生産量も減る――つまり養える人間の数が減るのだ。
それに合わせて、結界ごと村も見捨てる。
そうすることで、人類は今日まで生きながらえてきたのである。
また、凶暴化したモンスターは、一定数の人間を殺すと元に戻る、という習性があることも、そういった風習が続く一因である。
「あたしらはそれから、モンスターを倒すことを目指して鍛錬を積んできた」
「ですが人間には限界があります。いわゆるSランクと呼ばれるパーティに入ることができても、夢は叶いませんでした」
「そのパーティからも追い出されて、途方に暮れてたら――偶然、その巨大なゴーレムを見つけたってわけだ」
「二人が興味を示した理由はわかったけど……まだ完成してないからなぁ」
「人の形にはなっているようですが」
「モンスターに対抗する武器がまだできてなくて。そのための魔石も発注してたんだけど、届く前にクビになっちゃったから」
要するに、その発注した分のお金も無駄になってしまったわけだ。
考えれば考えるほど、ペリアの落ち込む要素が増えていく。
「要するに、魔石さえあればどうにかなるのか?」
「加工のための施設も必要なはずです。宮廷魔術師なら問題なく利用できたでしょうけど……」
「いやいや、研究所の施設なんて使ったら、怒られるだけじゃ済まないよ」
「ではどうしていたんです?」
「私の魔術でやってただけ。火属性と地属性の魔術を使えばどうにかなるの」
「魔石の中には、融点が1万℃に迫るものもあると聞きましたが」
「頑張ればそのあたりも溶かせるかな」
「え? ひ、一人で……?」
「うん、こんな趣味に誰も付き合ってくれないもん」
「この精密な加工も魔術でやったのか?」
「あ、そのあたりの刻印は光魔術だよ。光線で溶かすの」
「……お前、どれぐらいの属性を操れるんだ?」
「回復魔術以外は大体全部覚えたかなぁ。ああ、でも器用貧乏だから、あんまりうまくできないけどねっ」
恥ずかしそうに頭をかくペリア。
するとセレナが彼女の肩を両手でガッと掴んだ。
「ふぇっ!?」
「ペリアさん、あなた――」
「な、なに……?」
「天才じゃないですか! どうしてそんなに自信が無さげに話すんですか!?」
「へっ? いや、そんなわけないよ。職場じゃずっと役立たずって言われてたし……」
「そいつらの目がどうかしてんだよ!」
「ルーナまで!?」
「いいか、普通魔術ってのは一属性しか扱えないもんなんだ。それを複数使える上に、火属性が魔石を溶かせるぐらいだと? Sランクの冒険者でもなかなかいねえぞそんなもん!」
「そ、そうなの、かなぁ……」
「もっと自信をもってください!」
「ひゃ、ひゃい……」
あまりの剣幕におされ、そう返事をするペリア。
しかし内心では――
(いくら何でも大げさすぎだよぉ……)
相変わらずのネガティブ思考だった。
二年もの間、否定され続けたのだ、そうそう治るものではないらしい。
「これは期待できそうですね、ルーナ」
「ああ、ペリアならモンスターだって倒せるかもしれねえ」
「逆に、わたくしたちが力になれるか不安になってきましたが」
「なあペリア、あたしらはこのゴーレムを完成させたい。そこで、魔石採掘が盛んな村に向かおうと思ってんだが――」
「そこまで持っていくのは一苦労ですね」
「……あたしの腕力で頑張るしかねえな」
上着の袖をまくり、やる気を見せるルーナ。
どう考えても無理である。
「それなら大丈夫だよ」
それをやんわりとペリアが止めた。
そして彼女はゴーレムに手を当て、目を細めて念じる。
すると胸部にあるハッチが開き、内部空間がむき出しになった。
「三人ぐらいなら乗れると思う」
「移動できる程度には動くのか?」
「完成してないのは武器ぐらいだから、動くのに問題はないよ」
「ゴーレムなのに、中に乗るんですか?」
セレナの驚きはもっともだった。
ゴーレムは、基本的に外部から操るものだ。
術者の安全を確保しながら、作業を行う、偵察をする――などなど、昔はそういった役割で使われていたらしい。
しかし、ペリアはその概念を捨てた。
「遠隔操作だと、どうしても遅延が発生しちゃうし、魔力の減衰も大きいから。現実的に“モンスターと戦う”ってことを考えたとき、ゴーレムは“術者以上の能力を持つ”ものじゃないと話にならない。そこで、中に入って直接操縦するようにしてみたの」
それはゴーレムの利点を捨てる行為だ。
だが、以前と違う用途を目指して開発する以上、固定観念に囚われていては前に進めないのだ。
「すげー発想だな……さすが宮廷魔術師」
「ねえルーナ、これってもしかして……わたくしたちにも操縦できるのかしら」
「それができるなら、あたしらも役に立てるかもしれねえな」
「将来的には、他の人も使えたらいいなって思ってる。この子は私専用に作っちゃったけどね」
ペリアは乗り込みながらそう言った。
続いて、ルーナとセレナも内部に入ると、ハッチが閉じる。
一瞬だけ暗くなるが、すぐに壁にめぐらされた複雑な術式がペリアたちを照らした。
そして彼女の頭上から、複数本の糸がだらんと垂れ下がる。
ペリアが手を前に伸ばすと、糸は自動的に左右十本の指に絡みつく。
ルーナとセレナは、ペリアが腰掛けるシートに後ろからしがみつき、不安そうな表情で、小刻みに視線を動かしていた。
「揺れるから気をつけてね」
彼女のその言葉の直後、ガタンッ、と大きく揺れる。
倒れそうになるセレナを、ルーナが慌てて支えた。
操縦席前方には外の景色が映し出されている。
視界は一気に高くなり――王都の城壁すら超え、内側を覗き込めるほどだった。
「す、すげえ……立ってる……」
「これ、もしかして歩けるんですか?」
「歩けなかったら使い物にならないから。でもごめんね、飛翔機能はまだ未完成なんだ」
「飛べる予定なのかよ」
「設計図は頭の中にしかないけど。あと緩衝機能もまだ完璧じゃないから、歩くとかなり揺れるから気をつけてね」
その言葉通り、ゴーレムがズシン、ズシンと前に足を出し、大地を響かせるたびに、操縦席も大きく上下した。
しかしルーナたちにしてみれば、揺れなどあまりに些細なことである。
「これ、踏み潰すだけで大抵の魔獣は倒せるんじゃねえの?」
「王都の城壁も蹴飛ばして突破できそうです……」
「揺れには慣れた?」
「あ、ああ……」
「なら走っていいかな。助走付けないと、あの小山は越えられそうにないから」
「小山って――いやいや、あれ割と普通に山じゃねえか!」
前方には、ゴーレムの数倍の高さはある山があった。
80メートルほどはあるだろうか。
ペリアが糸を引くと、ゴーレムはフォームを変え、体を低く落として走りはじめる。
当然、操縦席内や、他の諸々も激しく揺れた。
「あうっ、うあっ……ペリアさん、本気でやるつもりですか!?」
「計算上は余裕で越えるはずっ!」
「計算上って、試したことねえのか?」
「あの倉庫内じゃ、足踏みが限界だからね。でも――私とこの子ならいける!」
ペリアの目はキラキラと輝いていた。
まだ未完成ではあるが、ここまでゴーレムを自由に動かしたのははじめてだ。
今、彼女はゴーレムと一体になって、大地を駆けている。
その事実だけで、どこまでも飛べそうなほど心が弾む。
宮廷魔術師をクビになったという事実から、一時的だが逃避できる。
「いっくよぉぉお――それぇっ!」
ズドンッ、と大地をへこませ、巨大ゴーレムが空を舞う。
「うわあぁぁあああああっ!」
「ひいいぃぃいいぃいいいっ!」
「ぐうぅぅ……っ!」
ぐわんっ、と頭上から押しつぶすような重力がかかる。
三人はその未知の感覚に、それぞれの反応を示す。
そして巨体はゆうゆうと山の頂点を乗り越え――姿勢を崩すことなく、落下へ移行する。
「おおおぉぉおおっ! セレナぁっ!」
「ルーナあぁぁぁあっ!」
「づううぅぅ……っ!」
鳥肌が断つような浮遊感に、恐怖し叫ぶルーナとセレナ。
一方でペリアは口元に笑みを浮かべながら、着地に備える。
つま先が大地に接触。
そのまま、全体重がそこにかかり、地面をえぐる。
ペリアは糸を引き、繊細にゴーレムの膝を曲げ、衝撃を軽減させる。
その間、ゴーレムの足はズザザザザッ、と大地をえぐり、樹木を横倒しにしていた。
そして、ようやくの静止。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「ひぃ……ひいぃ……」
青ざめたようすのルーナとセレナ。
「ふうぅ……」
やり遂げた表情のペリア。
彼女は腕で額に浮かんだ汗を拭くと、キラキラに輝いた笑顔で二人のほうを見た。
「どうだった?」
「ど、どう、と言われても……」
「すごかった、としか言えねえな……」
「うふふふ、私も思ったよりすごかった! この調子なら、モンスターとも意外と戦えるかもね!」
ペリアの言葉に、ルーナは目を見開く。
(そうだ、ビビってる場合じゃねえ。あの化物と戦うなら、これぐらい無いといけねえんだ)
セレナも同じことを考えていたらしく、ルーナと視線が合うと、二人は互いにうなずきあった。
それから三人は、ゴーレムに乗って魔石採掘が盛んな村を目指した。
徒歩はもちろん、馬車をも軽く凌駕する移動スピード――数日かかるところを、一日で目的地までたどり着いた。
だが、そんな姿で走り回って騒ぎにならないはずもない。
彼女たちは、各地で鈍色の巨人の目撃情報が飛び交っていることに、まだ気づいてはいなかった。
◇◇◇
王都から南東、結界端にある鉱山村マニング。
王国では、そのエリアの結界強度に応じて住める人間の“ランク”が定められる。
ランクはFからAの六段階に分けられ、B以上が貴族と呼ばれる存在であった。
そして、このマニングはF――税が高く、インフラ整備は最小限。
切り捨てを前提として、“貧しくなること”を定められた地域である。
ペリアたちは村の手前でゴーレムから降りた。
突如として現れた巨人に、村は当然のように大騒ぎ。
すぐに人だかりができ、ペリアたちは囲まれる。
するとルーナが前に出て、特にいかつい男性に「よっ」と手を上げた。
「ルーナじゃねえか。お前、こりゃ何の騒ぎだよ」
「久しぶりだなブランのおっさん。前に仕事を貰った礼に、今度はあたしがいい仕事を持ってきたんだよ」
「仕事って……もしかしてあの巨人のことか?」
「ゴーレムなんですよ、あれ」
「セレナちゃん、あれがゴーレムだって? 馬鹿いうなよ! ゴーレムっつったら、あれだろ? 人型のタイプが人形劇で使われる、せいぜい大きくても人間サイズのおもちゃだろうが。そんなもんじゃねえ、ありゃ巨人だ!」
「それを巨大化したとんでもない魔術師が見つかったんだ。あれを使えば、モンスターだって倒せるかもしれねえ」
ルーナの言葉に、ブランの表情が変わる。
「……本気で言ってんのか、それは」
「ああ、マジもマジだ。そこにいる女――元宮廷魔術師のペリアって言うんだがな」
紹介され、ペリアはぺこりと頭を下げる。
「あれがとんでもねえ化物なんだよ」
「私、化物なんだ……」
一人、勘違いしてショックを受けるペリア。
ルーナは気づかず話を続ける。
「一人であの人形を作った上に、本人も一流の魔術師と来たもんだ。だがあのゴーレムはまだ未完成だ。そこで、この村の魔石を譲ってもらいたいんだが」
「むぅ……」
「どうしたよおっさん、確かに採掘量は少しずつ減ってるって聞いたが、マニング鉱山はまだまだ現役の鉱山だろ?」
「……知らねえのか、ルーナ。マニングは“廃棄”が決定した」
「なっ――モンスターが来るのがわかるってのかよ!?」
「まっとうに街道を通ってくりゃ、衛兵が止めただろうよ。あんなもんに乗ってくるから知らずに来ちまうんだ」
ルーナがあたりを見渡すと、そこにいる子供以外の村人たちの表情は一様に暗い。
「そのシステム、私が作ったやつだと思う」
ふいに、ペリアが手を上げた。
するとブランは露骨に彼女を睨みつけた。
「余計なもんを作りやがって。やっぱり宮廷魔術師なんてもんは信用できねえな!」
「凶暴化の兆候がわかれば、助かる命も増えると……そういわれて作ったんだけど……」
「はっ、貴族様が平民の、しかもランクFの命なんて気にするもんかよ! そんなもの、自分らの命を守るためだけに作ったに決まってる。むしろ何も知らずに襲われたほうが、サクッと死ねて楽だったろうさ!」
「ブランおじさま、少なくともペリアさんは本気でそう思って作ったんです。そこに悪意なんてありません」
「……チッ、そりゃそうかもしれねえがよ」
ブランたちも、理不尽な死を前に、一体誰にその怒りを向ければいいのか、悩んでいるのだろう。
確かにそうして苦しむぐらいなら、いきなり襲われて死んだほうが楽に思えるかもしれない。
だが、そのときはそのときで、きっと誰だって『どうして前もって言ってくれなかったんだ』と嘆くに決まっているのだ。
“理不尽な死”という概念そのものが消えない限り、苦しみの総計は変わらない。
胸に手を当て、何かを考え込むペリアは――意を決してブランに近づくと、彼の手を握った。
「なら、私が戦って、この村を守ります」
「お、おい、あんた……正気か? そんな人形でどうやって!」
「やれるはずです。そのために作ったゴーレムなんですから」
「なあブランのおっさん、今からでも手伝ってくれねえか? あのゴーレムの武器、まだ未完成らしいんだ。この村の鉱石さえありゃ完成する」
ルーナがそういうと、ブランはうつむいた。
「すまねえ……もう時間がねえんだ。モンスターはすぐに来ちまう!」
彼がそう言った直後――恐怖を煽る重低音が、マニングの村に響き渡った。
「グガアオォォオオオオッ!」
南方――結界の向こうに、額に一本角を生やした、赤い肌の、高さ20メートルに達する巨人が見える。
「おいおい、マジでこんなすぐに来るのかよ……」
「さすがに予想外ですねぇ」
筋骨隆々とした体つきに、睨まれるだけで身がすくむような、恐ろしい表情。
「ああ、あんたらは最悪のタイミングで来ちまったんだ」
過去、同系のモンスターが村を破壊した記録が残っており――ペリアには、その知識があった。
「オーガ……!」
彼女はその姿を見るやいなや、ゴーレムに向かって全力疾走し、魔術を使って胸部ハッチに飛び込んだ。
「飛んだっ!?」
「ブランのおっさん、あんたらはできるだけ離れろ!」
「待ってくれ。死を受け入れた連中が、まだ村に残ってる!」
「わかりました、わたくしとルーナが誘導します」
「ルーナ、セレナ、巻き込まないように気をつけるけど、万が一のときはちゃんと避けてね!」
ペリアは二人に呼びかける。
正真正銘の初実践――何が起きるか、彼女にもわからないのだ。
その言葉にルーナとセレナがうなずくと、ゴーレムのハッチは閉じた。
操縦席の頭上より糸が垂れる。
手を差し出すと、まるで生きているようにそれは指に絡みついた。
「魔力伝達確認――完了。モンスター・レプリカント・コア、リミッターを解除して起動。出力40……80……120……150%まで到達。反動による破損、無し。稼働制限カウントダウン開始。ゴーレム、戦闘モードで起動!」
ギイィ――と関節を鳴らしながら、鈍色の巨人は立ち上がる。
兜の隙間から見える一つ眼は赤く光り、背部に設置された冷却ハッチは常に全開放状態。
明らかに、ルーナたちが乗ったときとは状態が違っていた。
「ねえゴーレム、不謹慎かもしれないけど、ワクワクするね。ドキドキするね。宮廷魔術師には戻れないけど、もう一つの夢を叶えられそうだから」
意思なき人形は答えない。
だが、ペリアはゴーレムと心が通じ合っているような気がしていた。
高揚を共有。
出し惜しみはしない。
オーガは結界に両手を突き刺し、今にも引き裂きそうだ。
直線上の村人たちはゴーレムのために道を開け、心配そうにその姿を見守る。
結界がある以上、内側から外にも攻撃は仕掛けられない。
あれが破れた瞬間が、戦闘開始の合図――
「グ……ガッ……グガアアァァァァアアアッ!」
バチバチイィイッ! と、咆哮と共に結界が引き裂かれる。
「さあ行くよ、私たちの初陣だッ!」
ペリアが糸を引くと、ゴーレムは走り出す。
開いた隙間からオーガは村に侵入し、鋭い牙が光る口からよだれをたらし、血走った瞳で獲物を探す。
しかし前方より近づくゴーレムに気づくと、敵意をむき出しにして、拳を握った。
太い腕に血管が浮かび、まるで弓を引き絞るように肩の上に振り上げられる。
「おおおぉぉぉぉぉぉっ――」
ペリアは唸り、ゴーレムも同様に拳を握った。
小細工はしない。
武器も満足に使えない今、使える武器は己の体のみ。
ならば、特に頑丈に作ったこの拳で――
「グルルルゥゥッ!」
「いっけえぇぇぇぇぇぇええええええッ!」
――敵の拳と、真正面から打ち合うのみ。
ガゴオォオオオンッ! と鼓膜が破れそうな轟音が鳴り響き、二体の巨人、その付近にあった家屋は衝撃で吹き飛んだ。
力は互角――と思いきや、ミシッと何かが潰れる音がする。
「グ……ガッ……」
それはオーガの拳から聞こえてくる。
さらにメキャッと手はひしゃげ、肉塊へと変わる。
ゴーレムの拳はなおも止まらず。
上腕が、二の腕が――オーガの腕そのものが、ぐしゃぐしゃに潰れていった。
「ガアァァァアァァアアアアアッ!」
オーガは苦悶の叫びをあげると、困惑と苦痛に体をよじりながら後退する。
そして顔を上げる。
鈍色の巨人が赤く目を光らせ、拳という名の鉄槌を振り上げていた。
オーガの瞳に、明らかな“怯え”が浮かぶ。
その瞬間を見たマニングの住民や、ルーナ、セレナはこう思った。
『これが人類の、反撃の狼煙か』と。
「もういっぱあぁぁぁぁぁあああつッ!」
そしてペリアの叫びと共に、拳はオーガの頭部に叩き込まれた。
メキャアッ――握られた左手は、いかなる魔術でも穿てぬ頭蓋骨を、シャボン玉でも潰すように破砕した。
オーガの眼球が飛び出し、鼻や耳から赤い体液が噴き出す。
口からはぶくぶくとピンクの泡を吐くと、
「グギャガッ! ギャッ……ギャアァ……ガ……ぐ……がぁ……」
ズシン、と地面を揺らしながら、巨体は崩れ落ちた。
破られた結界は自己修復により閉じる。
マニングに静寂が訪れた。
時が止まったようにオーガは動かず、ゴーレムも拳を突き出した体勢のまま静止している。
永遠にも思える沈黙――しかし実際は、ほんの数秒。
最初に声を上げたのは、ルーナとセレナだった。
「す、すげえ……なんつうパワーだ……」
「ペリアさんっ、すごいです! 倒しちゃいましたよ、こんなに簡単に、モンスターをっ!」
それを呼び水とするように、遅れて村人たちも歓喜した。
「う、うおぉぉおおおぉおっ! 嘘だろっ、あの嬢ちゃん、モンスターを倒しちまいやがった! 俺、夢でも見てんのかっ! すげえよ、本当にすげえよっ!」
絶対に倒せるはずがない。
仮に戦闘が成立したとしても、苦戦の末に負けるに決まっている。
誰だってそう思っていた。
ルーナやセレナですら、あっさり勝てるだなんて、想像していなかったのだ。
「倒せた……思ってたより、あっさり……倒せちゃった……」
ペリアは操縦席内で、呆然としていた。
だが、外からわずかに聞こえてくる歓声を聞いているうちに、少しずつ表情が緩んでいく。
「勝ったよ、ゴーレム。勝って、私、褒められてる」
そう言って、彼女はゴーレムをねぎらうように、壁を撫でた。
「えへへ……そうだね。褒められて、誰かに喜んでもらうのって、こんなに嬉しかったんだねぇ……長いこと、本当に長いこと忘れてた気がするよ!」
誰も自分を認めてくれなかった。
平民だから、と馬鹿にされるのが日常だった。
しかし、少し外に踏み出してみれば、まったく違う世界が広がっていた。
「宮廷魔術師の夢はもう終わっちゃったけど……私にはまだ、追いかけたい夢がある。ゴーレム、一緒にがんばろうね!」
その声に反応するように、ゴーレムの瞳がわずかに点滅した。
しばし勝利の余韻に酔うペリアは、少し経ってからハッチを開く。
地上に降り立つと、彼女はルーナやセレナ、そして村人たちにもみくちゃにされたのだった。
◇◇◇
王立魔術研究所は、王族の住む宮殿のほど近くにある。
そのため、王族が直接出向くことも珍しくはなかった。
イネクトが廊下を歩いていると、前から護衛を連れた国王がやってくる。
さすがのイネクトも足を止め、王にひれ伏した。
「おお、イネクトか。職務ご苦労。例の魔道具製作は進んでいるかな?」
「はい、予定通りに。明日には王にご献上できるかと」
「それは楽しみだ。君に頼めば、誰よりも早く、誰よりも質の高いものを作ってくれる安心感がある。次期所長に推薦するよう、私から言っておこう」
「ありがたき幸せです」
王との会話を終え、イネクトは部下たちのいる研究室に向かった。
部屋に入るなり、彼は挨拶もせずに、実験中の部下に告げる。
「例の王から依頼のあった魔道具だが、進捗はどうなっている?」
「イネクト様がペリアに命じたやつですか? それならデスクに残っていると思いますが」
「……」
「イネクト様?」
「僕に平民のデスクを漁らせるつもりか? 何も言わずともお前達でやれッ!」
「は、はいっ! お前も、室長も見てないで手伝ってください!」
「はーい」
「仕方ないねえ……」
三人がかりで、ペリアの机を漁る。
その間、イネクトは腕を組んで、苛立たしげにその様子を眺めていた。
「まったく、引き継ぎもせずに出ていくとは、本当に使えないやつだな……」
自分が追い出したことを棚に上げて、彼はそう言い切った。
やがて三人は、ペリアの残した資料を見つけ出す。
「イネクト様、ありました!」
「ただの紙じゃないか」
「他に無いので、おそらくこれだけかと」
「ふざけるな。僕は魔道具の製作を頼んでいたんだぞ? 作りかけですらなく、設計図しか残ってないだと!?」
「で、ですが、どうやらペリアは……明日までに完成する予定で、これを用意していたようです」
確かに資料には、今日の日付と、『絶対に完成させる!』という可愛らしい文字が赤で書かれている。
それを見たイネクトは、資料を持つ手をプルプルと震わせた。
「そんなはずがあるか……こんな複雑な魔道具、今日一日で完成するわけがないだろうがッ!」
そして、紙束を床に投げつける。
部下たちは、顔を引きつらせてその様子を見ていた。
「あの女め、最後の仕事すらまともに終わらせられないのかッ! クソッ、お前たち!」
「は、はいっ!」
「予定通り、明日までにこれを完成させておけ!」
「ま、待ってください、そんなの無理です!」
「僕はお前に“無理”と言っていい許可を出したか? 部下なら大人しく従えッ! 僕はもう行く!」
「どこに行くんです? 三人じゃ終わりません!」
「会議だよ、会議! ただの平魔術師であるお前たちと違って、上級魔術師である僕は忙しいんだ!」
「そんなぁっ! 明日までなんて絶対に不可能ですって! イネクト様ーっ!」
部下の泣き言など聞かずに、乱暴に扉を閉めて部屋を去るイネクト。
残された部下たちは、資料を手に途方に暮れた。
「これ、どうやったら一日で終わるんだよ……」
「で、でも、ペリアはこれを一人でやってたってこと?」
「知らねえよ。巻き込まれたくなくて、イネクト様に押し付けられた仕事には近づこうとしなかったからさぁ」
「一人で完成なんて、そんなはずないだろう。だが命令された以上は、従うしかない……やろう」
「へぇーい……つかこれ、時間どうこうの前に俺らに作れんのか……?」
彼らはがっくりと肩を落として、作業に取り掛かった。
◇◇◇
定例会議は、研究所の中央会議室にて行われていた。
十二人の上級魔術師全員が揃い、円卓に腰掛ける。
この会議は、所長や王国軍の関係者などは出席しない、純粋な“研究者”だけの集いであった。
「ふん……どいつもこいつも呑気な顔をしやがって」
明らかに不機嫌なイネクトを、赤髪の女が睨みつけるように見ていた。
彼女の名はフレイ。
イネクトと同世代、かつ同じ属性を操る魔術師であり、昔から何かと因縁のある相手である。
「全員揃ったようだな。それでは定例会議を始める」
リーダーであるジェイクがそう告げると、真っ先にフレイが立ち上がった。
「どうしたフレイ、順番はまだのはずだが」
「会議に先んじて、みんなに話しておきたいことがあってね。今日、王都南東にあるマニングという村に、モンスターの襲来があったわ」
「あの枯れた鉱山の村か」
「出現したモンスターは20メートル級のオーガ。オーガは結界を破壊した後、マニングに侵入。そこで――撃破されたの」
撃破――その一言に、魔術師たちはざわつく。
「確かな情報か?」
「私の部下からの報告だから間違いないわ」
「どこの冒険者だ? 以前もSランクのパーティによる討伐報告はあったはずだが」
「それは10メートル級よね。20メートル級の報告はないし、何より――今回は単独での撃破よ」
「馬鹿なッ! そんなことが可能な魔術師が存在するのか!?」
「その魔術師は鉄の巨人――おそらくはゴーレムを駆り、その拳、たったの二撃で倒したらしいわ」
「……巨人?」
イネクトの頬がひくっと引きつる。
「魔術師の名は、ペリア・フィオクル」
フレイがその名前を口にすると、さらにざわめきは大きくなった。
中でもイネクトは、明らかに動揺して表情を歪める。
「みんなご存知の通り、初の平民宮廷魔術師にして――ちょうど今日、イネクトがクビにした子よ」
魔術師たちの視線が、彼に集中した。
耐えきれず、思わず彼は立ち上がり、反論する。
「そ、そんなもの何かの間違いだっ! あの女は劣っていて、怠け者で、才能がなくて、役に立たなくて……とにかくどうしようもない魔術師だったんだぞ! それがモンスターを単独撃破するなどと!」
「でも現実に、こういうことが起きているの」
「フレイ、お前、僕を陥れようとしているな? そのためにこんな、ありえない夢物語をでっち上げて! みんな聞いてくれ、こいつは嘘つきだ! 信じちゃいけない! 昔からずっと僕をひがんで、こういうことを――」
「イネクト、落ち着け」
「ぐっ……」
ジェイクの一言に、イネクトは言葉に詰まる。
さらに、周囲から向けられる冷めた視線に気づくと、気まずそうに腰掛けた。
「フレイ、報告を続けてくれ」
「わかったわ」
フレイは軽蔑した目でイネクトを一瞥すると、さらに詳しい話を続けた。
その日、人類は初めて“モンスターへの対抗手段”、その可能性を知る。
そして“人形遣い”という、一種の侮蔑を込めた言葉は、その意味を少しずつ変えはじめたのだった。
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