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松村を見送ると紫は足早にカウンターへと戻り、後片付けをした。
操作する際に使用した充電器を引き出しに入れ、一通り片付けると長野のいる発券機の元へと急ぎ戻る。
「長野君、ごめんね。思ったより時間かかって」案内係の腕章を渡してと言わんばかりに、長野に手を差し出す。
「大丈夫です。それに、早かったですよ、故障から機種変更したわりには時間短かったです」長野は腕章に手をかけ
「もう18時前ですし、紫さん早番でしょ。よかったらこのまま僕案内係しますよ」
「そう言う長野君も早番でしょ。後少しだし交代するわ」
「わかりました。今日は定時で終われそうですよね」
店内の状態を長野は見渡し言う。待合席に座っている客は2組だ。
――今日は暇だ
「本当に」
紫はそのまま案内係として、発券機横に立つと、長野は踵を返しカウンターへと向かい歩いた。
そして18時。早番勤務の終了時間がきた。
「店長、案内係、交代して下さい」時間と共に紫はインカムで言う。
「了解」返事と共に店長はバックヤードから出て来ると
「お疲れ。今日は暇そうだし、問題もなさそうだから上がって」と言うと紫から腕章を受け取った。
「はい。では後はお願いします」
紫は案内係の役目を店長に託すとバックヤードへと下がった。
バックヤードに入ると、すぐ後に長野が
「紫さん、上がりですか?」と言いながら近付いてきた。
「お疲れ様でした。今日はありがとう。上がりです。お客様もそんなにいないし、帰れる時に帰らないと。長野君も上がりでしょ?」
「上がりです」長野は紫の後ろにある机にもたれ掛かりながら
「上がり一緒だから、飲みに行きましょーよ。明日明後日、2連休一緒じゃないですか。今日はトコトン飲めますよ」
さらっとした誘い方を長野はした。それが長野自身、普通なんのだろう。しかし、いつも思うが爽やかな上に甘いマスクは卑怯だ。女ならきっと「はい」とすぐに言うだろう。
「休み一緒ですね、珍しい。日曜日休みとかあんまりないのに」紫は自身のパソコンでメールチェックを始めた。
「でしょ。珍しく終わり一緒だし行きましょ」
「うーん。今日はちょっと疲れたので、また」一通りメールチェックも終わり、パソコンをシャットダウンする。
その様子を見ながら長野は
「そう言えば…なんで今日に限って機種変更なんて入ったんですか?故障から機種変更で話がまとまったら、他のスタッフに受付させたらよかったじゃないですか。いつも、画面破損の人の時ってそうしたりしてますよね。なんでですか?」案内係をしながら思っていた事だ。紫が普通に応対に入るのは、本当に珍しい。
「みんな応対に時間かかってたし、終わってすぐに応対させるのもね」紫は長野の疑問を消し去るように言うと
「ふーん。そうなんですか。てっきり好みのタイプだからとか、変に疑いましたよ」微笑みながら言う長野の疑いの眼差しは、真っ直ぐ紫を捕らえる。
「違いますよ」紫は向けられた視線を外さず
「好みでお客様選んだって、何にもなんないでしょ」ぴしゃりと言い放つ紫の表情に、長野は思わず視線を先に外した。
――この人は、本当に無表情で言う
「冗談ですよ」もたれかかっていた机から身体を起こし、立ち位置をかえた。紫の時折見せる真顔は綺麗なだけに、迫力がある。目が合う事すら怖いと思ってしまう。
「じゃ、お先に失礼します」紫は女子更衣へとスカーフを外しながら向かった。
「えー飲みに行かないんですか」紫の後ろ姿に向かって言う。
その声を聞きながらも、長野が少ししょんぼりしてるのはわかったが、さすがに飲みに行くつもりはない。
「また今度」その今度はいつかは決めずにおく。
「冷たい。わかりました。お疲れ様でした」長野は肩を落とし休憩室へ入った。
紫は更衣室へ入ると制服を脱ぎ、私服へと着替える。
白のタートルネックセーターに紺色のロングスカート、黒いコートにグレーのマフラー、足元はショートブーツ。
紫が着替えてる間、休憩室では長野は同じ早番で上がっている奥田幸子と話をしていた。
「長野君、紫さんと飲みに行くって言ってなかったっけ?」紙コップに入ったお茶を飲みながら幸子は聞いた。長野が昼休憩に幸子に今日は紫を誘って飲みに行くつもりだと話していたからだ。
「そのつもりだったけど、振られた」
「紫さんが早く上がるの珍しいのに」
立場的に紫は副店長だ。定時に上がることはめったに無ければ、今日のようにクレーム以外でカウンターに入ることも滅多にない。
日頃から冷静沈着で慌てているところを見た事がない。クールと言えばクールなのだろう。ただ、その中にちらほらと見せる天然なところに長野は紫へ好意を抱いていた。
紫から愚痴や弱音を聞いた事もなければ、プライベートの話もあまり聞くことがない。だから余計に紫という人を知りたいと思っていた。
「あーもう、本当、滅多にないから飲んでたくさん話したかったのに」心の底から落胆しながらも紙コップにお茶を注ぐと、紙コップを手にし口を付けた。
その姿に幸子は
「長野君さ、明日明後日って紫さんと休み一緒なんだから、遊びにとか誘ったら?連休一緒なんだから、別に今日無理でも休みに誘ったらいいのに」
「それって、かなり度胸いるんだけど」お茶を飲みながら空を見て考えたが、それこそなんて言って誘えばいいのかわからない。
「観たい映画あるから一緒に行っきませんか?とか、これもう観ました?とかって言ったらいいだけじゃない」
「俺が何の映画してるとか知らない」
―やれやれ今時の男はこれだから駄目なんだよ、ささっと調べればいいのに…―と幸子は思ったが、口にはしなかった。
「長野君そうゆうこと言ってたら、仕事終わりの飲み以外誘えないよ。ただでさえ、紫さんて飲み会参加率低いんだから」
紫は飲み会の場にはあまりこない。仕事も遅くまで残る事も多ければ、次の日が仕事ならなおさら飲み会には来ないのだ。
「紫さんて、休みの日に誰かと遊んだり、仕事終わりに遊んだりってする人いるのかな?」ふと長野は紫が映画に行ったとか聞いても、それを友達と行ったという話を聞いた事がないなと思った。
紫自身、あまり自分の事は話さない。どちらかと言えば、圧倒的に聞き役に周っている。長野なんて、聞かれていなくても休みに何をしてとか言うのに正反対だ。
「さぁ、どうかしらね。紫さん、その辺は言わないし」幸子も長野と同じ事を考えていた。紫とは話をする事は多いのに聞いた事はない。
「でも、断られるとは限らないし、LINEしてみたら?」
「なんて送ればいい?紫さんて前に休みの日に予定は何も入れないって言ってたよな?」
「うん。紫さん前もって予定入れるの嫌いって言ってたね」
「それってなんでだったっけ?」
「前もって決められる事とか、決めてしまったりするのが、後から気が変わった時嫌だからとか言ってたような」考えたら猫っぽい性格なような気がしない?と、幸子と長野はそう言えばと互いに言った。気まぐれなのか、気がすすまないと何もしていないのか、それも謎めいている。
「明日予定なくて行けたら行ってくれるかもしれないよね」少しそう思うと長野は紫にLINEする気になってきた。だが、これも気がすすまないのであれば、断られるにだろうか…
「お昼過ぎからで誘ってみれば?一緒に行ってくれそうな人がいなくてーとか、困ってる感で言ったらいいんじゃない」
そにへんは、紫は優しいから行ってくれるかもよ、と言いつつ幸子は首に巻いていた制服のスカーフを外した。
「あっ、それいいかも。でも…」
そっか、そうゆうふうに言えば、誘ってるみたいじゃないかも。確かに紫は困っている事を言うと、何かしらのアドバイスをし、それが仕事でなくプライベートな事であっても変わりはない。その後も解決したかどうかまで気にかけ、声をかけては聞いてくれる。
長野はそういう紫の性格なら行けるかもと思うと、今日の夜何時頃にLINEをしようかなと考えた。だが、紫はどことなくさっきの様に、無表情に冷たく感じる事がある。
「なぁ、紫さんて、フロアにいる時と、バックヤードにいる時って、別人みたいな時ない?」長野の問い掛けに
「フロアでは演じてるからでしょ。嫌でも顔には出したらいけないし」その返答に、それもそっかと納得しつつ、バックヤードで笑ってる紫をあまり見た事がないと、長野は思った。
普通ならちょっとしたジョークで笑ってるスタッフや、些細な事をネタに笑う声が聞こえる。でも、その中に紫の声も姿も長野は思い当たらない。
「紫さんて、あんまり爆笑って言うか、笑い声って聞かない」ふと洩らした言葉に
「そう言えばそうかもね」と返信をする様に奥田が言った。
「とりあえず誘ってみなさいよ」奥田に背中を押されるように、長野は「うん」と言うと休憩室から更衣室へと向かった。
すでに紫の靴はなくもう帰った後だ。
―そう言えば…紫さんてスタバに帰りよく行くとか言ってたような…―
もしかしたら、今頃スタバに行ってるのかな。それなら帰りに行ってみようか…
そんな考えが頭をよぎった。