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「紫、君は一体どうするつもりだい?」
紫の前に、オレンジ色の提灯を持った和装の男、藤が立っていた。
「記憶を消しても、やっぱり人の感覚は変えられない。あの孝一さんは本当に彼の事を大切な友だと思っていた。だから、記憶は無くても本能が忘れてない、忘れられない。このままでは孝一さんも彼も心残りしかない」紫は俯き言いながら、藤の袖を掴み言った。
「では、彼を置いていくのかい?もう、彼は普通の人ではないのだよ」紫が掴んだ袖に手を自らの手を重ね、ゆっくりと紫の手を藤は取り握った。
「わかっている。それでも孝一さんにだけは真実を語ろうと思う。藤、あなたが言った私に足りない物はこういう事なんでしょ」
「あぁ、そうだ。でもね、それで君自身が疑われ嫌われると知っててかい?そては私の本意ではないよ」
握った紫の手に力が込められた時
「それでも私は伝えなければいけない」
「わかった。私は君と共にいる」そう告げると藤は霧のように消えた。
紫は暗闇に佇んでいる孝一の元へと近づいていった。
「孝一さん」紫が声を孝一に掛けたと同時に、真っ暗な闇は2人を中心に黄色い鈍色に光を灯した。
孝一は辺りが明るくなった事と、さっきの女に呼びかけられびっくりした。
「えっ、名前なんで知ってるの?」目の前に居るのはさっき会ったというより、ぶつかりそうになった男の前に座っていた女だ。
会話すら交わしていない。孝一が話を交わしたのは男とだけだ。
「あなたは何かが足りないと思っているんでしょ。その鍵も、覚えはあるのにどこの鍵かわからない。でも、大事な物なんでしょ」女の視線が自分の手元にある事に気付いた。
「おかしいだろ…俺たち3人同じ夢を見たんだ。今日行くはずだったスノボへ行く途中に起こる事故の嫌な夢だ。何故、このタイミングで同じ夢を見るのか考えたらおかしい。そして、やり取りしているLINEの履歴もだ」肩を震わせながら孝一は言った。これが怒りからの震えではなく、自分へのもどかしさからなのも気付いていた。
女は抑揚のなく「1つ聞いてもいいかしら?」と言葉を発した。
そう言う声に両手を固く握り締め「何?」と答えた。
「明日は当たり前に来ると思う?」思ってもいなかった質問だった。抑揚がないだけに、どこかしら冷たさを感じる。
「当たり前になんて来ないよ。ついつい俺たちは当たり前のように明日は来ると思ってしまう。そんな事あるわけないのにな…俺は明日も来て欲しいと思っている。大好きな奴らが笑っていられるように、その中に俺も居られるようにって」
「そう…」女は答えると俯いた。
一体ここは何処なのだろう。さっきまで司達と居たはずなのに、今は暗闇の中の光に包まれている。辺りを見渡しても、何もない空間。
「孝一さん。選択してください。あなたはどこかで何かが足りないと感じてるはず。それを知りたいですか?知ればあなたの疑問は解消するでしょ。でも、同時にきっと哀しみや憎しみも訪れるかもしれません。このまま知らずにいれば、そういった感情に襲われる事はありません。どちらを選択されますか?」女の視線は真っ直ぐに孝一へと向かっている。
その眼差しは嘘でもからかってもいないことは見ればわかる。現に、もう現実ではない光景の中だ。
何かが足りない、今朝から感じていた事。きっとそれは自分にとって大切な事なのかも知れない。だからこそ、もう答えは決まっている。
「自分が何かを忘れているのは嫌だ。知ってどんな風に思うのかはわからなくても、後で後悔しないために、今知る事を俺は選ぶ」
そうだ。何を忘れているのかこのまま知らずに過ごせない。知ってから考えればいい。知らなければそれすら出来ない。
「わかりました」女の声が聞こえた瞬間、チリンと小さく鈴の音が聴こえ始めた。
小さく音色をたてていた鈴の音は次第に大きく激しく音色をたて始める。
鈴の音色が激しくなる度に、欠けていた記憶の欠片がジグソーパズルのようにピースを組み立てていく。ピースが揃った時
「優希!」叫んだと同時に鈴の音は止み、目の前には優希が立っていた。
「やぁ、孝一」片手を挙げ、へらっと笑う優希がそこに居た。
「やぁ、じゃねーよ…」つられて口元を緩ませながら、優希を身体ごと抱き締めた。
「思い出したのか」優希の声が耳元で聞こえた。
俺たちの為に、こいつは共に歩めない道を選んだ。
あぁ、スノボなんて行く予定なんてしなきゃよかったんだ。俺が止めていれば、優希のいつもの我儘も止めていればよかった。俺は甘すぎたんだな、優希、お前に。
でも、お前の事はわかっていたはずなのに、わかっていなかったんだな。
「優希、俺が止めていればお前は…」
「孝一、俺はさ、幸せなんだ。こうなってお前らが生きていてくれて。お前が思っているように、お前が俺やスノボ行きを止めようと言ったところで、事は変わっていなかったんだ。俺が選んだ事だ。お前が何を言っても、俺は聞きはしなかったよ」溜息混じりに優希は言った。
「幸せか…それでも、もうお前と会えないのか?それは、そんなのは嫌だ。お前は大切な友達だ。俺の勝手なのはわかってる。それでも、お前が居ないのは淋しい」
自分でも無茶な事を言ってると思っている。自分達の為に優希が払った犠牲を知りつつ、会えないのは嫌だと言う。自分勝手も甚だしい。それでも、今まで過ごしてきた時間は、捨てられない。
明日が当たり前に来るなんて思ってはいない。ただ、明日も来て欲しいと思っていた。男同士でくだらない話をし、将来の夢を見ながら想像するのだ。いつまでも変わらない友情を、お互いに変わることの無い信頼を。
「孝一…」優希は孝一の腕をゆっくりと自分の身体から外した。
「孝一、もう俺は普通の人じゃない。ゆかりちゃんの事だ、全部見せたんだろう。だったらわかるはずだ」
「あぁ、見た。そして思い出した。でも、なぜそれが会えない理由になるんだ?そして、俺だけ記憶を戻したのは何故だ?」紫が引き出した記憶の欠片は、優希と紫のやり取りも入っていた。それは、きっと全てを見せるためだろう。わざとこうした自分を恨んでくれと言わんばかりに、紫は見せたのだ。
「孝一、もう同じ時間は過ごせない…」優希は寂しげにそう言った。
優希自身が選んだ事。そして紫と過ごして行く事を選んだ。幸せだと孝一に言った言葉に嘘もない。今までずっと1人で生きてきた。その孤独から孝一達との出会いがあり、孤独から解き放たれと思っていた。でも、心のどこかでやはり寂しいと思う自分がいた。孝一達の記憶から自分が居なくなるならそれでいい。そう思っていたのに、紫は孝一をここに連れ記憶を引き起こした。その理由は優希にもわからない。
「孝一さん。思い出したにね」紫が優希の隣に姿を現した。
「紫さん…思い出したよ。何か足りないと思っていた事を」孝一は紫の前に対自した。
「俺達が救われる方法は他になかったって事だよね。なら俺は君にお礼を言わなければいけない。ありがとう」そう言うと孝一は紫に向かって頭を下げた。
「でも、どうして助けたのか知りたい。君にとって何故そこまでしたんだ。優希の事もだ」孝一は下げた頭をあげると、紫へと言った。
その言葉を聞きつつ優希自身も紫から聞きたかった。
紫は自分も両手を水をすくうように形どり、両手の中を見つめながら
「孝一さん。あなたの記憶を引き起こしたのは、優希君の為、そしてそうさせたのはあなたの思いがこの手ではすくいきれない程に溢れていたから。本当はあのまま姿を消すはずだった。でも、どんなに記憶を消してもね、消せない想いが人にはある。そして、あなたには優希君に対してそれがあった。事故から救ったのは、優希君が居たこともあるけど、私の賭け。私がずっと探していたから。どうしたらこうやって無くなるはずの命を汲み取れるのかを…ただ、優希君の事はごめんさい」紫は水をすくうように形どった手を紐解、孝一へ頭を垂らした。
「頭を上げて」孝一はそう言うと紫の肩に手を置いた。
「優希は幸せだと言った。それだけで十分だ。紫ちゃんに、優希に助けられたのは俺らだ」
そう結果こうして生きている。それは間違いなくこの2人のお陰だ。ただ、何故こんなに哀しいのだろう。
紫も優希もこれから2人だけで生きて行くのか?人と関わり生きていけないのか?
「紫ちゃん。俺は君達と一緒に居たいと思う」
孝一の言葉に優希が「お前、バカか!自分が何を言ってるのかわかってんのか!」孝一の腕を思い切り引っ張り優希は大声で怒鳴った。
「わかってるよ。でも最後まで聞いてくれ」孝一は掴んだ優希の腕を掴み紫に向かい
「紫ちゃん、俺に助けさせて。俺が仲介になる。救える命を救う手伝いをさせてくれ」
紫は全てを理解していたのか小さく頷いた。それを見た優希は「ゆかりちゃん、いいの?そんな事が許されるの?」優希は唖然としながら紫に尋ねた。
「いくつか約束は守ってもらわないといけない。孝一さんは信じてもいい人。それに、2人より3人の方が救える命も、また方法も考えやすい」抑揚のない言葉に反して紫の口元は少し緩んでいた。




