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24時過ぎ、優希はマンションの扉を開け「ただいま」と言いながら、静かに部屋の扉を閉めた。
1人暮らしの優希の「ただいま」に、返ってくる「おかえり」を返してくれる人はいない。
それでも部屋を出る時は「行ってきます」と言い、帰ってきたら「ただいま」と言う。
子供の頃からの習慣は、1人になっても変わる事はない。
ワンルームのフローリングの部屋は、優希自身があまり物を置くのは好きではないからか、シンプルに物もあまりなく、モノトーンで彩り作られている。
優希は部屋に入ると、ラグの上にしゃがみこむみ、床に置いてる円球の間接ライトを点けた。
真っ暗な部屋に小さく光る間接ライトのオレンジの光は、優希を暖かく包み込むように光を灯した。
―――今週も疲れたけど、楽しかった
ホッと一息つく。
―――寒っ
少し酔っていたからか、帰り道は寒くはなかったが、部屋の冷たい空気が一気に優希の身体を冷やす。
優希はすっと立ち上がると、テーブルの横に置いてるヒーターの電源を入れ着ていたスーツを脱ぎ、長袖のTシャツとベージュのチノパンに着替えた。脱いだスーツを丁寧にハンガーに掛けるとクローゼットへと直した。
洗濯は明日にしようと決め、浴室前に置いてる洗濯カゴへとシャツを放り投げた。
―――少し酔いがまわってるな…
みんなで遊びに行く計画は、いつも少しわくわくさせる。
場所選びや、スケジュールを立てるのは、面倒な反面楽しい。
こうして4人で会い、呑み語り合った楽しかった日は、楽しかったからこそか、色んな事をいつも思い返してしまう。
会話を交わす人がいない1人の部屋
1人寂しくて仕方なかった日々
死んでしまいたいと何度も思った過去
―――そう今はもう昔の事
小学生の時に、両親は事故で死んだ。何故かその時一緒にいたはずなのに、記憶は曖昧で覚えていない。
ただその後、祖父母の元へ引き取られ、祖母が中学2年の時に亡くなると、それが引き金になったように祖父は認知症になった。そんな祖父の面倒を自分が出来るはずもなかった。
祖父の面倒を母の弟夫婦が見ると引き取ることになった。
ただ、祖父が認知症の上に優希の面倒まではみられないと言われ、中学3年から1人で暮らすことを余儀なくされた。
親戚は体裁からか、家賃と学費は高校を卒業する事を条件に出してくれたが、生活費は自分でなんとかするしかなかった。
親が死んで、保険金はあった。十分過ぎるほどに。ただ、死んで貰った金を使いたくはなかった。
そんな事をしてはいけないと、心のどこかで思っていた。人が死んで貰った金なんて…そう思っていた。
高校へは入学をした。条件の1つだったからだ。何よりも中卒で働ける所自体少なかった。
そんな動機の高校で楽しみを得ようとは思ってなかった。
卒業さえ出来ればいい、学校が終わればバイトへ向かい、深夜まで働けばいい。寝るのは学校で十分だ。
1人の部屋に帰りたくなかった。毎日思っていた事だ。
心配をする人もいない。自由と言えばそうなんだと思う。
ただ、そんな簡単な物でも、割り切れる程、大人ではなかった。
1人でいれば孤独に押し寄せられ、何度も何度も亡くなった両親を恨んだ。
―――何故、俺だけを残して…
あんたらは何も思わないのか…
俺にどうしろって言うんだ…
生きていけるか…1人で、1人で何しろって言うんだ…
俺も連れて逝けよ
そんな恨みしか出てこない。親と過ごした楽しかった思い出もたくさんあったのに、出てくるのは恨み言ばかり。
1人でいる時に何度もカッターを自分の手首にあてた。手首にカッターをあてれば、手首の傷は目立つと思い、カッターを太腿へとあて直す。
太腿にあてたカッターを左から右へとさっと引く。最初は痛いはずの傷は、傷が深いのか痺れ痛む。
その流れる血で我に返り、現実に引き戻されて、何をやってるんだと自分を責めては、その繰り返しを何度もした。実際、切った時は痛くはなかったからだ。傷付ける事自体、痛くなかった。痛かったのはその後の心だった。
馬鹿な事なのも十分わかっていた。
その傷痕は、今も消えずに優希の太ももに数本くっきりと残っている。ぷくりと膨らんだ傷口は、自分が愚かだった証。
夢や希望を持つよりも、目の当たりの現実と孤独に耐えられず、自分に考える時間を無くすことで生きていた。
そんな時に孝一が声をかけてきた。
人が本来持つ三大欲求をその時は持ってもいなかった。持っていなかったというより、興味がなかった。
性欲すらもめんどくさいものだとしか思ってなかった。
言い寄って来る女はいた。それも単に面倒くさいとしか思わなかった。
食欲も高校の昼休憩はお腹が空けば何か口にはしたが、そうでなければ何も食べず、丸々1日何も口にしない事もあった。何でもいつでも何か飲み食いすりゃ生きていける、そんなもんだ。
毎日をただ過ごす。そこに何かをする、何かを求める、そういったものは何もない。
友達なんて縁遠いもので、友達は必要ないと思い人との関わりを持とうとも思ってなかった。
どうせ話しかけてくる奴なんていない、いや、話しかけてきてほしくない。卑屈な自分しかいなかった。
そこに孝一が現れ、かなり戸惑った。
自分にここまで強引でも踏み込んでこようとする人間はいなかったからだ。
祖父母は優しくはしてくれたが、いつも哀れだと言い、優しかったんじゃない、同情だったんだと気付いた。可哀想だと言われれば言われるほど、自分が哀れだと思い知った。
それまでいた友達も、腫れ物にさわるように優しくしてくれた。友達も友達の親も、優しくしてくれた。それは紛れもなく同情。
優しさが同情なのか、本当に優しいのか、訳がわからなくなった。そして、もう人といることに疲れ、人を信用できない自分にも疲れた。
優しさも同情も紙一重だ。悪気ない優しさが耐えられず、人を信用できない自分にも愛想がつきた。
人を信用できない自分に、人といる資格はない。出した結論はこれだった。
―――傷付くくらいなら、1人でいい
1人でなら傷付くことも傷付けることもない。
そんな時、強引でも腕を掴んだのは孝一で、楽しさを教えてくれたのは3人だ。
「あーでも、俺、ほとんど毎日バイトだし。今日、学校終わってからもバイトだから、無理」淡々と孝一達に言った。めんどくさい友達ゴッコかよ、そう半分バカにしてた。
「松村、バイトしてんの?」孝一がおにぎりを食べながら言った。
「あぁ。してる。ファミレスとコンビニ」そっけなく優希は答えた。
―――お前らみたいに呑気に暮らしてない
「さっき毎日って言ったよな?」
「そっ、毎日かな。片方休みでも、片方バイト行ったり、両方行ったり、だからバンドとか無理」
―――早く話終わらせてくれよ。あぁ違うか、ここから早く離れればいいんだ
若干苛つきながら答えた。
「お前、バイトとかいいじゃん。俺も同じところ紹介してよ」孝一は食べていたおにぎりのビニール袋を、コンビニの袋に入れながら言うと
「あー俺らも!」続いて司と颯太が手を挙げて便乗した。
「えっと…いや、そうゆうのじゃなくて。無理って言ってるの聞いてた?」優希は胸の前に両手を広げた。
―――こいつら何言ってんの。バイトする必要もない奴らのくせに
「松村。俺らもバイト探してるんだよ。お前がしてて、そこが募集してるなら、紹介してくれ」孝一は優希の腕を掴み真っ直ぐに優希の目を見て言った。
さすがに「わかった。聞いてみる。でも、わかんないから」孝一に掴まれた腕を振りほどきながら言うと
「でもさ、お前らバイトなんてする必要ないんじゃないの。親から小遣いだって貰ってるだろ」
「松村。小遣いなんてないって。高校入った時点で、バイト出来るの親はわかってるし、学費出してやるから、遊ぶ金は自力でなんとかしろって言われてんだよ」孝一が言うと
「そうそう、そんなに親なんて甘いもんじゃないって。俺なんて夏休み家の仕事手伝わないと、学費すら出してくんないよ」司に颯太と大きく首を縦に振った。
「そういうものなのか」
―――なんか意外だな、親が居たらなんでも自由とかじゃないんだ
「サンドイッチ、ありがとな。後、ビックリしたけど、声かけてくれてありがとう。じゃ」そう言って自分の席に戻った。もう昼休憩も終わりだ。
―――なんなんだ、あいつら。わけわかんねぇ
授業が始まると机に突っ伏し、寝ようとした。だが、眠ることは出来ず、考えたのは孝一達が言った事だった。
―――信じてもいのか、そういう物なのか
親のいない今の自分には知らない、知ろうとさえしなかった事だった。
その日の放課後から、4人で話す時間が多くなった。気が付けばいつも4人でいるようになった。
結局、孝一達にバイト先を紹介し、バイトも4人同じ所でする事になった。バイトの時間帯は優希が多く、4人が重なる事はなかったが、バイトが終わる頃に休みの奴がバイト先に来て、そのまま誰かの家へ行ったり、自分が思っていた高校生活とは、いつに間にか一変していた。
それが楽しくて高校生活もバイトも、全部が楽しくて仕方なかった。
自分だけが不幸だって思い過ぎていたことにも気付けた。チノパンの上から自分の太ももの傷跡を撫でた。
―――こんな傷作ることなかった
そう、きっと今なら自分で自分を傷付けようとは思わない、いや、カッターをあてることを想像しただけで、背筋にゾクッと寒気が走る。こんなこと出来ていたのが、おかしかったんだ。
―――本当にバカだった
傷痕を撫でながら、来週の天気予報とスノボの行き先を見ようと、優希はスマートフォンを片手にした。
―――ん?あれ。画面動かないんだけど。なんで
ホームボタンは反応するが、肝心な液晶はうんともすんともしない。
優希がスマートフォンを触っていると『ライン♪』と通知音と共に、液晶にメッセージが表示された。
そこには
『孝一:お前スマホ落として画面割れてたけど、大丈夫(笑)?』
表示されたメッセージに慌ててスマートフォンの液晶をじっくり見ると、液晶には綺麗に2本割れた線が入っていた。
「全然大丈夫じゃねーよ。返信も何も電話すら出来ない」
スマートフォンに向かって言ったところで、後の祭りだ。孝一にも聞こえるはずも、届くはずもない。
―――明日、ショップ行くか…絶対混んでるよな。くそっ、連絡出来ないから1人で行くしかないじゃねーか
もういい、寝よ―
ヒーターと間接ライトを消しベッドに入った。
アラームも設定出来ない、動きもしないスマートフォンは、まるでお前なんて役に立たないと言わんばかりに、テーブルに置かれている。
普段なら、ベッドの中で触るはずのスマートフォン。目覚ましもスマートフォンだ。
―――便利だが、こうなったら何も出来ない
スマートフォンに本当に頼りすぎだと改めて思い知った。




