※※
その日の事は忘れもしない。
「紫。やっと1つするべき事がわかったようだね」
口元に薄い笑みを浮かべ、提灯を持つ藤の姿。
「こんな事をさせるために私はいるの?」
睨みつける私の顔を見もせずに
「言っただろ。1つするべき事がわかったようだね、と」
そう言うと男藤は私の前に提灯を差し出した。私は差し出された提灯に手を伸ばし提灯を手にすると、藤は提灯から手を放し両腕を組んだ。
「選択に対して怒りを覚えたのかい。今まで人はいつか死ぬと当たり前のように思い、それが誰にでも来ると思っていた君が?ならば今までの君はどうだったんだい?訪れる死に怒りすら感じもしなければ、当たり前の一言で終わらせたのに、自分が下すとなると怒るのはなぜだい?」
抑揚なく詰め問いかける。
提灯は私の手元にある。そう聞く藤の顔色を見る事も知る事も出来ない。
誰かを選ばなければいけない、それが不平等だと思った。それも選ぶのが自分だったからか、助けられるはずの命の中で、自分が選ぶ事に怒りを感じたのか…
藤の言うように、それが自ら選ぶ事をしなければ、当たり前の事と思っただろう。
「死から逃れる事は誰も出来やしない。人は必ず最期は死で終わりを迎えるからね。でもね、その人じゃないといけない、というわけでもないんだよ。その時に失くなる命の数さえ合えばいい。それだけの事なんだよ。他にも方法はあるだろうね…それは君がこれから探すことだ」
藤は何故こんなことを言うのだろう。
私を人では無い側に引き込み、何をさせたいのかもわからない。
「こんなことを私にさせる為に私はいるの?」同じ事を尋ねずにいられなかった。
「紫、それは違う。言っただろ、君にはこちら側こそ相応しいと。それをわかってほしいね。君は他に何も感じないのかい?そして、まだ君はしなければならない事がある」
他に感じる事、しないといけない事…選択以外に?誰かの為に誰かを殺せとでも?笑わせる。他に何を感じろと?
そんな事の為にこちら側に誘われた、人としては欠陥してるから?笑いしかない。死の帳尻合わせなんて、誰かを犠牲にして、本来失くなるはずの命を助ける?なんで私が?人はいつか死ぬじゃないか。
そして足りない…
得るものなん何がある…怒りか?悲しみか?そんな物、今更必要はない。
1人でいい、誰かと関わることも、誰かと一緒にいることも、もういい。
「君がそうして1人でいいと思えば思うほど、君の命に終わりは来ない」
「えっ」
横にいる藤に顔を向けると同時に、小さく鈴が音色をたて夢から引き戻された。
終わりの来ない命。
一体どれ位の月日、年数を言うんだ…
終わりなき日々、人の中に紛れ込み生きていく日々を永遠に過ごして行くのか。
絶望ならとうに超えた。未来に夢見ることもない。淡々と当たり前のように、変化ない毎日を送る。昔のように場所は変われれど、生き方は変わらない。
それでも、そう鈴の知らせに自分なりに抵抗はしたのだ。抗ったのだ。
”帳尻合わせ”を知るまでは。誰かのために誰かの命を差し出す、そんな事がを知るまでは。
ーーそんな責任を負えるほど強くい人間ではないーー
いや、もはや人間ではない。それでも、命の置き換えなんてできるはずもない。
誰かの替りに他の誰かが死んでいいなんてことはない。
※※
雪はただふわりふわりと舞続ける。
時間はあまりない。
「優希君、決まった?」
闇夜に紫の声が小さくても響く。
―決まる訳がない、決められる訳がない―
「ゆかりちゃんは自分の友達が死んでも何も思わないの?」
選択するなんて、誰を死なすかなんてそんな事普通出来ない。選択するくらいなら、この命を変わりに差し出す。優希は心底思った。
「俺はみんなを助けてほしい。その為に俺が死んでもいい。何を聞かれても考えても、そこから誰か選んで生きても、俺は自分が後悔する」
「後悔か…」頭を垂らし独り言のように紫は呟いた。
微かに香るガソリンの匂い。引火すればそれこそもう終わりだ。
「ゆかりちゃん」優希は訴えかけるように名を呼んだ。
紫は何か考えているのか、聞こえているはずなのに紫は黙って車の方を、司達をただ見ていた。
「ねぇ、ゆかりちゃん」
ただ静かな時間だけが過ぎていく中、優希は少し苛つきながら呼んだ。
この寒さに重症を負ってる司達。このままでいいわけがない。何よりも優希は自分に苛ついた。
こんな時に、助けに駆け寄る事さえ出来ない。
―俺は何もできない、誰かを選ぶ事も出来ない―
無力な自分が情けない。
紫の言った意味も考えた。それでも紫の思いを知る事は出来ない。
まだ聞きたいことがある。だが、今はそれよりも司達が優先だ。
「ゆかりちゃんって!」
怒鳴りつけたように紫へ言った。
「優希君、あなたが選べないなら私が選ぶ」
「えっ?」
紫は一言言うと司達の元へと足を向け、優希を振り返る事なく歩きだした。
「待って、ちょっと待って」
叫び呼んでも、紫は足を止める事なく車へ一歩一歩着実に近づいていく。
ーー一体誰を選ぶって言うんだーー
何度も何度も紫に向かって、叫び名を呼んだ。それでも、紫が振り向く事はなかった。
※※
―試してない残された方法はこれしかない―
紫は転がった車の元へ着くと、飛び散ったガラスの欠片を1つ手に掴み取った。手にしたガラスの欠片を自分の左手首へあてると、一気に手首動脈を切っるようあてたガラスを横に引いた。
ガラスの欠片でざくりと切られた手首の動脈からは、血が一気に噴き流れポタポタととめどなく落ち、足元の白い雪を赤に染めていく。
紫は倒れている司達の身体に近付くと、手首から流れ落ちる自分の血を、司や孝一へと順番に巡り、血を掛け落とし歩いた。司達が流した同じくらいの量の血を、血を流している傷口、折れ身体から突き出した骨へ、次々に自分の血を掛けては落してていく。紫は自分の傷口が塞がろうとするその度に、何度も何度もガラスで動脈を切っては同じ事を繰り返した。
そして、こうしてる自分が普通なら倒れてもおかしくないのに、そんな事すらしなければ、ふらつきもしない自分に
ーーやっぱりかーー
と思うと、口元が緩んだ。
優希はただ遠くから紫が何かをしてることしかわからなかった。
司達の上に立ち何かをしている、優希が理解出来たのはそれだけだった。
紫のポケットの中で鈴が小さく音を鳴らしていたが、血が流れる量が多くなる度に鈴の音は大きく音を鳴らし
「紫」
鈴の音に混じり、耳元で男の声がした。
紫はオレンジの提灯が自分の横にある事に気付いた。
提灯は1つ2つと次第に数は増え、いつの間にか紫と司達を囲むように無数の灯しが円を描いているのにきづいた。
「藤?」血を流し続ながら男に言った。
「言っただろ。君と一緒にいると」提灯を持つ男の姿が薄らと現れていた。
「そして、ここを何処だと思っているんだ。山の中だ。私には心地よい場所だ」オレンジの提灯はほんのり温もりを放つ。
「お前の血だけで人の命は救えないよ」
藤はそう言うと高々に提灯を天へ挙げた。
舞い落ちる粉雪の中に、ヒラヒラと薄紫の花びらが粉雪に混じり落ちてくる。
1枚2枚と数を増やし、次第に雪よりも花びらは多く舞、1つの小さな渦となる。
小さな渦は円を描き、落ちた車丸ごとを覆い隠す様に囲んだ。