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薄い紫の着物に羽織を引っ掛け、長い黒髪に整った顔立ちの男、藤。細い切れ長の目は、時折冷たく私をを見据え
「持たせた鈴はずっと持っておきなさい。そして、鈴は2つある。1つその小さな鈴、もう1つは君の中にある目に見えない鈴。それは耳元で君に時を知らせる。両方の鈴が鳴った時、君は選択をしなければならない」
―選択…私が何を選択するの?―
「言っただろう。君は大事な物を持っていない」
―大事な物?―
「君は、人として欠陥がある。人が死ぬことが当たり前だと悲しむ前に思うだろ。それは普通ではない。普通の人間は悲しむんだ。死ぬ事が当たり前と知っていても、死の前に悲しみを抱くものだ」
藤はオレンジの提灯を持ち、ただ私の横に立ち淡々と語る。
藤の横顔を私は見つめながら、言われている事に心のどこかで納得していた。
「君は自然の道理をいつの間にか知っていた」
そう言う藤の横顔は悲しげに見えた。
「君は人が生きる事やそれに執着する人の心を君は知らずに、君自身、生きる事に執着がなかった」
生きることに執着する。そんな事は考えた事もい。生きていればいずれ人は死ぬ。どんな名誉や財産を持っていようと、来る時が来ればいずれ人は死ぬのだ。
早いか遅いかだけ。平等に死は訪れる。誰にでも、いつでも、それがいつ来るのかわからないだけで、いつだって突然やって来るのだ。
紫の考えを見透かすように
「そうだね…君が思ってる通りだ。それでも人は生きる事に執着もすれば、亡くなるとわかっていながらも、その人が亡くなった時に涙を流す。君は両親が亡くなった時に泣いていた。覚えてはいないだろうけれどね。でも、泣きながらも君はどこか割り切ってもいた。親が死んだ時も自分が死ぬ時でさえもね…」
―人は死ぬ生き物だから。人だけではない。命あるものはいつか死ぬ―
「その通りだ。だから私達の命を与えた。きみはもう死ねないよ。願ってもね」
あの時、藤は確かに言った。
ーー人としての命は尽きたとーー
でも、自分はこうして今生きている。
藤は言った。
自然の中で過ごした分、周りの木々達が紫を守っていた事。そして生かしたのもそうした自然の中で隠れ棲む者達が命を分け与えたと。その藤自体が紫と同化したという事。いつ朽ちるかもわからない、自分の本体である藤の木の命。それは一体何年生き、いつ朽ちるのかはわからないと。
果てしない、考えもつかない長い月日を長えるのだろう。その時を一人生きる。
それは死ぬ事より苦しいのではないだろうか…自分を知る人が居ない事くらいなら耐えられる。でも、何年経っても終わりの来ない命に耐える自信はない。
「恐れる事はない。言っただろう。私は君といる」
夢から目覚めた時、紫の手には藤の花びらが1つ握っていた。
藤の夢を見るたび花びらが増え、藤の木の葉も枝も落ち、大木の表面は乾き、触れるたびに崩れていった。
紫自身の身体にも変化があらわれた。
食事をするよりも水分を欲するようになった。
木が朽ちていくと同時に、自分がもうここに居てはいけないと思い始めた。
誰も知らない土地へ行こう。
そう誰も自分を知らない場所へ、そして紛れて生きていこう。
何度か自ら命を絶とうとした。でも、傷はすぐに塞がり、絶とうすれば私の意識は鎮められる。
ーーもう諦めたーー
死ねない、生かされた命ならば、いっそ呆れるまで生きてみよう。
長い年月を経たとしても、永遠に生きるわけではない。いつかは、滅びるのだから、その時まで生きよう。
両親の残した家を出る時に、藤の木が誇らしげに花をつけた時に撮った写真を一枚本に挟んだ。
以前は見えなかった木の横にいる和装の男。いや、見えなかったんじゃない。見ようとしなかった。
ずっとここで生きてきた。両親のお墓に、もうお参りをすることはないだろう。そして、この家にも…
寂しくはない。一人ではないのだから…
シロを抱きしめ「行こうか。シロ。お前も私を置いていずれ逝くのだとしても。その時まで傍にいて」
シロはクゥーンを鳴きながら、紫の頬を舐めた。
※※
鈴は2つ。
1つは小さな金の鈴、もう1つは耳元で音色を出す目には見えない鈴。
選択の時を知らせる鈴。
そして、音が両方鳴った夜に必ず人が死ぬ夢を見る。
それが単なる夢で無い事を知ったのは、夢を見た1週間以内に必ず夢に出てきた人と出会い、その人が夢と同じ死に方をした事を知ってからだ。
それに気付いてから、紫は何度も何度も夢に出てきた人へ気を付けるように言葉を伝えた。
それでも、それを伝えた後にバイトは辞めさせられ、変な人扱いされ、誰も信じてはくれなかった。
ーーどうしたらいいーー
その時、目にしたのは携帯ショップの看板だった。
携帯ショップならどの地方へ行っても、必ずショップはある。人と関わるには一番適してるのでは?と考えた。
必ず夢に出てきた人とは出会う法則。ショップでなら、言葉を選び伝え方を選べば、きっと回避出来ると思った。
ただ、それは簡単ではなかった。
夢に出てきた人は、違う形で必ず亡くなるのだ。
夢にみたものとは違う死に方。必ず訪れる死からは逃がす事は出来ないのが現実。
ーーでも、なら、何故夢で知る?選択の鈴は鳴る?ーー
そんな時、家族3人が乗車している車の事故に遭遇した。夢に見ていない光景。
紫の耳元で激しく鈴が音色をたて、藤は耳元で囁く。
「紫、ここで死ぬのは2人だ」
そう、この家族が乗った車の中で死ぬのは2人。
紫が車中で見た時に母親と子供は生きていた。運転手の父親は即死していたが、母親は子供を庇いながらも、浅い呼吸でもまだ生きていた。
母親に庇われながら、子供の小さな身体に襲った大きな衝撃は、子供の呼吸を浅くし、飛び散ったガラスの欠片は無数の傷をつけていた。
〝ここで死ぬのは2人〝
藤は間違いなく言った。父親はもう救えない。ではここで救える命はどちらか1つ。
これが藤が言った〝選択〝
あぁ、このことか…今まで誰一人助けられなかったはずだ。
死は決まってる事。その中で出来るのは選択だけ。
3人中、2人の命は亡くなる、後の1人は救える。その1人を誰にするのか。私に決めろと、選択しろと言う。今までの夢はある意味試験か。ここまでしなければいけなかったのか…
今までの事は全て無駄だったんだ…言うだけで免れる命など、あるはずがない。あるはずの事を失くすのは簡単ではない。
今、この目の前にいる家族を全員は助けられず、まだ息をしている母親と子供の2人は救えない。どちらかを選べという事か…
「わかったね。さぁ、早くしないと選べなくなるよ」
無情にも藤の声は耳元で語りかける。
紫は母親が庇っている小さな子供へ手を差し伸べ、子供を車から引きずり出した。それを血を流しながら母親は見て紫に「子供を助けてくれて、ありがとう」一言いうと、支えていた腕から力が抜けたように倒れ込んだ。
子供を抱きかかえながら、紫は声を殺し泣いた。
ーー酷い…こんな選択をしないといけないなんて、酷い。私に何をさせたいの?なんの答えを求めるの?ーー
怒りにも近い感情に紫は震えた。
空はピンクと紫を足して二で割ったような赤やオレンジにも似た色で空を染め、グレーがかった色の雲の隙間を、水色の天が時折見え隠れする。今にも雨が降りそな空を子供の頭を膝に置き、騒がしい中で紫は空を見つめていた。
紫は閉ざされている子供の瞼の上に手を置くと、子供の耳元で囁いた。
”今日の事は忘れなさい”
黄昏に染まる子供を見つめながら、子供をその場に残し紫は立ち去った。