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黄昏ラピス  作者: 村月 亜唯
23/36

※※

ーー冷たいーー


薄れる意識の中、優希は紫の手の冷たさを感じていた。


車は覆い茂る木々に当たり、方向を変えながら跳ねるように下へ落下していく。


身体が空に浮く感じと、車中にぶつかり、孝一や司の声を聞きながら、薄れる意識の中、紫が握りしめてる手だけは離れずに優希を掴んでいた。


その手の冷たさを感じながら、前にもこうして手を握っててくれた人がいたような気がした。


ーーあれはいつだったんだろう…こうして握ってくれていた

そう思いながらも、しだいに優希の遠のく意識の中、夢をみた。


夏休み、優希は両親と海に向かっていた。

車内で、浮き輪を膨らませながら「ねぇ。お父さん。まだ?まだ着かないの?」

「まだまだだよ。さっきからそればかりだな」ルームミラー越しに、運転をしながらお父さんが笑って言う。

「本当に優希は、さっき出たばかりよ」お母さんも笑って言った。

「えーだって早く海入りたいんだもん」なかなか膨らまない浮き輪をポンポン叩きながら、優希はワクワクしながら、まだかまだかと気持ちだけが先走る。

やっと着いた海は太陽の光に反射しキラキラとしていた。

何よりも両親と一緒に過ごせる夏休みの、この一日は貴重だ。

お父さんは普通のサラリーマンだった。休みは日曜日だけで、その日曜日はゆっくりさせてあげなさい、とお母さんに言われていた。家の中でお父さんと過ごす時は、大半は勉強を教わる事が多かった。長男なのだからと、いつも言われて勉強をした。でも、それは決して嫌いでもなければ、むしろ教わる事はたのしかった。

そんなお父さんと遊びで海で過ごせるのだから、楽しく無いわけがない。

浮き輪を片手に、お父さんの手を引き

「お父さん、海だよ。早く、早く」と走り出す。

「優希、ケガしないようにね」お母さんが、後はこっちで準備しておくからと、手を振り2人を見送っている。

「優希はまだ泳げないんだよな。練習しようか」お父さんはそう言うと、優希に潜る練習をした。

お父さんのすることを見よう見真似しながら、鼻を摘み海に潜る。

お腹が空いたらお母さんの元へ行き、手作り弁当を食べて3人で笑っていた。

他愛ない事を話ながら笑っている。

ただ平凡な時間、特別なわけでもない、当たり前の延長線の先にある、夏の日。


そんな楽しく過ごした海に行った帰り、高速道路で事故は起きた。

長い渋滞の中を超え、動き出した車はスピードを上げ、優希の乗った車を、次々に追い抜いて行く。


追い越していく車を、優希は後部座席の窓ガラスから見ていた。

「お父さん、早く車のスピード出してよ。追い抜かれてるよ。」

「危ないから駄目だよ」とルームミラー越しに笑って言うお父さんに、少し焦れったさを感じた。そのすぐ後、優希の乗った車の前を走っていたトラックが急ブレーキで停止し、お父さんが運転していた車はとっさのことに停まれず、トラックへぶつかり、さらに後方を走っていた車も速度は落としていたものの、優希の乗っていた車へとぶつかった。

激しい衝撃が身体を襲った。


間に挟まれた優希の乗った車は、前方のボンネットは潰れていた。


狭くなった後部座席に座っていた優希の上に、優希は守られるようにお母さんに抱きかかえられていたが、優希の顔にはお母さんの血が垂れていた。

お母さんの身体に視界を遮られ、お父さんの姿を確認は出来なかった。

ただ、見えたのは血に染まったお母さんの顔に血だらけの身体と、お母さんの血で染まった自分の手だった。

ねっとりとベタ付く手に、しとしとと顔に落ちてくる血。


何があったのか理解も出来なければ、ただ叫びだしそうな自分がいた。

お母さんの顔は血に染められていただけでなく、原型も変わっていた。

ーーこれがさっきまで優しく微笑んでいたお母さん?ーー

優希の目に映っているのは、もはや人の顔ではなかった。

その時、優希を背中から抱き抱え、後部座席から引きずり出す手があった。


その手はとても白くか細く冷たい。

表に出された後、気が付けば膝枕をされていた。救助が来るまでの間、その冷たい感触の手はずっと優希の手を握ってくれていた。

「さっき見た事は忘れなさい」耳元で優しい女の人の声が囁くように言う。

「忘れなさい、忘れていいの」

その言葉と同時に冷たい手が、優希の瞼の上を覆った。

「僕、忘れていいの?」

「覚えていなくていい。いつか、また思い出すその時まで」

ーー忘れていいーー

優希は泣いた。この一言は救いだった。歪んだお母さんの顔を、血で染まった自分の手も、覚えてなくていい。

ーー忘れていいんだ…ーー

笑ったお母さんの顔だけ覚えていたい。

仰向けに寝ている両方の目尻から流れる涙を、頬に感じながら、大好きな両親の変わり果てた姿に、血に染まった顔に心で、さよならとごめんなさいを告げた。


瞼に当てられた女の人の手の隙間から見えたオレンジ色の空は、とても綺麗だった。

そして思った。茜色に色づく太陽は、母親の血の色に似ていると。


自分を守ろうと血に染まった身体だったのに、怖かったんだ


「大丈夫。目を開けたら全て忘れている」

その声を後に、優希は気を失った。



車が地に落ちてから、どれくらいの時が流れたのだろう。

優希はその間、事故にあった時の夢を見ていた。

そう、忘れていいと言われ、失くした記憶の欠片。

ところどころ身体が痛む。

薄く開いた目の前に見えたのは舞い散る雪だった。

頬に冷たい雪が落ちてくる。

「ここは…」

声になってるのかもわからない声を発する。

「大丈夫」耳元で紫の声が聞こえた。

「優希君、何か見た?」

優希は紫がまだ手を握ってくれてる事に気付き、同時に思い出した…この手の感触が前に事故にあった時の手と同じ様に冷たいものだと。

紫は横に座り優希の手をとっている。

「救えるのは2人」

手を握ったまま、真っ直ぐ前を見て紫が言った。

紫の見る方向にはあるのは転がり落ちた車。

「運転席と助手席は無理。後部座席の…そう優希君の友達のうち、1人なら救える。さぁ…誰にする?」

冷たい雪の中で、抑揚のない紫の声がする。


「2人って…何を言ってるのかわからない」少しぼんやりした頭で優希は考えた。


ーー2人なら救える…孝一、颯太、司の中から?

運転席と助手席は無理って…紫の友人じゃないのか?


冷たい空気の中で、しだいにぼんやりした意識はハッキリとしてきた。そして、紫はまた問う。

「早く選んで。選択だよ」またも抑揚の無い言葉だ。

「選ぶ…?俺が…なんで…?」

優希の声に紫は振り向きもしない。ただ、握っている手に力が入ったのがわかった。

「元々、あなた達はみんなここで死ぬ予定だった」

紫の声には感情は何一つ感じない。

さも当たり前の事のように言葉を発する。

「車の中にいるのは5人、前の2人は無理。残る3人のうち2人だけ、早く選んで」急かすように紫が言う。

優希には選べるはずがない。

「早く選ばないと友達は3人とも死ぬ。皆死ぬけど、いいの?」

―3人とも死ぬ、皆死ぬ…俺が、俺だけがまた助かって、他は死ぬのか?―

そんな事はもう、うんざりだ。

「なんで…」そう言いながら泣いている自分に気付いた。

「泣いてる時間はない」

他の言葉を受け付けないかのように紫が言う。

「俺が死ぬから…3人を助けることは…」

言いかけた言葉に紫が言葉をかぶせる。

「その選択肢はない。あなたは生きる」

なぜ自分だけが…

自分だけがまた助かる。生地獄のようなものだ。

紫はなぜ助けた?自分だけを…

「他にどうにか出来ないの…みんなを助けられないの…」


「みんなを…みんなを助けてくれ。俺の命なんてどうでもいい。だから、お願いだからあいつ等を助けてくれ」

そういい掴む優希の手を紫は振り解き、優希の背中に手を回すと身体を抱き起こし、木にもたれさせ座らせた。

上半身を起こした事で、優希は目の前にある光景を直視した。思わず息をのみ自分の手で口を塞ぐ。


ーーなんて状況だ…ーー

車に窓からはみ出る人の身体。

ーーあれは誰…ーー

横に座っている紫を見るが、紫はずっとその光景を見たまま微動だにしない。


ーーなぜ黙ってみてられる…ーー

優希の中で小さな苛立ちが、一瞬顔を覗かせたが

「ゆかりちゃんが言ってたのは、まさかこの事?」優希は口を塞いでいた手を口元から離すと、今度はきつく握りしめた。

「そう」

「ゆかりちゃんは、なんでそんな風にみてられんの?」怒鳴りつけるように乱暴に優希は言い放った。

紫は立ち上がり、座っている優希を見下すと

「言ったでしょ。目の当たりにしないと人は聞いても信じないと。違う?」

優希は怒りを噛みしめるように唇を噛んでいたが、そうだ、聞いたのに来る事を止めなかったのは、自分だと思うと、噛んだ唇を緩めた。


ーーここで、自分には選べないーー


優希に答えなんて出せるはずもない。言えるのは

「俺が悪いんだ。だから俺の命と引き替えにみんなを助けられないか?」

虫が良すぎるおかしな話だ。自分で言っててそう思う。だが1つ疑問があった。

「ゆかりちゃん。俺は死ぬ予定じゃなかったの?俺はなんで生きてるの?」

素朴な疑問だ。

紫は優希にみんな死ぬ予定だったと言った。

でも、優希はこうして生きている。そして紫は2人は救えると言う。あの冷たい手の感触、小さい頃に忘れていいと言った人と同じ様な感触。

確証も何もない。そんな事あるはずもないのに優希は

「ゆかりちゃんは、俺が子供の時会った事ある?」尋ねずにいられなかった。

優希は紫を見上げた。そんな訳はないと思いながら、聞いているのだ。

「高速道路の事故の時」

紫の手があの時のひんやりとした手に似ているだけのこと。

そして、今さっきもだ。

なぜ自分だけが今ここに居る?以前に助けてくれたのが紫じゃなかったとしても、こうして紫と2人いる。

2人の間を冷たい風と雪が吹き抜ける。

紫は両手をポケットに入れ

「あなたは…死なない」

そう言う紫を見て、優希はふと思った。

紫が昔に自分を助けてくれた人なら、今の紫とあまり変わらないんじゃないのか?

あの事故から10年は経っている。

紫だったとしたら、自分と同じ歳なのだからあの時、12歳のはずだ。

そんな子供が自分を車から出したり出来るはずがない。

「ゆかりちゃんが昔、俺を助けてくれたとしたら、ゆかりちゃんはまだ子供だったはずだ。でも、ゆかりちゃんは俺と同じ歳で、そんな子供が俺をあの車から出したりなんて、出来るはずがない。助けてくれた女の人は今のゆかりちゃんと、同じくらいの人だった。だから…ただ似てるだけなのかもしれない。でも…」

「さぁ…私にはわからない」

優希の言葉を遮るように、紫は優希を見下しながら言う。

その紫は微かに口元に薄く笑みを浮かべ、冷酷なほど冷たい眼差しで車を見ている。

「もし、昔、あなたを助けたのが私だったとしたら…」

紫はそう言うと空に視線を移し

「ずっと変わらずにこの容姿でいる事になるわね」

ずっと変わらない容姿…それは優希からしたら、未知な世界だ。親が死んでから優希は1人で生きてきた。それでも、孤独に耐えられなかった。

変わらない容姿でいる事。

それはよく聞く不老不死とでも言うのか。多くの人が望んで止まなかった不老不死。伝説になるほどの遥かな夢。時に人は不老不死を望むばかりに人魚の肉を食べるために、人魚を探し求めたという。

そんな事があるのか?

「もしかしたら、たまたまその中で、優希君、あなたを見つけたのかもしれないわね」

紫を見上げながらも、優希は紫の頭上に瞬く星を見ている。

雪はヒラヒラと舞い落ち、その上には星々が光を放っている。

こんな状況でさえ、それは美しく綺麗だった。

「なんで俺は生きてて、選択をしないといけないの?」

「それが、あなたをあの時生かした理由だからかもしれない」

紫はそう言うと両手を広げ空を仰いだ。

「ゆかりちゃんは、あの時俺を助けたんでしょ?」

「どうかしら」

「教えてくれないの?」優希はせめて自分がなぜ選択をしないといけないのか、それが生かされた理由が何なのか知りたかった。そして昔会ったのが紫だったのかを知りたかった。

「あなたは信じない。そして信じなかった」

紫は広げてるいた両手を、ぱたんと降ろした。

「私は言ったはず。選択だと。小さな事でも、大きな事でも選択をしながら人は生きている。その選択が先を決めると」冷たくキツイ口調で言い放ち、冷血な眼差しを優希に向けた。


そうだ。そう言われた。それなのに俺は引き返す選択を、止める選択をしなかった。

そう、信じなかったから。戯言と思ったんだ。

本当に何か起こるはずはないと、何を言ってるんだと。答えをくれない紫にどこかで苛立ち、答えが出るまでと、最悪な事を考える事をしなかった。

決まっていたとは言え、来週にしようと言ったなら、孝一達は文句を言いながらもきっと「わかった」と言っただろう。休みの前日なら、いつでも構わなかったんだ。

結果、そうすることをしなかった。俺が招いた事なのか…


目の前にある光景を見ながら、優希は自責の念にかられた。

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