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優希は部屋に入りヒーターと間接ライトを点け、スーツを脱ぐと孝一へ電話を掛けた。
「優希、遅かったな。仕事か?」
孝一はすぐに電話に出た。
孝一のことだ。優希からの電話を待っていたに違いない。
「遅くなって悪い。いや、仕事じゃないんだ」
紫と会ったとは言えない。まだ心の整理はついていないのだ。
「そうか」
「あぁ。孝一、なんかあったのか?」
「いや、なんかお前が気になっただけだ」
本当に孝一は鋭い。勘がいいのだ。
「何もないよ。それより、スノーボードに知り合い3人を急に追加して悪いな」
「ん?お前が言ってた女の子の事だろ。いいじゃん。花があって」
「花があってって、そうゆう問題?」
ハハハッと孝一と笑う。
「おっさんみたいな事、言うなよ」
「女の子は花なんだから、仕方ないじゃん」
こうゆうやり取りが、ざわついて動揺していた優希の心を和ませる。
「なぁ、優希。その子はどんな子なんだ?連れてくる子って、他はどんな子達?」
一瞬、言葉が止まり無言になった。
「あぁ、ゆかりちゃんは、小柄で可愛らしい子だよ。一緒に来るのは同じショップの店員の子って言ってた」
優希は左手で落ち着かなく自分の太腿の傷痕を触った。
「優希。俺が聞きたいのは、外見じゃない。どうゆう人かって事だ」
少し強めの口調で孝一が言った。
「いい子だよ。なんて言ったらいいのかわからないけど、話してるとさ、1つ1つの言葉が入ってくるみたいな、自覚してない自分がわかるっていうか…」
後…と続けて言いたい事はあるものの、優希はどう伝えたらいいのか、上手く説明は出来ない。そして、説明出来たとしても自分がそれをどう言えばいいのかわからない。。
「他には?」孝一は、まだそれ以外にもあるだろ、と尋ねてくる。
「これは俺が思っただけだけど、あんまりゆかりちゃんは自分の事は話さない。それは、なぜかはわからないけど。でも…だから、もっと知りたいと思うんだと思う」
それは素直な気持ちだ。
紫は一言で言えば、不思議な人だ。
色んな雰囲気と表情を見せる。どれが本当の紫なのかわからないくらい、最初に会った時の紫と2人で会ってる時の紫は違う。それは嫌という気持ちよりも、知りたいと言う気持ちが強い。
「優希は嫌な思いはしてないんだな?」
「してない。俺はちゃんと知りたいと思ってる」
電話越しにふぅーと溜め息のような音が聞こえた。
「優希が嫌な思いをしてないのなら、いいんだ」
「大丈夫だよ。心配させてごめん」
「いや、悪かった。遅くに。早く寝ろよ」
そう言うと孝一は電話を切った。
優希は孝一に全てを言えなかった事に少し後ろめたさを感じた。
こうして心配してくれてるのに、紫との話はうまく言えなかった。
ただ、それだけではない。
優希自身が理解が出来ていない。
変に紫との事を言えば、不安感だけを与えて、みんなが楽しみにしているスノーボードはなくなってしまうかもしれない。なくなった結果、次いつ行けるのかとなれば、行けない可能性も出てくる。
何よりも会った時に紫を見る孝一達の視線が怖かった。
紫がどんな子なのか会ってもらう前に、いらない情報は伝えたくはない。
ーーでも、本当に死ぬような事が起きたらどうする?ーー
左手で触っていた傷痕から、微かに血が滲み、その鈍痒い痛みに、優希はハッと我にかえる。
ーー考えろ…考えろ…考えろ…ーー
テーブルに両腕を付き祈るように額を組んだ両手の上につける。
もし、本当に死ぬような事が起きるとしたら。
それは事故か。
事故が起こるとしたら…スリップか?
可能性がある事を考えろ…
考えれば考えれるほど、止めた方がいいのか?そう思う。
紫は選択と最後に言った。行かない選択をすればいいのか?ここまで計画を立てて、自分から行こうと言い出した事に、止めようなんて言える訳がない。
選択は他にもある。行き方、運転する人間、時間…選択する要素が数えきれないくらいある事に気付いた。
選択と簡単に言っても、それは何通りあるんだ。
紫の言葉「目の当たりにしなければ信じられない」それは、これから起こる事を意味してるのか?
車は自分の車だ。前もってスパイクタイヤを付けさえすれば、スリップなんてする事はない。
運転するのは俺だ。速度を守りさえすれば恐れる事はない。
じゃー紫が言ったのは…
紫は他には何も言わなかった。
見てない事を信じる事は出来ないとしか言わなかった。
俺は結局、何を目の当たりにしなければ、信じないと言う事か…
優希は途方に暮れたように軽く1人笑った。
紫に呆れたのではなく、自分に呆れたのだ。
紫の言ったことを気にかけながら、俺は紫に何も聞けなかった…
〝本当に〝なんて言ったんだ。
その言葉こそ、信じていないと同然だ。
呆れ笑う優希の頬を一筋の涙がつたッた。
「クッソ」
大声で叫ぶと同時に優希は横に置いた間接ライトを、右手で床に投げつけた。
間接ライトの白いプラスチックの円球カバーは割れ、中の電球だけが灯る。
割れ落ちたプラスチックの欠片を1つ手に取ると、優希は当たり前の様に自分の太腿へあて、鋭くなっている欠片の先端で少しずつ刺し押し込んでいく。
〝LINE♪〝スマートフォンが鳴り、ハッと我にかえりLINEを見る。
「紫:傷を増やしてはいけない」
そこには一言だけ書かれてあった。
優希は掴んだ欠片をテーブルに置くと、声をあげて叫んでいた。
同じ事を繰り返そうとした自分が許せなかった。
馬鹿な事をしようとして、孝一達を裏切ろうとした自分が許せなかった。
簡単に傷を作り、それで落ちつこうとした自分が許せなかった。
ーーゆかりちゃん…
助けてよ…ーー
紫に助けを求める自分が許せなかった。
ほとんど眠れずに目覚めた朝。
優希がいつもより1時間早く起きて、最初にしたのは後悔だった。
太ももの傷痕の中に、昨日付けた傷痕は塞がってはいるものの、鈍く痛み赤い筋となり痕を残している。
そしてフローリングの端には、割れた間接ライトの欠片が散らばりいた。
馬鹿な事をしたと後悔しないわけがない。
挙句に俺は何を口走った…
助けてくれと言ったのが、直接紫へ言ってなくてよかった。
強くなったはずだった。強くなったつもりでいた。
そう…そう思っていたんだ。
まだまだ強くなんてなかった。
もう、しない。
傷痕をさすりながら自分自身に言い聞かせた。
ーー本当に俺は愚かだ…ーー
優希はベッドから出ると、端によせた欠片の処理を始めた。
大きな欠片を1つ1つ拾い集め、細かい欠片をハンディクリーナーで吸い取った。
―ごめんな…―そう呟くとゴミ袋へと入れ捨てた。
物にあたるなんて最低だ。自分の身体をまた傷付けた事のも最低だ。
ただ、紫からのLINEがなければ…そう思うと救われた事に、今更ながら感謝する。きっと連絡がなければ、カッターを片手にしてたに違いない。
こんな複雑な気持ちになったのは、紫と出会ってからなのは確かだ。だが、それは言い訳にすぎない。結果、紫へ聞けなかったのは情けないが自分が臆病なせいだ。
ただ、それにしても、あのタイミングで紫からのあのLINE。一体どういうことだ。
ーーまさか…紫はこうなるのを知っていたとでも?ーー
いや、そんなはずはない。でも、知っていたとしたら、未来がわかっているというのか…
紫の言っていたことは、俺のこれから起きる未来で、それを言ってるとしたら、話の全てが繋がるんじゃないのか。
あまり寝ていないせいか、頭がさえているのか、余計な事を考え過ぎてしまう…
そんな事を考えていたら時間だけが経っていた。
早く出勤準備をしなければ会社に遅刻してしまう。
片手にスマートフォンを持つと、素早くLINEをした。
「優希:ゆかりちゃん、昨日はごめん。今日少し会えないかな?」
あっと言うともう一通送った。
「優希:昨日の夜はLINEありがとう」
よしっ、と自分に気合を入れると、間接ライトのゴミ袋を玄関先に置きバスルームへと向かいシャワーを浴びた。
ーー今日はちゃんと聞くこうーー
そう、話を聞く。悩んだり考えるのはそれからだ。
※※
優希からスノーボードに3人追加してほしいと言われた時、孝一は嬉しかった。
それは、聞いていた女の子の事だろうと、すぐにわかったからだ。
優希自体が、社会人になってから当たり障りなく社交的に人付き合いをしてるのはわかっていた。
営業という職業から、付き合いで呑みに行った話も聞いていた。だが、今まで会社の人間を、自分達の遊びに連れてきたことは一度もない。
そして普段休みの日にも、そうした会社の人と何処かに行くといった事も聞いたことがない。
そんな優希が、女の子と会った後に、自分達がたきつけたとは言え、スノーボードにも連れて行くことになったと言うのだ。
優希の親友として嬉しくないわけがない。
ただ、急な発展に驚いてるのも正直ある。
どんな女の子なのか、そんなに優希が魅了されるほどの子なのだろうか。
会ってないだけに心配をしてしまう。
ただの親友にしかも大人に余計な心配と思われるだろうが、優希の心の弱さは自分なりに理解をしていた。
何もかもを溜め込む性格も、自分よりも他者を優先するところも、我慢を知らずにしてる優希を知っている。
へらっと笑いながら、それが本当の咲いでないこともわかっていた。
だが親がいないからとか、1人だからとか、そんな同情は持ってはいない。
ただ、もう傷付いてはほしくなければ、自分を傷つけてもほしくない。ただそれだけだ。
大丈夫という人間ほど、大丈夫じゃない…
孝一は優希のLINEを読み返す。
どっちにしても、俺自身、この女の子に会う必要があるな…
ただ、優希の事だ。そう簡単には会わせないだろう。ダメ元で言ってみるか…
孝一は優希にLINEを送った。
「孝一:おはよ。スノーボードの前に、一回どんな子か会わせてくれない?一緒に行くんだから、先にどんな子か知っておきたいんだ」




